殺しの衝動(1)

 中学校のクラスでいじめがあった。首謀者はクラスのリーダー的存在で、教師からの評価も高いいわば優等生だ。名前は藤木翔太ふじきしょうたといった。藤木はクラスで発言権があり、生徒たちを巧みに扇動した。

 気に食わない教師がいれば無視を決め込み、授業妨害をして休職に追い込んだ。自分に意見した生徒はありもしない噂を流し、皆の憎悪が集中するよう仕向けた。精神的な攻撃はもとより、不良たちを使って校舎裏で痛めつけ、金品を巻き上げることもさせた。


 藤木の周囲には打算的な者たちが集まった。藤木に気に入られている限り、いじめのターゲットになることはない。藤木はそれを計算づくだった。

 あるとき、山城創やましろはじめという生徒が藤木に逆らった。藤木はヒステリックな中年の女性音楽教諭を困らせるため、彼女を準備室に閉じ込めようとした。みかねた山城が鍵を開け、女性教諭を助けた。それが癪に障った藤木は山城をターゲットにし始めた。


 教科書をカッターナイフでずたずたにする、体操服や上靴を隠す、財布を盗むなど古典的な手口だが精神的ダメージは計り知れない。校舎裏で不良どもに殴られた頬を張らしている姿を見て、手塚は「やりかえせばいいのに」と思いながら傍観していた。

 山城は担任にもクラスの誰にも助けを求めることなく、休み時間にはひとり読書をして過ごしていた。自分が誰かと話せば、いじめのターゲットになることが分かっていたからだ。


 手塚は成績優秀で教師から目をかけられていたこと、一見人当たりは良いがどことなく近寄りがたい雰囲気があり、藤木のターゲットから外されていた。父親が医者という理由もあったのかもしれない。藤木のような人間は自分よりも下にいる人間に対してだけ大きな態度に出る。


 昼休み、藤木と不良どもが山城をリンチする計画を話していたのを耳にした。

「あんな奴死んでも誰も悲しまねぇよ」

 そう言って藤木は笑っていた。取り巻きの不良どもも便乗して笑う。それを聞いて手塚は思った。山城が死ねば、親兄弟が悲しむではないか。

 手塚の心にあるのは同情ではなかった。恐ろしく客観的かつ、シンプルな考えだった。


 手塚はすれ違いざま藤木の取り巻きの一人の尻ポケットからPHSを抜き取った。藤木たちはメッセージを使ってやりとりをしている。午後の授業中、手塚は教科書の影でPHSのメッセージをサルベージした。


 ―今日の放課後、体育倉庫裏に集合 クズを殺る


 アホなメッセージだ、思わず鼻で笑いそうになり、堪える。これは証拠として担任ではなく学年主任に届けよう。担任は藤木のいじめに気が付かない振りをしている。報告したところで揉み消されるに違いない。


 放課後、手塚は体育倉庫裏に向かおうとする藤木を引き留めた。

「山城へのいじめをやめる気は無いか」

 いじめに無関心だった手塚の言葉に、藤木は険悪な表情を浮かべる。手塚は藤木の不機嫌にも全く動じない。

「何だよ、山城を庇うのか」

「山城を庇う気はない」

 以外な返事に藤木は拍子抜けする。義侠心を持っての忠告というわけでもなさそうだ。

「じゃあ、黙ってろ」

 藤木は吐き捨てるように言い、教室のドアを乱暴に閉めて出ていった。


 一体どういうつもりだ。いじめをやめろと言う割に庇う気は無いと断言する。次のターゲットになることを怖れて、意見するのを止めたのだろう。スカした顔をしていてビビったのだ。藤木はフンと鼻を鳴らす。

 その時、PHSにメッセージが届いた。


 ―体育倉庫裏に桑田が張り込んでる。旧校舎の屋上に変更だ。


 桑田はガチムチの体育教師だ。学校でも一番厳しい若手男性教諭で、不良たちも頭が上がらない。藤木はチッ、と舌打ちをする。

 旧校舎は美術や工作などの特殊授業で使われる古い木造校舎だ。屋上は普段施錠されていることになっているが、不良どもが南京錠をバールで壊して出入り自由になっていた。


 階段を上り、屋上の扉を開く。周辺を見渡すが、まだ誰も来ていない。きっと山城を連れて不良たちもここに来るはずだ。

 ふと、屋上の周辺を囲む申し訳程度の低い柵になにか貼り付けてあるのを見つけた。藤木は柵に近付いていく。


 藤木は目を見張った。柵に貼られていたのはA4サイズの用紙に不良たちとタバコを吸う自分の姿の写真が印刷されたものだった。写真は1枚ではない。山城のズタズタになった教科書、机の上に置いた死をイメージする花瓶、黒板に教師への罵詈雑言を書いた写真もあった。

 一体誰がこんなことを、いじめを通報しようというのか。藤木は頭に血が昇り、紙を剥がそうとして身を屈めた。


 瞬間、背中に強い衝撃が走った。バランスを崩した藤木は膝丈ほどの柵を飛び越え、空に舞った。


「うわぁあああ」

 スローモーションに感じたのは一瞬だった。身体が真っ逆さまなり、凄まじいスピードで落下する。手足をジタバタさせても縋るものは何も無い。無慈悲な重力を感じた次の瞬間、身体が地面に叩きつけられた。

「ひぎゃあ」

 情けない声が喉から飛び出す。強打した背中に感覚は無く、右手と左足がおかしな方向にねじれていた。喉奥から壊れた笛のような音が漏れる。すぐに激しい痛みが全身を襲い、藤木は気を失った。


 旧校舎の三階屋上から植え込みに落下した藤木を部活動でランニングをしていた女子生徒たちが発見し、悲鳴を上げた。すぐに教師が呼ばれ、藤木は救急車で病院へ運ばれた。

 手塚は一部始終を確認し、口許に微かな笑みを浮かべる。柵に貼り付けた囮の写真をすべて剥がし屋上を後にした。

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