4 祭りの響き
夏休み前の時期に入り、生徒たちの浮かれようが頂点に達するころ、ここ精華小学校夏の一大イベント、運動会がやってきた。さんさんと照り付ける夏の陽光は運よく薄曇りに緩和されて暑さも少しは和らいだ。東海地方の中でも酷暑の地、ここ多治見で過ごして来た人間はその環境に体が慣れているのか以外にも熱中症患者は少ない。
とは言え多治見市民も暑いものは暑い。
「暑い」
「暑い」
「暑~い!!」
唯斗と大葵、そして大葵弟が言う。
直射日光がないとはいえ、気温は三十六度。さすがに暑いからか来賓の集まりも悪い気がする。
熱中症対策として準備体操後の来賓と校長の話は省かれることとなり、開会式は異例の速さで終わった。
競技開始前の運動場整備でしばらくお待ちくださいタイムが始まった頃、学校の西口あたりから地響きのような重低音が聞こえてきて、多くの人間がそちらに注目する。
人混みをかき分けるようにして駐車場に入ってきたのは黒いハーレーダビットソンCVOプロストリートブレイクアウトだった。電装はフルLED化され、タンデム―シートは取り外されていた。そしてその後ろにつくようにして入ってきたのは、黄色いレクサス LFAニュルブルクリンクパッケージ。同じく電装がLEDになっていた。
「げ」
その車を見たリュイが驚いたような何とも言えない声を漏らした。
唯斗たちがそれを訊く前に車のほうから声が響いた。
「リュイ~!」
そこには、先ほどのハーレーに乗っていた金髪の女性。後ろのLFAからは男性が降りてきた。その夫婦はリュイの育ての母でもある南雲 プチーツァと父のチムナター。
プチーツァはこの暑い中メイド服風のワンピースで唯斗たちに駆け寄ると、ハグをして何か話していたが、ロシア語だから何も聞き取れない。それを察したリュイが 「あなたたちがリュイのおともだち?ね!リュイから話は聞いているわ」と言っていると教えてくれた。
そのままプチーツァはリュイの後ろの椅子に座ってチムナターと談笑し始めた。日本語に不慣れなプチーツアにとってママ友は少ないのだろう。リュイももう六年生。今更作る理由もない。
つないだ手と腕をそれはそれは勢いよく振るプチーツァに気圧されながらも唯斗は後ろの保護者席にプチーツァを案内する。暫くリュイはプチーツァと話し込んでいたがロシア語では聞き取れないと思い特に気にしないでおいた。
グラウンドから整備をしている体育委員が消えたころ、リュイがプログラムの紙を持って来賓席隣の総合テントに向かった。
広報委員の一大イベント、運動会の進行。
リュイはこのイベントを、自分の最後の場所だと思い気持ちで迎えていた。
唯斗には認めてもらえた。リュイの承認欲求が次に目指したのは、MCリュイの名を全校生徒とその保護者に轟かせること。
リュイが合図で機材のスイッチを入れると、スピーカーから陽気な音楽が流れ始めた。
「こんにちは!広報委員ヤングリーダー、MCリュイです!今日はとっても暑い中精華小学校運動会にお集まりいただきありがとうございます!我が子の一生懸命な姿、ぜひその目に焼き付けてください!でも夢中になるあまり自分が熱に焼かれることが無いようにしてくださいね!」
会場に、どっと笑いが起こる。
「すごい…」
唯斗の口から声が漏れる。一瞬で自分の空気にしてしまった。
それから運動会の間中、リュイは自分を見せつけた。
夏空よりもきらきらと眩しく、自信に満ち溢れている。
運動会も終わり、着替えて帰る準備をしていると、土間で待っていたプチーツァが手招きした。
「今日この後ウチでお茶でも如何かしら?」
金髪をふわふわと揺らしながら胸の前で手を合わせて言う。
「じゃあ、お邪魔させていただきます」
唯斗が大葵と顔を見合わせてから言う。
「わかったわ!いろいろと準備しなくっちゃ!」
二人は一旦家に帰り、大葵の家に集合してからリュイに貰った地図を見て自転車を走らせる。
唯斗のよりスタイリッシュなコンフォートスポーツタイプの白い自転車は軽快に前を走っていく。
唯斗の完全装備型のママチャリは少し重苦しく見えているのかもしれない。
でも、ママチャリの乗り易さは唯斗が誰よりも分かっている。
「えっここ?」
「みたいだけど…」
多治見にこんな豪邸が建っているなんて二人とも知らなかった。
桜の木で囲まれたその中に、広大な庭と城のような家が建っている。
今日一日で二人のロシアに対するイメージは変わりまくっていた。
「ようこそ!」
リュイがいつもの元気な声で出迎えると、プチーツァが音速で階段を駆け上がり廊下の段ボールを葬る。少し早くついてしまったのはまずかったかもしれない。
三階まである部屋は洋画に出てくる継母の実家のような造りをしていて、お決まりの絵画や暖炉、サンルームまで完備されている。
リュイの部屋は三階の角部屋で、天井に窓があり自然な光を取り込める。 八畳半の広さの部屋には、ベッドと机、その上に教科書類とパソコン、本棚にはモデルカーがたくさん飾られている。
「あ、これ」
唯斗は、LEXUSの印字がされているモデルカーを見つけ、他よりも厳重に机の上に大事そうに置いてあるそれを見つめる。
「それ、LFA。パパがいっちばん、大好きな車で、おれも大好き!」
それはチムナターのLFAニュルブルクリンクパッケージと全く同じ、アイドロンの四三分の一スケールモデルカー。隣には、同じように厳重に飾られたどこのモノかわからないプチーツァのハーレーと同じ黒いブレイクアウトのモデルカーが置いてあった。
そして大葵も気付く。気付いてしまった。
本棚に置かれたモデルカー、90カロゴンからシュコダ・オクタビアまで背の低いワゴンを中心に集められている中に、一台だけ、異様な車があることに。
紫のスズキスペーシアカスタムZ。
唯斗の家の車。同じ色。
—やっぱり、リュイは唯斗のことが好きなんだ。
大葵は、自分がこの後ハッピーな気持ちでいられるか、分からなかった。
「みんな~!おやつよ~!」
と言って、プチーツァがお菓子を運んできた。さっきと色違いのドレスを着ている。もしや「この棚の端から端まで」という買い方をするセレブなのかと思った。
バットには、リンゴジュースとストリーチヌィが置いてあった。ストリーチヌィはロシアのフルーツケーキで、美味しくお茶と合い保存も効く。
ロシアのお菓子は甘くてくどいくらいに美味しい。寒いところ特有の辛いもの好きでもあるが、お茶とお菓子を食べるのも大好きなロシア人。日本より陽気なヨーロッパの雰囲気は、リュイやプチーツァにぴったりだ。プチーツァに関して言えば、日本語が苦手な外国人という言い訳が無ければちょっと敬遠されるかもしれない。遠い異郷の地、ロシア連邦。ソビエト時代から日本では少し怖い国のイメージがあった。
でも、大葵と唯斗は、ロシアはとてもいい国だと思う。リュイ、プチーツァ、チムナター、たまに家に出入りしているというプチーツァの友達。
素敵な素敵なロシア人と、ロシアの美味しいおやつを知っているから。
常識はいつも塗り替えられる。
多治見の街で、陽気に強気に楽しんで生きる彼らは、きっとどんな日本人より強いんだと思う。
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