第2話 ハルカ

 私の名は麻枝 遥。16才、高校生。ある日、異世界の豊穣の女神様に招かれた。


 招かれた白い部屋には私の他、三人のクラスメイトがいた。


 その中のひとり。篠原 祐樹シノハラ ユウキは私の幼馴染。

 彼は胸に文字通り大きな穴を開けていた。私は彼の名を叫び、慌てて駆け寄った。


『安心したまえ。君たちは今、魂だけの存在。穴はあっても死にはしない』


 ――そう、頭の中で声が聞こえた。その通り、彼は息をして、何かうわ言のようなものを呟いていた。振り返ると、体中に乳房をつけたふくよかな女性のような形をした何かが居た。私はどうしてこんな穴が開いているのかを問うが、理由は言えないと言う。


 彼の声に静かに耳を傾ける。

 私の名を呼んでいる――。

 彼はそう、私が昨日、振ったばかりだった。



 ◇◇◇◇◇



 祐樹は家がお隣さんで小さい頃からいつも一緒。家同士の仲もよく、親が仕事で私が一人のときは、よく祐樹の家にお世話になった。一緒に遊んで、一緒にお風呂に入って、一緒に寝て――。祐樹は私のことを妹のように思っていたようだった。私の方が誕生日が遅いから。でも運動が得意だった私はむしろ、彼の方を弟のように思っていた。


 そんな感じで小学校くらいまでを過ごしたが、中学に上がる頃、友達に誘われて遊びに出かけるときにいつものように祐樹を誘おうとしたところ、友達に言われた。――どうして彼のような冴えない男といつも一緒に居るのか――と。冴えない。運動のできるグループから見ると確かにそうかもしれない。


 少しの心残りはあったけれど、友達との時間は楽しく、服や化粧にも興味があったため、意図せず祐樹と過ごす時間は短くなっていった。恋もした。最初は同級生のカッコイイ男の子。次は部活で知り合った先輩。その次は学年が上がった後に知り合った後輩と――。


 私はどちらかと言うと気が多い方だった。友達からは面食いともいわれた。そして毎回長続きはしない。振っても振られても、毎回落ち込む。そんなとき、お隣の幼馴染が恋しくなる。昔は、落ち込んだ時はいつも彼に甘えていたから。でも今の彼は、私と会わなくなってからすっかり捻くれてしまっていた。


 私はよく、彼の家に遊びに行っていた。彼のお母さんとはとても仲が良かったから、親の出張のお土産を持ってお茶しに行っていた。彼はたいてい二階の自分の部屋に居る。居るのだけれど、そして私が来ているのを知っているのだけれど、リビングには降りてこない。降りてきても――来てたのか――なんて今知ったような顔をしてトイレに行って戻るだけ。


 二階の彼の部屋はいつもカーテンが閉まっている。開けてくれれば私の部屋からでも声を掛けられるのに。そして中学の終わり頃、私は本当は彼のことが好きなのだと知った。小学生だった当時は興味本位だったけれど、ファーストキスを寝ている彼に捧げておいて良かったと、この時ほど思ったことはなかった。


 高校は同じ高校に入った。私の方が成績は良かったはずだったから、彼のお母さんから得た情報で問題なく入れた。クラスも偶然同じ。私は中学まで続けていた部活をやめて、彼との時間を作るようにした。


 やがて捻くれていた彼とも徐々に打ち解け、それどころか彼はキラキラした目を向けてくるようになった。より魅力的になった彼は私に告白してくれたのだ! あの時の告白はそれまで経験したどの恋よりも輝いて見えた。


 一年後、私の悪い癖が出た。新しい恋をしてしまったのだ。祐樹はロマンティストで、将来を誓って欲しいと言われ誓っていた。だけど自分の気持ちに嘘が付けず、悩んだ末に彼を振ることになってしまった。


 謝る私に彼は――いいよ――とそれだけ言った。今までのどの恋人よりもそっけない言葉で。それだけなの? 誓いを破った私に言いたいことは無いの? 今思えば、その時点で私の新しい恋は消え失せてしまっていたのかもしれない。実際、翌日の私の告白は惨敗だったし、何故か私自身も普通に受け入れていた。


