第3話「一ノ瀬隆良の憂鬱」

 朝からドッと疲れた。

 朝からもなにも、徹夜したから昨夜からすでに体力のピークは過ぎていた。

 それでも、無事に教室に滑り込むとホッとする。

 ちらりと遠く廊下側の席を見やる。先程一緒に教室に入った壱夜いよは、何事もなかったようにクラスメイトの女子と華やいでいた。朝から元気なことで、僕の視線に気付くとベー! と舌を出して笑う。

 お前は小学何年生だっつーの。

 そうこうしていると、担任の教師がやってきた。


「はーい、みんな席についてー? 派閥とかスクールカーストとか、もう固まってるよね? なら、無駄な私語はもういいっしょー? ほらほら、座った座った」


 なんでうちの担任、朝から世界終了みたいな顔してるの?

 露骨に疲れた顔以外は、割りと美人な女教師だと思うんだけどな。あ、ルビは「じょきょうし」ではなく「おんなきょうし」がいいな。ちょっと、色っぽいじゃんか。

 そんな訳で、担任はジト目を覆う眼鏡めがねを上下させながらドアを振り向く。


「うーし、みんな喜べー? 転校生だ。入っといでー、そんで挨拶ー」


 えっ、ちょっと待って。

 こんなん、編集担当の木崎こざきさんに聞かなくてもわかる。ボツもボツ、特大ボツものの展開じゃないか? だって、転校生って、あの、あの……

 そう、先程衝突して出会った美少女がそこにはいた。

 遅刻間際の僕と壱夜をブッちぎって、爆速で消えた女の子。


「帰国子女の山田花未やまだはなみさんだ、みんな仲良くねー? いじめとか駄目だよー? はい、自己紹介」

「はじめまして、山田花未です」


 後ろに手を組み、肩幅に足を開いて直立不動。そんな花未が凡庸な挨拶を言い放つ。

 そりゃもう、クラス中の男子が息をんだ。

 清楚で可憐に見える美貌が、はかなげな無表情に凍っている。

 白い肌に長く伸ばした銀髪、そして青と緑の双眸そうぼう

 2.5次元の美少女がそこにはいた。

 だが、次の瞬間教室の空気が凍った。


「この中に、特異点とくいてんがいるのなら申し出てください。具体的には、宇宙人、異能力者、魔導師、あとは悪役令嬢とか……とにかく、私は特異点を探しています。以上」


 世界的に有名なラノベのアレではない。

 ましてや、ちょっとアレ宮ナニガヒを気取って真似まねた茶目っ気でもなかった。

 ガチだ、ガチンコのやばい発言が飛び出した。

 流石さすがに担任教師も固まってしまってる。

 僕は勿論もちろん、書いてる作者ですらドン引きだ。

 薄ら寒い沈黙に最初に負けたのは、担任教師だった。


「ア、ハイ。とりあえず、空いてる席……ああ、一ノ瀬いちのせの隣でいいか、あそこに座って」

「はい」

「いいよねー、みんなー? いじめとかトラブルだけは勘弁ねー? 触らぬ神にたたりなし、だからねー? んじゃま、あとは若い者同士でってことで」


 そそくさと担任教師は逃げてった。

 そして、花未は何事もなかったかのように僕の隣に座る。

 クラス中が、きつねにつままれたような顔をしていた。

 特異点はそう、正しくその名を口にした花未自身だった。

 みんな、異様な空気に固まってしまい、なにをどうしていいかわからない。とりあえず一時間目の英語の準備をするのだが、誰もがなにも言えなかった。

 そう、彼女以外の誰もがみんな同じだった。


「花未ちゃんっ、えー、嘘っ! うちのクラスだったんだ! さっきぶりよねっ!」


 壱夜だ。

 彼女はウキウキが隠しきれないといった笑顔で花未に駆け寄る。そして、隣なのをいいことに僕の机にどっかと腰を下ろした。ええい、その太ましい太腿ふとももをどけろ。

 昔から壱夜は、ちょっと空気が読めないことが多い。

 でも、そんな彼女のほがらかさに、徐々に教室の雰囲気がやわらいでいった。


「お前は、千夜壱夜せんやいよ。そしてよく見れば、一ノ瀬隆良いちのせたから

「そうよ、さっき会ったばかりじゃない」

「同じクラスか、ふむ」

「っていうか、さっきの挨拶なに? 特異点って? アタシ驚いちゃったわよ」

「この時系列に発生したことは確認している。特異点は放置すれば、大変なことに――」

「あ、そうそう、教科書ってまだよね? ちょっと隆良、アンタ見せてあげなよー?」


 流石の花未も、面食らったようだ。

 そりゃそうだ、壱夜はどうしようもなく世話焼きで、途方もなく面倒見がいい。誰にでも姉貴面して母親のように構ってくる。そして、唯我独尊のマイペースだ。

 そのくせ、僕には暴力もじさないから困った奴だ。

 でも、困ったことにそんな壱夜を誰もが嫌いになれないのだった。

 まるで毒見が終わったとばかりに、他のクラスメイトたちも集まり出した。


「えっと、千夜さん、私たちもいい?」

「っていうか、なんだ……ふ、普通の奴、だよな?」

「さっきのヤベーの、なに? ハマってるアニメかなにか?」

「ま、個性的で結構じゃない? 多様性、多様性」


 窓際の最後尾にある僕の周囲が、一気に騒がしくなってきた。

 様子見していた者たちが、我先にと詰め寄ってくる。

