邂逅(5)

 まほろばのもりは とてもうつくしいもり

 いつも あかるいたいようのひかりが ふりそそぎ

 みどりゆたかなもりのきには ことりがうたい

 きらきらかがやくおおきなみずうみには さかながたくさん


 もりのどうぶつたちは みんななかよし

 でも ひねくれもののきつねのエルは なかよしごっこがきらい

 なかのよいふりをするけど ほんとうのともだちはじぶんだけ


 むくちなおおかみ ロイは いつもひとりぼっち

 こわいかおをして みんなちかづけない  

 たかいがけのうえで つきをみあげている


 図書館ボランティアが最初に勧めた仲良しのきつねとおおかみの絵本とは真逆で、仲間と相容れない狐と孤高の狼が主人公のようだ。二匹の獣の孤独感が強調される陰影のある絵は子供には怖く映るのかもしれない。


 鳴瀬は熱心に機関車を見上げる京平を見やる。この本が読みたいという彼の心理を想像するに、保育園で同じ境遇に陥っているのではないか。子供の養育に関しては、諒子に一任しているため、気にしていなかったし文句をつける気はない。

 そもそも鳴瀬がこの地区で暗殺者の職務を全うするための期間限定の偽装家族であり、もし保育園で問題があったとしても、諒子は鳴瀬に無用な心配をかけさせまいと考えるだろう。


 鳴瀬はまた絵本に目を落とす。


 きつねのエルはひとりぼっちのロイにこえをかける

 ともだちになろう ぼくらにたものどうしだ

 でも ロイはしらんぷり

 ぜったいにロイと ともだちになろう

 ひねくれもののエルは あめのひも かぜのひも 

 まいにちロイのところへやってきます


 うるさいぞ おまえをたべてしまおうか

 ロイはおおきなくちをあけて エルをこわがらせます

 エルはおもしろくなって ロイをからかいます

 ぼくらにたものどうしだ こわいかおをまねして わらいます


 エルとロイはいつもけんかばかり

 もりのどうぶつたちは しんぱいばかり


 あるひ もりにくらいかげが ちかづいてきました

 もりのきはかれて とりはとおくにとんでいき

 みずうみのみずはかれて どうぶつたちはのどがからから


 きたのほうから さいはてのもりが しんしょくしてきたのです


「お父さん、あれなあに」

 京平が鳴瀬を呼んでいる。鳴瀬ははたと我に返り、絵本を閉じた。陰鬱な気配が濃くなる展開に思わず引き込まれていた。柵にしがみついて車体を指差す京平のもとへ歩みより、目線を落としてみる。

 本を探してくれた図書館司書の男がこうして京平と会話していたことを思い出す。見上げる機関車が巨大なものに感じられた。子供と同じ目線になるというのは悪くない。


「シリンダーといって、ボイラーからくる熱い空気で車輪を動かすんだ」

「きかんしゃはくうきで走るの」

 京平は目を輝かせて尋ねる。普段、父親とこうした時間を持つことはほとんどない彼は嬉しくてたまらないのだろう。


「石炭を燃やしたとても熱い空気で走るんだよ」

 その後も京平は気になる部品を見つけては無邪気に鳴瀬に尋ねた。そのひとつひとつ案内看板を確認しながらかみ砕いて説明していると、鳴瀬も機関車の構造に詳しくなっていた。


 図書館から駅への帰り道、ランチをやっている煉瓦造りの洒落たカフェに立ち寄った。スタッフは愛想良く京平にも笑いかけ、席に案内してくれた。

「好きなものを注文するといい」

「これがいい」

 京平はメニューを見てすぐに目に入ったオムライスに決めた。鳴瀬はナポリタンを注文する。


「オムライスが好きなのか」

 京平は口の周りにケチャップまみれにして、おいしそうにオムライスを頬張っている。

「うん、お母さんが土曜日のお昼にいつも作ってくれる」

 そんな習慣があったのか、と鳴瀬は初めて知る。出社しない日、つまり土日はターゲットの行動把握で外出することが多い。仕事を完璧にこなすため、綿密な調査の時間が必要だった。


 鳴瀬は奥の壁際のテーブルの親子連れに目を留めた。京平と同じ年頃の子供が運ばれてきたクリームソーダにはしゃぎ声を上げて母親にたしなめられている。父親が上に乗ったバニラアイスを一口横取りして、また笑いが起きていた。

「あれ、飲むか」

 鳴瀬は京平がその様子をじっと見つめていたことに気がついた。

「うん」

 京平は鳴瀬の顔色を覗い、はにかみながら小さく頷いた。


 マンションに帰ると、先に帰宅していた諒子に出迎えられた。京平は諒子に好きな絵本を借りたこと、カフェでクリームソーダを食べたことを嬉しそうに話している。

 ひとしきり話し終わって満足したのか、京平はベランダの窓の近く、明るい日差しの下にちょこんと座って『きつねとおおかみとさいはてのもり』を読み始めた。


「一日助かったわ、京平を見てくれてありがとう」

 諒子はティファールのポットで湯を沸かし、ルイボスティーを淹れる。鳴瀬が好んで飲むノンカフェインの茶をいつの間にか気に入っている。

「構わない、いつも君に任せきりだからな」

 鳴瀬は今朝時間が無くて読めなかった新聞を広げる。


「コーラスグループに誘われたの、活動は隔週土曜日なんだけど」

 諒子は思い切って切り出した。今日見学したコーラスは聞いていて心地の良いものだった。皆で心をひとつにして歌うことの楽しさが感じられた。参加してみたい、と自発的な気持ちが芽生えた。こんな気持ちは久しぶりだった。


 どうせ暇な主婦連中の集まりだと思っていたが、食事会では年齢も環境も異なる心根の良いメンバーに歓迎された。

「君がそうしたいなら行ってくるといい」

「ありがとう」

 鳴瀬はあっさり許諾の返事をする。諒子はホッとした。正直、興味が無いのだろう。


 誰の稼ぎで暮らしていけるのかが決め台詞の高圧的な夫、休みの日もスマートフォンを手放さない怠惰な夫、ママ友からそんな愚痴を聞くが、鳴瀬史郎は良き夫だ。

 偽装家族でなければ、ずっと三人で暮らしていけるのに。ふとそう考えることがある。

 しかし、これは幻想だ、期間満了となれば鳴瀬とも京平とも離ればなれになり、二度と会うことはない。何もかもリセットだ。次に出会うパートナーを選ぶ権利は諒子にはない。絶望の淵に落とされるならば、夢など見ない方がいい。

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