邂逅(4)

「少し待っててもらえるかな。古い本だから倉庫に大事にしまってあるんだよ」

 手塚はしゃがみ込んで京平と目線を合わせる。京平はうん、と小さく頷いた。手塚はにっこり微笑んで立ち上がる。

「手塚さん、ありがとうございます」

「いいよ福井さん、大体場所はわかるからすぐに持ってくるよ」

 福井はボランティアスタッフだ。書庫で蔵書を探すことまではできない。


「お探しの本は書庫にあります。貸し出し可能だからお持ちしますよ、少しお時間をいただいても良いですか」

 手塚は鳴瀬に向き直り、柔和な笑みを浮かべる。

「わかりました、お願いします」

 鳴瀬は会釈をする。急ぐ用事があるわけでなし、むしろ時間を潰したいくらいだった。手塚は待っててね、と京平に手を振りカウンター裏手のドアから書庫へ入っていく。


 京平は椅子に腰掛けて福井が持って来た本を読み始めた。鳴瀬も隣に座り、絵本を覗き込む。そこには柔らかいタッチの絵で描かれた仲良しのおおかみときつねが花咲く草原を歩いていた。うさぎやりすと出会って仲良くなり、最後はきつねのアイデアで森で合唱会をする、そんな平和な内容だ。

 京平は足をぶらぶらさせながら黙ってページを捲る。いつのまに文字を覚えたのだろう、小さな声で拾い上げた文字を読んでいる。


 ぼくら友達だね、のひとことで友達が増えていく。こうした本を読めば、友達の作り方がわかる。そういう狙いなのだろう。京平には友達はいるのだろうか、鳴瀬はふと気になった。

 幼稚園での様子は諒子が把握しているはずだ。自分からあれこれ尋ねる必要はない、と思っていた。諒子に幼稚園の発表会があると聞いた。不必要に人前にでることを好まない鳴瀬は即答で断った。しかし、発表会に行けば京平の様子が分かるのかもしれないな、と考えを巡らせる。


***


 手塚は書庫の重い扉を後ろ手に閉める。扉にもたれかかり、脱力した。胸が激しく鼓動している。肺が酸素を求めて呼吸が乱れている。身体全体に灼熱の血液が勢い良く駆け巡る感覚。


 あの男、上背がある以外にどうといった特徴のない男。休日に息子を連れて図書館にやってきた善良な父親。

 グレーのチノパンに白のサマーセーター、黒縁眼鏡だって笑わせる。あのとき見た奴は、戦闘服とでも言える仕立ての良い黒のオーダーメイドのスーツに鋭い光を放つ目。躊躇いなく銃で狙いをつける俊敏な身のこなしは殺しに慣れたプロに違いない。


 手塚は深く呼吸をして心を落ち着ける。あの日、ビルの非常階段で出会った男のことが心に焼き付いていた。あんな男を獲物にしたい、血塗れで殺し合うことになっても構わない。手塚は恍惚と頬を緩める。まさに運命のいたずらとしか思えない。新宿という大都会で出会った一人の人間、もう二度と見つけることはできないだろうと諦めていた。


 しかし、神は賽子を振った。

 一体どんな思し召しなのだろう、手塚は思う。快楽殺人鬼の自分をあの男に始末させたいのだろうか、それとも殺しを生業とする死神を倒すヒーローになれというのか。それはわからない。なんでもいい、奴を逃がしはしない。思わぬ獲物の出現に手塚は口元を歪める。


 地下への階段を降り、奴の息子が欲しがった本を探しにいく。子供の父親を殺すのは憚られるが、最高の獲物を見つけた殺しの衝動がその気持ちを脇へ押しのけていた。レシートを手に児童書の分類番号の棚へ向かう。

「これだな」

 探していた絵本は経年に対して思ったよりも状態が悪くなった。つまり、人気が無いということだ。人気の絵本はぼろぼろで角が潰れていたり、ページが折れていたりする。


「きつねとおおかみとさいはてのもり、か」

 絵柄も人気の絵本と違い、緻密な暗めのタッチで描かれている。この絵本は見覚えがあった。自分も子供の頃に読んだことがある。保育園にあった絵本だが、他の園児が読まないのでいつも棚に残っていた。

 

 ひとりぼっちの絵本が可哀想だと思って手塚は遅いお迎えがやってくるまでいつもその絵本を読んでいた。

 ページを捲ると、懐かしい場面に思わず見入ってしまう。いけない、あの子を待たせている。手塚は絵本を手に階段を駆け上がった。


「はい、この絵本でいいかな」

 手塚は京平に絵本を手渡す。京平は見覚えのある表紙に嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「借りていきますか」

 手塚は愛想の良い笑顔を仏頂面の鳴瀬に向ける。

「そうします」

「では、カードを作りましょう」

 鳴瀬は図書館の利用カードを持っていないという。鳴瀬は一瞬眉を顰めたが、京平が大事そうに絵本を抱えているのを見てカードを作る気になったようだ。


「こちらへ」

 手塚は鳴瀬をカウンターへ案内する。今日はスタッフの休みが多いため、臨時で呼ばれた身だ。配架や利用者の支援は行うが、カウンター業務は個人情報の問題もあるため他施設の者は手出しできない。

 カウンターの無愛想な女性職員が申し込み用紙を書いてもってくるよう説明する。カードを受け取り本を借り、鳴瀬は手塚に礼を行って図書館を出て行った。

 鳴瀬は手塚があのときの非常階段の男と勘づいてはいないようだった。


 手塚は女性職員があとからファイリングするために引き出しに収納した申し込み用紙を密かに抜き取り、コピーを取って元に戻した。

 几帳面な文字だ。奴の性格がよくわかる。鳴瀬、という名前か。生年月日は息子のものだ。京平、五歳。住所はここから二駅ほど離れた住宅地のマンションだ。手塚は宝物を手にした子供のように満面の笑みを浮かべた。


***


 図書館を出ると、隣接している公園に黒い蒸気機関車が置かれているのを見つけた。それを見た京平はわあ、と叫んで鳴瀬の手を引っ張る。京平が電車が好きだと諒子は言っていた。普段感情表現が乏しく思える京平がこれほど喜ぶ姿を見るのは初めてかもしれない。

「ここに座っているから遊んできていい」

 蒸気機関車は柵で囲まれている。京平は柵にしがみついて嬉しそうに役目を終えた黒い車体を眺めている。鳴瀬は京平の姿が見えるベンチに座り、借りた絵本を開く。


『きつねとおおかみとさいはてのもり』と題された本は発行年は昭和、ずいぶん古い本だ。今時の洒落た絵ではなく、リアルタッチで描かれた子供にはウケの悪そうな雰囲気だ。

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