第2話「昭和スタイルは突然に」

 新年度が始まって、一週間。

 春とは思えぬ強烈な日差しに、僕はクラクラと目眩めまいがした。

 やはり人間、最低でも六時間は寝ないと駄目だ。

 僕はまるで、白昼はくちゅう吸血鬼ヴァンパイアみたいに朝からふらふらだった。

 そして、その時ふとひらめいた! このアイディアはいつか吸血鬼を書くトレーニングにかせるかもしれない!


「って、なんのトレーニングだ、なんの」

「ちょっと隆良たから、なぁに? さっきからブツブツ独り言ばっかり」

「いや、早くも朝から体力が限界でね」

「だらしないの、ほらっ! シャキっとしなさいって! 遅刻するわよ!」


 幼馴染おさななじみ壱夜いよが、バシン! と背を叩く。

 それだけでもう、僕は足元がよろけた。

 壱夜は、その名を裏切る太陽のような存在である。快活で、闊達かったつで、ポジティブモンスターだ。僕なんかは、その光に照らさててぼんやり光る月みたいなもんだ。

 とはいえ、遅刻しそうなのは本当である。

 周囲の生徒たちも皆、校門に向かって足早に駆け出していた。


「っと、一時間目は確か」

「英語よ! 課題、ちゃんとやってるんでしょうね?」

「oh my God! もう駄目だ、欠席しよう。二時間目から出よう」

「ダーメッ! ほら、急いでっ!」


 大股に早足で歩く壱夜は、突然僕の手を掴んだ。

 そして、引っ張りながら走り出す。

 僕にそんな体力は1mmミリも残されていなかったが、引きずられるようにして続く。すぐに息があがって、のどを行き来する呼気が熱い。

 でも、壱夜の手の方が何倍も熱くて、熱でもあるんじゃないかと思うくらいだ。

 よく見れば、その後姿は耳まで真っ赤になっている。


「な、なあ、壱夜……お前、風邪でも引いてるのか? 顔が赤いけど」

「はぁ? なっ、なな、なに言ってんのよ!」

「いいから前見て走れって! あと、やっぱ真っ赤じゃないか」

「う、うっさいわね! こ、これはそう、走ってて暑いからよ!」


 その時だった。

 学校へ向かう坂道に差し掛かっていた僕たちは、なんのきなしに交差点を駆け抜けた。それは、路地と路地とが交わるようなものだったが、事故はいつだってそこかしこにひそんでいる

