5 湯気の甘み
精華小学校、二学期最大の行事と言えば、六年生の修学旅行。
十月半ば、いよいよその日がやってきた。
行く先は京都と奈良。
学校の前に停まったハイデッカータイプのバスの荷室にボストンバッグを一人ずつ放り、前の入り口からバスに乗り込んだ。
唯斗と大葵は隣の座席。リュイは通路を挟んだ席の窓側、つまり隣の隣ときた。
勿論リュイは何とも悔しがっていたが、行動班も違うため仕方ないと納得したようだった。
唯斗は替えの補聴器、タオル、ファイル、筆箱と保健用品各種を詰めたリュックを頭上の荷物置きに載せて大葵としおりを見た。一日目は京都でまず平等院鳳凰堂に向かう。十円玉とか言われたが、小銭をそんなにまじまじと見つめたことはない。
そのあとお昼はホテルで精進料理を食べ、銀閣、哲学の道をバスガイドさんと共にめぐるらしい。今はまだ運転手さんと話し込んでいるあの人がバスガイドだろう。休憩挟んで約二時間の京都までの道のり。
酔う子は大変だなと思いながら、唯斗は大葵に手を重ねた。
「!」
あからさまに顔を赤らめる大葵。唯斗の細くて華奢な手が、大葵の無骨めな指を這う。
「哲学の道でお土産買うとき、一緒に行こ?」
「いいよ」
大葵は幸せそうに言う。
「ふふ」
「なんだよ」
唯斗の顔が緩む。
「デートみたいだなあって。嬉しい」
そこまで言って、唯斗は急に恥ずかしくなって顔を隠す。大葵もまんざらではなさそうだ。
「精華小学校六年一組の皆さん!こんにちわ!タダタダタダヨウ交通のバスガイド、
軽快な口調で、マイクなしでもいいのではと思うほど大きく言う。
ここから京都まで二時間弱の道のり。隣の席の大葵を見つめながら、唯斗は動き出したバスの揺れを感じた。
精華小学校は多治見市街の中心と言える場所にあり、多治見駅も多治見ICも近い。一〇分とせずバスは高速に乗った。中央自動車道と言われるこの道は、今日も多くの車で溢れていた。会社のロゴが入ったトラックやバン、あるいは軽トラ、ハイデッカーバス。乗用車は少なめだが、平日の朝、高速を飛ばして車で通勤する人や暑い時期に車で旅行する人はこの辺にはあまりいないという事だろう。
その時唯斗は、あることに気付いた。
バスのバックミラー。そこに、見覚えのある車が映っている。
黄色いLFA。リュイの父、チムナターが乗っていたLFA。
LFA自体が五〇〇台限定販売だったので、多治見にいる黄色いLFAというとそういうことになる。
大葵も気付き、リュイに教えると、やっぱり、と彼は軽いため息をついた。
何だかこの先、面白くなりそう。
滋賀のサービスエリアで休憩を取ることになり、ハイブリッドエンジンのハイデッカーバスは駐車場に停まった。後ろから来ていたLFAも、バスのすぐ近くに停まる。
トイレ休憩と点呼確認を済まし、バスが再び出発すると、恵都がいきなり口にした。
「カラオケ大会~!」
ざわつく車内。それを気にせず恵都は続けた。
「実はわたくし先ほどこのバスにカラオケ機能があることを思い出しまして。あら?こんなところにiPodが」
恵都がiPodを取り出して棒読む。
「まあ!カラオケ音源が入っているではないですか!!!」
恵都はわざとらしく続ける。
そこから流れで始まったカラオケ大会。
クラスメイト達が次々と歌っていく。唯斗と大葵含め声変わりしている生徒の方が少ないこのクラスは皆まだキーが高い。
唯斗の番になり、唯斗は曲を見た。聞いたこともない曲ばかりだが、一曲だけ知っている曲があった。
MIQYの「ハッピーサマー」。
かけてみると、母の車の中でよく流れている音楽が流れてくる。
—燃え盛る
—情熱が仲間と共に
—いつまでも どこまでも 続いていく
―暑さも汗も全部蹴り上げて
—どこまでも走ってく あのゴールへ
―僕らはまだ小さくて果敢なくて
―それでも強く明日を見てる
―夢見る
—遠くの 夏空
「九十六・七八四点!高得点です!」
恵都が機械の声まねを披露しながら得点を発表すると、歓声が上がる。
「すっげえじゃん唯斗!歌うま!」
大葵も自分のことの様に嬉しそうだった。唯斗は、自分のことの様に喜んでくれる大葵が好き。それだけで、やっててよかったと思えるから。
クラス全員が歌い終わり、心理テストだのなぞなぞだのやってそうこうしているうちに京都についてしまった。宇治市・平等院鳳凰堂。
「ここは十円玉の絵にもなっていますよね!
恵都は豆知識をぶち込みながら説明する。
「さらに首都だった時代の京都中心部から離れたここ宇治市にあることで、戦火を逃れたんですよ!」
赤い、細長い建物。レプリカだという鳳凰。
綺麗だとは思ったが歴史的建造物を見て感動するような感性は誰も持ち合わせていないらしく、何度も来たことがあるらしい恵都だけがそれは熱く語っていた。
昼食は旅館での精進料理。肉を使っていないと言うが、ただの和食にしか思えない。大豆ってすごいなと思いながら大葵と唯斗は大豆ミートを頬張る。リュイは遠ければいいものを、妙に近い席になって悔しそうに二人を眺めている。それから特に何もすることなく、社会見学をして気付けば旅館にいた。
唯斗にとって最も危険な空間。それは家以外の風呂。
湯気で見えない、床は滑りやすい、補聴器は持ち込めないことが多く聞こえない。
危険要素を凝縮したその空間に、唯斗は今足を踏み入れようとしていた。唯斗が気を付けないといけないことは知っていたが、大葵はそこまで過保護にするつもりはなかった。唯斗の親は心配で、耳が悪いという彼の身体的特徴が足かせになるんではないかと思っているが、実際に唯斗と一番話して接している大葵には、そこまで重要じゃないと思う。唯斗は自転車でも後ろから忍び寄ってきたら気付く。何故かは知らないが唯斗は気配に敏感だった。だから大葵は唯斗をあまり心配したり
大葵は更衣室で服を脱ぎ始める。先生は脱いだ服は失くしても知らないといっていたが、さすがにこんなところでなくすわけないと笑う。
大葵は自分の身体が貧相だと思っていた。本当はもうちょっと筋肉質だったら格好いいのにと思っている。大葵は唯斗の身体を見た。色白の、細くて華奢な脚や腕は今にも折れそうでそっちの方がちょっと心配になる。
唯斗はサラサラの髪をシャワーで濡らすと、持参したシャンプーを使ってわしゃわしゃと頭を洗いはじめる。
「お背中お流ししましょうか?」
大葵が体を洗い終えると、唯斗が急に言った。そのままするするとシャワーを奪い取って勝手に身体を流し始める。
唯斗の細い指が、背中から首筋、肩、脇に回り込む。
「~~~~~~ッ///」
大葵はこしょぐったくて笑い出しそうになるのを必死にこらえた。それを知って唯斗も面白くなってきた。
それから二人は、とにかく甘美な時間を過ごしていた。
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