狼を狩るもの(3)

 夕方、図書館閉館後のフロアの掃除機をかけにきたおばさんを見て、手塚は違和感を覚える。無愛想なおばさんはまさに四角いところを丸く、といった雑なやり方で面倒臭そうに掃除機を押しては引いている。

 きっと定年を迎えたが夫と顔を合わせたくないとか、そんな理由でここにいるのだろう。


 毎日丁寧に掃除をしてくれていた大谷の小柄な姿を思い出す。手塚はカウンターで書類をパンチしていた春江に尋ねる。

「あの真面目なおじさん、辞めたそうよ」

 春江も気になって新しい清掃員に尋ねたらしい。長年ここの清掃員をしていたのに、突然辞めたというのは引っかかる。


 手塚は司書室のパソコンで大谷の名前を検索する。講演に来た小見山に襲いかかったとき、胸につけた名札に刻まれていたフルネームを覚えていた。

「なんだと」

 手塚はネットニュースに大谷の名前を見つけ、絶句する。


 大谷は昨日の早朝五時、交差点を自転車で横断中に車にはねられて即死。大谷をはねた車輌は逃走し、現在行方を追っているという。掛け持ちをしていたビルの夜間警備のアルバイトからの帰りだった。


 手塚は即座に小見山を思い浮かべた。小見山は意に介していない素ぶりを見せたが、清掃員にモップの柄で襲われるなど、お高いプライドは大いに傷ついたに違いない。

 講演で見えた彼の本音は敗者には人権すら無い、手塚はそう理解した。


 小見山を調べるか。次のターゲットに申し分ない相手だ。その前に鳴瀬のことが気に掛かった。

 奴は危険な立場に追い込まれている、と言っていた。手塚が手を出した二人は鳴瀬のターゲットだった。二度続けて暗殺指令を遂行できなかったことになる。


 役立たずの暗殺者、鳴瀬にそんなレッテルが貼られたなら。小見山のような男はどれほど優秀でも一度の失敗も許さない。鳴瀬の上司がそんな奴なら、鳴瀬は用済みということになる。

 暗殺者の組織なんて実態は知らないが、悪党の考えそうなことだ。


 手塚は居ても立っても居られず、タイムカードを押し、ロッカーへ向かった。

 窓の外は重苦しい黒雲がうねるように立ち込め始めていた。


***


「鳴瀬君がこんな時間まで残業とは」

 退勤しようとする安田が鳴瀬に声を掛ける。普段は概ね定時で帰る鳴瀬がこんな時間まで残っているのは珍しいことだった。

「締めが近いので前倒しで片付けておこうと思いまして」

 鳴瀬はテキパキと机に置いた書類を分類している。


「降りそうだよ、早く帰った方が良い。ではお先に」

 安田はパソコンをシャットダウンしてフロアを出ていく。

 プラスコアジャパン社の総務部契約担当主任鳴瀬史郎の立場は排除対象になれば無効となる。鳴瀬は自分がいざ突然消えた時のために、身辺整理と部署の同僚が困らぬようマニュアルを整えていた。

 それももう完成だ。


 日は長くなってきたはずだが、窓の外がずいぶん暗い。じっとりと湿気を含んだ風が頬を撫でる。見上げれば、黒煙のような雨雲が空を覆っていた。

 鳴瀬はロッカーから取り出した置き傘を手に、職場を出て新橋駅へ向かう。


 ポツリと水滴が肩に落ちる。すぐにパラパラと小雨が降り出した。熱を持つアスファルトから雨の匂いが立ち上る。

 ふと、背後に気配を感じた。どうも先程からつけられている。鳴瀬は傘で背後の視界を遮り、カーブミラーを見上げる。ビルの壁に隠れるように人影がある。背格好からして男だ。


 鳴瀬は駅とは逆方角へ足を向ける。

 また手塚が自分を付け狙っているのだろうか。二度とそんな気が起きぬよう、今度は脚の骨でも叩き折るしかないか。

 シャッターが降りた雑居ビルが立ち並ぶ通りを歩く。まだ夜八時だが、すれ違う通行人はほとんどいない。


 背後の男は距離を保ちながら後をつけてくる。鳴瀬は廃墟のビルの脇を抜けていく。その先は開けた空き地になっていた。

 外周はビニルシートで覆われ、再開発の計画が停滞している土地だ。

 老朽化した建物を解体した後のコンクリートの破片がごろごろ転がっており、積み上がった土砂には雑草が生き生きと伸びている。


「天狼元特級ランク暗殺者、鳴瀬史郎」

 背後の男が鳴瀬の名を呼ぶ。鳴瀬は足を止め、ゆっくりと振り向いた。

「あんたに排除命令が出ている」

 男はライトグレーのジャケットに黒のTシャツ、ジーンズを履いている。背中には大判ポスターを巻いて収納するような長い筒を背負っている。

 まだ若手だ、二十代後半か。その目は野心にギラギラと輝いている。


 男は筒の蓋を開け、中から黒鞘の日本刀を取り出した。鞘を投げ捨て、雨に濡れて白光りする刀身を鳴瀬に見せつける。

「特級のあんたを殺せば箔がつく」

 ニヤリと笑い、鳴瀬に挑発的な目を向ける。

 鳴瀬はカバンを足元に置き、傘を閉じた。


 排除命令が出た場合、吾妻から連絡が入るはずだ。吾妻がそれを怠るとは考えにくい。ならば、上層部の決断がそれほど早かったか、何者かの独断か。

 鳴瀬は男を見据える。

 排除命令が出ると、暗殺者を始末する者たちが動き出す。処刑人と呼ばれる彼らは残忍で殺しを楽しむ。


 処刑人に狙われた暗殺者は制裁として無惨な死を遂げることになり、それは組織の命に背かぬよう見せしめになる。


 若い処刑人は刀を構えた。鳴瀬はまっすぐ背筋を伸ばして立ったまま、相手を見据える。

「ハッ」

 処刑人が刀を振り下ろす。鳴瀬は間合いを見切っているのか、顔色を変えずに上半身を逸らすのみでそれをギリギリで避ける。

 処刑人は鳴瀬が微塵も怯える様子がないことに苛立つ。


 今度は鳴瀬の間合いに大きく踏み込み、斬りつける。鳴瀬は左脚を軸に無駄のない動作で攻撃を避ける。

「いつまで逃げられるかな、元特級」

 処刑人は鳴瀬を挑発しながら更に刀を振る。鳴瀬はジリジリと押され、背後に崩れかけのブロック塀が迫る。

 

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