肆 『帝女オカルト倶楽部』の旗揚げです──だから、わたしを利用するな!
「グーテンモルゲン、華宮さん」
突然、
生暖かい朝日が窓越しに差し込む、教室までの長い廊下。
急いでいたわたしは足を止めた。「留学生かしら」と見上げたそこに、日本人形まんまの顔が満面の笑みを浮かべていた。
お
矢絣の柄で彩られた着物に女袴。間違いなく帝都女子校の生徒だった。
「ぐ、ぐーてん、もるもる……」
戸惑うわたしの気持ちなんてお構いなく、彼女は矢継ぎ早に言葉をねじ込む。
「華宮さんは、陰陽師だったのですね」
「!」
心臓が跳ね上がった。言葉に詰まる。
どうして、この方はわたしの素性をご存じなのだろう。わたしの聞き違い。単にお芝居の稽古をしているだけ。出し物のセリフを言ってるだけ。兎鞠先生のお知り合い。花梨さまから聞いた──いやそれは無い。色んな想像が脳内を駆け回った。
懐で朝寝坊している万年筆を着物の上から握った。魔魅鵺、どういうことだろう。何か思い当たることがあれば教えて。
「そこに、ありますのね。例の万年筆」
驚嘆した。背中に
「え、えっ、なぜ、どうしてッ!」
つい声が大きくなってしまった。すぐに後悔して周囲を見回す。いけない、これは大変に不味い状況だ。場所を変えなければ。この方を一刻も早く教室から遠ざけねば。
「と、とりあえず、あちらでお話しませんこと?」
「ヤー、喜んで」
慌てていて気づかなかったが、彼女は『
「申し遅れました。
「あ、はい。華宮枝恋です」
「ふふっ、華宮さんって少し近づきがたい印象ありましたのに、意外と可愛らしい御方でしたのね」
な、何を言いたいのだ。相手の真意が見えない。
「なにか御用がありましたのよね」
裏庭を望む渡り廊下まで出たところで、こちらから真意を確かめる。
「華宮さんはシネットをご存じですか」
「ごめんなさい、知りません」
「
「……おかると?」
「この世ならざる怪異の存在を学問で解き明かした方です。オカルトはその際に命名された学術名ですわ」
「……はあ」
「わたくし、この帝女にオカルト
「つまり、そのぉ、何をやらせたいのかしら」
「オカルト倶楽部に入部して頂きたいの。出来れば、立ち上げに際して学校側と交渉して頂ければありがたいです。いま部員の中に
吉川さんは、おもいっきり拝んできた。わたしは地蔵さまではない。
「ごめんなさい。興味がないわ」
「そんなぁ、陰陽師が入部すれば箔もつきます。しかも華族の影響力で学校側は何も口を挟んできません。やりたい放題の良いこと尽くめ」
ずいぶんと無遠慮に、明け透けな物言いをされる。怒るのを通り越して呆れた。
「それは、そちらの都合で……あ、わたしが陰陽師だと何故ご存じなの」
「銀座の文房具店で悪霊を退治なされたと伺いました。万年筆から描かれる呪禁の数々と呪術に舞う付喪神の
まさか見られていたなんて。結界を張っていたはずなのに、どこかに漏れがあったのだろうか。
「わたしが陰陽師だということは黙ってて頂けるかしら」
「それは、どうしてですの?」
「騒ぎになりたくないの。それに家の者に知られると反対されます」
「そうでしたか。陰陽師部員の存在は、新規部員の勧誘に利用できると踏んだのですが……わかりました。華宮さんの嫌がることは致しません。お約束します。小泉さんにも口止めしておきましょう、大丈夫、わたくしたち、お友達ですものね」
吉川さんはにんまり笑って「ダンケ」と手を握ってきた。
さすが帝女の級長だけあって
教室へ戻ると花梨さまが待っておられた──このわたしを!
「枝恋、どちらに行っておられたの。心配しましたわ」
兎鞠センセイの一件以来、花梨さまがわたしのことを特別視してくれる。しかも、いつのまにか名前呼びだ。とても幸せな気分だ。
「お姉ちゃんって、もしかしたら女の子が好きなの?」
良い気分に浸っていたのに、魔魅鵺がわけのわからない茶々をいれてくる。このあいだモダンガールについての新聞記事を読んでいたから、おおかたそこに書かれたことの受け売りだろうけど。
「黙っていなさい。最近、ほんと生意気よ」
反抗期だろうか。
「週末、ご予定がありまして?」
花梨さまから誘われた。
「何をおいてもご一緒します!」
さて楽しい週末の前に、楽しそうにない方々とご一緒しなければならない。
「車の迎えが来ますの。ご一緒にどうかしら、枝恋のお家まで送りますわよ」
そんな素敵な下校時間を、身を千切られる思いで平身低頭に断り──断り!?
