第四章

狼を狩るもの(1)

 鳴瀬は二本目のタバコに火をつける。

「私にももらえますか」

 鳴瀬はパーラメントの箱とライターを吾妻に差し出す。吾妻は慣れた手つきで火をつける。

「愚かだと笑うか」

 鳴瀬は煙を吸い込み、目を閉じる。組織の命令に従うことが生きる目的だった。それを容易く見限られる無常感。


「いえ、そうは思いません。ただ、あなたはどこまでも不器用です」

 吾妻の言葉は微かな同情の色を帯びていた。鳴瀬は声を押し殺して笑う。

「あなたほど優秀な暗殺者はそういない。寛大な措置が下ることを祈っています」

 吾妻は一介のコーディネーターだ。鳴瀬に便宜を図ることすら許されない。


「あんたには世話になった。感謝している」

「ルイボスティーを用意して待っています。自家製プリンもぜひ食べに来てください」

 鳴瀬の処遇について、組織からの沙汰があれば連絡することになっている。

 吾妻は階段を降りてゆく鳴瀬の背をやるせない心持ちで見送る。


***


 配架作業をしていた手塚は隣に立つ男に気づいて手を止めた。

「何しに来た」

 目線を本棚から逸らさずに苦々しい顔になる。

「本を借りに来たんだよ」

 隣の男、蜂谷昴は書架を物色する素振りを見せる。手には建築論の専門書を抱えている。


「あんた、まだあの男を追ってるの」

 昴の言葉に手塚は途端に不機嫌になる。こんな顔をされたら返事をせずともわかる。

「お前には関係ない」

「危険だからやめなよ、って言っても聞かないだろうね。でも、何だかほっとけないんだ」

「ガキに心配されるほど落ちぶれてはない」

 手塚は苛立ちに目を細め、昴に向き直る。昴はまっすぐな瞳で手塚を見上げている。


 手塚は昴を図書館の外へ連れ出した。午後の日差しに輝く白いタイルのオープンテラスにモスグリーンのパラソルが並ぶ。手塚と昴はドリンクを手にテーブルにつく。周囲では学生たちが賑やかに歓談している。


「あんたの気持ちがわかる気がする。俺も親父に認められたかった。それを他人に求めたんだ」

 夜の街で奔放に遊んでいる者は何らか心に闇を抱えている。昴もそうだ。

 真っ当な人間関係を築くことができず、身体の繋がりを求めた。


「あんたは本当の自分を押し殺して生きてる。それを解放できる相手があの男なんだろ」

 手塚は鳴瀬と対峙した時の興奮を思い出す。自分を曝け出せることが心地よく、満たされた思いだった。

「その先に何があるんだよ。殺し合いで満足できるのか」

「わからない」

 手塚は項垂れる。若者に諭されていることが情け無い。


「不毛だ」

 昴はアイスカフェラテを啜る。手塚は頭を抱えてため息を漏らす。

「あいつを失うかもしれない」

「どういうこと」

「俺が横槍を入れたことで仕事に失敗したと判断されている。俺以外の誰かに殺られるなんて耐えられない」

 手塚は本気で苦悩している。無邪気な子供のような自己愛の塊だ、昴は半ば呆れている。


「あんたが手を引いたら丸く収まるんじゃないのか」

 昴の意見は至極真っ当だ。

「そんな単純な話じゃない」

 手塚は力無く頭を振る。実らぬ恋の話をしているような、堂々巡りの会話だ。

「俺、あんたに抱かれたとき、お互いの心の隙間を埋められるかもって思った。でもあんたの心は隙間どころじゃない、底無しの暗い穴みたい」

 昴はその穴を自分では埋められない、と分かっている。


 氷の溶けたカフェラテを飲み干し、昴は立ち上がった。

「コーヒーご馳走さま」

「君をみくびっていたよ」

 心を見透かされた気がした。手塚は降参だ、と肩をすくめる。

「とにかく、気をつけて。俺だってあんたが死んだら夢見が悪い」

 じゃあ、と手を振り昴は去っていく。


***


 執務室のデスクについた小見山はパソコンを起動する。天狼に所属する暗殺者たちの報告を確認するのが日課だ。

 今月は小口の依頼が多かったが、闇臓器売買コーディネーターの早川哲也暗殺は重要案件だった。

 この件は鳴瀬史郎に任せていた。


 小見山は画面を凝視し、次に湧き起こる怒りで頬を紅潮させていく。手にした葉巻を力任せに折った。フィラーがデスクに飛び散り、熟成された葉の香りが漂う。

 画面に表示されているのは鳴瀬史郎の失敗を示す赤文字だ。

 

 早川は死亡、それなのに失敗とは一体どういうことか。鳴瀬について追加情報が添付されていた。今回から鳴瀬につけた監視からの報告だ。

 鳴瀬は早川死亡の一日前、早川に接触している。しかし、逃げられた。

 小見山は画面をスクロールする。早川に逃げられた夜は男と格闘したと記載がある。


 男が何者か、組織に属するのか全く情報はない。この男に邪魔されて早川を仕留め損なったことは間違いない。

 男が何であれ、ターゲットに接触しておきながら逃したことは暗殺者として許されるべきではない。

 鳴瀬の仕事ぶりを高く評価し、この間のターゲット事故死は目を瞑った。今回はターゲットを逃している。


 電子音がして、新しいメッセージが入った。

 マカオのカジノ王の臓器移植が成功し、経過は良好だということ。上海にある天狼上部組織の敵対勢力が巨額の資金提供を受けることになり、上海の幹部連中は怒り心頭だという内容だ。

 小見山の納期管理が問題に上がっているという。


 小見山は自分が無能だとみなされることを心底嫌っている。

 早川の暗殺が早ければ、移植は叶わなかった。鳴瀬は納期を破ったわけではないが、ターゲットを追うことを蔑ろにした。

 暗殺者のランク変更や追放は幹部会で議論することになっている。だが、そんなことは関係ない。

 小見山は鳴瀬のステータスを特級ランクから排除対象に更新した。


 AIが適切な追手をチョイスし、画面にリストを並べる。暗殺者を追う暗殺者は制御の効かない無法者を当てる。金と、どんなに残虐な殺し方をしても良い、という条件に飛びついたゴロツキだ。

 鳴瀬のエリート然とした顔が恐怖に歪む様を見てやりたい。小見山は敗者に対する嗜虐心に酔い痴れる。

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