陸 帝都女学校最強にして最凶の女──その名は吉川玲奈!

「グーテンモルゲン、枝恋さん。学校の怪談ですわよ」

 いかにも嬉しそうな笑みをたたえる級長が、わたしの前に立ちはだかった。

 朝の学校。これから花梨さまに「いい子いい子」してもらうつもりでいた、そんなわたしの晴れやかな気持ちを返して。


「あのぉ、まだ懲りてないのですか」


 わたしの率直な意見表明は全く効果無く「昨晩の劇場は楽しゅうございましたわねぇ。やっぱり本物の悪霊は迫力が違いますね」などと、まるで花屋敷はなやしきの出し物でも見てきたような感想を述べる。


「そういうわけで、本日放課後の部活動は我が校の音楽室へ集合です」


「なにが、そういうわけで、ですか。いきなり言われても困ります」


「今夜、ご予定ありますの?」


「わたくしも暇では御座いませんので。予定は一日前にお願いします」


「わかりました。ならば明日の放課後にしましょう。そのほうが詩音さんや穂乃果さんも参加出来ますから」


「ちょ、待って。つまり、今日の放課後は玲奈さんとわたし。あとは茜さんだけで、やるつもりだったの」


「いえ、茜さんも不参加ですわ。彼女のお母様は躰を痛めておられるそうで、夜は面倒を見ないといけないそうです」


 あー、最初から明日の放課後の予定なんだ。わたしをんだ。

 それがわかると面白くない。文句のひとつも言いたい。それでも客商売の世界で育てられた弊害か、自分の気持ちとは裏腹に愛想笑いをしてしまう。


「では明日の晩、音楽室で」


 わたしの引き攣った愛想笑いに微笑み返すと、彼女は自分の教室へ戻ってしまった。


 呆然と廊下に立ち尽くしていると「枝恋、最近わたくしに黙って何をなさっているの?」と花梨さまがお言葉をかけてきた。

 その女神さまのような優しい笑顔に、つい喋ってしまった。

 オカルト倶楽部のこと。明日の音楽室探索のこと。


「まあ、枝恋。面白そうなことをしているのね」

 伯爵令嬢の目が輝いた。



   ※   ※   ※   ※   ※



 赤茶けた夕暮れが校舎を包む。


 また田江さんに「学校に残ってお友達とお勉強会をやるから」と嘘を言ってしまった。田江さんは「お嬢さまも、ご学友とお勉強会をやる年頃になられたのですね」と目尻にシワを浮かべながら感慨深げに承諾してくれた。嗚呼、心が痛む。


 それに明日の日曜日は、花梨さまとの週末デートがあるのよ。お洋服選びもしなくちゃならないのに、こんなところで、こんなことしている場合じゃない!


「枝恋、わくわくするわね」


 ああ、花梨さまのお声が聞こえる──って、お嬢さまッ!


「我が部の特別活動に塚本家御令嬢までが参加頂けるなんて感激です。部員を代表して感謝申し上げますわ」

 吉川玲奈さんが深々と頭を垂れた。ちゃんと挨拶出来ている。この人、たんなるドイツかぶれのミーハーではなかったのね。

「……ダンテ、花梨さま」


 いや、やっぱりドイツ語で挨拶しなきゃ気が済まないのだろうか。ほら、花梨さまも意味がわからず──「だぁんてっ♡」って返しているし。それも、なんか可愛らしいし、ああ、わたしどうしたら。


 いやいや、そういう話ではない。悪霊が潜んでいるかもしれない我が校の『お化け騒動』の拠点、音楽室に、それも先生も生徒もいない放課後に花梨さまが居られるのは異常事態だわ。


