2話「自称祓い屋」

 事件発覚後すぐに電車に乗り込みやってきたのは新宿。 

 新宿御苑近くにあるレトロ感漂う喫茶店。まどかはこの店で詐欺師からブレスレットを買ったという。

 コーヒーの香り漂う店内は、三時ということもあり大勢の客で賑わっていた。席に案内されたがまだ詐欺師の姿は見えない。


「ねぇ、美夜。私も納得して買っちゃったんだから……そんなに怒らなくても……」

「普通怒るわよ。霊が憑いてるとか不安にさせて高値で売りつけるなんておかしい。詐欺に決まってる」


 堪えきれない怒りを抱えながら、美夜は注文したベーグルサンドにかじりつく。


「……さっきホットケーキ食べたばっかなのによく入るね」

「腹が減っては戦はできぬっていうでしょう。これから詐欺師と戦うんだから、エネルギー補充しておかないと」

「私の努力も知らないで……。騙されたことより、そっちの方が腹立つわ」


 美夜は物凄く燃費が悪い。食べるものはいつも大盛り。それも日に何度も。しかしどれほど食べても体型が変わらない。

 まどかは友人の前におかれた軽食とコーヒーフロートを見ながら恨めしそうにアイスティーを啜った。


「…………あ、神流水先生」


 まどかの視線が前方に注がれた。賑わう店内、一体どの人物だと問おうとした美夜の口から言葉はでなかった。

 聞かずとも分かった。その男からは一見して分かるほどの唯ならぬ気配を纏っていたから。


「先生、こっちです!」


 立ち上がったまどかが軽く手を振ると、男はすぐにこちらに気づいた。

 この蒸し暑さにも関わらず、着崩すことなくスーツを着たモデル体型の男。フレームレス眼鏡の奥に覗く切れ長の瞳。鼻筋が通った整った顔立ちに、清潔感のある黒髪のマッシュヘア。彼の第一印象は誰しもが好印象を抱くに違いない――望月美夜以外は。


 今にも射殺しそうな程鋭い視線を向ける美夜と目があうと、男は臆することなくその目を真っ直ぐ見つめ柔らかい笑みを浮かべた。


「僕から待ち合わせ場所を指定したのに、待たせてしまってごめんね」

「いいえ。こちらこそ突然お呼びしてしまってすみません」


 男は長い足であっという間に距離を詰めると、二人の向かいに腰を下ろす。

 水を運んできた店員にメニューを見ることなく珈琲を注文し、笑みを崩さず美夜と向き合った。


「それで、こちらのお嬢さんが僕に会いたいっていってくれたお友達かな?」

「はじめまして。まどかの友人の望月です」

「はじめまして。神流水雅水かみづるまさみです」


 手慣れたように神流水は美夜に名刺を差し出す。


「……お名前をお聞きしただけなので、勝手に女性だと思ってました」

「よく間違えられます。待ち合わせをしているといつも気付かれなくてね。でも望月さんはすぐに“神流水雅水”が僕だと気づいてくれた」

「一般の人とは明らかに違う雰囲気を感じたので」

「こんな生業をしているから、褒め言葉として受け取らせていただくよ」


 冷静ながらも言葉の節々に棘が混ざる美夜。対してそれを柔らかく受け止める神流水。


「先程から望月さんの敵意をひしひしと感じているけれど、僕になんの御用かな?」


 明らかに敵意を向ける美夜の態度に、神流水は不機嫌さも苛立ちも一切表に出すこともなく、その笑みも崩すことはない。


「不快に思われたなら謝りますが、生憎この感情を隠すつもりもありません」

「いいや。気になるけれど、気にしてはいないから話を続けてどうぞ」

「先週、まどかに売りつけたブレスレットの件です」


 二人の視線がまどかの左手首に向けられる。


「ああ……そのターコイズのブレスレット。確かに先週僕が彼女に売ったものです」


 まどかに売ったブレスレット。そして美夜から向けられる敵意。いわずとも用件は気づいているに違いない。

 だが神流水は全く気にした様子なく、お嬢さんも欲しいのかな? なんて無垢な笑みを浮かべた。

 男の態度に美夜は僅かに青筋を立て、自身を落ち着かせるためにコーヒーフロートを飲む。


「確かに素敵な物ですが、値段が少々高価ではありませんか?」

「原価はそんなにかかっていないはずだろう……なんてよく言われたりしますよ。だが、土産物店に売っているパワーストーンと違って、これは僕が一つ一つ想いを込めて手作りしているものです。なんといわれてもそこに関しては曲げられませんね」


