肆 『帝女オカルト倶楽部』の旗揚げです──だから、わたしを利用するな!

「グーテンモルゲン、華宮さん」


 突然、独逸ドイツ語で話しかけられた。


 生暖かい朝日が窓越しに差し込む、教室までの長い廊下。

 急いでいたわたしは足を止めた。「留学生かしら」と見上げたそこに、日本人形まんまの顔が満面の笑みを浮かべていた。


 おげ髪を、耳元でぐるぐる巻きのお団子にしたラジオ巻きの女の子だ。

 矢絣の柄で彩られた着物に女袴。間違いなく帝都女子校の生徒だった。


「ぐ、ぐーてん、もるもる……」


 戸惑うわたしの気持ちなんてお構いなく、彼女は矢継ぎ早に言葉をねじ込む。


「華宮さんは、陰陽師だったのですね」


「!」


 心臓が跳ね上がった。言葉に詰まる。

 どうして、この方はわたしの素性をご存じなのだろう。わたしの聞き違い。単にお芝居の稽古をしているだけ。出し物のセリフを言ってるだけ。兎鞠先生のお知り合い。花梨さまから聞いた──いやそれは無い。色んな想像が脳内を駆け回った。


 懐で朝寝坊している万年筆を着物の上から握った。魔魅鵺、どういうことだろう。何か思い当たることがあれば教えて。


「そこに、ありますのね。例の万年筆」


 驚嘆した。背中に氷柱つららが差し込まれたみたいに直立不動になった。


「え、えっ、なぜ、どうしてッ!」

 つい声が大きくなってしまった。すぐに後悔して周囲を見回す。いけない、これは大変に不味い状況だ。場所を変えなければ。この方を一刻も早く教室から遠ざけねば。


「と、とりあえず、あちらでお話しませんこと?」


「ヤー、喜んで」


 慌てていて気づかなかったが、彼女は『級長きゅうちょう』だ。名前は、ええっと……


「申し遅れました。吉川よしかわ玲奈れいなです。いちおう級長もやっております」


「あ、はい。華宮枝恋です」


「ふふっ、華宮さんって少し近づきがたい印象ありましたのに、意外と可愛らしい御方でしたのね」


 な、何を言いたいのだ。相手の真意が見えない。

「なにか御用がありましたのよね」

 裏庭を望む渡り廊下まで出たところで、こちらから真意を確かめる。


「華宮さんはシネットをご存じですか」


「ごめんなさい、知りません」


英吉利イギリスの学者ですわ。アルフレッド・パーシー・シネットはオカルトの研究で有名ですの」


「……おかると?」


「この世ならざる怪異の存在を学問で解き明かした方です。オカルトはその際に命名された学術名ですわ」


「……はあ」


「わたくし、この帝女にオカルト倶楽部クラブを立ち上げたいと考えておりますの」


「つまり、そのぉ、何をのかしら」


「オカルト倶楽部に入部して頂きたいの。出来れば、立ち上げに際して学校側と交渉して頂ければありがたいです。いま部員の中に華族階級きぞくの方がおりませんもので、学校を説得するためにお願いします」


 吉川さんは、おもいっきり拝んできた。わたしは地蔵さまではない。


「ごめんなさい。興味がないわ」


「そんなぁ、陰陽師が入部すれば箔もつきます。しかも華族の影響力で学校側は何も口を挟んできません。やりたい放題の良いこと尽くめ」


 ずいぶんと無遠慮に、明け透けな物言いをされる。怒るのを通り越して呆れた。

「それは、そちらの都合で……あ、わたしが陰陽師だと何故ご存じなの」


「銀座の文房具店で悪霊を退治なされたと伺いました。万年筆から描かれる呪禁の数々と呪術に舞う付喪神の饗宴きょうえん。たいへん美しかったと、部員の小泉さんからの報告です」


 まさか見られていたなんて。結界を張っていたはずなのに、どこかに漏れがあったのだろうか。


「わたしが陰陽師だということは黙ってて頂けるかしら」


「それは、どうしてですの?」


「騒ぎになりたくないの。それに家の者に知られると反対されます」

「そうでしたか。陰陽師部員の存在は、新規部員の勧誘に利用できると踏んだのですが……わかりました。華宮さんの嫌がることは致しません。お約束します。小泉さんにも口止めしておきましょう、大丈夫、わたくしたち、お友達ですものね」

 吉川さんはにんまり笑って「ダンケ」と手を握ってきた。


 さすが帝女の級長だけあって人心掌握じんしんしょうあくに長けている。もはや逃げられないと悟ったわたしは「秘密」を条件にオカルト倶楽部の協力を約束した。




 教室へ戻ると花梨さまが待っておられた──このわたしを!

