漆:音楽室の幽霊と帝都大厄災で消えた願い
昼間見慣れた学校も放課後は別のモノに見える。
下水溝の
音楽準備室別室。
つまり倉庫だ。
わたしの二重結界に兎鞠先生の複合結界という強力な防御壁の中に皆を残してきた。とりあえず魔魅鵺も置いてきた、というより穂乃果が離さなかった。
それで、何故かふたりっきり。兎鞠先生と一緒に、ここを漁ることになった。霊力を一番強く感じる場所だからだ。
とはいえ青年男子が女子校で「物色」している姿を見るのは面白いモノではない。あえて睨みつけながら言葉を放つ。
「兎鞠先生、何か見つかりまして。随分とご熱心に棚を漁っているようだけど」
先生はわたしを見もせず「呪物でもあるかと思ったが見当たらないようだ」と淡々と答えた。
「あら残念。じゃあ、さっさと出ましょう。ここは埃っぽくて敵わないわ」
吐き出すように嫌味を打つけ、くるりと背を向け距離を取る。
「……先生?」
「ああ、すまない。行こう」
廊下に出てから気になったことを聞いた。
「それで、何を探しておられたのですか」
「何の悩みも無い、恨み言や哀れみと縁のない世間知らずのお姫様たちが通う女学校で幽霊騒ぎとか意味がわからん。どうせモノを知らない上流階級が、海外の悪徳商人から掴まされた呪いの人形あたりを持ち込んだ女学生がいるんだろう」
「ちょ、なんですの、その偏見!」
「だってそうだろう。キミにも忠告したはずだ。陰陽師は遊びじゃない。お嬢様の暇つぶしで、俺の仕事の足を引っ張られては敵わん。花嫁修業でもして……」
すべて聞く時間など毛頭無い!
言い終わる前に「ダンッ」と床を踏み鳴らし「もう結構」と、ひとり薄暗い階段を降りて音楽室へ急いだ。花梨さま成分を補給しなきゃ、頭がおかしくなりそう。
※ ※ ※ ※ ※
「どうやら、魔魅鵺を残したのは正解だったようね」
音楽室のドアの前で直感した。魔魅鵺だけで『何か』が出来るわけではない。けれど、低級な悪霊ならば脅しにはなる。抑止効果と呼ばれるものだ。
「やはり、こっちへ出たか」
兎鞠先生が飄々と語った。その物言いに違和感を感じた。
「まさか先生、花梨さま達を囮にしたわけじゃないですよね」
「そのための複合結界だ。キミの二重結界と
この男ッ!
わたしは直ぐさま音楽室へ突入した。
「花梨さまッ!」
果たして皆は結界の中央で抱き合うように寄り添っていた。魔魅鵺くんだけが結界の外に立っている。堂々自信を持っての立ち姿は付喪神の強さを感じた。
それにしても、抱き合う中心には花梨さまが居られる。穂乃果を落ち着かせようと頭を撫でられている姿は菩薩さまだ。ああ、わたしもあの中に混じりたい。
「何をしている、来るぞ!」
それを邪魔する男の怒声が響いた。反射的に飛び上がり、床で一回転。嗚呼、これでまた田江さんに言い訳を考えないといけない。
「お嬢さまは、いつまでたってもお転婆ですねぇ」
違うの、そうじゃないの。
「みょん、行くぞ!」
「あいよ、恋之助」
妙乙女は月に遊ぶ妖狐のように、くるくると宙で一回転した。
空を切り、邪を繋ぎ、三千大千世界から忍び込んだこの世ならざる神が「ケケケッ」と不気味な笑い声とともに今生へ浮かび上がった。
透き通るほど白い肌に漆黒を思わせる単衣を羽織り、金色に輝く長い髪を靡かせている。細い瞼は切れ長で真っ赤な瞳は魅惑的だった。薄い唇に桜色の紅が引かれ、口角をあげてあざ笑う。世を、ヒトを、すべての森羅万象をこの神はあざ笑っている。
登場と同時に場の空気が変わった。
「みょんに隠れてもらわないと、おびき出せなかったからな」
確かにそうだ。こんなモノ、普通の怨霊なら気配だけで逃げ出す……って、え?
魔魅鵺が顔面蒼白、脚を震わせながら一歩ずつ下がっている。やがて結界にぶつかり、そのまま中へと逃げ込んだ。
「魔魅鵺くんッ!」
「おやおや、クソ坊はそこにいたのかい。出てきなよ。お姉ちゃんが遊んであげるからさあ、ケケケッ」
「みょん、戯れ事は後だ。仕事を片付けるぞ」
「あいよ、恋之助」
──一切皆苦、諸行無常、涅槃寂静
「汝、苦しければ煩悩を捨て、悟りの境地へと向かわれぇ」
原稿用紙の束が豪雨のように降り注ぎ、床を揺らし、空間を揺らす。音楽室は斎場となり妙乙女が舞う。
ダダッ、ダンッ!
