第16話 軽井沢での生活2
軽井沢に来てから引っ越しが終わってしまうと、僕はもうやることがなかった。久々にスケッチでもやろうかと思って、道具を持ってサイクリングに出かけた。さすがにスケッチをしている人は少なかったが写真を撮っている人はたくさんいた。人通りの多い通りを避けて静かな路地裏などにはスケッチをしている人も時々いた。油絵具を使って描いている人もいたが、水彩絵の具を使って描いてる人の方が多かった。手軽なのは水彩画の方なので僕は水彩画でスケッチをすることにした。
水に映る空と木々の美しさ、その無限の深みはどこまでも澄んでいく。現実よりも水に映った空の美しさは限りなく、この世ならぬあの世との境までも無限に深く堕ちてゆく。そんな水鏡を相手に遊んでいてもつまらないので、そろそろお昼を食べる店を探そうかと思った。
元文豪の別荘とか、歴史的価値が高い建物とかあまり凝った店ではなく普通に食べれる店を探そうと思った。迷った挙句蕎麦にすることにした。
軽井沢には凝りに凝っていて何がどうなってるか全くわからないような食べ物もいろいろあったが、蕎麦屋も多かった。
夏はどうしても信州とか涼しい所へ行きたくなってしまう。愛知県に住んでた僕はスグ隣にあって避暑地気分を味わえる長野県に行くことが多かった。学生の頃お金もなかったし、よく蕎麦屋に入って食べていた。流行りの店に入っておしゃれな食べ物を食べるのも良かったけど一緒に長野県まで行くような彼女もいなかったし、一人で入るには蕎麦屋が一番だった。
店に入って雑誌を眺めていたらローランサンの美術展をやるらしい事が書いてあった。またやるのかと思いながら見ていたら10年前付き合っていたなおみのこと思い出した。確か蓼科の近くでローランサンの小さな美術館があったの直美が見つけて一緒に入ったのだった。若い女の子はみんなローランサンが好きなんだなと思った。少なくとも僕の周りには嫌いだという女の子はいなかった。ローランサンとサガンは女の子に人気が高かった。それにしても軽井沢は本当に自然が美しかった。特に木々の緑と水は特別だった。小さな沢を見つけて森を歩くと名前もないような池があって、その水鏡に写った緑の美しさはいつまで見ていても飽きなかった。目に見えるものだけではない何かが見えてきそうな気がして…。その美しい緑と水が生み出してくれる空気もこの上なく美しく綺麗な気がして知らず知らずのうちに深呼吸をしてしまう。ここに住むようになってから本当によく空気を吸い込んでいるなぁという気がした。ここに来るまで僕はちゃんと空気を吸っていなかったような気さえしてくる。呼吸の意味が変わってしまったのかもしれない。それまではただの生命の反射として意味もなくしていた呼吸が何と言うか自然から何かを分けてもらうようなそんな感じになって来ている。それはこの場所の木々と水に対するは感謝なのかもしれない。夏の軽井沢はそんなところだ。
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