「枝恋、どちらに行っておられたの。心配しましたわ」

 兎鞠センセイの一件以来、花梨さまがわたしのことを特別視してくれる。しかも、いつのまにか名前呼びだ。とても幸せな気分だ。


「お姉ちゃんって、もしかしたら女の子が好きなの?」


 良い気分に浸っていたのに、魔魅鵺がわけのわからない茶々をいれてくる。このあいだモダンガールについての新聞記事を読んでいたから、おおかたそこに書かれたことの受け売りだろうけど。


「黙っていなさい。最近、ほんと生意気よ」

 反抗期だろうか。


「週末、ご予定がありまして?」

 花梨さまから誘われた。


「何をおいてもご一緒します!」




 さて楽しい週末の前に、楽しそうにない方々とご一緒しなければならない。


「車の迎えが来ますの。ご一緒にどうかしら、枝恋のお家まで送りますわよ」

 そんな素敵な下校時間を、身を千切られる思いで平身低頭に断り──断り!?

「ああ、わたしは何をやっているのかしら」

 級長に腕を引っ張られるように『部室』の前に連れてこられた。


「ここって図書準備室と書かれているけれど」


「ええ、専用の部室が出来るまでの仮住まいですわ。うちの部員のひとりが図書委員でして、話をつけてくれましたの……

 わたしを見つめながら、

 ……専用の部室を楽しみにしておりますわ。男爵令嬢さま」


「ちょっと待って。あまり、そういうことに利用しないで頂きたいのですけれど」


「でもぉ、専用でないと色々秘密ごとがバレてしまいますわよ」


「うっ」

 何も言い返せない。さすが級長だ。


 書籍に埋もれるように椅子に座って読書をする子がいた。

「彼女のおかげで、ここを借りられましたの。部員の小泉こいずみあかねさんです」

 小泉……ああ、そうか。彼女が銀座で魔魅鵺を見たんだ。


 小泉さんは本のうえから一瞥を投げるだけで再び読書に戻った。挨拶らしき動作もない。色々と聞きたいことがあったのだけど、とりあえず今はよそう。


「やあ、これは華宮家の御令嬢ではありませんか」

 代わりに気さくな挨拶で登場したのは、すらりとした長身の……女性だとおもわれるスラックス姿の方。

 帝女の制服ではなく、殿方が着る西洋スーツに身を包んでいる。

 しかも真っ白いスーツだ。胸元に紫色の薔薇がさしてある。

 短髪で目元もキリリとしており、舞台の男役の印象をうけた。


朝倉あさくら詩音しおんです。芸能科なので、普通科の枝恋お嬢さまとは初御目見得です」

 さっ、と芝居がかった調子に握手を求めてきた。


「ご丁寧に。華宮枝恋です」

 はかまの生地を少し摘まんで、目線はそのままに膝を軽く屈伸させる。西洋風の挨拶のあと、手を握り返した。細くて柔らかい手は確かに女性のものだった。


「先ほどまで稽古けいこがありまして、このような格好で失礼。いやあ、それにしても、これほどに華奢で可憐な方がです」


「……!」

 級長を睨み付ける。


「とりあえず部員の者には伝えてありますわ。だって、これから長いお付き合いになるのですから」


「部員だけですね、わたしのことを話したのは」


「もちろんですわ。


「今のところって!」


「いやですわ、冗談です。我が部が特別の敬意をもって、お迎えする枝恋さまです。倶楽部存続の為にも御令嬢を裏切ることは致しません」


 つまり、わたしが逆に裏切ることをしたら「容赦ないぞ」という脅しだ。怖い。このひと、悪霊より怖い。


「部員はこの方々だけですの?」


 わたしの問いかけに「いえ、もうひとり」と吉川さんが言いかけたときに、部屋のドアがゆっくり開いた。


「あのぉ、そのぉ、」

 小さな手でドアをしっかり握り、大きな瞳でこちらを凝視する、そんな小柄な女の子が現れた。髪にウェーブをつけて額から両サイドの髪に流して両耳を覆った「耳かくし」の髪型。そして後頭部には大きな紅の髪飾り。


 近所の子供が迷い込んだわけではなさそうだ。帝女の制服をちょこんと着込んだ姿に、わたしは思わず「かわいい」と口にしてしまった。


 目ざとく、聞き漏らさず、吉川級長が足早に彼女へ駆け寄り「我が部の菊間きくま穂乃果ほのかさんです」と紹介した。


「あのぉ、そのぉ、わたしやっぱり辞め……」


「穂乃果さん、貴方はになりましたの。今後も宜しく頼みますわね」


 だから、わたしを利用するな。いや、確かに可愛い子だけど、

「嫌がる人を無理矢理引き留めるのは反対です」と声にする。


「嫌がってはいませんわ。彼女、たんにお化けが怖いだけです」


「だから、それ嫌がってるんじゃ……え、お化けが怖い。なのにオカルト倶楽部へ入部しようと思ったの?」


「あうあう、だってぇ、だってぇ、」


「おねしょの事は黙っててあげます」


 いや、バラしてるし。って、なぜそんなことまで知ってる。


「彼女はわたしの幼なじみなんですの。尋常小学校からの知り合いです」


「あう、あう、」


 穂乃果さん、なんか色々と大変な人生ね。同情します。

「でも、そこまでして入部させるのは何故なの」


 吉川さんは飄々と「彼女の家は、大手菓子問屋ですの」と答えた。


「だから、えっと?」


「世に出回る前の新製品お菓子が、沢山食べられますのよ」

 恍惚の表情を浮かべた。


 やっぱりこのひと、悪霊より怖い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る