伍 枝恋敗北する!──ニンジン踊りとウサギ人間たちの宴

「飴ちゃん食べる?」

 大人向けの座席に沈んでいた菊間穂乃果が、いつの間にか隣に座っていた魔魅鵺へ声をかけた。


「やあ、ありがとう」


 銀髪碧眼ぎんぱつへきがん燕尾服えんびふく少年は穂乃果の白いお手々から飴を受け取ると、無表情無造作に口へ放った。


「ちょっ、魔魅鵺くん。あなた人間の食べ物なのに大丈夫?」

 予想外の行動にわたしは声をあげた。


「美味しいよ」

 口の中で転がして感触をたのしんでいる姿は普通の少年だ。


 そういえば妙乙女も「カステーラが食べたい」と兎鞠先生におねだりしてたわね。付喪神ってお腹が減るんだ。


「別にお腹が減るわけじゃないよ。食べられないだけ」


 よくわからないけれど、神棚のお供えみたいなものかなあ。


「穂乃果ね、この魔魅鵺くんと一緒なら怖いの耐えられるかも」


 魔魅鵺も妖怪なのだけど。いや妖怪とは少し違うかしら。でも怪異の一種よね、ある意味神様かもしれないけれど。ううん、そういえば付喪神って何だろう。真面目に考えたことがなかった。


 壊れた椅子や落ちた天井の瓦礫が散らばる──かつて、そこは「劇場」と呼ばれた場所。解体を待つだけの廃墟は照明も落とされ、皆が持ち込んだ提灯ちょうちんだけが薄暗い空間を照らしていた。

 田江さんにまで嘘をついて放課後のこんな時間、こんな場所にいるのは、もちろんこの人が原因だ。


 級長にしてオカルト倶楽部の部長、吉川玲奈。

 座席脇の通路に姿勢正しく立ち「ここは怪奇現象が多く目撃されることで有名な場所です」とまるで観光案内のように語ってみせた。


 初めて「おばけ」という言葉が穂乃果の頭に届いたのか、彼女は魔魅鵺に抱きついて震えた。一方、魔魅鵺は飴を飄々となめていた。

 美少女に抱きつかれているのだから、もう少し照れたふりをしてもいいのに。


「ここって立ち入り禁止なんだよね。どうしてのかな」と、詩音が(初めて見る帝女の制服姿で)率直な疑問を投げかけた。薄紫色の着物に女袴を履いていても、その言動はいちいち芝居がかっていた。


「好奇心は抑えられないってことでしょう。今日はたまたま、わたしたちみたいだけど、普段からここは肝試しにやってくる人々で賑わってるわ。オカルト銀座ってとこかしら」と、さも自信ありげに自説を述べる。


「ところで、小泉茜さんは来られていないのですね」

 尋ねると「小泉さんはお家が厳しいから、わたくしたちのようにはいかないようです」と──いやいや、うちも結構生活態度には厳しいのですけど。何か勘違いされているのかしら。

 それにしても、なかなか小泉さんとお話出来ないな。結界を張ったなかの魔魅鵺をどうやって知ったのか。とても気になるのに。


「なるほど、なかなか良い舞台だな」

 詩音は、すり鉢状に配置された観客席が取り囲む中央部を見下ろす。「もったいないなあ」と彼女は小声で呟く。暗闇の中で私には良く見えないけれど、丸くカットされた洒落た舞台のように思えた。


 詩音は帝女の制服姿のまま舞台中央に立つ。すると不思議なことに、天窓から月の光が降り注いだ。彼女だけを照らす光だ。それに応えるように詩音は、天を仰ぎ見ながら両手を広げた。


 スッとひとつ深呼吸のあと、その場でくるりと回転。袴の裾が開花する。その踊りはツバメのように軽やかで白鳥のように優美だった。月明かりだけの薄暗い舞台上に舞い降りた天使に、皆の視線は釘付けになる。

 周囲にほこりが舞っているが、それはキラキラと輝いて詩音だけを包み込んでいる。火花のように、蛍のように、あるいは精霊が乱舞するオーブの森を思わせるように……まさに彼女は舞台の神に賞賛されていた。女優としての才覚を持ち合わせている。天才という言葉は、朝倉詩音のためにあるように感じた。


「誰か来たみたいだよ」

 魔魅鵺の冷静な言葉が皆の高ぶる気持ちを揺り戻した。


 舞台袖から小さな『ウサギ人間』が飛び出してきたのだ!