「ああ、わたしは何をやっているのかしら」
級長に腕を引っ張られるように『部室』の前に連れてこられた。
「ここって図書準備室と書かれているけれど」
「ええ、専用の部室が出来るまでの仮住まいですわ。うちの部員のひとりが図書委員でして、話をつけてくれましたの……
わたしを見つめながら、
……専用の部室を楽しみにしておりますわ。男爵令嬢さま」
「ちょっと待って。あまり、そういうことに利用しないで頂きたいのですけれど」
「でもぉ、専用でないと色々秘密ごとがバレてしまいますわよ」
「うっ」
何も言い返せない。さすが級長だ。
書籍に埋もれるように椅子に座って読書をする子がいた。
「彼女のおかげで、ここを借りられましたの。部員の
小泉……ああ、そうか。彼女が銀座で魔魅鵺を見たんだ。
小泉さんは本のうえから一瞥を投げるだけで再び読書に戻った。挨拶らしき動作もない。色々と聞きたいことがあったのだけど、とりあえず今はよそう。
「やあ、これは華宮家の御令嬢ではありませんか」
代わりに気さくな挨拶で登場したのは、すらりとした長身の……女性だとおもわれるスラックス姿の方。
帝女の制服ではなく、殿方が着る西洋スーツに身を包んでいる。
しかも真っ白いスーツだ。胸元に紫色の薔薇がさしてある。
短髪で目元もキリリとしており、舞台の男役の印象をうけた。
「
さっ、と芝居がかった調子に握手を求めてきた。
「ご丁寧に。華宮枝恋です」
「先ほどまで
「……!」
級長を睨み付ける。
「とりあえず部員の者には伝えてありますわ。だって、これから長いお付き合いになるのですから」
「部員だけですね、わたしのことを話したのは」
「もちろんですわ。今のところは」
「今のところって!」
「いやですわ、冗談です。我が部が特別の敬意をもって、お迎えする枝恋さまです。倶楽部存続の為にも御令嬢を裏切ることは致しません」
つまり、わたしが逆に裏切ることをしたら「容赦ないぞ」という脅しだ。怖い。このひと、悪霊より怖い。
「部員はこの方々だけですの?」
わたしの問いかけに「いえ、もうひとり」と吉川さんが言いかけたときに、部屋のドアがゆっくり開いた。
「あのぉ、そのぉ、」
小さな手でドアをしっかり握り、大きな瞳でこちらを凝視する、そんな小柄な女の子が現れた。髪にウェーブをつけて額から両サイドの髪に流して両耳を覆った「耳かくし」の髪型。そして後頭部には大きな紅の髪飾り。
近所の子供が迷い込んだわけではなさそうだ。帝女の制服をちょこんと着込んだ姿に、わたしは思わず「かわいい」と口にしてしまった。
目ざとく、聞き漏らさず、吉川級長が足早に彼女へ駆け寄り「我が部の
「あのぉ、そのぉ、わたしやっぱり辞め……」
「穂乃果さん、貴方は御令嬢のお気に入りになりましたの。今後も宜しく頼みますわね」
だから、わたしを利用するな。いや、確かに可愛い子だけど、
「嫌がる人を無理矢理引き留めるのは反対です」と声にする。
「嫌がってはいませんわ。彼女、たんにお化けが怖いだけです」
「だから、それ嫌がってるんじゃ……え、お化けが怖い。なのにオカルト倶楽部へ入部しようと思ったの?」
「あうあう、だってぇ、だってぇ、」
「おねしょの事は黙っててあげます」
いや、バラしてるし。って、なぜそんなことまで知ってる。
「彼女はわたしの幼なじみなんですの。尋常小学校からの知り合いです」
「あう、あう、」
穂乃果さん、なんか色々と大変な人生ね。同情します。
「でも、そこまでして入部させるのは何故なの」
吉川さんは飄々と「彼女の家は、大手菓子問屋ですの」と答えた。
「だから、えっと?」
「世に出回る前の新製品お菓子が、沢山食べられますのよ」
恍惚の表情を浮かべた。
やっぱりこのひと、悪霊より怖い。
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