殺しの衝動(2)

 脊椎損傷、四肢粉砕骨折、頭部裂傷、脾臓破裂。藤木は総合病院へ運ばれて一命をとりとめたらしい。頭部MRI検査で異常は認められず、回復を待つのみということだ。

 植え込みに落下した無惨な藤木を発見した女子生徒たちはPTSDを煩った者もいるようだ。手塚は彼女たちに悪いことをした、と思った。


 命を奪いたい、という欲求に駆られるようになった。中学二年生は思春期真っ盛り、多感な年頃だ。性的なものに強い興味を持ち、エロ雑誌を回し読みしたり自室で隠れて自慰行為に励んだりするようになる。

 手塚の場合、健全な性欲より人を殺すことへの執着心が強まっていった。それはもはや抑えきれない渇望であり、授業中に突然立ち上がり、叫びだしたい程に心乱された。


 誰でも良かったが、藤木を殺そうと思った。いじめを許さないという義侠心はない。無力な者は虐げられる。それがこの世の習いだ。

 しかし、クラスメイトをいじめているから、そう理由をつければ少しは罪悪感が軽くなる。


 旧校舎の屋上に藤木を呼び出し、突き飛ばした。自分でも驚くほど冷静だった。落下していく藤木をじっと眺めていた。植え込みに落ちたとき、し損じたと思った。

 家族で食事をして明日の予習を済ませ、風呂へ入り読書をする。ベッドに潜り込んだとき、どう考えてもあれは失敗だった、という思いが胸を過ぎった。

 藤木は死んでいない。悶々として眠れずにいた。


 誰かに突き飛ばされた、と入院中の藤木は証言した。疑われたのは藤木とつるんでいた不良どもだった。山城はその日、美術部に顔を出していたことでアリバイがあった。手塚はそれをすべて見越していた。

 結局、自分犯人は見つからず事件は迷宮入りとなった。藤木の両親は捜査の結果に不満を漏らしていたが、我が子がいじめの主犯だという話が出てからは口を噤んだ。


 外傷が治癒して藤木は復学した。身体が思うように動かず、以前のような高圧的な態度はなりを顰めた。藤木が顎で使っていた不良どもは藤木をターゲットにし始めた。動きが緩慢な藤木に足を引っかけて転ばせる、背後から突き飛ばす。しかし、誰も藤木を助けなかった。

 山城も見て見ぬ振りを決め込んでいた。いじめの輪に加わらないことが人道的だと手塚は思った。


 初めての殺人は未遂に終わったが、学校という閉鎖空間での殺人はまずいという教訓になった。完全犯罪というにはしこりの残る結果となった。


 高校へ進学し、電車通学をするようになった。住宅街を自転車通学していた中学生時代よりも開かれた社会だ。

 通勤、通学の人混みに揉まれながら、殺しのターゲットを探した。手塚は殺してもできるだけ罪悪感を覚えずに済む人間を探したかった。


 恋の話に夢中になっている女子校の学生、英語の単語をぶつぶつ呟く男子高校生、旅行にでかける中年のおばちゃん連中、プレゼンテーションの練習をするサラリーマン。ターゲットになり得る人間を探すのは難しかった。

 駆け込み乗車で足を踏んだスーツの男には腹が立ったが、殺しの理由にはならない。


 あるとき、電車待ちで女子高校生の話が耳に飛び込んできた。

「あのサラリーマン、びびってすぐにお金くれたよ」

「ひとみ、悪い子だよね」

 甲高い笑い声。

「財布に金が入ってなかったからカードも抜いてやった」

「限度額まで使っちまおう」

 派手なジャンパーの私服の若者が二人。話の流れから彼らは女子高校生に痴漢を働いた男性を掴まえて金を強請っている。

 しかも、でっち上げの冤罪だが、仲間の女子高校生が痴漢の現場を見たと証言すればかなり不利になる。


 被害者は大ごとにされて警察に聴取され、会社や家庭に知られるよりはと金を払い、泣き寝入りをするのだろう。小遣い稼ぎにしては卑劣なやり方だ。

「この間財布を取り上げたリーマン、最近見ないぜ」

「路線を変えたんじゃないのか」

「ひとみが泣き真似したら周囲から注目されてたもんね」

 サラリーマンは痴漢を認めなかったため、その場で派手に騒ぎ立てた。鉄道警察が介入する前に平謝りして財布を出した、と若者たちは武勇伝のように話している。


「あたし、欲しかったバッグがあったんだ」

 ひとみと呼ばれた女子高校生は地下街へ買い物に行こうと友達の手を引いた。

 手塚は雑踏の中、階段を降りようとしたひとみの背中を思い切り突いた。

「きゃああぁ」

 強い衝撃に、ひとみは友達の手を離し、階段を転がり落ちていく。叫び声に振り返り、驚いたスーツの男は反射的に脇に飛びのいた。


 ひとみは三十段の階段を一気に転がり落ち、通路で動かなくなった。髪を振り乱し、短いスカートは捲れ上がってピンク色の下着が丸見えになっている。

「女の子が階段から落ちたぞ」

「救急車だ」

 駅構内は騒然とする。あの落ち方だと生きてはいるがおそらく頸椎損傷だ。手塚はひとみの着地を見届けて、ホームに入ってきた電車に乗り込んだ。


 その夜、手塚はやはり目が冴えて眠れず、暗い天井を凝視していた。ひとみを殺すことができなかった。藤木のときもそうだ。落下させるだけでは確実ではない。

 それに、背中を押すだけでは殺人欲求は満たされない。もっと確実に、そして手応えのある方法で殺したい。

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