 全部で六匹。手にニンジンと長ネギを持ち、愉快な踊りを披露する。舞台上を駆け、周囲を回る彼らの存在は、まるで西洋童話の『不思議の国のアリス』の世界に飛び込んだようだ。


「ケケケッ」


 魔魅鵺がまたいつもの奇妙な笑い声をあげた。まるでチェシャ猫だ。


「何なの?」

 二本足でヒトのように駆ける白兎は、上着だけ燕尾服を羽織り、赤い蝶ネクタイをしていた。丸い尻尾をもこもこ揺らしながら、跳ねるように回り続ける。


 その愛らしい容姿が原因なのか、詩音は警戒心もなく一緒に踊り始めた。

「だめッ!」

 わたしは駆け寄り、詩音を舞台から下ろそうと手を引く。


 するとウサギ人間たちは真っ赤な目をつり上げ、一斉に奇声を上げながら向かってきた。

 彼らの赤く光る目は地獄の紅だ。咄嗟に悟ったわたしは躊躇う詩音を強引に舞台下へ落とした。

 ウサギ人間たちが手にしているニンジンと思ったものは血にまみれたくいだった。長ネギと思ったものは刃先鋭い鎖鎌くさりがまだった。


「魔魅鵺ッ」


 怯える穂乃果に抱き付かれていた銀髪碧眼のは、するすると蛇のように躰を伸ばして万年筆のカタチになる。剣のように輝くペン先から漆黒のインクが漏れた。


 ──其の土に仏有す、阿弥陀と号す、いま現に在して説法したまう

「聞仏所説、歓喜信受、作礼而去、カタチを捨て因果を捨て本来の魂のありかに戻れ!」

 闇深い天井から豪雨のごとく降り注ぐ原稿用紙の束へ、悠久の彼方より伝来する言葉を書き連ねていく。


 ドドドドッ……


 紙束の重さに床が悲鳴をあげる。


 穂乃果だけでなく舞台上で戸惑っている詩音も、通路で興味深げに様子を窺っていた玲奈も、皆が一斉に恐怖で引き攣る。ウサギ人間たちが大きな口を開きギロチンのような前歯で威嚇してきたのだ。 


 原稿用紙の束が竜巻のように突風を巻き上げウサギ人間を蹴散らす。

 わたしの周囲には既に結界が張られていたが詩音や玲奈、穂乃果をこのまま晒しておけない。


「みんな、逃げるのよッ!」

 声をあげたとき、闇の中から無数のトランプが飛んできた。


「キャーッ!」

 玲奈の悲鳴。詩音が肩を押さえている。ダメだ、このままじゃダメだ。みんなを守り切れない。


「魔魅鵺ッ!」


 原稿用紙の束が皆の前に立ち塞がり壁となる。けれど、どこからか飛んでくるトランプは壁に突撃するたびに爆発して炎を上げはじめた。


「火事ッ!」


 炎が場内を走る。その速度は異常と思えるほど速く、床から天井まで一気に燃え広がっていた。

 わたしの焦りが結界を緩めてしまった。ウサギ人間の一匹が脇に飛び込んできた。杭を振り上げる。


「お姉ちゃん!」


 魔魅鵺がインクを吹き上げウサギ人間を弾き飛ばした。けれど、次々にウサギ人間達はわたしの周囲に集まりはじめる。


 呪禁じゅごんを唱える隙を与えないつもりだ。まるで兵隊のような集団行動を取るなんて想像すらしていなかった。


 劇場内の炎は退路を完全に塞いでしまった。皆は逃げ惑いながら煙に巻かれて、ついに床の上に倒れた。

 助けに行こうにも、わたしの周囲はウサギ人間が取り囲み、結界の薄い部分を突いて杭や鎖鎌で攻撃を仕掛けてくる。頭を抱える。もはや思考することすら出来ないほどに、自分が追い込まていることを知る。


「だめ、助けて。だれか、みんなを助けてぇ」




「なーんだ、こんなものなんだ。がっかり」

 どこかで声が聞こえた。同い年くらいの女の子の声だ。


「誰?」


 次の瞬間、炎が消えた。煙もない。ウサギ人間たちの姿も見えなくなった。狐につままれた、わたしは呆然となる。

 そこは最初に見たとおりの、天井から月明かりが差し込む、たんなる廃墟。静かすぎるほど落ち着いた薄明かりの空間。


「みんなは!」

 三人は座席脇の通路で折り重なるように倒れ込んでいる。


「心配ないわ、少し眠っているだけ」


「誰?」


「万年筆の付喪神と聞いたから期待したのだけれど、やっぱりとは違うんだ。ぜんぜん、弱いのね」


「誰よッ!」


「モノはしき。世に実態など無い──ブッダの有名な言葉じゃないの。目に見えるものに惑わされて、慌てふためいて、戦意喪失なんて笑っちゃう。あなた本当に陰陽師なの。紛らわしいからどこかへ消えてちょうだい。今夜だけは逃がしてあげるわ、世間知らずのお嬢さま」


「あなたは誰なの!?」

 けれど、それ以降わたしの問いかけには応えなかった。既に興味を無くして何れかへ去ったようだ。


 無知と罵られたことに恥ずかしさと苛立ちが全身を覆い、震えが来る。


「わたしは素人だった。調子に乗って友人を危険な目にあわせた」


 胸に広がる苦みと悔しさ。我が身を抱きしめた。歯ぎしりの後の嗚咽。大粒の涙がとめどなく流れた。


 魔魅鵺は何も言わず飄々とした表情で、ただ横にそっと座ってくれた。


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