第4話

「千恵子、こいつは俺の部下で石田ちゃんだ。」

「お噂はかねがね、部長からお聞きしています。」


 ペコリと頭を下げたその女を、千恵子は今日初めて見たとばかりの反応で迎えた。予定通りに家に上げ、応接間に通したが、動揺を悟られなかっただろうか。腹を括ったつもりだったが、二人を目の前にした途端に虚勢は脆くも崩れた。


「今日は本当にご迷惑じゃなかったですか? お手伝いできることがあれば、私、お手伝いしますから。」

「いいのよ、お客様なんだからそのまま座っていて。」


 愛人を家に呼ぶだなんて、夫にそんな度胸が……いや、そんな残酷なマネが出来る人間だったろうか。考えれば考えるだけ困惑が増し、あの日の二人を懸命に脳裏へ描き、確かめようとした。本当に、ただの部下だったのか。


 ソファに腰掛けた二人にお茶を出した途端、夫は浮かれた調子で話を切り出した。


「同窓会は来週だろ? それに間に合わせようと思ってな。ちょっと早いけど、誕生日のプレゼントだ。受け取ってくれ。」


 テーブルに置いた湯飲みの隣りに添えるように、夫は小さな包みを押し出した。大きなその手に隠れてしまうほどの、ピンクのリボンでラッピングされた小箱だ。すかさず隣の女が言葉も添えた。


「奥様のセンスに合うかどうか……。私なんかが選ぶより直接聞いた方がいいですよって、部長には何度も言ったんですよ、私。」


 言い訳が混じったその言葉にどう応えたものか、千恵子は曖昧に笑って誤魔化した。一通りのテンプレートを探ったがどれも正解とは思えなかった。千恵子の反応が芳しくないと悟ったものか、女は急に饒舌になる。


「一年も前からこの日のこと計画されてたみたいで、私、ずっと相談を受けてたんです。おかげで彼氏には疑われるし、奥様も疑ってらしたんじゃないです? 私、それも部長に言ったんですよ、あんまり頻繁に連絡なんかしてたら疑われますよって。」


 チクリと胸に刺さる言葉が混じっていた。気取られぬよう、千恵子は笑顔の曖昧さを濃厚にする。女同士の駆け引きに、暢気な男が割り込んで暢気に言った。


「あのなぁ、石田ちゃん。うちの奥さんは、よくデキたカミサンなんだから、そんな下らない嫉妬なんかで人を疑ったりしないんだよ。藪をつついて蛇を出すってことだってあるんだから、てさ。」


 千恵子の好きな諺を場違いに混ぜ込んで、夫は「よっこらしょ、」と大袈裟なアクションを二人に見せた。それから千恵子の手を捕まえて、小箱をその手の中に握りこませた。夫は急に改まった口調で妻の名を呼んだ。「千恵子、」


「……もうバレてるとは思うんだけど、お前に贈った婚約指輪な、あれ、今はイミテーションなんだ。よく似たヤツだからバレないと思って取り替えたんだけど、本当はとっくにバレてるんだろ? これは本物だから。」


 千恵子はただ成り行きを黙って見守るしかない。突然の展開についていけない。


「今まで黙っててくれたことも、正直、どう思ってのことなのかも解らないんだが、それでも、お前には感謝してる、本当に。今までありがとうな。」


 戸惑いがピークに達した。釣られて白状してしまいそうになった。けれど。

 夫の隣りで、夫の部下がいやに冷ややかな笑みを浮かべている。

 すうっと、感情の昂ぶりは冷めた。





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令和元年藪の中 柿木まめ太 @greatmanta

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