「塚本のお嬢さん。今宵はわたくしどものショーにようこそ」

 詩音さんッ、なにか勘違いしてませんか。


「花梨さま、飴ちゃん食べる?」

 穂乃果さんは変わらずね。


「はいはい、皆さん移動しますよ」

 やっぱり観光案内係の級長、玲奈さん。肝試し感覚なのよねぇ、この人達。わたしがしっかりしないと……懐に仕舞う魔魅鵺を握る。


「でも、危ないとわたしが判断したら指示に従って貰います。この間みたいなこと、もう嫌だから」


「もちろんですわ、枝恋。わたくしは、あなたの命令通り動けば良いのでしょう。頼りにしていますわ」


 ああん、花梨さま。あなた様をこんな危険な場所へ連れ出したくありません。なんで、ここにいらっしゃるのですか。

 花梨さまは幼子のように目をらんらんと輝かせ、わたしの横へぴったり寄り添う。優しい香りと小さな息づかい、体温も感じた。

「……まあ、いいか」


 帝女の音楽室は本校舎から離れた講堂に隣接していた。一旦渡り廊下へ出ると、薄暗さの隙間から虫の声が響いた。


「ひっ!」

 穂乃果が小さく悲鳴を上げた。虫が嫌いなのか、あるいはここにきて恐怖心がわき上がったのか、廊下の中央に座り込んでしまった。


「やっぱり怖い、わたし行かない」


「仕方ありませんわね。ならば、ここで待ちますの?」

 玲奈さんは、やはり非情だ。


「それは、もっと嫌ッ」


「わがままですわね。帝女の乙女たるもの、そんな府抜けでどうするのですか」

 ドイツかと思ったら、意外と精神論で説教するタイプだった。


「まあまあ、仕方ないさ。さいわい、この先に講堂がある。わたしが、そこで元気になる歌をうたってあげよう。

 趣旨が変わってるし。


 突然、懐の万年筆がごそごそ動き始めた。

 わたしの命令なく勝手な行動をとることは、これまでもあった。けれど、今日は特に驚くべき行動をとった。


「立てるかい?」


 恐怖に怯える童女の手をとったのは燕尾服に銀髪碧眼の少年、魔魅鵺。


 穂乃果さんは、うっとりした視線で見上げ「うん」と短く返事をした。

 まるで幼い王子と姫さまのよう。


「ほお、」


「あら、」


「まあ、」


 三者三様の驚き。

 でも、わたしは皆のように感動出来ない。心のどこかに穴があいたような、これまで感じたことのない──寂しさ?


 気づけば花梨さまの腕を握っていた。


「枝恋、どうしたの?」


「なんでも無いです。なんでも無いけど、少し甘えて良いですか」


 花梨さまは、わたしの手にご自分の手を重ねられた。

 そのまま渡り廊下を歩く。音楽室の前で玲奈さんが再び「ここは昨今、勝手にピアノが鳴ったり、歌声が聞こえることで有名な……」と案内係を始めた。


 その時だった。

 誰もいないはずの音楽室から物音がした。陶器が割れるような乾いた、甲高い音だ。わたしの中の陰陽師としてのスイッチが入る。


「ここまでよ、この間みたいになると守りきれないから」


 わたしは、すぐに玲奈さんへ訴える。

 もちろん、彼女が納得するはずもなく「まだ、始まってもいませんわ」と抗議してきた。


「だめ、物ノ怪を甘く見過ぎてる」


 ──南無阿弥陀仏


 心の奥で念じる。続いて「魔魅鵺ッ」と呼ぶ。穂乃果さんの「あぁ、」と呟きを無視して、わたしの万年筆はわたしの側に控えた。

「みんな、そのまま何もなかったように元来た廊下を戻りましょう」

 だが、しかし。

 相手の行動の方が早い。音楽室の扉は凄まじい勢いで横に開いた。

 だめ、呪禁が間に合わない。


「おまえら、何をしているッ!」


「あら、兎鞠先生じゃありませんか」

 玲奈さんの飄々とした声。続いて詩音さんの「クスクス」と笑う声。

 わたしは、音楽室の扉を開いた人影をしげしげと見上げた。忌々しい顔がそこにあった。


「おじさま、ごきげんよう」

 花梨さまの挨拶に頬を緩める『おじさん』は、それでもわたしを見つけるなり「こんなところで何をやっている。下校時間だろう」とまるで先生みたいなお説教をした。


「おじさま、ここで何をなされているの」

 花梨さまの問いかけに「ふむ、」と嘆息してから、「学校から除霊の依頼を受けた」と教えてくれた。


「やはり、音楽室のお化け騒動は本物だったのですね」

 興奮する玲奈に対して「ひぃぃ」と穂乃果は、またしゃがみ込んだ。


「とにかく帰れ。仕事の邪魔だ」


 ぶっきらぼうに突き放す兎鞠先生に駆け寄るのは、級長にしてオカルト倶楽部部長。玲奈はにこにこしながら兎鞠先生の横に立ち、ちょいちょいと西洋人のように指で「耳を貸せ」と仕草を取る。

 兎鞠先生は「はぁ?」と嫌な顔をするが、それでも素直に耳打ちに応じた。


「ちょ、おま、なんでわかった!」


 素っ頓狂な声をあげ、すぐにわたしたちを見回してから、今度は兎鞠先生が玲奈と小声で相談をはじめた。

 背中ごしでよく聞こえないけれど「舶来モノの壺がどうこう」言っている。


 割れた?


 弁償?


 やっぱり意味がわからない相談をしているが、やがて「良し、特別に陰陽師の仕事を見学させてやろう」と、わたしたちの同行を受け入れた。


「どういうこと?」


 わたしは兎鞠先生に「大人なら、皆に帰るよう説得してください」と食い下がったが、昨日のわたしと同じような引き攣った愛想笑いで「まあ、いいじゃないか。おまえもいるし」と玲奈さんの後に続いて音楽室へ戻っていった。


 どうやら級長に関わるとみんなあんな顔になるのだと、それだけは納得した。

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