空気が破裂する音。ヒトの目には視認出来ない怨霊が苦しみで藻掻いているんだ。
「聞けぇ、汝の苦しみは汝自身の心が生み出すもの。世は空なり、モノに執着するな」
先生が呪禁を念じるあいだ、わたしは防御壁の中で皆と一緒になって怯えている魔魅鵺を引っ張りだそうと躍起になっていた。
「魔魅鵺、言うことを聞きなさいッ!」
あんな男に手柄を寄越してなるものか、そんな意地もあった。仕事のために自身の姪までも肥やしに使う、そんな強欲な男に迷える魂が救えるものか。
その隙を怨霊に憑かれた。
「ばかもんがッ!」
兎鞠先生の怒鳴り声と妙乙女のため息が同時に聞こえた──さらさらした黒髪。丸っこい元気な女の子の顔。帝女の制服に身を包み、皆の熱い視線を浴びながらピアノを弾いている。
この子?
この子が悪霊?
「帝都大厄災」
四年前に帝都の地が揺れ、空は赤く血の色に染まり、街には何本もの火柱が立ち上がった。大帝が開いた亜細亜の楽園は崩壊し多くの人々が世を呪いながら彼の地へ飲まれた。
絶望と悲しみだけが残り、それを悦楽する魑魅魍魎が跋扈する時代が到来した。陰陽師達はそれでも希望を信じ戦った。たくさんの呪術師が傷つき倒れるなか、強大な力を持つ陰陽師が降り立った。
それは、うら若き女の、陰陽師だった。彼女は我が身と引き換えに全ての浄化を行った。
帝都は救われた、はずだ。平和になった、はずだ。
けれどそんな日に、ひとりの少女が死んだ。
ピアノの発表会を前にして──報われない気持ちはやがて地縛霊として、大好きだった帝女に帰ってきた。
だから、だから、だから、
「もう、ここから追い出さないで。あの日の夢に浸らせて」
「悪霊退散ッ!」
兎鞠恋之助は舌鋒鋭く、無慈悲に、少女の気持ちをぶった切る。
「やめてあげて、やめてあげてよ」
わたしは
「おまえは、馬鹿なのか」
兎鞠恋之助が、ふんっと鼻を鳴らす。
「ケケケッ」
万年筆の付喪神、三千大千世界から忍んだこの世の禁忌があざ笑う。
わたしは溺れるような感覚で視線を右に左に、息苦しくて口もぱくぱくと金魚のようだった。一生懸命に手を伸ばし、兎鞠恋之助の袴の裾を掴んだ。
「お願いだから、お願いだから、」
「ケケケッ、この嬢ちゃんも一緒に滅却するかい」
再び「ふんっ」と先生は鼻を鳴らす。
そして小声で、なにやら呪文を唱えた。わたしの頭を大きな手で握ると「あいつと同じことを言いやがる」と少し砕けた口調で声にした。
「だが悪霊だ」
ゾッとするほど冷めた声で呟いた。
「怨霊滅却ッ!」
ぼんっ、と炎があがった。原稿用紙が燃えながら何かを包み込んだ。火球となったそれに、先生が万年筆「妙乙女」で名を刻む。
「兎鞠恋之助」
一瞬、ドンッと火柱になり天を貫き、少女だったモノは今生より姿を消した。
わたしは力尽き、床に倒れ込んだ。
結界に護られていた、皆が開放された。すぐに花梨さまが駆けてこられ、わたしを抱き上げた。
「おじさま、わたくしの大切な枝恋に何をしたの」
「勘違いをするな。俺は何もしていない。こいつが自分から悪霊に喰われに行ったんだ」
「この嬢ちゃんは陰陽師に向いてないのさあ、恋之助とは違う。ケケケッ」
わたしの頬に滴が落ちてきた。わたしのものではなく、それは花梨さまの頬を伝って落ちてきた涙だった。
「花梨さま、わたしはもう大丈夫ですから」
起き上がろうとして、事がこれで終わりではないのを感じた。まだ、何かいる。それもかなり強力な力だ。
──観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空ッ
すぐに結界を張る。けれど相手の方が早かった。わたしは分からない力に弾き飛ばされた。
「しれんッ!」
花梨さまが叫んだ。でも、ああ良かった。皆は結界のなかだ。
魔魅鵺くんが、いまだ怯える足腰のままわたしの前に仁王立ちした。少し感激したが、情に絆されている暇はない。
「ふふっ。懲りずに、その坊やとまだ遊んでいたのね」
この声は、劇場でわたしたちを襲ったアイツだ。悪夢がぶり返した。なにか反論しようにも、恐怖で舌が回らなかった。
「ふふん、ようやく見つけちゃった。すっかり騙されてたわ、センセイ」
声だけの少女が兎鞠先生に話しかけた。
「おまえなど知らんがな。どこかですれ違ったか」
「ずーっと探してたんだよ。それにしても、その妖怪女は隠れるのが上手ねぇ。ほんとわからなかったわ」
「ケケケッ、なんだい、あたいに喧嘩売るとは良い度胸だね」
「あっちは……」
魔魅鵺を振り返りながら、
「……全然、弱いから無関係だってわかる。でも、あんたは当たりかな」
「おれは駆け出しの新人とは違うぞ」
兎鞠恋之助が不敵な笑みを浮かべた。
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