交錯する想い(4)

「鳴瀬さん、どこにいるんだよ」

 手塚は情け無い声で呟く。

 夕闇に影を落とすマンションは無機質な顔で聳え立つ。

 鳴瀬が自暴自棄になって妻子を手にかけたのか。いや、あいつはそんな男じゃない。市立図書館で見た父子の姿はどこかぎこちない印象があったものの、心は通じ合っていた。


 鳴瀬の行動パターンを思い出す。新橋の職場、自宅マンション、コンビニエンスストア。

 そういえば、池袋に向かったことがあった。行き先は古びた喫茶店で、たまたま立ち寄ったというより店が明確な目的地だった。

 職場から池袋は離れている。あの喫茶店にわざわざ足を運ぶのは不自然だ。

 行きつけの店なのだろうか。もしかしたら何か掴めるかもしれない。


***


 手塚は池袋駅の雑踏を抜け、スクランブル交差点を渡る。鳴瀬の辿った道は覚えている。ビル街を通り抜け、カラオケ屋の角を曲がる。パチンコ店の換金所の横の狭い階段を見上げると店の看板が見えた。

 九番街、か。手塚は壁にカラフルな落書きの施された階段を昇っていく。

 

 看板を照らすようにレトロなランプが点いていた。まだ営業中のようだ。ドアを開けると香ばしいコーヒーの匂いが漂ってくる。

 店内に客は二組。奥のボックス席で新聞を広げる初老の男性と、窓際の席で文庫本を読む妙齢の女性だ。


 暖色系のダウンライトが照らす落ち着いた店内は、シックなアンティーク調にまとめられている。調度品のセンスは統一され、店主のこだわりを感じた。

 手塚はカウンターに腰掛ける。

「いらっしゃいませ」

 上品な佇まいのベスト姿のマスターは手塚の顔を見て一瞬動きを止めた。


「メニューはこちらです。今日のオリジナルブレンドはコスタリカ産を使っています」

「じゃあそれ、お願い」

 手塚はとりあえず注文したものの、手持ち無沙汰でメニューを捲る。小ぶりのアルバムに写真を挟み込んだお手製で、手描き文字で丁寧に説明が書かれている。


「手作りプリンがあるんだ」

「ええ、当店の自慢です。コーヒーにも合いますよ」

 マスターに勧められて手塚はプリンを追加注文する。

 サイフォンの淡い光が灯り、コポコポと心地よい音が響く。香りたつコーヒーの匂いは心を落ち着かせる。


「どうぞ」

 マスターがカウンターにコーヒーを置く。白磁のカップに注がれた艶やかな黒と深い香りを楽しみ、口をつける。すっきりしたコクのある味わいだ。わざわざこの店にやってくる客はきっと本当にコーヒーが好きに違いない。


「鳴瀬さんは最近来たの」

 手塚の問いに自家製プリンを用意していたマスターの手が止まる。

「ええ、最近もこられました」

「俺のこと、知ってるみたいだね、マスター。あなたの名前は吾妻さんかな」

 吾妻は手塚が名前を呼ばれたことに驚き、顔を上げる。

 手塚は壁に提示された食品衛生管理者の札を見て名前を確認したことに気付く。


「よく似たお客さんがいたから、なんて通じないでしょうね」

 吾妻はプリンにさくらんぼを乗せてカウンターに置く。

「俺の顔を見た瞬間の反応で気づいたよ。プリン美味しそうだ」

 手塚は嬉しそうにスプーンを手に取る。


「鳴瀬さんが俺のこと話したの」

 マスターは返事をすることなくカウンターから出て、店内に残っていた二組の客に声を掛ける。こういうことは良くあるのか、客は文句も言わず会計を済ませて出ていった。

 マスターはドアの鍵を閉め、表のランプを消灯する。


「手塚さん、彼はいま窮地に陥っている」

 手塚は吾妻が自分の名前を知っていることで、鳴瀬と繋がりがあると直感した。この口ぶりなら裏の仕事のことも知っているだろう。この店に来たのは正解だ。

「俺のせいだ。俺が鳴瀬さんの仕事を邪魔したから」

 手塚は深刻な表情で唇を引き結ぶ。


「鳴瀬さんの居場所を知りませんか」

「もし、知っていたとして君に教える義理はない」

 吾妻は白い口髭の下で口角を上げる。手塚は殺気を込めて吾妻を睨みつける。しかし、ここで彼のヘソを曲げるのは得策ではない。手塚はコーヒーを一口飲んで肩の力を抜いた。


「居場所を知ってどうするんだ」

「あいつを殺すのは俺だ。他の奴に邪魔はさせない」

 手塚は揺らめくサイフォンの炎を見つめながら呟く。

「君はどうして鳴瀬さんにそこまで執着する。一体何が目的なんだ」

「あいつの前では俺は本当の自分でいられる。ただの獲物じゃない、ギリギリの命の駆け引きがたまらない」

 手塚は壮絶な笑みを浮かべる。この男は常軌を逸している。


「君は自殺願望があるようにも思える」

「そうかもね、プロの殺し屋になんて人生でなかなか出会えるものじゃない。あの目を見て思ったよ、俺を殺せるのはこの人かもしれないって」

 鳴瀬に依頼された手塚の個人ファイルの内容は吾妻も目を通した。幼い頃に家族を殺害されたことで精神が崩壊しても不思議ではない。吾妻は憐憫の情を覚え、眉根を寄せる。


 手塚はプリンを口に運ぶ。

「うん、美味しい。俺の好きな堅めのプリンだ」

 手塚は嬉しそうに目を見開く。添えられた生クリームと共にふた口目を食べてまた微笑んだ。

「そういえば、鳴瀬さんの所属事務所は天狼って名前なの」

 手塚はお気楽な世間話のノリで尋ねる。掴みどころのない男だ。これも世渡りのために身につけた仮面なのかもしれない。


「そう、私は彼のコーディネーターをしていた」

 吾妻は手にした皿とカップにサイフォンからコーヒーを注ぎ、挽きたての豆の香りを楽しんでから口に含む。

「コーディネーターって、中継ぎみたいなことか」

「組織の指令を伝える。仕事に必要な品や情報を集めることもする」

「鳴瀬さんは天狼ってところから追われてるんだよね、どうすれば見逃してもらえるの。復職はできないわけ」

 プリンを完食した手塚はカウンターに頬杖をつく。


「一度排除命令が出ると撤回はない」

 つまり、暗殺者は地獄の果てまで追われるということだ。

「誰が命令を出すの」

「天狼日本支部のトップだ」

 へぇ、と手塚は口角を釣り上げる。


「ここへ行くと良い」

 吾妻が名刺の裏にボールペンでメモを書いて手塚に渡す。

ー明日 午後九時、横浜港

「ありがとう、吾妻さん。このお店気に入ったよ」

 手塚は支払いを済ませて九番街を出る。

 階段を降りたところにフルスモークの黒塗りのベンツが停車していた。

 助手席の窓が降りて黒いスーツにサングラスの男が手招きをする。




 

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