小見山誠司
東京都江東区にあるシリウストレーディング社は貿易コンサルティング、海外輸送手続き代行、海運業に特化した人材派遣サービスを主軸とする企業だ。年商八億、従業員数758名、都内に三箇所、国内八箇所、上海、マカオ、ベトナムに営業拠点を持つ。
創業者の
小見山は社のCEOとして経営方針、事業計画を管理し舵取りをしている。創立者3名のうち一人は代表取締役、もう一人は常務理事として経営を取り仕切る。
五年前に不景気をものともせず建てた自社ビルは全面偏光ガラス張り、エントランスは五階分の吹き抜けの開放感あるフロアにした。一階から三階まではショップや飲食店、フィットネスクラブをテナントに呼び込み、四階から六階は会議室、七階から十階は関連企業が入居し、十一階から十五階は自社フロアという構造だ。
誠司は十五階に自室を持っており、執務と来客対応はここで行う。
室内はシックな洋風アンティーク調に設えてあり、天井にはアールデコのシャンデリアが吊られている。執務机やソファ、棚はドイツから輸入した二十世紀初頭の制作品で統一した。全面ガラス張りの窓からは東京湾とレインボーブリッジが見渡せた。
父は官僚、母は外交官というエリート家庭に育った。親戚一同も軒並み医者や弁護士、政治家や企業のトップで、顔を合わせると誠司くんは将来大物になると期待された。幼い頃から英語やピアノ、習字と遊ぶ暇もないほど習い事に通い、家に帰れば家庭教師が待っていた。
誠司は賢い子で、学べば学ぶほど貪欲に知識を吸収した。礼儀正しく、周囲の大人たちの評判も良かった。両親にとって自慢の息子だった。
誠司が高校生のとき、転機が訪れた。父が仕事のミスを咎められ、鬱状態になった挙げ句ビルの屋上から飛び降りた。すでに関係が冷え切っていたため、母は父の死を冷淡に受け止めていた。
「誠司、あなたはあんな落伍者になってはいけない」
そう言って常々死んだ父を貶めた。父は外に女性を作っていた。誠司は母の恨み言を毎日聞いて過ごした。
ミスをするのは愚かな人間だ。誠司は他人の過ちに対して厳しい態度を取るようになる。彼は優秀だった。無能な人間の苦悩など理解できる訳がなかった。
三つ上の兄は都内有名大学の受験に失敗し、引きこもりがちになった。母は表向きは優しく接するものの、兄を完全に見放していた。その分、期待と愛情は誠司に向かった。
「あなたしかいないのよ」
エリート思考の母は我が子に対しても優劣で待遇を分けた。誠司は内心兄を負け犬とみなして見下した。
父の卒業した東京大学に行く気になれず、慶王大学を進路に選んだ。大学院を出て大手総合商社に勤務しながら独立の機会を覗っていた。
資本金五百万から立ち上げたシリウストレーディング社は誠司が大きくしたようなものだ。二人の仲間たちも優秀な人間に違いなかったが、誠司の時代を読む先見の明、大胆な発想力、行動力はずば抜けていた。
しかし、誠司には常に冷徹だという評価もついてまわった。失態を犯した幹部の首をすげ替えることは当たり前、起業から世話になった中小企業との取引も簡単に切り捨てる。突然取引が無くなり、社長が路頭に迷っていると聞いても我関せずだった。
シリウストレーディング社はこれからも成長するだろう。何もせずとも株式の配当だけで遊んで暮らせるだけの金はあった。しかし、誠司はそれだけでは飽き足らず、ダブルワークをしていた。誠司は「天狼」日本支部支部長でもあった。
「天狼」は全世界にネットワークのある組織で、ヒエラルキーの最上位に誰が君臨しているのか、日本支部レベルの人間には知らされていない。日本支部の上位組織、上海ブランチからの指令を受けて動く。
天狼の仕事は裏社会の人材派遣だ。つまり、暗殺者や傭兵の派遣だ。請け負った仕事に合わせて暗殺者をコーディネートし、仕事を遂行させる。暗殺者は年端もいかぬ子供のときから天狼が育て上げる。忠誠心が高く、優秀な人材が揃っていることが天狼の強みだった。要人暗殺から反社組織の壊滅、紛争地帯への介入など、「人の排除」と「破壊工作」を手がける。
誠司にとってやり甲斐のある仕事だった。日本支部を大きくして上海と肩を並べ、さらに大きな仕事を請け負うことが彼の野望だ。
誠司はシリウス社の四半期の業績報告にざっと目を通し、さして興味も無さそうな様子で机の端に投げやる。前年比15%成長、何も問題ない。
パソコン画面に通知が入っている。狼の横顔のシルエットがエンブレムになっているアプリケーションを立ち上げた。「天狼」のポータルサイトだ。現在進行中の案件が確認できる。
「鳴瀬がしくじったのか」
誠司は気になる報告文書を見つけ、文書アイコンをクリックする。鳴瀬史郞は特級の暗殺者で、ミスをすることはなかった。彼の鮮やかで手堅い仕事ぶりは誠司も気に入っていた。
しかし、その彼がミスをした。ターゲットは事故で死亡、と記載がある。厳密にミスとは言えないが、鳴瀬がそう報告したのだろう。
暗殺者が仕事を遂行できなくなる、また組織を危険に晒すことがあれば、彼らを始末してきた。何か引っかかる、しかしまだ一度だ。
別の報告文書をクリックする。ターゲットを殺し損ねて逃亡していたA級暗殺者を別の暗殺者が始末したという報告だった。
用済みの暗殺者を始末する専属の部隊がある。彼らは特級以上の能力と残忍さを併せ持つ。鳴瀬に彼らを差し向けることにならねば良いが、誠司は備前焼きのカップに注いだコーヒーを飲みながら画面を閉じた。
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