 その時にはもう、僕の机は壱夜の腰掛けと化していたので、しょうがないから立ち上がる。そう、陰キャだから周囲が騒がしいのが苦手なのだ。

 少し距離を置いて、教室の後ろに並んだロッカーに寄っかかる。

 すると、スススと隣に小さな女子が近付いてきた。


「よっす。遅刻ギリギリじゃん? どうせまた徹夜したんだろ」

「まーな」

「嫁がいるから、それもいいよなあー」

「誰が嫁だ、屏風びょうぶの中の虎か? もし嫁がいるなら二次元から出してくれよ」

「またまたー、このムッツリリア充めっ」


 この男は、纏摩耶まといまや

 一年の頃からの腐れ縁だ。

 もう一度、はっきりと言っておく。

 


「しっかし、申請通ってよかったよな。お前の女子制服、見慣れたわ」

「そっかそっかー、見惚みほれたかあ」

「いや、中身がお前である以上、それはない」

「照れるなよー、マブダチじゃんかー俺たち」

「うるさい、黙れ」


 そう、去年までは摩耶は普通の男子だった。クラスで一番のチビだったけど、それ以外は優等生で女子にも人気があった。

 その摩耶が昨年末あたりから、ちょっと変わった。

 おかしくなったとは思わなかったし、別にいいよな?

 うちの学校、制服は女子用と男子用を選択可能なんだから。学校側に申請すれば、男子だって女子の格好でいられる。それに、妙な話だが似合ってる。


「つーかさ、隆良。さっきの聞いたー? なかなかやるじゃん、彼女」

「おいおい、なに対抗意識燃やしてんだ」

「ククク、この世界に美少女不思議ちゃんは二人もいらぬ……ッ!」

「おめーは男だろうがよ」

「ま、まあな。でも、エグいキャラがきたなって。あと、かわいいじゃん」


 僕にはイマイチ、摩耶のパーソナリティは理解不能である。性格や行動は変わってないのに、女装するようになってからとてもキラキラしてて、凄く自然体に感じる。

 それに、以前とは別の意味で女子に人気がある。

 化粧けしょうやコスメに凄く詳しいし、髪や肌のケアにいたっては職人技だ。

 でも、普通に男子に混じってバスケもするし、少年誌の美少女グラビアにほおを赤らめる。


「お前はさ、摩耶……不思議ちゃんって訳じゃないしさ」

「そうかあ? ……マジで?」

「そうそう、マジで」

「最近だと下着も女物だけど、それでもか? あ、見るか?」

「見ないし、不思議じゃない。自由だよ、自由」


 摩耶と並んで、中休みの一時に目を細める。

 質問攻めにあってる花未は、いちいち生真面目きまじめに答えている。そして、その横で適度に適当に壱夜がフォローを入れていた。

 謎の転校生が、朝から十字路で僕の幼馴染おさななじみとクラッシュ。

 食パンでもくわえてれば百点満点だったんだけどな。

 で、僕自身は転校生としてやってきたその美少女を、女装少年と遠巻きに見守っている。


「なんて話、プロットに起こしても木崎さんには通らないよなあ」

「ん、なになにー? また小説の話? なに、今度の新作?」

「まあな。長期シリーズがこないだ終わったから、新作の準備してんだよ」

「あー、よかったよなあれ。なんだっけ、『戦国ワルキューレ』だっけか」


 ――

 僕のデビュー作で代表作、今のところ一番売れた最高傑作だ。

 戦国時代、とある武家の少年が討ち死にし……戦乙女いくさおとめのワルキューレによって『敗北せし真の勇者エインヘリアル』に選ばれる。他にも、織田信長とか色々召されて、みんなでヴァルハラで巨人族とラグナロクしちゃうというストーリーだ。

 中学二年生で新人賞に入選して、そのまま長期シリーズ化し、先日堂々の完結を迎えた。


「俺さー、隆良。ちょっと気持ちがへにょってる時に読んだから……凄い、よかったぜー」

「そ、そっか。よかったよ、そう言ってもらえると嬉しい」

「最後さ、なんだっけ? おでん? 王様にさ」

「オーディーンな」

「そう、それ。オーディーンにヒロインが、こう……あの台詞セリフ、ぐっときたなあ。ええと」

「待て、それ以上喋るな、やめてくれ。ほら見ろ、先生も来たぞ」


 一つ、事実がある。

 ラノベ作家は、自作の台詞を現実で口に出されると死んでしまうのだ。情感たっぷりに熱演されると、苦しみもだえて死ぬ。即死である。

 それを知ってて真似ようとする摩耶とは、そこで分かれた。

 彼が席へと戻っていくのと同時に、英語の教師が入ってくる。

 僕もようやく机を取り戻し、教科書を取り出そうとした。


「あ、そうそう、山田さん。まだ教科書ないよな? 僕と一緒に……は? え、あ、あれ?」


 隣の机に自分の机をくっつけつつ、かばんの中を弄って僕は唖然とした。

 教科書はある、英語のものすぐに出てきた。

 けど、あるはずのものがない。

 自分の命の次に大事な、もしかしたら同等かもしれないもの……ラノベ作家としてこの三年、ネタやアイディアを書き溜めておいた愛用のメモ帳が入っていないのだった。

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