流儀と矜持(1)

 早川哲也は役員秘書室のデスクで書類に目を通している。室長の部屋は部下とは別に切り分けてあり、ブラインドを下ろせばプライベートは保たれる。

 集中するので緊急の用件以外は声をかけないようにとスタッフには周知してあった。


 樫材のアンティークな事務机の上に書類を並べる。比較検討するにはやはり紙媒体が扱いやすい。クリップ止めされた一枚を手に取った。

 二十代、男性、既往歴なし、バイク事故で脳挫傷。意識不明、気管切開。喫煙歴なし、なかなか好条件だ。BMIも平均値で問題ない。

 

 早川が事務長を務める逢見学園大学付属病院は三次救急を担う救急告示病院だ。広い地域から交通外傷などの重症患者が救急車で続々と搬送されてくる。

 病院で死ぬのは老人が圧倒的に多いが、事故などによる突然死なら若者も多い。


 角膜に心臓、肺、肝臓、腎臓。若い献体からの臓器は高く売れる。

 臓器移植には生前の本人同意か、死後なら家族の同意が必要だ。日本では臓器提供に心理的抵抗があり、あまり進んでいないのが現状だ。臓器提供を待ちながら死んでいく者がどれほどいるか。

 そこがビジネスになる。質の良い臓器を手に入れ、欲しいものに売る。


 早川は病院の秘書室長職を利用して違法な臓器売買に関与していた。

 待遇に不満を持つ外科の助教授、闇カジノで借金まみれの整形外科医長、シングルマザーの主任看護師とそれなりの給料をもらっていてもまだ金に困る連中がいる。

 彼らにチームを組ませて、目をつけた献体から臓器を抜き取らせていた。


 同意があるケースはシンプルだが、そうでない場合は死因の特定のためと解剖を勧める。緊急オペを装い、臓器を抜くこともした。

 縫い合わせてしまえば腹の中が空っぽでも気づきはしない。どうせ遺体は燃やすのだ。使える臓器はリサイクルする方が社会貢献になる。

 早川に罪悪感は無かった。若い患者の闇カルテは札束に見えた。


 目をつけた若者はそう長くはないだろう。看護師に点滴から筋弛緩材を混入させ、心筋梗塞を理由に開胸心臓マッサージをさせれば切開創の説明はつく。

 これほど乱暴な手段を取ることは稀だった。しかし、今回はマカオのカジノ王が肺移植を望んでいる。動く金も億単位だ。献体を用意するタイミングも重要だった。


 製薬会社のMR職のとき、闇の臓器売買コーディネーターという仕事があることを知った。ちょうど大学病院の役員秘書の引き抜きの話が持ちかけられたときた。事務長職の給料は現職の三分の二だったが、コーディネーターという副業収入を見越して引き受けることにした。

 実際、病院内部に在籍すれば臓器確保に動きやすかった。同業者から「臓器農場」だと羨ましがられた。


 かつて、早川には二歳の娘がいた。生来心臓に欠陥があり、心臓移植をせねば助からないと言われていた。小児の臓器移植は大人よりも遥かに難しい。

 可愛い我が子を切り刻ませたくないと、親が提供を拒むのだ。日本での臓器移植の待機期間は気が遠くなるほどだった。


 早川は海外の外国人枠を求めて死に物狂いで金をかき集めた。しかし、必要金額目前にして娘は死んだ。

 灰になった娘を見たとき、全て人間は灰に帰すという虚しさと無常感が心を支配した。


「また子供を作れば良い」

 早川は悲しみに沈む妻を慰めたつもりだった。しかしその言葉を聞いた妻は怒り心頭で、人でなしと早川を罵り当たり散らした。

 妻は鬱病を発症し、入院を繰り返すことになる。娘の治療のための借金返済がさらに膨らみ、一家は離散した。

 全ては金だ。金を持つものが生きる権利を持つ。


***


 夕方の大学病院内は患者よりも業者の数が多くなる。医療機器メーカーや製薬会社の営業が医師の診療終了時間を狙って各所で待ち伏せしている。手持ち無沙汰の待ち時間、彼らは医師のパワーバランスや性格など、同業者からの情報収集に躍起になっている。


「見ない顔だね」

 ベテラン営業マン気取りの中山は紺色のジャケットにベージュのパンツ、よく手入れされたブラウンのマドラスを履いて他の業者との違いを際立たせている。

 隣に立つ男は黒いスーツに黒縁メガネでいかにもお堅いサラリーマンといった風貌だ。

 中山は常連面で黒スーツの男に話しかけている。


「最近取引を始めてもらえましてね。装具の納入をさせてもらっています」

 黒スーツの男は上背はあるが腰が低い。人当たりの良い笑顔で会釈をする。

「ここはね、事務長はお飾り。役員秘書が影の権力者なんだ。室長の早川氏を押さえたら勝ち」

 中山は人脈をひけらかしたくてたまらないようだ。


「役員秘書ですか、それは盲点ですね」

 黒スーツの男は驚いてみせる。気を良くした中山はここだけの話、と早川についての情報をペラペラと得意げに話し始めた。

 早川は元やり手のMRで、役員秘書として病院顧問や院長の信頼は厚い。早川の一言で納入機器がすげ変わるという。


「今度CTの総入れ替えがある。どこも必死だよ。うちは早川氏と週末アポを取ってあるんだ」

 早川を銀座の料亭で接待をするのだという。自分の顔でアポが取れたと自慢げだ。

「よほど名の知れた店なのでしょうね」

 営業マンに扮した鳴瀬は黒縁メガネをくいと持ち上げる。


***


 高慢でゴシップ好きな営業マンのおかげで早川の情報が聞き出せた。

 金遣いが荒く、週に二度は銀座や赤坂に飲みに出る。クラブ勤めの若い女を囲っているらしく、マンションを貸し与えて週末はそこで過ごすという。車は白のベンツAクラスセダン、自宅は横浜市のタワーマンション。

 大部分がどうでも良い情報だが、週末に「銀座まつ風」で接待を受けるというのは有益だった。


 早川の顔は写真で確認している。下がり眉に垂れ目と弓なりに吊り上がった口は人の良さそうな雰囲気だ。しかし、虚ろで濁った目をしている。違法な臓器売買で人間の尊厳を容易く踏みにじる男だと納得できる。

 ターゲットがどんな人間であれ、鳴瀬は一切の感情を抱かぬようにしている。これは仕事なのだ、感情の入る余地はない。








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