第4話「手帳は身バレ、身バレは死」

 それからの一日は、気が気じゃなかった。

 僕は今、半身を失ったに等しい。それくらい、ネタ帳の存在は大きかった。半身、つまり五割を失ったのだから、四捨五入ししゃごにゅうした瞬間に僕は全てをなくしたことになる。

 そんな言葉遊びで気をまぎらわしてしまうくらい、テンパっていた。

 けど、幸運にも僕のネタ帳を拾ってくれた人がいるらしい。

 なんて親切な……とも思うが、それは新たな危機を招きつつあった。


「しかし、なんだ? 何故なぜ、体育館裏に呼び出しを……ベタ過ぎる」


 愛の告白か、はたまた不良同士の決闘か。

 だが、あまり人目につかない場所を指定してくれたのはありがたい。ネタ帳は作家の命であると同時に、趣味と性癖を閉じ込めた黒歴史だ。特級呪物とっきゅうじゅぶつレベルのオーパーツである。他人に見られようものなら死ねるし、同業者に見られたらそいつを殺すしかない。

 そんな大事な物、どうしてなくしちゃうかなあ、僕は。


「ヤンキーな先輩たちだったらどうしよう。あと、怖い先生とか」


 我が学び舎、都牟刈学園つむがりがくえんはフリーダムな校風が人気の進学校だ。生徒の自主性と多様性社会への適応をコンセプトにしており、教師は授業くらいしかしてくれない。

 そう、うちのクラスの担任がそうだったようにな。

 そんな訳で、古式ゆかしい番長もいるし、学園のマドンナもいるし、怪しい部活動がゴマンとある。学園モノの舞台にはうってつけに過ぎる学校なのだった。


 さて、そもそもの話……何故、僕がこうして体育館裏に呼び出されたか。

 話せば長い、わけでもないが、それは昼休みへと時をさかのぼることになる。






 当然だが、午前中の授業は気が気じゃなかった。

 むしろ奇々怪々ききかいかい、ネタ帳のことばかり考えていたら昼休みになっていた。記憶はあまりない。せっかく、ドゆいキャラの美少女転校生が隣に座ってるのに、なにもときめいたイベントはなかった。

 そして、いつものように昼食の時間がやってくる。


「ねねっ、隆良たから。唐揚げ、美味しい? 美味しいよね、美味しいでしょ! うんうん」


 いつものように、僕の席に壱夜いよがやってきて弁当を広げている。

 僕のは彼女のお手性の通常サイズだが、壱夜本人は三段重さんだんじゅうみたいなデカい弁当箱だ。それだけ食ってもまあ、乳と尻にしか栄養がいかないのがこのなんだけどな。

 唐揚げを、食べる。

 ジューシー!

 でも、それだけだ。

 味わってる余裕もないし、心ここにあらずって感じだろう。


「いいなあ、愛妻弁当。壱夜さー、もうさっさと結婚しちゃいなって」

「なっ、ななな、なに言ってるのよ摩耶まやくん! アタシ別に、そういう意味じゃ……お母さんが、持ってけってうるさいから、その」

「はいはい、ごちそーさまー。末永すえながぜてくれよな、バカップル」

「……そういう摩耶くんは、いつもパンじゃない? 栄養、かたよらない? 足りる? あとでお腹減りそう」


 隣に座って、摩耶もカツサンドを頬張っていた。

 因みに、そこは花未はなみの席だが姿が見えない。

 気がついたら、彼女はいなくなっていた。そして、彼女としか形容しがたい摩耶が座っている。

 やっぱり僕は、少しわからない……いわゆる男の娘オトコノコが、わからない。


「摩耶、座る時は足を組むな。っていうか、股を閉じてくれ」

「んあ? ああ、大丈夫だって。今日のは見られてもいいやつだから」

「そういう意味で言ってるんじゃない。こぉ、難しいことは言わんが、その」

「えっ、ちょっと隆良、そういう目で俺のこと見てるの? きゃー、さいてー」


 去年までの姿の親友なら、軽く一発ドツいてやるんだが。

 でも、見た目はきゃるるんとかわいいので、躊躇ためらわれる。

 髪も少し伸ばしてるのかな? こう、ショートボブっぽくて、シャギィ? ザクザクザックリなヘアスタイルがとても似合っていた。

 言動が以前のままなのも、ギャップ萌えっぽくていいんじゃないかな。


「そいや、さ。壱夜は陸上部だっけ? 新入部員の勧誘とか、やってんの?」


 あぐあぐとパンを食べつつ、摩耶がのんびり喋る。

 食べるか話すか、どっちかにしなさいって。

 でも、この二人といると不思議なことに、少しの間だけネタ帳のことを忘れられた。多分、この光景は今後、走馬灯のように思い出されるだろう。

 ネタ帳の行方次第では、今日が僕の命日になる。

 大げさな話じゃない、学園では僕がラノベ作家なのは一部の人以外には秘密なのだ。


「アタシ? んー、そろそろ先輩たちと相談かな。三年生は今年が最後だから、トレーニングに集中してほしいし……来週、全校集会で各部のデモンストレーションあるし」

「いやあ、残念だなあ。こういう俺じゃなきゃ、入部してあげるんだけどなあ。うんうん、残念、残念」

「アンタ、そこそこ身体能力高いもんね。これを機にスポーツでもやったら?」

「や、運動部は少しセンシティブみが……俺自身、まだよく自分のことがわからないしさ」


 なるほど、と相づちを打ちつつ壱夜はパクパク飯を食べていく。

 まるまる一合いちごうはありそうな白飯しろめしを中心に、おかず、米、おかず、米、おかず、米、米だ。彼女の自慢の唐揚げも、どんどん減ってゆく。他には、ポテトサラダとか、ほうれん草の胡麻和ごまあえとか、僕の弁当箱と同じラインナップだ。

