絡み合う糸(3)

 今日は諒子がコーラスグループの活動に参加するという。隔週土曜日が活動日で、気晴らしになるなら、と鳴瀬は快諾した。

 諒子は申し訳なさそうに京平を鳴瀬に託し、出かけていく。本来なら暗殺者の生活を支える役割なのに、自分だけが楽しんで良いのかと気にしている。


「気兼ねなどするな」

 不器用な笑みを浮かべる鳴瀬に諒子は彼なりの思いやりを感じた。常に冷静で無愛想、朴訥な男だが、この数年共に暮らすことで飾り気のなさに誠実さを感じられるようになった。

 きっと鳴瀬は引き合わせされた日から何も変わっていない。諒子の心が変化しているのかもしれない。


 必然的に鳴瀬と息子の京平が残される。

「公園に行くか」

「うん」

 京平は嬉しそうに頷く。鳴瀬は京平に青色のリュックを背負わせ、諒子の用意した黄色い蓋の水筒とハンドタオルを入れた。

 京平がこれも、と絵本を持ってきた。図書館で借りた『きつねとおおかみとさいはてのもり』だ。本を目にすると真面目な青年の顔が思い浮かび、鳴瀬は苦々しく頭を振る。


「お父さんと読みたい」

 公園に行くのに絵本を持っていくのか、と訊ねると京平は絵本を抱きしめて鳴瀬を見上げる。鳴瀬は京平のリュックに入らない絵本を自分の黒のリュックに入れた。

 京平の手を引いてマンションのエレベーターを降りる。


 新緑の木漏れ日が射す遊歩道を京平と歩く。爽やかな風が若葉の匂いを運ぶ。鳴瀬と手を繋ぐ京平は下手なスキップをして飛び跳ねている。

 湖の辺りに亀が甲羅干しをしているのを見つけては指差したり、白鳥が羽ばたく水音に驚いたり、京平の行動を観察していると飽きない。

 

 自分が同じ歳の頃もこんなふうだっただろうか。鳴瀬はふと昔を思い出す。育ててくれた父親と母親が本物の両親と信じて疑わなかった。

 彼らが擬装家族だと告げられたときのショックを覚えている。まるで底の見えない深い谷底に突き落とされた気分だった。


 京平もいずれそれを知らされる。定期的に家族は解体され、新しい家族が形成される。そうやって組織は意のままにできる無機質な心の暗殺者を作るのだ。信じられるのは組織だけ。そう刷り込まれてきた。

 ライフステージが代わり、次の家族に引き合わされた。優しかった最初の「両親」とは二度と会うことはない。


 子供たちのはしゃぎ声が聞こえる。広場のアスレチックは種類が多く、子供たちに人気のスポットだ。

「行ってくるか」

 京平はアスレチックをじっと見つめていたが、首を振る。年齢の離れた子供たちと遊ぶことに気が引けたのだろうか、京平は引っ込み思案なところがある。

「お父さんと絵本を読みたい」

 鳴瀬はリュックに入れてきた絵本を思い出す。


 鳴瀬は京平を連れて木陰のベンチに腰掛けた。京平に水筒の茶を飲ませてやる。

 京平は鳴瀬に寄り添い、絵本を覗き込む。鳴瀬は狐と狼の物語を淡々と読み始める。

 物語が後半に差し掛かったところで、京平は鳴瀬を見上げる。その目には不安げな色が浮かんでいた。


 ちょうど闇を纏う「さいはてのもり」の侵食が始まる場面だ。美しいまほろばの森の生き物は生気を失い、滅びてゆく。

「どうした」

「ぼく、こわい」

「これはお話だ、怖くないよ」

 鳴瀬は不思議に思う。お気に入りの絵本なのかと思いきや、怖いという。確かにページ全体がモノトーンで、子供心に恐ろしい雰囲気を感じるのだろう。


「お父さん、つづきを読んで」

 絵本を閉じようとしたが、京平は続きをねだる。鳴瀬はページを捲る。


 さいはてのもりにはわるいあくまがすんでいました

 あくまはまぼろばのもりをうばおうとしています


 もりのどうぶつたちはげんきをなくしています

 きつねのエルはおおかみのロイにそうだんします

 ねぇ、いっしょにわるいあくまをやっつけよう

 ロイはしかたなくエルとともだちになりました


 エルはもりのたからもの ひかるいしをもってあくまのところにむかいます

 ひかるいしにあくまはおおよろこび

 がけにかくれていたロイがあくまめがけてとびかかりました


 京平はワクワクしながら絵本に惹き込まれている。鳴瀬が本を閉じたとき、京平は目を輝かせて鳴瀬を見上げた。

「ぼく、おおかみのロイが好き」

 そう言ってベンチから飛び降りた。絵本を読み終えて満足したらしく鳴瀬に本を手渡し、アスレチックに走っていく。


***


 マンションに帰ると、コーラスグループから戻った諒子が昼食を用意していた。

「あ、オムライスだ」

 京平はキッチンに立つ諒子に駆け寄る。

「おかえり、お散歩は楽しかった?」

「うん、あのね」

 諒子は京平の話を聞きながらサラダにオムライス、オニオンスープをテーブルに並べる。


 土曜日に家で食事をするのは久しぶりかもしれない。白い皿に盛られた鮮やかな黄色のオムライスを前に京平は嬉しそうにスプーンを握りしめている。


 鳴瀬はおもむろにスマートフォンを取り出してカメラを起動し、京平と諒子の写真を撮影した。

 諒子は鳴瀬の意外な行動に内心驚いている。鳴瀬は何ごとも無かったかのように黙々とオムライスを食べ始めた。


***


 遊び疲れたのか、京平はベランダの窓から漏れる陽だまりの中で眠っている。小さな手にはあの絵本を持って。諒子は京平のお気に入りの電車が並ぶイラストのブランケットを掛けてやる。


「京平はその本が好きなのか」

 鳴瀬は絵本を手にする。

「そう、毎晩一緒に読んでいたわ」

 でも、と諒子は続ける。最果ての森が侵食を始めるところで怖い、と必ず本を閉じるのだと。

「お父さんとなら続きを読んでも怖くないかな、って言ってたわ」

 鳴瀬と絵本の続きを読むことを楽しみにしていたらしい。


「おおかみのロイはあなたに似てるんだって。ナイショだって言ってわ」

 諒子は穏やかな寝息を立てる京平を見つめる。鳴瀬はくすぐったい気持ちで口元を緩める。

 鳴瀬のスマートフォンが振動する。メッセージを読んだ鳴瀬の表情が変わった。仕事の用件だ、と諒子は察する。


「すまないが、出かける」

 鳴瀬は自室のクローゼットからハンガーにかけた黒のスーツを取り出す。シャツのボタンを留め、ネクタイを締める。鏡に映るのは非情な暗殺者の姿だ。

 窓際のサボテンに水をやる。根腐れしないよう、水やりのサイクルには気を配っている。少しずつ育つサボテンを見るのは密かな楽しみだった。


 鳴瀬は電車に乗り、池袋のレトロ喫茶九番街に向かう。



 

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