サボテン(2)

 通勤ラッシュの満員電車に揺られ、職場へ向かう。新橋駅を出て徒歩十二分のオフィス街にある「プラスコアジャパン」社はオフィス機器、OA機器販売の企業だ。ネットワークシステム構築、サポートも行う。

 新橋オフィスは複合テナントが入る新橋シティビルの六階と七階を確保し、営業部と総務部門が入っている。

 鳴瀬は総務部契約担当主任で、六階フロアに勤務している。


 契約担当は営業マンが回収した契約書類に不備が無いか確認し、自社保管、リース会社への提出と回し顧客分は営業部へ返却する。契約書や保証書など扱う書類は多岐に渡る。

 オフィス新設の場合、フロアのOA機器、ネットワーク関連契約、電話回線、机や椅子など含めて関連する書類は膨大な量になる。記載代行や捺印など、的確に処理していく必要がある。


「鳴瀬さん、これ何が不備なの」

 営業部主任の近藤が自分が回収した書類を持って鳴瀬のデスクにやってきた。

「付箋をつけた部分、再確認をお願いします」

 鳴瀬は近藤の方を向いて書類を指差す。近藤は頭をかきながら首を傾げる。

「いや、これさあ。よくない?読めるでしょ」

 近藤はくってかかる。契約書回収までが営業の仕事であり、差し戻しを食らえば顧客に訂正印をもらいに走る必要がある。


「これでは掠れて顧客控えにできません。それに、こっちは記載事項が足りません」

 あからさまに億劫な態度の近藤に鳴瀬は全く怯む様子はない。

「月末なんだよ、分かっているだろう。俺たちの売上げが無いと会社まわんないのよ」

 月末の追い込み営業が忙しく、契約書の軽微な不備を見逃せという。総務部では営業マンと事務方のこうしたいさかいの光景をよく見かける。


「これでは受け取れません」

 とりつく島もない鳴瀬の態度に、近藤は折れた。

「今度はあんた以外に提出することにするよ」

 捨て台詞を吐いて営業フロアへ戻っていく。鳴瀬は何事も無かったかのようにパソコンに向かい、月次集計を始めた。


「鳴瀬さん、やるわね」

「近藤主任はいい気味だわ。いつも不備が多いから。私なんてダブルチェックの鳴瀬さんに気付いてもらえて助かったわ」

「鳴瀬さんのチェック、人間業じゃないのよね」

 近藤が去ったあと、同じ部署の女性スタッフが愚痴を言い始めた。難波部長がその辺でやめておけと目線で窘める。


 プラスコアジャパン社の総務部主任という仕事も組織が与えたものだ。話はすべて通っており、中途採用で入社したことになっている。鳴瀬の身分を怪しむものはいない。

 これまでもいくつかの表向きの仕事を転々としてきたが、本業と同じようにミス無くこなし、あくまでも目立たぬよう立ち回ることにしている。


 鳴瀬の評価は真面目で面白みのない奴、だった。喫煙所に集まった同僚の雑談だ。鳴瀬がいることに気付かず、営業マンと総務部の岩本がそう話していた。

 誰にどう思われようが構わない。誰とも深く付き合うつもりなどない。そのうちこの会社からも席が消えるのだから。


 昼食は駅前高架下の定食屋で済ませている。同僚たちは連れ立って行くが、鳴瀬はいつも一人だ。最初は声をかけられることもあったが、毎回断っていると誘われることはなくなった。

 飲食店も場所を変えていく。幸い、駅前にランチの店はたくさんある。できるだけ顔を覚えられない方がいい。


 デスクに戻ると、難波部長からの呼び出しがあった。

「業務外といえばそうなんだけどね」

 そう前置きをして目線を合わせず話し始める。

「営業部の片山部長から直々に依頼があってね、ああ座ってくれ」

 長身の鳴瀬に横に立たれると頭上のバーコードが丸見えなのと威圧感があるのが良くないようだ。鳴瀬に丸椅子に座るよう促す。


「営業部が取ってきたOA機器リース契約の書面に不備があったそうだ」

 要約すると、どうやら筋者のフロント企業のようで、契約書の訂正を渋っているという。足下を見られており、交渉が難しいということだった。

 難波は鳴瀬の顔色を覗う。鳴瀬は一切表情を崩さない。


「営業マン二人で行く方が良いかもしれないが、今は月末で動ける者がいない。イレギュラーな話だが、契約書の回収に一緒に行ってもらえないか」

 難波は気まずさに貧乏ゆすりを始めた。


 周囲の社員たちもそんな仕事はごめんだと顔を背ける。営業マンと一緒に客先に契約書を回収にいくなど、聞いたことがない。そもそも部員の尻拭いは営業部長片山の仕事だ。

「わかりました、いつでしょうか」

 鳴瀬の返事に難波は飛びついた。すぐに内線で片山に確認している。メモを取りながら何度も頷く姿はまるで公園のハトだ。


「今日これから、担当営業マンがすぐにここにやってくるから外出の用意をしていてくれ」

 鳴瀬は自分の席に戻り、午後に片付ける予定だった書類を確認する。

「あのう、それこちらで引き取りましょうか」

 隣席の女性社員、村山が鳴瀬に尋ねる。いつも助けてくれる鳴瀬にせめてもの礼のつもりのようだ。


「いや、いいよ。帰ってから片付ける。ありがとう」

 鳴瀬は事務的に返事をする。これからヤクザの事務所に行くことになるというのに、鳴瀬は不満を零すこともなければ怯える様子もない。

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