第8話 娘時代

女学校時代のお袋のことなんて全く知らなかった。ひろこおばさんはちえこさんってとても人気があったのよと教えてくれた。お袋は息子である俺の目から見てそれほど美人というわけではない、ブスでもないけど容姿的には普通と言っていい。お袋は昔の人に多かったように7人兄弟の長女だった。美女のよしえおばさんは二つ隣の町にまで名前が行き渡るほど美人で有名だった。今見てもちょっと他の人とは違うなという感じはわかる。女優顔とでも言うんだろうか多くいる兄弟の中には一人ぐらいそういう人もいるもんだ。じゃあお袋は一体なぜそんなに人気があったのか、色々考えてみるに、お袋はいつも明るくて楽しい人だったということなんだろうなと思った。どこで身につけたのかお袋は人を笑わせる術を覚えている。

名古屋で修行を積んだおじいちゃんが、瀬戸に暮らして和菓子屋として作った御桝屋の長女として生まれたお袋は初めての女の子ということで、両親からとても可愛いがられて育ったようだ。娘時代のお袋は体が弱くて、おじいさん達は娘の体を丈夫にするために、まだ動いている鯉の心臓とかすっぽんの血とかととにかく体に良さそうなものは何でも食べさせられたそうだ。どれだけ大切にされていたのかそれは娘時代の服とか桐箪笥いっぱいに詰まった着物の量を見てもわかる。お袋が着ていた洋服はどれもオーダーメイドで作られたものばかりだった。生地にも相当こだわってたようで洋服を作るにしても着物を作るにしても専門の人を家まで呼んで誂えたらしい。おじいちゃんが作った和菓子店御桝家は和菓子作りの腕だけじゃなく経営者としても頑張っていた。おじいちゃんの代には相当成功していたようで、家には何人も女中さんや職人の見習いのような人たちがいて、御桝家は相当勢いがあった。お袋が使ってたと思われる茶道具の類も嫁に行く時に色々持たされていた。子供の頃家の近くの人たちは、おじいちゃんのことを饅頭まっさーと呼んでいて御桝屋のおじいちゃんを知らない人はいなかった。学校の先生達も知っていて俺も妹も御桝屋やさんのお孫さんとして扱われていた。

学校の友達にもよくおまんじゅうを持ってきてくれとせがまれた。ひとつやふたつなら良かったが5つ以上ともなると少々気が引けた。僕は子供のころ御桝屋の作業場でよく遊んだ。焼き菓子用のかまが三つ並んでいていつも赤い火がかまどの上から見えていた、飼い猫がよくそこに寝転がって欠伸をしていた。作業場ではおじいちゃんのお弟子さんの若い男の子たちがよく遊んでくれた。女中として入っていた若い女の子も仕事が手すきの時には遊んだり、お菓子を持ってきて僕と妹の相手をしてくれた。子供であった僕も御桝屋が好きだった。行けば誰かが遊びの相手をしてくれたし、お菓子やお小遣いをくれた。作業場の中で遊ぶことに飽きた時は裏庭に友達と回って遊んでいた。裏庭はとても日当たりが良くて甘い大きな柿の木もあって何人かで遊ぶにはちょうどいい場所だった。母屋と裏の家の間には倉庫のような建物があって裏庭は完全に母屋からは隔てられていた。裏庭は黒塗りの木の板で囲まれていて周りとは隔てられていた、裏庭で起こる全てのことはまるで違う世界の中で起こったことのようだった。全てが見知らぬ国の見知らぬ時間の中で起こったことのようだった。裏庭はいつも暖かく、日の匂いがして僕のお気に入りの場所だった。

僕は猫たちと一緒によく裏庭で温まっていた。裏庭の地面にはいくつか穴が掘られていて木の大きな蓋がしてあった。その中には釜を炊くときに使う燃料である木炭のようなものがたくさん入れてあった。かまどの燃料として使う泥炭だった。泥炭は脆くてすぐに崩れるので僕は泥炭を使ってよく遊んでいた。泥炭に飽きると、中庭にある池の魚を相手に遊んだり、八ツ手やシュロの木に縄を巻いたりして友達と忍者ごっこをしたこともあった。御桝屋は僕にとって大事な遊び場だった。

その御桝屋も裏庭も今はない。

みます屋は、御桝屋の嫁であるおばさんが体を悪くして息子の家に入ることになった時、横にあった畑と一緒に売られてしまった。今は冠婚葬祭のチェーン店のイズモ葬祭になっている。

僕が生まれた水野地区には今まであまり大きな変化はなかった。しかし気が付いてみると隣にあったおばさんの家も御桝屋さんも無くなってしまった。



瀬戸といえば瀬戸物ということで名鉄瀬戸線は電出来上がった陶器を積んで名古屋の中心地まで運んでいく役割を持っていた。尾張瀬戸から名古屋の栄まで繋がれている。瀬戸線は金山あたりから名古屋城のお堀の底を通って栄まで繋がれていた。


お袋が通っていた女学校があったのは古い写真から判断すると恐らく名鉄瀬戸線の今の新瀬戸駅辺りではないかと思われる。お袋が通っていた女学校時代には学徒動員で駆り出されることが多くて勉強どころではなかったらしい。その学徒動員で作業をさせられていた工場が学校からはすぐ近くにあったらしいということも聞いた。今の新瀬戸駅のあたりならお袋の話と丁度合っている。それにこれは僕の記憶だが僕は子供の頃新瀬戸駅の近くにあった叔父の家に預けられていた記憶がある。どうして預けられたのか細かいことは覚えていないが長男だった叔父が新瀬戸駅近くに家を借りていたということは何となく覚えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る