第12話 母は誰より優しかった

母は誰より優しかった。1年前、年末に母は亡くなったけれど、未だに母が生きていないなんて思えない。家の前が長谷川家の墓地で、父と母が一緒の墓に入っている。僕は毎日花の水を取り替えに行く。毎日花を買うだけどお金はないので、義理の弟が新しい花を入れといてくれる。花の水だけは毎日欠かさず替えるようにしている。毎日目の前にある墓に行き、線香立に線香を入れ水を替えながらその時々で思ったことなどを母にお願いしている。10年前ほどに駄目になってしまった副腎をなんとか良くしてくれないかとか、文子さんや夢子さんのことも墓石の前で母に願った。考えてみたら母が知っているのは、直美だけで後の二人には一度も会ったことがない。父と一緒に墓の中に入っている母に願ったところで一度も会ったことがない二人のことがわかるんだろうかと思うこともあるが、何かお願いするならやっぱり母だなと思って毎日お願いをしている。母は一度も苦しそうな様子を見せなかった。病院で最後の時を迎えたのだから苦しかったに決まっているんだが、どう考えても母は死ぬなんて思えなかった。僕にとって去年の年末の14日の母の死は思わぬアクシデントだった。どうして母が死んだんだという感じの。母がなることは僕にとって全く予定外のことだった。いつも元気で楽しかった母がもういないなんていつまでたっても信じられない。葬儀も終わって新しくなった墓地に母も父と一緒に入れてもらって何もかも終わったんだけれども、僕にとっては何一つ終わってはいない気がする。一体どんなきっかけで何が起これば僕は母が死んでしまったことを受け入れることができるんだろう。未だに僕の中では母の死はひとつのジョーク、悪い冗談でしかなかった。それはいつか消えること、本当は死んでなかったよみたいなことになることだった。母が入ってる墓地から僕が住んでる家までは10 M あるかないかだ。その10メートルを毎朝歩いて母の墓の前に行く。毎日毎日雨が降っても照りつける日でも風の強い日でも毎日行く母の墓の前に。ねずみ色の墓地の石は1年ぐらいじゃ何も変わらない。毎日見ていてもずっと同じままだ。墓地には水と花が似合うなと最近思ったりする。雨が降っても晴れて暑い日でも墓地の石はねずみ色のまま何も変わらない。僕は毎朝線香をあげ花の水を変えるだけで後は何もしていない。葬儀のことも法事のことも妹夫妻が全てやってくれた。僕はただ法事に行っておときの食事をいただいたり、お坊さんに言われるがまま一礼したり渡されたお経を読んだりして、そうして空っぽのままだ。母の墓の前でからっぽのようにからっぽのままだ。何も変わりゃしない。母は去年死んでそのままだ。お葬式や法事でいろんな人が来てくれたけど何も変わらない。お坊さんがお経を読んで色々言ってくれるけど同じことだ。いろんな事柄が時節通り一つ一つ過ぎてゆく、母は年末になくなってちょうど一年過ぎたことも僕が相変わらず母と一緒に過ごしていた家に今でも住んでいることも何も変わらない。妹の夫の茂利さんが家の庭を手入れしてくれて、とてもすっきりした。母が見たらとても喜んだだろうけど母はいないのでその喜びもない。母がいないと喜びも楽しみも何もない。母がいないと何も変わらない。僕は今年でもう65歳になったけど、ただそれだけのことだ。全ての事が同じようにただそれだけのことだ。楽しくも悲しくもなく何も変わらない。幸せでも不幸でもない、何もないのと同じだ。僕は線香立ての横にある母の写真を見ながら母のことを色々思い出そうとするんだけれどあまりうまく思い出せない。母は死ぬ前こんな顔をしていたんだなぁーと思うんだけれど、その写真の顔と母の死が結びつかない。

人の死って一体何だろう?よく言われるようにそれは不在なんだろうか。母の死は不在。すべてのものの不在。そう繰り返してみたところでからっぽのままだ。結局何も起こりはしないしありはしない。

僕は母の死を一度も悲しいと思ったことがない。それはこれからもずっとそうだろう。悲しみなんて言う感情なんかでどうにかなるものじゃない。そんなものでは何も変わらない。それは確かな一つの事実でしかない。母は去年死んだ。それでという感じだ。僕は今だにそんな感じだ。僕はまたいつかきっと母の墓の前でこんな長長しい話話をするだろう。そしてそれはそのままだ、変わらない。

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