絡み合う糸(2)

 機材と音源のセッティングは問題なく終わり、手塚は会場入り口に設営している受付の手伝いにやってきた。

 すでに受付は始まっており、申込者が列を作っている。名簿を見ると五百名強の申し込みがあるようだ。講義室の定員に達して断りを入れたと聞く。


 列に並ぶのは起業を志す若者の他に企業の上層部といった顔ぶれだ。確かな実績のある小見山の講演は人気のようだ。

「小見山先生の話、ぜひ聞きたかったんです」

 スーツ姿の若者は感激しながら受付で名前を告げる。

 差し入れの花や菓子折りも届いている。あの男にそんなに魅力があるのか、と手塚は首を傾げる。


 開演五分前となった。講義室はほぼ満席で活気に満ちている。手塚は控え室で待つ小見山に声をかけようと、ドアノブに手を掛けた。

「なんだと、またしくじったというのか」

 扉の向こうから小見山の苛立つ声が聞こえた。部下が失態でも犯したのだろうか、冷静さを欠いているように思える。

 清掃員に襲撃されたときも顔色ひとつ変えなかった男が、と手塚は意外に思う。


「納期は月末だったな、それまで泳がせておこう。妙な真似をするなら」

 そこで声は途絶えた。

「失礼します。五分前です、ご準備を」

 手塚は扉をノックし、控え室に入る。小見山は鏡の前でネクタイを締め直し、髪型を整えていた。

 手塚は若手社員の持つタブレットにふと目をやった。タブレットには狼の横顔をデザインしたエンブレムが表示されていた。仕事には似つかわしくない。彼の趣味なのだろうか。


「いつでも構わない」

 小見山は手塚に向き直る。紳士然とした上品で知的な佇まいだ。顔には微笑みが浮かんでいる。彼はすでに講演モードに切り替えたらしい。

 手塚は腕時計で時間を確認する。開始時間一分を切った。扉を開け、小見山を講義室へ誘導する。


 小見山の姿が見えた途端、講義室から盛大な拍手がおきた。これほど会場の反応が良い講演は珍しい。まるで新興宗教の集会のようだ。手塚は冷めた目で会場を見やる。

 小見山は演題に立つ。すると拍手がピタリと鳴り止んだ。よく通る声だ。滑舌も良く、力強い。ワーディングに無駄がなく、訴求力がある。

 時にユーモアを交えながら若き起業家や経営層に向かって熱弁を振るう。


 プレゼンテーションスライドはあるが、小見山は一時間の講演でカンペを一切目にしなかった。派手なジェスチャーに声の抑揚を使い分け、洗練された動作で演台を行き来する姿は米国の有名実業家さながらで、カリスマ性を感じさせた。

 彼のいう通りやり抜けば、成功できるという気にさせられる。

 

「ではそろそろ終わりの時間だ。世の中には勝者と敗者の二種類しかいない。決して敗者にはなるな。君たちの未来が輝かしいものになることを願っている」

 講演は時間通りに終了した。盛大な拍手が起こり、参加者たちはこぞって小見山と名刺交換を始める。感極まって熱い握手を交わすものもいた。


 講演を終えて、小見山は講義棟玄関に待機していた運転手つきの黒のレクサスで帰っていった。

 車が見えなくなり、手塚はホッとする。小見山は威圧的で好き嫌いが激しい。お気に入りの人間も自分の意にそぐわなければすぐに切り捨てるのだろう。苦手な人種だ。もう一度後半戦の立ち会いをすることを考えると億劫だった。


***


 今日はこれでお役御免だが、午後の時間を図書館で過ごすことにした。大学のパソコンで調べたいことがあった。それは早川哲也のことだ。鳴瀬の次の動きを追うには早川を追えばいい。それに、鳴瀬の言っていた闇臓器売買という言葉が気にかかる。


「わ、今日はスーツなんですね」

 カウンターを通り抜け、司書室に入ろうとしたところで通常勤務中の喜久子に呼び止められた。普段はオフィスカジュアルなので、見慣れぬ手塚のスーツ姿に驚いている。

「息苦しいし、なんだか落ち着かないよ」

 手塚は愛想笑いでおどけてみせる。


「あの、この間は小説のアドバイス、ありがとうございました」

 手塚は几帳面な文字で丁寧な書き込みをした原稿を返してくれた。短時間で読み込んだとは思えない的確な指摘に、手塚の並外れた知識と思慮深さを見た。

 有料で依頼した講評サービスのアドバイスが無難な褒め言葉を散りばめたものだったことに気付かされた。


「ああ、お役に立てたなら良かったよ」

 手塚の素っ気ない態度に、喜久子は一度は言い淀むが、勇気を振り絞って続ける。

「もし良かったら、修正版も見てもらえませんか。それと、結末を考えているんだけどしっくり来なくて」

「いいよ、今度仕事終わりにまた食事にでも行こう」

 あっさり承諾を得られて喜久子はホッとする。


 これって、デートの誘いみたいだったかな。喜久子は頬を赤らめる。こんなに積極的に男性を誘うなんて、これまでにできなかった。手塚は小説執筆に理解があるし、知的で優しく魅力的だ。小説の相談をしているだけ、と喜久子は高鳴る胸を落ち着かせる。

 二人の様子をカウンターで盗み見していた春江がずれた眼鏡を押し上げる。意地悪そうな小さな目を見開いて鼻で笑い、本の修理を始めた。


 手塚は司書室に籠り、パソコンを起動する。早川のアカウントに侵入し、前回調べていない個人ファイルを漁り始めた。この間は早川のスケジュールから鳴瀬の行動を割り出した。見事鳴瀬が登場し、思いの他上手くいった。


 早川は几帳面な男だ。情報を一元管理しており、職場の予定とスマートフォンの個人の予定をリンクさせている。今日は夜十九時、内容が書かれていない予定が入っている。他の週の土曜日も同じように時間だけが書かれている。

 これは女だ。女のところへ行く時間を書いているのだ。これは狙い目かもしれない。女はどこに住んでいる。手塚は手がかりを探す。


「これか」

 賃貸マンションの請求書が格納されているフォルダを見つけた。アーバンステージ鶴見、これが女のマンションだ。早川の住所は鶴見ではない。手塚は女のマンションの住所をスマートフォンの地図アプリに登録する。


 そして、隠しフォルダを発見した。早川の臓器売買ビジネスに関する情報だ。匿名の顧客リストも見つけた。余りある金を持つ彼らがどの臓器をいつのタイミングで欲しいか一覧で管理されていた。臓器ごとに年齢や生活環境によりランク分けされている。臓器はまさに商品だ。


 相当の金が動いている。手塚は眉根をしかめ、縁なし眼鏡をくいと持ち上げる。臓器を確保するタイミングもニーズに合致している。ここ最近、大きな取引があるようだ。特別VIPなのか、額が桁違いだった。


 間違いない、早川は臓器を作り出している。

 手塚の心に暗い欲望の火が灯る。正義感や義侠心ではない。ただ殺す理由があればいい。手塚はパソコンをシャットダウンした。


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