 ――祐樹は学校に来なかった。



 ◇◇◇◇◇



 胸に穴の開いた彼は思いもよらない言葉を苦しげに吐きだした。そしてあと二人のクラスメイトにもその言葉を聞かれてしまった。


 ひとりは川瀬 蒼カワセ アオ。彼女は私の親友と呼んでいいくらいの友達。


 ひとりは川瀬 晴カワセ ハル。私が告白した相手。そしてたぶん蒼ちゃんが恋しているお兄ちゃん。



 豊穣の女神様によると、私たちは異世界に召喚されるという。


 私は大切な幼馴染のためにひとつの決断をする。



 ◇◇◇◇◇



 私は異世界にした。召喚ではなく転生。


 豊穣の女神様は言った。白い部屋での時間差がそのまま異世界にやってくる年月の差に大きく現れると。何年の差かはわからない。でも必ず私は祐樹に巡り合ってみせる。そして証明してみせると誓った。


 王都の街中の小さな商いの店に生まれた私はアイリスという名の白髪で赤い瞳の女の子だった。そして、自分が転生者だと思い出す頃には既に、父親には容姿の事で不気味がられていた。商売がうまくいかず父親が荒れたのか、父親がクズで商売がダメになったのかはわからないが、その後すぐに私は売られてしまったので家の事は正直あまり覚えていない。


 後から知ったことだが、この国では人身売買は禁止されているそうなのだ。私はすぐに北の国へと売られていった。北の国ではどこかの下級貴族に売られた。そこではペットか何かのような扱いを受けた。


 記憶が戻って早速、貞操の危機を感じた私は、玩具にされる前に聖女と鑑定の力を使って貴族の元を逃げ出した。いくら魔法で痛みを消して治癒もできるとは言え、枷を外すために自分の手や足の骨を折るのは幼女にはハードな体験だった。


 北の国は貧しく、そして寒かった。聖女の力でパンと水が得られ、病気にもかからないとはいえ、それだけで生き抜くには厳しい環境だった。貧民街に転がり込む手もあったが、信用のならない人の前に無防備な姿を晒したくはなかった私は、路上で隠れ住むような生活を送っていた。



 ◇◇◇◇◇



 ある日、真っ青な鎧を着た青年に出会った。彼はとても疲れた目で私を別の女の名前で呼びかけた。彼は、私を死んだ元恋人の生まれ変わりと信じていたようだが、私が異世界から来た転生者であることを話すと酷く落ち込んだ。


 聖騎士の彼は、聖女となった恋人を他の男に奪われ、そして自分が信じてあげられなかったせいで彼女の命まで失くしてしまったと話した。神様の導きで私の元までやってきたが、彼女は居なかった。彼は今にも死にそうな顔をし、絶望していた。私は彼に告げた。聖騎士として聖女の私を信じて守りなさいと。


 こんな小さな女の子の言葉に青年は泣いた。それは恋人が聖女になったとき、彼に告げた言葉だと。そして誓った言葉を今度こそ守り抜くと、私に再び誓ったのだった。彼の姿は今の自分を見るようだった。彼は言葉通り、硬い意志で誓いを貫き通した。路上で寝る聖女を夜も寝ずに守った。私はその生真面目な彼がおかしくてたまらなく、転生して初めて笑った。


 このままではいけないと、私は人を探した。欲に忠実でもいいから信用の出来る人間を。商人をみつけ、イリースを名乗り、賢者の知識を駆使して取り入った。そして自分は聖女になるから、今のうちによくしておけば後々大成するぞと。


 最初は小さな子供の戯言と思っていた商人だが、私の鑑定の力と知識欲に徐々に協力的になっていった。私もこちらの世界の常識や商売についてを学んだ。七才を過ぎるころ、この国の大賢者様によって私の聖女のタレントは見いだされ、改めてルイビーズの聖女として祝福を与えられることとなった。



 ◇◇◇◇◇



 その後、私は聖女としての教養と振舞い、儀式の知識を身に着けた。同時に、世話になった商人を始め、この国の商人ギルドとの繋がりを深めていった。聖女として名が知られ、鑑定の力は国の大賢者様を上回り、商人ギルドとの繋がりを持った私は、持てる力を駆使してこの国に祐樹が来ていないかを調べに調べた。


