蜂谷昴

 揺らめくカーテンの隙間から差し込む光が瞼の上で踊っている。蜂谷昴はちやすばるは気怠く甘い疲労感が残る身体を持ち上げる。キングサイズのベッドの上には自分だけ、ご丁寧に何事も無かったかのように綺麗に整えられていた。


 昴は目を擦りながらベッドから降り立つ。腰に響く鈍痛が昨夜の激しい情事は夢では無かったことを物語っている。

 素っ裸のままバスルームに向かい、シャワーで熱い湯を頭からかぶる。ゆっくりと記憶が明瞭になってきた。


 ***


 昨夜、人数あわせのコンパに駆り出された。男性陣は大学院生、女性陣は会社員という組み合わせだ。価値観や話題が合うはずもなく、しらけた会になった。一次会ですんなり散会となったが、昴は密かに一人の女性に声をかけられた。

 彼女は他の面子が清楚系美人だとこぞって狙っていた女性だ。二人で飲もう、と彼女の誘うままにバーに向かった。名前は明莉といった。


 地下階にある落ち着いた雰囲気のバーのカウンターに並んで座った。

「昴くんて、とっても綺麗な顔。モテるんじゃない。彼女いないのが不思議ね」

 ショートカクテルを傾けながら頬杖をついて微笑む。ラメに彩られた目元は恍惚として、ピンク色の口紅が艶やかに光っている。

「いませんよ、学業とバイトでこれでも結構忙しいんです」

 昴ははにかんでみせる。


「そう、大変ね。時々会わない?こっちは社会人だし、デート代は持つわよ」

 明莉は積極的に昴を口説こうとしている。こういうときの女は男よりもガツガツとして強欲だ。昴は不快感を努めて表に出さないようにする。

「それは悪いですよ」

 困ったように頭をかく。明莉は電子タバコを取り出し、慣れた手つきで吸い始めた。

「いいのよ、私が良いっていってるの。時々遊んでくれるだけでいいんだから」

 明莉は頬を膨らませてみせ、また笑顔に戻る。ずいぶん酔っているようだ。


「すみません、俺ゲイなんです。女性とはダメなんです」

 昴の言葉に、明莉はあからさまに嫌悪感を露わにする。経験上、これが一番都合の良い断り文句だ。

「何よ気色悪い、バカにしてるの。ふざけないでよ」

 明莉は千円札をカウンターに叩きつけると、足早に店を出て行った。


 昴はため息をついてカウンターに向き直り、モスコミュールを傾ける。ゲイというのは方便だ。実のところ、バイだ。女性を相手に勃たないこともないが、そもそもああいう身勝手な女は好みではない。自分にも選ぶ権利はある。

 コンパの席で明莉は浮気な元彼の愚痴を零していた。見目の良い昴を連れて元彼に当てつけてやりたかったのだろう。あまりにも見え透いていた。俺はマスコットじゃない、昴はモスコミュールを飲み干した。


「散々だったな、一杯おごるよ」

 いつの間にか隣に座る男がいた。毛足を遊ばせたツーブロックで、形の良い眉、物憂げな目元、口許には穏やかな笑みを浮かべている。ジャケットに派手な柄シャツ、ジーンズ姿で上背がある。

「おごられる義理はない」

 馴れ馴れしい奴だ。昴は席を立とうとする。

「つれないな、つきあえよ」

 男の自然な雰囲気に呑まれたといおうか、昴は席に腰を下ろした。


 昴のことを詮索するでもなく、自分語りをするでもなく、男の話は知的で興味深いものだった。気が付けば男のペースに巻き込まれていた。

 見知らぬ男とホテルに行くなんて、十九歳のときに父が死んでひどく荒れたとき以来だ。新宿のバーで夜ごと男をひっかけていた。喪失感を快楽で埋めようとしていた。


 名も知らぬ男に誘われるまま、ホテルへ行った。シャワーを浴び、濡れた髪もそのままにベッドに押し倒された。貪るような口づけ、まるで熱病に浮かされているかのように背後から何度も貫かれた。

 身体は密着しているのに、心ここにあらずといった不思議な感覚だった。これまでのどんな男よりも上手かった。思わず何度か気をやりかけ、必死で意識をつなぎ止めた。


 欲望を吐き出した後、男はただ無言で昴の身体を抱きしめた。見知らぬ男の温もりに、昴は深い安堵を覚えた。

「時々会いたい」

 昴はさっき自分が振った女と同じ台詞を口にしていた。

「それはできない」

 男は耳元で囁く。その声は甘やかで、しかし断固とした拒絶の意思が込められていた。


「俺、本気なんだ」

 昴は身を起こし、男と向き合う。口許には優しい笑み、しかし目には冷たい光が宿っていた。

「だめだ、俺は同じ男とは二度と寝ない主義だ。お前とは遊びだ、忘れろ」

 男は大きな手で昴の髪をくしゃっと撫でた。昴は胸が切なく締め付けられる感覚に戸惑う。男はテーブルに置いたシャンパンを口に含み、昴に深く口づける。唇からシャンパンが伝い落ち、ベッドを濡らす。


「何を、したんだ」

 まるで白い霧がたゆたうように意識が朦朧としてきた。

「一晩の遊び、それだけだ」

 男の声がどこか遠く木霊する。昴は何かを求めるように手を伸ばした。しかし、男の身体に触れることはできなかった。昴は脱力し、意識を手放した。


「悪いな、これから大事な用事がある」

 睡眠薬を仕込んだシャンパンを昴に飲ませた。起きるころには朝日が昇っているだろう。手塚彰宏はシャツに腕を通し、ボタンを留める。

 男を抱く行為は殺人前の儀式だった。冷静さを失わぬよう、殺人への衝動を性欲に換え、放出する。


 遊びで引っかけた相手が本気になることもある。そんなときのために睡眠薬を常備している。手塚はかつて睡眠薬を常用していたため、全く効かない体質だ。それが好都合だった。かなりキツい作用の薬を酒に混ぜて飲ませてやれば、朝まで目を覚ますことはない。

 手塚は安っぽい芳香剤の漂う部屋を出る。部屋の会計は延長料金も含めて支払っておく。それがせめてもの礼儀だ。


 ***


 昴はベッドに腰掛け、冷えきったシーツに手を泳がせる。あの熱病に浮かされたような激しい情交、そして包み込むような抱擁が蘇り、身体の芯に熱が籠もるのを感じる。

 素性は全く分からない。見目良く目立つ男だ。男を誘い、一晩だけ楽しむ。バーの飲み仲間に聞けば、何か情報が得られるかもしれない。

「絶対に見つけ出してやるよ」

 昴は誰にともなく呟いた。こんな気持ちは初めてだった。

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