 神流水の表情こそ穏やかだが、その言葉には僅かに棘が込められている。

 ハンドメイド作家の苦悩について以前ネットで騒ぎになったのを美夜もちらりと目にしたことがあった。


「値段に関しては人それぞれのこだわりがあるのでしょう。私はこういう物には素人ですし、まどかが納得して買ったのであれば、仕方がありません」

「わかってくれたのなら、よかったです」

「ただ、貴方がまどかにこのブレスレットを紹介した理由が正当なものであれば……の話ですが」

「……と、いうと?」


 神流水はコーヒーを一口啜り、僅かに首を傾げた。


「まどかに悪い物が憑いていると声をかけて、お守りになるからとこれを勧めた……と、聞きましたが」

「ああ。彼女には悪い物が憑いているように見えたんですよ」

「人の不安を煽り、高額な商品を売りつける……それ、明らかな霊感商法ですよね?」

「僕が詐欺師だとでも?」


 眼鏡の奥の瞳が、冷たく細められた。


「絶対悪いものを寄せ付けないだなんて、誇大広告ですよね」

「僕は絶対、とはいっていませんよ。唯、彼女に悪いものが憑いているように見えたから、手助けのために商品を紹介しただけです」

「大学生に十万円も出させてですか」

「残念ながら善意の人助けも無償というわけにはいかないんですよ。人に施しばかりしていたら僕が生きてなくなってしまう」


 二人の言葉による殴り合いを、まどかは口を挟むことができず肩身が狭そうに見守ることしかできない。

 口がつけられていないアイスコーヒーの氷が溶け、その上澄みが薄まっていく。


「まどか、このブレスレットを買ったのはこの店で、丁度先週の今日。間違いない?」

「えっ、う、うん。えっと……間違い、ない」


 突如話を振られたまどかは慌ててカバンの中からスケッチブックを取り出す。ぱらぱらとページを捲り、新宿御苑のスケッチの日付を確認する。日付は丁度七日前。間違いない。


「キャッチセールスで喫茶店などで品物を購入した場合、八日間はクーリングオフできましたよね」

「詳しいね。確かにできますよ。ですが……望月さんは、悪いものが憑いているまどかさんを救う気はないのかい?」


 相変わらず神流水は自信満々の笑みを崩さない。ここまで胸を張られれば、彼の言葉は真実だと誰しもが思うだろう。

 だが美夜は違った。その言葉を待ってましたと言わんばかりに、にいっと口角を上げて目の前の男を見据えた。


「まどかには悪いものなんて、何一つ、これっぽっちも憑いていません」


 あまりにもはっきりとした言葉に、神流水の笑みは消え目を丸くした。

 三人の間に沈黙が流れること数秒。固まっていた神流水に再び笑みが戻った。


「そこまではっきりと言い切るのならば仕方がないですね。ほら、きっちり十万円。お返ししますよ」

「霊感商法……詐欺だって認めるんですね」

「いいや。僕の言葉に嘘はないよ。だが、望月さんがそこまではっきりとした意志があるのだから、要望を飲まないわけにはいかないでしょう。けれど、このブレスレットの持ち主はあくまでもまどかちゃんだから……彼女の意志を確認しないと」


 意見を求めるように神流水は優しい眼差しをまどかに向ける。


「えっと……」


 まどかは困ったように隣の美夜を見た。美夜は強い眼差しでまどかを見て、ゆっくりと頷く。


「……私は、美夜を信じます。美夜がなにもないというんだから、きっと大丈夫だと思うから。買ったのにお返しする形になってしまってすみません」


 まどかは申し訳なさそうに左手首からブレスレットを取り、神流水に返した。

 それを見て美夜はほっと息を吐き、机の下で小さくガッツポーズをする。


「分かりました。今回はご縁がなかったということで」

「はい。突然呼び出したのに来てくれてありがとうございました」

「いいよいいよ。頼れるお友達が傍にいてよかったね」


 深々とお辞儀をするまどかに、神流水は気にするなと笑う。カップに残っていた冷めたコーヒーを一気に飲み干すと、全員分の伝票を持って席を立った。


「それじゃあ、なにかあったらいつでも連絡くださいね。望月さんも、気軽に連絡して構わないから」

「お気持ちだけありがたく頂戴します」


 美夜の素っ気ない対応に、神流水は肩を竦めると二人の前から去っていく。

 その背中からは悔しさも、怒りも、悲しみも、喜びも、何も感じなかった。



「……ふーっ、疲れたぁ」


 神流水の姿が見えなくなると、美夜は大きく息をつき、溶けかけたアイスを慌てて掬いはじめる。


「さすが美夜。でも……本当に良かったのかな」


 友人の隣で笑みを浮かべながらも、まどかの表情はどこか曇っている。

 美夜は改めてまどかを見つめる。正確には彼女の背後を。


「……うん。大丈夫だよ。やっぱりまどかには悪い物なんて憑いていない」


 彼女が纏うものは暖かい。傍にいる自分の心まで温かくなるような優しい気配。

 自分は間違っていない。あの神流水雅水という男が嘘をついているのだ。


「うん、美夜がそういうなら安心だね」


 まどかは納得したように頷いて、薄まったアイスコーヒーを飲む。

 何故こんなにも美夜が自信を持っていいきる理由を、親友のまどかでさえも知ることはない。


 ふと、席の横を通り過ぎていったサラリーマンの男の姿を美夜は目で追った。

 彼の背後にずしりとのし掛かっている黒い人影。髪の長い黒い女。

 

 これは美夜だけが知る、誰にも知らせない、美夜の力。

 霧上まどかには悪いものは憑いていない。これは紛れもない事実。

 何故なら、望月美夜はこの世ならざる霊が視える、霊能者だからである。

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