執念の炎(2)

 瀟洒な色ガラスのかさがついたランプが重厚感のあるオーク材のカウンターを照らしている。昴は眉根を寄せてパソコンに向かっている女性スタッフに声をかけた。

「図書館を利用したいんですが」

 胸のバッジには久藤と書かれている。ブルドッグのようなほうれい線がくっきりと刻まれ、への字になった口元は否応なく偏屈で意地悪な印象を与える。


「綾野さん、新規登録の方」

 久藤は昴を面倒臭そうな顔で見上げ、背後で返本の確認をしていた若い女性スタッフに声をかける。自分の仕事を邪魔するなとばかり、久藤はパソコンに向かい始めた。


「こちらの書類に記入をお願いします。身分証はありますか」

 綾野喜久子はすぐに手を止めて対応してくれた。久藤とは反対に感じの良い女性だ。昴は申し込み用紙に記入を済ませて学生証を提示する。

 図書館の利用者カードが発行され、コピーを繰り返して文字がぼんやりした利用案内のプリントと共に手渡された。


「すみません、この本を探しています」

 昴はスマートフォンの画像フォルダからディノクラティスについて書かれた本の情報を表示する。

「検索してみますね」

 喜久子は画面の文字列を端末に入力する。

「蔵書はあるみたいなんだけど、書棚の情報がないわ」

 喜久子は神妙な表情で首を傾げる。聞こえているはずの久藤は知らんぷりだ。面倒に巻き込まれたくないのか、席を立って奥の部屋へ引っ込んでいった。


「どうしたの」

 分厚い専門書を両手に抱えた男性職員が足をとめた。本をカウンターに置いてパソコン画面を覗き込む。

「手塚さん、この本の場所が登録されていなくて」

「ちょっと良いかな」

 手塚は端末を操作し始める。書籍情報の備考欄を開くと、書棚の番号が表示された。


「一部の古い学術書は備考欄に情報が登録されているんだ」

 システム入れ替えの際にデータベースの合わせ込みがうまくいかなかったのが原因だと手塚は説明する。

 手塚は小型の感熱紙プリンターで書籍情報を打ち出して書棚の番号を手書きでメモする。

「ここにありますよ」

 愛想の良い笑顔で昴に手渡した。


 昴はまるで心を奪われたかのように呆然と手塚の顔を凝視している。

「あ、ありがとうございます」

 我に帰り、慌てて感熱紙のレシートを受け取る。

 目の前の男に強烈な既視感があった。眼鏡の似合う知的な顔立ち、細身で温和な雰囲気の男。長めの前髪がかかる目は優しげに細められている。


 心が嵐の前のうねる波のように騒ついている。この男と会ったことがある。真面目で誠実そうな見た目だが、それは偽りの姿で内奥には隠しきれない抑圧された暗い衝動が渦巻いている。

 髪型も目つきも雰囲気も違う。しかし、あの夜の男に間違いない。昴の全身の血液の循環が加速し、沸騰するほどの熱を持ち始める。


 手塚と呼ばれた男はこちらに気がついていない。奴は言っていた。同じ男とは寝ない、一度限りなのだと。数多の男と関係し、一人ひとりの顔など覚えていないのだろう。

 その他大勢。昴は悔しさに拳を握り締める。


「俺、ここ初めての利用で、書棚の場所を教えてもらえませんか」

 昴は勇気を振り絞って、手塚に話しかける。

「こちらです」

 手塚はカウンターを出て書棚の間を縫って歩いていく。昴はその背格好、スタイルの良さにさらに確信を抱く。


「分類番号はここだから、ありましたよ」 

 手塚が振り返り、昴に本を手渡す。

「ありがとうございます」

 昴は頭ひとつ分高い手塚を見上げる。では、と役割を終えた手塚はカウンターの方へ戻っていく。


「あの、俺たち会ったことがありますよね」

 昴は思い切って声をかける。手塚は足を止め、ゆっくりと振り返る。困った素ぶりで首を傾げている。

「さあ、覚えがないよ。君はこの大学の学生ではないね」

「そうです。でも、出会ったのは新宿のバーだ。あんたは俺をナンパしてホテルに連れ込んでヤリ捨てした」

 昴は手塚の反応を見るため、わざと過激な言葉を選んだ。


 手塚はさらに眉根を顰めて、苦笑いする。

「申し訳ないけど、人違いだよ」

 手塚は困惑した表情で手を振り、踵を返した。動揺する素ぶりはない。手塚の背を見送りながら昴は拍子抜けする。


 手塚はカウンターに戻り、喜久子がクリップ止めして机に置いていた昴の学生証のコピーを見やり、縁無し眼鏡をくいと持ち上げる。

 蜂谷昴、23才、大学院生。小綺麗な顔立ちは覚えがある。殺しの前の習慣で新宿のバーで引っ掛けた青年だった。

 欲望の捌け口として抱いた。情事の後、熱を帯びた目で縋り付いてきた。そういう男はこれまでに何人かいたが、昴の目は真剣な色を帯びていた。


 カウンター奥の司書室に入り、扉を閉める。手塚は頭を抱えた。まさか、こんな身近な場所で再会するとは。

 冷たくあしらってやったから人違いだと諦めるだろう。これ以上踏み込んでくるなら良心の呵責を感じる厳しい選択をしなければならない。いや、彼は未来ある大学生だ。自分の欲望の餌食にするのは不本意だ。


 手塚は動揺する心を落ち着けるために依頼されていた論文翻訳に手を伸ばす。プリントの印字が踊り、文字として頭が認識するのを拒む。

 手塚は椅子に座ったまま大きくため息をついた。


「難しい論文なんですね」

 喜久子が司書室に顔を覗かせる。手塚がこれほど悩む姿は珍しい。

「さっきはありがとうございました。彼が必要とする本を見つけられなかったらどうしようって」

「ちゃんと探していた本は見つかったよ」

 手塚は温和な笑みを浮かべる。喜久子はそれを聞いて安心したらしく、会釈をしてカウンター業務に戻っていった。


 

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