 幸運だったのは、衝突コースに突っ走ってきたのは、同じ世代の女の子だったということだ。

 結構エグい音がして、壱夜が倒れ込む。

 慌てて僕は、余力を振り絞って彼女を受け止めた。


「危ないっ! ……ててて、おもっ」

「ちょっと! 重くないわよ! 仮に重くても、そんなこと言わないっ!」

「わ、わかったから、どいてくれ……怪我、ないみたいだな?」

「あっ……ゴ、ゴメン。その、ありがと」


 倒れ込んだ僕は、全身で壱夜をかばえたみたいだ。

 いやいや、普通に重いって……人一人の生命いのちって、軽いはずがないんだが。

 けど、身を投げ出した衝撃で僕のかばんは投げ出され、その中身がぶちまけられていた。

 でも、先に心配したのはそんなことじゃなかった。

 急いで立ち上がると、壱夜にも手を貸しつつ振り向く。


「君、大丈夫? ごめん、僕たちの不注意……って、あ、あの、えっと」


 筆舌ひつぜつがたい光景が広がっていた。

 絶景かな、絶景かな。

 僕の網膜もうまくに焼き付けられたその鮮烈なイメージは、


「……くまさんパンツ。しかも、白」


 そう、白くてくまさんがプリントされたパンツだった。

 今さっき壱夜と激突した少女は、ひっくり返って一人でキン肉バスターを喰らった格好になっていた。

 だから、うん、白い。

 白くて、かわいいくまさんが丸見えだった。

 だから僕は、健全な男子高校生として一言。


「あ、ありがとう?」

「ぬぁーにがっ、ありがとう、だーっ!」


 マッハで壱夜の真空飛び膝蹴りが飛んできた。

 それを顔面で受け止めつつ、僕はどうにかKOノックアウトされぬように耐える。膝を屈せぬように踏ん張り、さらに無駄に体力を消耗してしまった。

 その隙に壱夜は悲惨な格好の少女を助け起こす。


「ゴメンね? 大丈夫かな……ほんと、ゴメンッ!」

「……大丈夫だ、問題ない」

「そ、そう? よかった……とりあえず、アイツの記憶はちゃんとアタシが消しとくから」


 さらっと物騒なことを言うんじゃない。

 ゲームのセーブデータじゃないんだから、そう簡単に消されてたまるか。

 さらに言うなら、ゲームのデータなら尚更なおさら消されたくない、RPGだったらマジギレ案件である。

 僕はやれやれとわざとらしいリアクションで肩をすくめる。

 そして、鞄から飛び出した私物を拾い始めた。

 その作業のさなか、ちらりとくまさんパンツの美少女を見やる。

 そう、美少女だ……表情はとぼしいが、同世代とは思えぬ美貌びぼうだった。

 美少女はまゆ一つ動かさず、立ち上がるや真顔で壱夜に向き直った。


「記憶の操作が可能なのか? なるほど、その程度の技術力がある文明と理解した」

「えーっと、まあ、そ、そうかな? アタシがもう二、三発ブチ込めば」

「当方より重要な機密が漏れ出た形跡はない。記憶の処置は不要だ」

「そ、そう……えっと、どこの学校? ちょっと見ない制服だけど」


 壱夜の言う通りだ。

 くまさんパンツの乙女は、凄くクラシカルなセーラー服を着ている。うちはブレザーを基調とした独特なデザインなので、シンプルなセーラー服がかえって新鮮だ。

 だが、件の少女は妙に硬い口調で言葉も回りくどい。

 その言い回しはなんだか、まるで兵隊のようだった。


「自分は本日付で、都立都牟刈学園とりつつむがりがくえんへと着任……いや、転校してきた者だ」

「ふーん、転校生。それでセーラー服なんだ?」

「助けてもらったな、礼を言う。名は?」

「あはは、いやあ……アタシが周りを見てなかっただけだし。アタシは千夜壱夜せんやいよ。で、こっちが一ノ瀬隆良いちのせたからよ。よろしくね、えっと」


 ――都立都牟刈学園。

 帝都東京でも有数の進学校、文武両道を尊ぶエリート校だ。一応、僕も壱夜もそういうレベルの高校生ではあるってこと。ただし、秀才たちが集う学び舎にも、上中下とランクはあるが。

 壱夜はともかく、僕はスポーツも学問も中の下といったところである。

 そんなことを考えていると、くまさんパンツちゃんは無表情で名乗った。


「私は山田。山田花未やまだはなみだ。それ以上でもそれ以下でもない。今はな」

「へーっ、ハナミ……花を見るって書くのかな。なんか、おめでたいわねっ!」


 おい馬鹿、よせ壱夜。

 人に向かって「おめでたい」だなんて、喧嘩けんか売ってるのかっつーの。

 だが、澄ました顔で花未は首をかしげた。

 その仕草に僕は、妙な違和感を抱く。


「フラワーの花、フューチャーの未だ。……なにか、祝祭に関する漢字なのか?」

「あ、いや、えっと……」


 僕はすぐに壱夜のフォローに入る。

 こういうのは慣れっこだし、昔から僕の役目だ。

 壱夜は素直で単純、裏表がない女の子だ。だから、時々思ったことがそのまま口を出て言葉になる。今だって「頭のおめでたい奴ね」なんて思ってもいなかったのに、お花見を連想してそのまま声にしてしまったのだ。

 迂闊うかつでもあるが、このわかりやすさは壱夜の美点でもある。

 喜怒哀楽きどあいらくも非常に表現力豊かで、とにかく周囲を飽きさせない。


「壱夜、多分なんだが……山田さんは外国生活が長かったんじゃないかな? 僕が思うに」


 作家特有の洞察力、発動!

 この能力は、僕がラノベ作家としてここ数年で急激にレベルアップさせてきた固有スキルだ。ようするに、現状の謎や不思議に対して、もっともらしいことを言って周りを納得させる力がある。

 屁理屈へりくつとかこじつけが混じることがあるが、気にしないことにしている!


「あ、そっか……それで。や、やるじゃない、隆良」

「いやあ、それほどでも」


 山田花未は、長く伸ばしたストレートの髪が銀色に輝いている。恐らく、日本人と外国人とのダブルなのだろう。ひとみだって、黒じゃなくて青と緑だ……えっ、ちょっと待って、リアルでオッドアイ?

 こいつ、ラノベヂカラ高いな……本当にいるのな、両目の色が違う奴。

 その花未だが、どこか不思議そうにグイと壱夜へ顔を近付ける。


「花未とは、めでたいものなのか?」

「え、いや、えっと……ちょ、ちょっと、隆良! ニヤニヤしてないで助けなさいよっ!」

「まあ、外国には『桜の花をでる』って文化は少ないからな」


 その時、坂の上でかねが鳴った。

 まずい、あれは学園の始業五分前を告げるベルだ。


「お、おいっ! 壱夜! 山田さんも! とにかく今は急ごう!」

「やばっ! 遅刻しちゃう……花未ちゃん、一緒に行こっ! 今ならまだ間に合うから」

「……状況把握、了解」


 突然、風が舞い上がった。

 忽然と花未が消えた。

 正確には、もの凄いスピードで坂を駆け上り、校門の奥へと去っていった。

 これが、謎の転校生である山田花未との出会い。

 そして、僕は気付けなかった……散らばった荷物を全部回収したつもりが、生命の次に大事なものを忘れたままだということを。それを拾う、謎の黒髪の少女が僕たちを見送っていることを。

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