流儀と矜持(4)

「なぜ俺の邪魔をする」

 鳴瀬と手塚は間合いを取りながら睨み合う。互いに正中線をずらしながらジリジリと円を描くように移動する。

「俺はあんたに興味がある」

「俺はお前になど興味はない、これ以上関わるな」

 鳴瀬は堪えがたい怒りでこめかみが小刻みに痙攣している。手塚はこの状況を心底楽しんでいる。


「つれないこと言うなよ。あんたと俺は似たもの同士だ。誰にも本性を明かせない。殺すことが俺の存在の証明なんだ。俺は人を殺さずに生きていられない」

「狂っていやがる」

 鳴瀬の吐き捨てるような言葉には憎悪が滲み出ている。普段感情をほとんど表に出さない鳴瀬が手に負えぬ感情に翻弄されていることに手塚の胸は躍動する。

 樹齢を重ねた黒々と繁る木々が気まぐれな風に吹かれてざわめく。


「嬉しいね、あんたには本当の自分をさらけ出せる。ありのままの俺と向き合ってくれるのはあんたしかいない」

 手塚に仕事を邪魔されたのはこれで二度目だ。仕事を完璧にやり抜くことがプロとしてのプライドであり、それが鳴瀬の確かなアイデンティティだった。今、目の前の男の身勝手な欲望のためにそれが崩れ去ろうとしている。


「くだらない。つきあっていられるか」

 鳴瀬はこれ以上手塚と関わるのは愚策と判断した。早川を追わねば。今夜仕留められなければ警戒されてやりにくくなる。しかし、手塚はここを通す気はない。鳴瀬は重心を落とし、構えを取る。

「やっと本気になったな」

 手塚もナイフを構え、切っ先を鳴瀬に向ける。唇を引き結び、真剣な眼差しで鳴瀬を見据えている。


 手塚が間合いに踏み込み、キメラを薙ぐ。鳴瀬は半歩後退り、ギリギリの距離で攻撃を避ける。手塚はヒットアンドアウェイのステップを刻みながらキメラで鳴瀬の心臓を狙う。

 プロの技量にはとても及ばないが、手塚の動きには恐怖心がない。死を怖れていないのだ。鳴瀬はこれまで命乞いをする者たちを見てきた。貪欲に生に縋り付こうとして無様に泣き喚く者もいた。

 手塚は命をかけて自分と対峙している。それが生の喜びであるかのように。

 ひどく厄介だ。これまでに経験したことのない相手だ。


 鳴瀬は故意に隙を作る。手塚は好機とばかり大きく踏み込んだ。キメラは鳴瀬のワイシャツを切り裂く。しかし、肉に到達した手応えはない。鳴瀬は手塚の横っ面に鋭い肘鉄を見舞った。

「ぐっ」

 思わぬスピ―ドに、防御できなかった。手塚の身体は吹っ飛び、石灯籠に激突する。背中を激しく打ち付け、反射的に咳き込んだ。


「仕事で人を殺すってどんな気分なんだ。人の命令で殺しを実行するんだろう。結局、他人の言いなりじゃないか」

 手塚は唇の端から流れる血を乱暴に拭う。その瞳には挑発の色が宿っている。鉄の味が口内に広がり、手塚は石畳に赤い唾を吐き出す。

「貴様は自分の快楽のために人を殺す。貴様は獣、いや獣以下だ」

「嬉しいね、そんなこと言われたのは初めてだ」

 手塚はキメラを逆手に持ち替え、鳴瀬の懐に飛び込む。


 恐れを知らぬ男だ。その動きこそ先が読めない。命すら惜しくないのか、鳴瀬は手塚の狂気に圧倒される。

 鳴瀬は大ぶりの攻撃をかわしながら脇腹に拳を叩き込む。細身だがよく鍛え抜いた筋肉質だ。しかし脂肪が少ない分、衝撃は大きい。手塚は脇腹を押さえて後退る。

「手強いな、それでこそ俺の獲物だ」

 手塚の額から脂汗が流れ落ちる。それでも余裕の笑みは崩さない。


「まだそんな軽口が叩けるのか」

 鳴瀬は手塚の顎に右ストレートを見舞った。脳を揺さぶられ、均衡を失った身体はよろめきながら地面に倒れる。鳴瀬は大股で歩み寄り、手塚の腹を容赦無く蹴り飛ばす。

「ぐふっ」

 呻き声を上げ、手塚は背中を丸めて胃液を吐き出す。鳴瀬はさらに蹴りを見舞う。手塚は砂まみれになりながら転がり、体勢を立て直す。


「これがあんたの本性だ。激情に身を任せるのは案外心地良いだろ」

 手塚はまだキメラを手放そうとしない。壮絶な笑みを浮かべる唇から血の混じった涎が流れ落ちる。手塚は汗に滑るナイフを握り締め、鳴瀬の心臓を目がけて突進する。

 鳴瀬は手塚の背後に回り込んで鋼線を首に巻き付け、思い切り両側に引く。

「ぐぐっ」

 気道を締め付けられ、呼吸を奪われる。鋼線が喉に食い込んでいく。手塚は脱力し、両手をだらりと垂らす。意識が遠のき、目の前が白いもやに霞んでいく。


「うわあああっ」

 遠くで絶叫が聞こえた。やめてくれ、邪魔をしないでくれ。白濁する意識の中で手塚は声にならない叫びを上げる。不意に鋼線を引き絞る力が緩められた。手塚は膝から地面に崩れ落ち、両手をつく。

「ぐほっ、げほっ」

 一気に酸素を吸い込み、激しく咳き込んだ。涙に滲む目を擦ると、目の前に若い男が立っている。その手にはぼろぼろの竹箒を持って。


 そんなものでプロの暗殺者に勝てるわけがない。手塚はやめろと声を振り絞るが、喉を圧迫されて声が掠れている。

「こ、この人を殺すな」

 男の声は震えていた。箒を握り締め、手塚を庇うように立っている。

 鳴瀬は冷酷な瞳で手塚を見下ろす。その顔には一切の感情はない。

「俺は仕事以外で殺しはしない。お前とは違う」

 そう言い捨てて踵を返した。


 手塚は呆然とその場に尻もちをつく。

「手塚さん」

 男が箒を投げ出して手塚に駆け寄り、跪く。手塚は抱えた膝に頭を埋め、肩を震わせている。微かな嗚咽が漏れ聞こえる。

「いい気味だよ、あんたも振られたね」

 男の声は穏やかだが、やるせなさを含んでいた。


「お前、蜂谷昴か」

 手塚は意外な顔に気付いて驚く。

「そうだよ、あんたにヤリ捨てされた男」

 昴は自嘲しながら手塚にハンカチを手渡す。手塚は涙と鼻血に塗れた顔を思い切り拭った。またふて腐れて膝に顔を埋める。まるで駄々っ子のようだ。スマートで隙の無い男の意外な一面に昴は戸惑いを隠せない。


「散々だったね、今度は俺がおごるよ」

 あの日、昴を落としたときの台詞だ。手塚はおかしくなって笑い出す。よろめきながら立ち上がり、昴と並んで歩き出した。






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