執念の炎(4)

 喜久子の背を見送ったあと、手塚はスマートフォンでグーグルマップを表示する。記録しておいたポイントまで自転車で約40分。この時間帯なら車通りも少なく、35分あれば到達できそうだ。

 ペダルを踏み込み向かう先は自宅マンションとは別の方角だった。週末に偶然頼まれた市立図書館のヘルプで奴を見つけた。名字は「鳴瀬」という。住所は三津田、住宅街にあるマンションの五階だ。


 鳴瀬との出会いに運命を感じていた。同じ獲物を狙ったこと、目的は違えど殺しの経験者が鉢合わせしたこと。こちらに狙いをつける俊敏な動き、無駄な深追いをしない判断、鳴瀬はプロだ。部下を自殺に追い込んだ河原辰雄を義理人情で殺害しに来たわけではないだろう。


 鳴瀬の存在を認めてから、奴を獲物にしたいと渇望するようになった。あれほど手強い相手はこれまでにいない。自分を負傷させた豪腕のヤクザにも恐怖を感じたことはなかった。

 しかし、非常階段で鳴瀬を見たとき、全身に鳥肌がたった。心臓の鼓動が激しく脈打ち、脳が沸騰するような感覚、呼吸など忘れるほどに惹きつけられた。

 鳴瀬は最高の獲物だ、と直感した。


 以来、他の獲物を狙う気が失せた。無気力になり、自分を見失う毎日だった。

 早朝の国道、交差点を渡っていた老人をひき逃げした男を見つけ出し、心臓に針を突き立てた。男は最期にこういった。

「あんな死にかけのボケ老人より、未来ある若者の方が大事だろう」

 微塵も同情する気は起きず、罪悪感も無い。ほんの少し、心の安寧を得られた。だが、以前ほどは満たされない。手塚の心は空虚なままだ。


 これまでの獲物は抵抗できぬままに心臓を貫かれるか、抵抗して暴れてみても手塚の手腕に敵うものはいなかった。命を奪うだけでは満足できなくなっている。自分の存在が薄れていく、そんな恐怖にも似た気持ちに怯えた。

 鳴瀬と対峙する日を思い浮かべる。奴はあの暗い瞳で自分の存在を受け止めてくれるのではないか、と妄想する。


 マウンテンバイクは高級住宅街の立ち並ぶ坂道を下っていく。手塚はブレーキをかけずにスピードに身を任せる。このまま交差点に突入したら、車に跳ね飛ばされるかもしれない。夜空に舞う糸の切れた操り人形のような身体、それを想像しておかしくなる。

 手塚はスピードのままロケットのように交差点を突き抜ける。車のヘッドライトがハイビームに変わる。激しいクラクションが響き渡り、車は背後を通り過ぎた。

 死ぬわけはない、と思った。鳴瀬との出会いは神が示した運命なのだ。


 繁り始めた欅並木を通り過ぎ、コンビニエンスストアの角を曲がるとパークアベニュー三津田と書かれた金属製のパネルが見えた。近くに広い公園があるようだ。各階に明かりが灯る十階建てのマンションが目の前にそびえ立つ。

 手塚はコンビニエンスストアの駐輪スペースにマウンテンバイクを停めた。マンションの敷地に住人の振りをして足を踏み入れる。ここに鳴瀬が住んでいる。未就学児の息子は賢そうな顔をしていた。


 マンションの敷地には申し訳程度の手狭な公園があった。ブランコと鉄棒、砂場がある。これほど大きなマンションに子供たちは何人いるのだろう、とてもこの敷地で足りる気がしない。

 駐車場には軽四も多いが、レクサスやBMWなども駐車している。住人の経済力がうかがい知れた。

 エントランスは橙色の明かりに照らされている。オートロックを採用しているようで、その先の自動ドアは認証装置にキーをかざすか暗証番号を入力しなければ開かないようになっている。


 夜九時半、人の出入りはまだある時間帯だ。

 手塚はスマートフォンを操作する振りをして柱の陰に身を潜め、タイミングを待つ。エレベーターのランプが動き始めた。一階へ降りてくる。

 ストライプのシャツにオフホワイトのチノパンの男がスマートフォンをいじりながらエレベーターから出てきた。エントランスの自動ドアを抜けて外へ出て行く。おそらく、角のコンビニにでも行くのだろう。

 手塚は男とすれ違いに自動ドアをすり抜けた。男はスマホゲームでもしているのか、画面に集中しており、見慣れぬ住人を気にもしない。


 手塚はエレベーター脇に据え付けられたポストに向かう。五階の並びを確認すると、鳴瀬の名前を見つけた。その瞬間、心が弾んだ。まるで好きな男子学生の下駄箱の前に立つ女子中学生のようだ。

 手塚はポストを覗き込む。さすがにこの時間なので郵便物は回収してあった。しかし、一枚だけ紙が入っているのが見えた。くるりと丸まったそれを取り出す。指紋対策には司書業務で使っている指サックを取り付けている。


 電気使用量を知らせる検針票だ。世帯主の名前が書いてあるはずだ。

「鳴瀬史郎」これが奴の名前だ。手塚は口元を綻ばせる。ようやく名前を突き止めた。史郎か、特徴のない名前だ。しかし、個性を殺している奴にはよく似合っている。むしろ、この名前も本名かは怪しいところだ。

 手塚は検針票をポストに戻し、自動ドアを出る。今日は鳴瀬の自宅を突き止めた。名前も分かったのは御の字だ。


 獲物を決めたら、綿密に調査をする。相手が本当に「悪党」かどうかが重要だ。冤罪なら、殺した後に良心の呵責に苦しむことになる。殺しは自己の存在証明の手段だ。手塚のライフワークとも言える。できればストレスなくやりたい。

 そのためにはストーカーまがいのことも厭わない。こと鳴瀬については素性を調べることに楽しみを覚えていた。

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