サボテン(3)

 電話から五分も経たぬうちに鳴瀬のもとに入社三年目の若い営業マンが駆け込んできた。

「第二ソリューション営業部の真砂まさごといいます。今回はお手間を取らせてすみません」

 短く刈り込んだ髪、太めの眉、日焼けした肌が爽やかな印象を与える男だ。鳴瀬を前にして頭を深く下げる姿は誠実さが見て取れた。


「必要な書類は持っているか」

「はい、ここに」

 真砂は鞄からファイルを取り出して見せる。鳴瀬はそれを取り上げ、不備箇所を確認した。


 鳴瀬が立ち上がると、真砂を見下ろす格好になる。黒縁眼鏡をかけ、いかにも堅物といった雰囲気だ。先輩の営業マンには鬼の鳴瀬と密かに噂されている。鳴瀬の書類チェックの厳しさを評したものだが、今の真砂には心強い。

「では行こう」

 鳴瀬は名刺を確認する。鞄を手にして真砂の後をついていく。


 鳴瀬を見送った契約担当部署のスタッフはホッと息をつく。

「部長、僕たちが書類回収に行くなんてこと、前代未聞じゃないですか」

 係長の安田が呆れた顔で難波に問いかける。営業部の尻拭いをするなど聞いたことがない。

「片山君にはこの間、うちの部署のミスをフォローしてもらった借りがあってな。今回でチャラにするというから私も苦渋の決断だよ」

 難波は困った表情を見せる。しかも、片山は鳴瀬を指名した。


 確かに人選は間違っていないと思える。この部署にはモヤシのような安田と、女性スタッフが二名、そして鳴瀬だ。鳴瀬は上背があり着痩せしているが実はかなり体格も良い。そしてあの何事にも物怖じしない度胸だ。


「彼なら何とかしてくれるだろう」

 無責任な難波に、女性スタッフは白い目を向ける。

「きっと逆恨みした近藤主任の入れ知恵だわ」 

「私もそう思う、無事だといいけど」

 鳴瀬の仕事を手伝おうと思ったが、書類は引き出しに収納されてデスクはきれいに片付いていた。


 ***


 新橋駅から山手線に乗り、五反田へ向かう。問題の会社は駅から二十分ほど離れた繁華街にある雑居ビルの二階だ。

「俺が不甲斐ないせいで」

 真砂は電車の中でも恐縮しきりだ。三年目になり、一人前の営業マンとしてようやく自信がついた頃だろうに相手が悪かった、と鳴瀬は思う。契約書回収に付き合わされたことに不満はない。業務命令に従う、ただそれだけだ。


「納品に行ったらヤバい雰囲気で、緊張しちゃったんです」

 それで契約書の複写用紙に印鑑をもらい損ねたという。再度印鑑をもらえるように何度か電話をしたが、そっちの不手際だと断られ忙しいと無視を決め込まれていた。


「今日は話を聞く、と言われたんですがどうも条件があるとか」

 難癖をつけて値引きか商品をサービスで追加しろと言ってくるのがパターンだ、と先輩社員から脅されているという。


「胃が痛いです」

 真砂は項垂れる。

「今日で終わらせよう」

 鳴瀬はポケットからスマートフォンを取り出す。画面を見るとメッセージが入っていた。


 ―新しい珈琲豆が入りました。ぜひお越しください。


 喫茶店九番街の吾妻からだ。彼は組織のコーディネーターで、依頼が入ればこうして連絡を寄越す。今日は契約書回収のせいで少し残業になる。できるだけ早く社に帰らねば。


 五反田に到着し、電車を降りる。改札を出て足早に歩く鳴瀬に真砂は慌ててついていく。

「あのう、鳴瀬さんは怖くないんですか」

「何がだ」

 真顔で聞き返され、真砂は困惑する。これからヤクザの事務所に向かおうというのに、鳴瀬の平常心が逆に怖い。


「本当にヤバい雰囲気なんですよ」

 真砂は必死に訴える。鳴瀬は内勤なので、柄の悪い客がどんな対応をしてくるのか予想ができないのだと心配になっている。

「暴力団は民間人には手出しできない」

「そりゃそうなんですけど」

 真砂は言葉を失った。世間知らずにも程がある、と思う。そうは言っても、実際に対峙したときの怖さはシャレにならない。


 昼間は閑散としている繁華街の表通りにその事務所はあった。二階のガラス窓に沖田システムクリエイトと社名がプリントされている。一階は胡散臭い健康食品を扱う店舗だ。

 狭い階段を上り、沖田システムクリエイト社の前に立つ。

「ここです」

 真砂は意を決してチャイムを押した。指先が震えていた。緊張しながら待つ。


 ドアが開いて、黒い開襟シャツの男が顔を出した。色つきサングラスに首には金色のチェーンネックレス、髭を生やして威嚇するような目つきで真砂を値踏みしている。

「プラスコアジャパンの真砂です。契約書の件で」

 黒シャツの男は背後に立つ鳴瀬と真砂とを交互に見やる。


「入ってくれ」

 男に案内されオフィスに通された。衝立の後ろにあったのはスチール製の机が六つ、パソコンが四台、固定電話が四台、背後の棚には申し訳程度にぶ厚いファイルが三冊立てかけてある。机の上には読みかけの週刊誌やカップラーメンが置いてある。一体ここで何の仕事をしているのか。


 奥の部屋で男たちが談笑する声が聞こえる。黒シャツの他に三人はいるのだろう。鳴瀬は目線を動かして部屋の状況を確認している。パソコンと電話だけのオフィス、奥に見える妙に豪華な応接セット。ヤクザの事務所に間違い無い。

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