殺しの衝動(6)

 長距離ランニングをしてみたり、ジムでサンドバッグを殴ったりした。しかし、一番効果的なのはセックスでの発散だった。一夜限りの相手を探し、頭を空っぽにして激しく抱く。

 性欲が満たされることで凶暴性が抑制されるとわかった。それが手塚の殺しの前の儀式となった。愛などない、純粋な欲望の捌け口だ。


 大学の同級生の女性に告白され、付き合ってみた。自分に興味を持ってくれた彼女を愛しいと思った。彼女と一夜を過ごそうとしたとき、震える彼女の肌に触れた手が止った。自分は殺人鬼だ。もし、結ばれたあと、真実を知れば彼女はきっと堪えられない。その夜、彼女と肌を重ねることは無かった。


「どうしてできないの、私たちにはまだ早かった?」

 静かな暗闇の中で彼女は努めて冷静に尋ねてきた。

「君が本当に大切だから、傷つけたくない」

 手塚は声を振り絞る。ありきたりな言葉だと思った。しかし、これが本心だ。

「わからないわ」

 手塚の言葉の響きに確固たる意思を感じ取った彼女はどうにもできないことを悟ったのだろう。それだけ呟いて背中を向けた。

 手塚は訳も伝えず彼女と別れた。辛い体験だった。それが彼女の幸せだと信じている。


 誰かと深く関わることは相手を不幸にすると痛感した出来事だった。それ以来、手塚は人と関わることを極力避けるようになった。幸い、見た目は真面目な優男で好感を持たれることが多い。本性を押し隠して表面上の付き合いをすることには長けていた。それは義理の両親との生活で学んだ。同居している間は彼らを心配させないよう殺人の衝動を押し殺して過ごしていた。

 幼い頃から本棚の医学書を読み漁る手塚の姿を見て義父母は心配した。それから彼らには隠れて読むことにした。もっとも、浅はかな行動は気付かれていたのかもしれないが。


 夜の街でセックスの相手を探すようになった。一夜限りで割り切ることができる相手だ、後腐れのないよう男を選んだ。性的嗜好ではない、生物学的機能からの判断だ。男は子を為さない。あからさまな場に行かずとも、居酒屋やバーに行けば意気投合できる相手に困ることはなかった。


 身元が明るみに出るのを避けるため普段着ることのない派手な服装で、眼鏡をコンタクトに変えサングラスをかける。ワックスで毛足を遊ばせて口元にシニカルな笑みを浮かべる姿は大学で手塚を知る者は彼とは気が付かないだろう。

 色目を使わないスマートな佇まいがゲイの若い男性に好まれた。


 誠実そうで優しい、と寝た相手には評される。相手にどれだけ気に入られようが、絶対に二度目はない、それがルールだ。もちろん手塚に情が湧くこともなかった。一度、シャワーを浴びてベッドに戻ったとき、バッグを漁る男の姿を見つけた。


「あんたにまた会いたいから、身分証を調べようと思った。金を取ろうとしたんじゃない」

 若い男は泣いて手塚に縋り付いた。

「だって、もう会えないなんてひどいよ」

 手塚は無言で情に訴える男の首を片手で締め上げた。恐ろしい眼光に男は震え上がり、床に突っ伏して何度も詫びた。


 好意を抱かれ、自分の素性を知られることは危険だ。身勝手は承知の上、恋慕を抱かれないよう徹底的に冷たくあしらうことにした。

 一夜限りの男と寝て、悪党を殺し、ジムのプールで泳ぐ。それでリセットができる。手塚の生活サイクルが確立したのは大学時代だった。


 選んだターゲットが筋者、つまりヤクザだったこともある。一度狙いを定めたら最後までやり抜く、これもルールとした。このときは抵抗されて腕にカスリ傷を負った。手製の暗器を胸に突き立てることができず、咄嗟に壁から突き出た配管に突き飛ばした。ヤクザは喉を貫かれて絶命した。


 その壮絶な最期に犯人は組筋だと噂され、対抗組織同士の抗争に発展しかけたときにはさすがに頭を抱えた。

 命を狙うにはこちらにも相応の覚悟が必要だと思い知らされた。この件以降、体力をつけることにさらに熱心に取り組むようになった。


 手塚は己を快楽殺人鬼だと自覚する。生きている実感を得るという欲求のために人を殺さずにいられない。こんな呪われた人生になろうとは、命を賭して自分を助けた父や母、兄に申し訳が立たないと思うこともある。彼らは空の上で悲観しているだろうか。


 悪党の反撃に遭って殺されるようなことは避けたい。それは犬死にでしかない。布団の上で穏便な死を迎えることはできないことは覚悟している。せめて、自分を殺す死神くらいは自分で選びたい、と手塚は思う。それはまさに運命の相手になるだろう。

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