 祐樹の情報も蒼ちゃんや川瀬君の情報も得られなかった私だったが、聖堂での神託の儀式の際にルイビーズ様に幻視と助言を賜った。旅の中で死んだ祐樹と出会うこと。それまでに聖女の力を磨いておくことで救えることを。


 想いに胸が詰まるような光景だった。けれど私は、司祭様の言葉にもある――あまねく世界に癒しを――の通り、旅に出ることを決意した。まずは国内を全て回ったあと、目指すのは私の生まれた国。祐樹が居る可能性が高いのは、この国じゃないならそこだ。



 ◇◇◇◇◇



 三年近くをかけて国内を周った。時間はかかったが、各地の商人との繋がりはより深まったし、国内の情勢も詳しく知ることができた。鍵はやはり南の王国だ。かの国との取引は大きな利益になる。ただ、懸念事項もあった。商売の窓口となる地方領主同士の問題だった。


 こちらの国の地方領主はかつては南の国との最前線を維持してきた剛の者だった。取り巻きや民も同じく。そのため、商売のような彼らに言わせればには重税を課していた。


 私は一計を案じた。力で物事を語る者は力でねじ伏せるしかないと。私の聖騎士はたいそう嫌そうな顔をしていたが、聖女様を守れと命じられれば何でもやってくれた。この国に聖女は私一人、そして聖騎士も彼一人。何人でも相手をしてあげましょうと、彼らの好むやり方で彼らをねじ伏せた。具体的にはひと月に渡って領主の館の正門を占拠し、全ての暴力を撥ねつけたのだ。


 聖女の力によってこの国の側の商売の門戸は開かれた――そういう触れ込みで徐々に隣国との取引は大きくなっていった。


 さてもう一つは向こう側の門戸だ。あちらの国の辺境伯は本来は女系。もともとこちらの国の領地とは一つの小さな国だったのが、夫婦同士が分かれて二つの領地になったとか言う本当かどうかわからないような伝承があるが、現在の領主は婿養子の男性。商売には積極的だが、あまりに私欲のための行いが目立ち、裏金ばかり動いて商売の邪魔になっている――とはこちらの商人ギルドの情報。


 私はこれをどうにかしようと国を出た矢先、死にかけた――いや、出会ったときには既に死んでいた――元恋人と出会ったのだった。



 ◇◇◇◇◇



 祐樹は幻視のとおり、魂だけを大柄な男に宿していた。《蘇生》は初めて試したけれど、上手く行ったようでほっとした。彼はこの世界では珍しい感じのボーイッシュな、だけど美しい少女を連れていた。私は彼ひとりだけのためを思ってここまで来たのに、ちょっとだけ腹が立った。


 十三年ぶりに会った祐樹は以前の彼とは違って見えた。もちろん今は見た目が違う。けれど中身がちょっと大人になった、魅力的になった感じ。でも、ちょっと卑屈で、ちょっと独占欲も強くて、ロマンティックなところは変わっていなかった。


 彼はこちらの世界でもうすでに新しい恋を見つけていた。私が敵わないような素敵な相手を見つけていた。そうか――彼はこんな気持ちだったんだ。大切な相手が真剣に思っている相手が私とは別にいる。私との蟠りも消えたと言ってくれる。彼が幸せなら、もう十分かな――帰ろう――。


 だけど豊穣の女神様は仰られた。約束通り子供を八人産めと。


 元の世界に帰るつもりだった私は、これを女神さまからの励ましだと考えることにした。そしてどうせ産むなら彼との子供がいいと。だって考えてもみなよ。祐樹は既に二人の女の子と婚約していて、さらにまだ二人も三人も候補が居るのよ? こんな自由なら私の想いだって伝わるかもしれない。遂げられるかもしれない。


 祐樹には素敵な恋を探しに行くと言って別れた。まあそりゃ少しは他の人にも恋するかもしれないわ。長い人生だもの。でもきっと、最後には彼の元に戻ることになるはず。そんな気がするし、私もそうしたいの。

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