 よく考えてみたら、壱夜のような幼馴染おさななじみがいる時点でおかしい。

 だけど、それを当たり前に思って暮らしてたから、色々僕は麻痺してるのかもしれない。


「事実は小説より奇なり、かあ……」

「ん、どしたの隆良。アンタ、元気ないじゃない?」

「いやあ、胸にぽっかり穴が空いたようだ。やばい、超やばい」

「えっ、どどどど、どうしたのよ! アッ、アタシに相談しなさいよ、そういうこと!」


 壱夜は、いい奴だ。

 正直にネタ帳のことを話せば、きっと探すのを手伝ってくれる。

 そして、

 壱夜は嘘がつけない性質たちだし、お人好しの見本市みたいな女の子なのだから。

 さて、どうしたものかと思っていたその時、不意に背後で声がした。


一ノ瀬隆良いちのせたから、少しいいか?」


 振り向くと、花未が立っていた。

 両手に、大量のパンを抱えている。それ、食い切れるのかってくらい、山盛りだ。

 席を拝借はいしゃくしてた摩耶が立つと、自分の椅子に座って花未はパンの山を机に置く。

 そして、真っ直ぐ向き直って僕の目を見詰みつめてきた。


「先程、通りがかりの女からこれを預かった。お前あてとのことだ」

「へ? 手紙?」

「紙媒体とは古風だな。しかし、データ漏洩ろうえいの恐れが一番少ないのはペーパーによる伝達だ。合理的に考えてもうなずける話だな」

「いやだから、なにに頷いてるんだよ、なにに」


 僕はなんだかよくわからないまま、手紙を受け取る。

 コピー用紙の切れ端で、二つ折りになっていた。

 そこには、衝撃の事実が書き綴ってあった。

 思わず立ち上がった僕だが、声をあげたのは隣の花未だ。彼女は何故なぜか、アンパンを一口食べるなり、固まっている。そして、プルプル震えながら泣き出した。

 そう、突然白いほおを涙が伝った。


「こ、これは……これが、この時代のカロリー補給なのか? なんてことだ……美味びみとしか言えない」


 ちょっと教室がざわついて、それで僕は冷静さを取り戻す。

 そう、謎の手紙にはこう書いてあった。

 大事なものをお預かりしてます、放課後に体育館裏でお会いしましょう、と。

 泣くほど菓子パンに感動する花未をよそに、僕は人知れずクライマックスを迎えつつあった。






 という訳で、放課後にいたる。

 さてさて、鬼が出るかじゃが出るか……そう思って身構えていたが、意外な人物が現れた。


「君が一ノ瀬隆良君だな? もしかしたら、この手帳……君のものではないだろうか」


 振り返ると、そこには剣士がいた。

 そう、剣道の面を被って篭手こてを付けた、さむらいが立っていたのだ。

 ちょっと予想外の展開だが、更に事態は加速する。くだんの人物は「ああ、失礼した」と言って、手にした手帳を僕に握らせる。そして、面を脱いだ。

 綺麗な声音で気付いていたが、女の子だった。

 しかも、その人は――


「えっ? ええーっ!? ……神凪かんなぎ先輩!?」

「いかにも、三年A組、神凪冥沙かんなぎめいさだ。よろしくな、一ノ瀬君」


 神凪冥沙、それは我が学園の双璧と呼ばれる才媛才女スーパーヒロインだ。俗に言う『学園のマドンナ』というやつで、男子の人気を二分する超絶美少女である。

 彼女は頭の手ぬぐいを脱いで、漆黒しっこくの長髪を解き放つ。

 玉と輝く汗がキラキラしてて、とにかくヒロインオーラが凄かった。


「え、あ、えっと……と、とりあえず、はい。この手帳、僕のです」

「そうか、よかった。それでだね、うん……その」

「中、見ました? 読んじゃったりしてくれちゃいました?」


 ポッと頬を赤らめ、冥沙先輩は小さく頷いた。

 伏せ目がちにうつむき、なんだかうるんだ視線が少し痛かった。そう、激痛である。ショック死確定の痛みが僕の心身に刻み込まれた。それも、誰もが憧れる天才少女剣士、都牟刈小町つむがりこまちの異名を持つ冥沙先輩にである。


「そ、それでだ、あの……一ノ瀬君。いや……

「うあああああああっ! あっ、あっ、ありがとうございましたあああああああ!」


 僕は猛ダッシュで逃げ出した。

 この春、始まったばかりの新学期に……僕の学園生活は終わってしまった。

 終わったも同然だ、よしここで書くのをやめよう。筆を折ろう。

 ご愛読ありがとうございました、ながやん先生の次回作に御期待ください!


 しかし、これは始まりに過ぎなかった……事実の何倍も奇っ怪な、謎が謎呼ぶ壮大な大事件の、ほんの始まりに過ぎなかったのである。

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