落とした嘘と光【掌編小説集】
ひらみ
第1話 「にじむ光」
グラスジョッキをつかむ。グラスの中の冷たい琥珀色の液体が喉を通り、胃の中に流れ込んだ。気泡とアルコールの刺激が気持ちよくて、思わず長く息を吐く。グラスジョッキをテーブルに置くと、あたしは声を張り上げ店員を呼んだ。
「生、もう一杯。それから、ローストビーフに、鴨とナッツのサラダ。あとは…チーズフォンデュにクラムチャウダー。それから、春野菜のパスタに、ネギトロとゴルゴンゾーラのリゾット……」
急いでタブレットから注文を厨房に送信している店員。その向こうに、髪を耳にかけながら、眉間にしわをよせてこちらを見ている顔。
でも、気にしない。だって今日は、好きなだけ食べていいって
店は彼女の予約だ。半テラス席で、目の前には満開の桜並木。ライトアップされた桜と時折り吹く風に舞い散る花びら。その向こうには、満月が見える。
仕事一筋のあたしが言うのも何だけど。こういう店って、女同士で来るような場所じゃないな。なんていうか、全てが上品で高級。それに、あたしが慣れ親しんだ感じゃない。なんで彼女はいつもの焼肉じゃなくて、この店を予約したんだろう。まぁ、けど、美味しそうだからよし。
それにしても、彼女は、いつもは誰と来てるんだろうねぇ。
「今の、全部食べれんの?」
店員が奥へ引っ込んだ後、低い声を出した彼女に肘でつつかれた。
「余裕」
そう答えると、彼女は私から顔をそむけた。それは明らかに、私の行いに不満があるというメッセージ。満月は人を狂わせるなんて言うけど、今日の彼女はちょっとおかしい。
なに。なにが気に入らないわけ。運ばれてきた料理を、あれぐらいの注文数じゃ残したりしない。彼女だって、わかっているはずだ。
ずっと桜を見つめている。それとも、見つめているのは向こうにある満月?
風が、ふわりと彼女の前髪をなびかせた。ライトアップの光を受けた桜の木々から、いくらかの花びらが散る。彼女の近くを舞った。いつも会社では、マスクの下に隠されている彼女の肌。不思議な艶を放ち、まるで絹のようだった。
「楽しみにしてたのになぁ」
ぼそりと言う。
「え?」
「だれかさんの高校男子並みの食欲のせいで、ムードが台無し」
こちらを向くでもなく、彼女はテーブルにあるワインの注がれたグラスを手に取った。彼女のまつ毛に光が当たり、その肌の上に影が落ちる。ワイングラスの中ではワインが静かにゆらめき、テーブルに影を落とした。
なぜ。何が言いたいの。
また風が吹き、彼女の向こうにある桜の花が揺れる。花びらが舞った。かすかに香る、彼女の匂い。
軽く目を伏せながら、彼女がこちらを見た。その向こうにあるもの、それは桜じゃない。満月だ。妖しい光をにじませている。
「ねぇ……」
低いその声は、あたしの耳に絡みつく。
彼女と視線が絡み合い、絡み合ったそれが、離れなくて。
あたしは、息をのむ。
胸の鼓動が、早くなる。
あたしの襟元に付けていた紙ナプキンが、風に揺らいで、足もとに落ちる。
(終)
落とした嘘と光【掌編小説集】 ひらみ @Ka_Ku_Ko
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