3話「友人の異変」

 一月後。七月の都心は梅雨も明け本格的な夏の暑さに見舞われていた。

 大学も一学期が終わり、長い夏期休暇に入る。美夜は一人横浜の小さなギャラリーにやってきた。


「あ、あの。朝霧まどかの友人なんですが……まどか、中にいますか?」

「あっ、霧上さんのお友達なんですね。中にいると思いますよ。ごゆっくりご覧下さい」


 受付の大人しそうな男子学生から図録とパンフレットを受け取り、美夜は緊張した面持ちでギャラリーに足を踏み入れた。

 まどかが通う大学の美術サークルが開催している展示会。学生の展示会だというのに想像以上に客が多く美夜は驚いた。

 油絵に水彩画、陶芸まで様々なアート志向に溢れる作品が並ぶ。美大生というだけあってレベルはかなり高い。まどかの絵を探すことを忘れ、美夜はついつい足を止めてじっくりと鑑賞していた。


「あっ、美夜。待ってたよ」


 背後から聞き慣れた声で呼び止められる。

 作品作りに没頭したいと中々会えず、ラインで連絡は取り合っていたが直接会うのはひと月ぶりだ。


「まどか――」


 嬉々として振り返った美夜は、背後に立つ友人の姿を見た瞬間動きを止めた。


「久しぶり、だね。来てくれてありがとう」

「まどか…………どうした、の」


 美夜の口をついたのは、お久しぶり、でも、まどかの作品はどこにあるの、でもなく声が震えた疑問詞だった。

 目の前に立つまどかは最後に会ったときと別人のようだった。

 目の下に目立つ隈。痩せこけた頬。元々色白だった肌は、血の気が失せたように青白くなっている。


「あ、はは……作品作りに集中しすぎちゃって。寝不足というか、ご飯食べるのも忘れてた……というか」

「……わ、笑いごとじゃないよ。具合は大丈夫なの?」

「今のところは大丈夫。展示会が終わったら暫くゆっくりできるし。ダイエットもできたから結果オーライって感じかな?」


 ダイエットに成功したというレベルではない。以前来ていた服は僅かにぶかぶかで、体の細さが浮きだって見える。痩せたというよりは、窶れているという言葉が正しいはずだ。


「自分の体なんだから大切にしなきゃ--」


 駄目じゃない。

 そういいかけたところで、美夜は息を飲んだ。


「……美夜?」


 言葉を止めた友人に首を傾げるまどか。

 その背中に、黒い影が憑いているのが見えてしまった。まどかの背中にぴたりとくっ付く、まどかより頭一つ大きな黒い人影。目も口も、顔のパーツ一つない影は何故か美夜を見て勝ち誇ったように笑ったような気がした。

 美夜の顔からさあっと血の気が引いていく。


(…………なんで。どうして)


 手足が微かに震え、指先が氷のように冷たくなっていくのを感じた。

 まどか、貴女の後ろに悪いモノが憑いている。そう言いかけた言葉を抑えるように、美夜は震えた手で口を抑える。


「こっちに私の絵があるんだよ。案内するね」


 窶れた顔でまどかは笑い、硬直している美夜の手を引く。

 美夜は足をもつれさせながらなんとかまどかの後に続く。

 もう、作品なんて目に入らない。目の前の友人の背中に離れず取り付く黒い影にしか目がいかない。


「これが私の作品。大きいのに挑戦してみたんだ」


 まどかが作品の説明をしてくれるが、全く耳に入らない。

 まどかが描いた水彩画はとても美しいというのに、全く頭に入ってこない。


(どうして。どうして。どうしてどうしてどうして)


 今にも叫び出したいほど美夜は混乱していた。

 どうしてまどかが。どうしてまどかに。今まで大丈夫だったのに、どうして。

 誰にも伝えられない疑問が頭の中で高速で渦巻いている。

 挑発するようにまどかの周囲を漂う黒い影を見て、美夜は白くなるほど拳を握りしめた。

 正直、その後の記憶は、よく、覚えていない。

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