第12話 鬼束雄二1
(あの野郎が文芸部の部室に来たのは、二年生になってから少しした時のことだった)
鬼束雄二は当時のことをそう回想する。
鬼束雄二はその日、文芸部の部室で他の部員たちと小説を読んでいた。
小説と言っても堅苦しい純文学ではない。世間ではライトノベルと言われる娯楽小説だ。
ちなみに文芸部員は自分を含めて四名。
三年生もいるが部長は鬼束だった。何せ一年生の頃に自分でメンバーを集めて設立した部なのである。
「あーうん。この作品は重版かかってるだけあってヒロインの扱い方上手いよな」
「そうだよね。可愛いと思う」
部員の一人、眼鏡をかけた猫背の同級生がそう言った。
ちなみに、鬼束は筋トレをしたり髪を整髪剤で整えたり毎日化粧水を塗ったりと、いかにもオタクらしいオタクルックはしていない。
が他の三名は、猫背のひょろっとした眼鏡の男と小太りの眼鏡の男子、そしてこれまた眼鏡をかけた野暮ったい長髪の女子と、全員見事に典型的なオタクの見た目をしている。
ちなみに名前は順番に、雉谷(きじたに)、猿楽(さるがく)、犬飼(いぬかい)である。
自分が鬼束なのも含めて、自分で集めておきながら「桃太郎かよ……」と突っ込んだものだ。
まあ覚えやすくて便利だからいいのだが……。
「んーまあ、可愛いのはそうなんだけどよ。読者にストレス与えないように、極力主人公にとって言われたら嬉しいことしか言わないようにしてるんだよな。言ったとしても、すぐにフォロー入れるとかさ」
「ああ、なるほど。さすがいいところに気づくね鬼束くんは」
小太りの部員、猿楽がそう言った。
「……(コクコク)」
唯一の女子である犬飼も黙って頷く。
(んーまあ、皆俺の意見にすげえすげえ言ってくれるのは、悪い気はしねえんだがな……)
むしろ気分がいいまであるのだが、それはそれとして最近が「物足りなさを感じる」。
元々この部を鬼束が作った理由は、仲良くオタク活動を楽しむこと……というよりは
自分自身がライトノベル作家としてデビューするためであった。
中学三年の時に、ある新人賞の受賞作を読み「これが受賞するなら、俺もいけるな」と考えてから、執筆と売れている作品の分析を始めた。
そして高校に入り、一人だけでやるよりは効率が上がりそうなので何人かライトノベルが好きだという人間を集めて、こうして部を作ったわけである。
しかし……。
(こいつら三人は、まあいい奴らではあるんだがガチじゃねえんだよな……)
基本的には鬼束が分析した内容に感想を言って、せいぜい時々短編や中編くらいを書いてくるだけで、章に出すためやWEBで連載するための作品を書こうとしないのである。
まあ、それでも分析の手伝いや鬼束の書いた作品を読んでフィードバックをしてもらえるだけ、一人の時よりは効率がいいのだが……。
ちなみに、鬼束の実績はというと新人賞は三次選考まで通ったことがあり、WEBでの連載もランキング上位の方にまでは行ったことがある。
あと一歩。
あと一歩、何かが足りない。そんな状況であった。
(……だから、欲しいんだよな。もう一人『ガチ』のやつ)
そう言う相手と切磋琢磨することで、もう一歩足りない「何か」を見つけられるのではないか?
そんな風に思うのだ。
その時。
ガチャン、と部室の扉が開いた。
部員以外の人間が訪れることなんて滅多にない、ため皆驚いてそちらに顔を向ける。
「すいませーん、二年一組の影山進です。文芸部に入部したいんですが」
そう言って一人の男子生徒が入ってきた。
(へえ……新入部員か)
一応、文芸部も部員募集のポスターを貼ってあるが、簡単なフォントで部の名前と部室の場所が書かれているだけである。
よっぽど意識して見ないとスルーしてしまう類の、目立たないポスターだ。
まあ鬼束としてはいたずらに部員を増やされても、管理がめんどくさいというのがあった。
(しっかし、やっぱり「らしい」奴らばっか集まるなあ)
新たに現れた影山進と名乗った同級生も、背が低くて前髪が顔にかかっていて、分かりやすいくらいの陰キャであった。
「あー、えーと影山か。俺は部長の鬼束だ。一応ここ部活としては全員が小説での賞の受賞を目指して研究と執筆をするのが活動目的になってるんだが、それは大丈夫か?」
「うん、だから入部しようと思ったんだ。今まで作品読んでもらってた人がいたんだけど、ちょっと訳あってもう見てもらえなくなっちゃってさ」
「……ほう」
鬼束は目を細めた。
今まで読んでもらっていた人に訳あって見てもらえなくなった。
確かにこういうことは人を巻き込んで創作をしていればよくあることだ。
そして、大概の場合それは自分の作品や結果を出すことに対するこだわりの強さの差から生まれる亀裂でそうなる。
だからコイツは、本気度が高すぎてかつての創作仲間と話が合わなくなった可能性が高い。
(……つかよく見りゃ、こいつ陰キャの癖にいい目をしてやがるな)
睨まれているわけでもないのに、見られているだけで背中がピリピリとするような真っ直ぐな視線。
「なあ、聞きたいんだが。お前は何を目指してるんだ?」
「ライトノベル作家になって、世界中の人を僕の作品で楽しませる」
即答である。
(……コイツいいぞ)
たぶん待ち望んでいた『ガチ』のやつだ。
「歓迎するぜ影山。もしあるなら早速お前の書いた作品見せてくれよ。まさか『まだ一作品も書いたことないです』とは言わねーよな?」
□□
影山はすでに何本も長編作品を書き上げていた。
ただし、まだ結果としては前に最近書いた作品が一次選考を通っただけとのことである。
(……だが、世の中の連中は勘違いしてやがるが、長編を一本完結させてるってのはそれだけですげえことだ)
鬼束はそう思う。
実際に文芸部員たちも賞の受賞やWEBでのデビューを目指しているが、長編を完結させたことが一度もない。
(……というか世界中に数多いる小説家志望、漫画志望はその大半が、作品を一つ完結させたことすらない人間だ)
それくらいちゃんとした作品を一つ完結させるのは、集中力とモチベーションが必要なのだ。
そんな最初の『最も高い壁』を超えているこの陰キャには大いに期待できる。
……そう思って、渡された影山の作品のうち最新のものを読んだのだが。
「お前これメチャクチャじゃねえか……」
鬼束は小説のテキストデータを映していたスマホを机の上に置いて、呆れたようにそう言った。
「こんなの最後まで読むのが一苦労だぞ? そりゃ一次落ちするわ」
「うん、メチャクチャっていうのはよく言われる。やっぱりそうなんだね」
影山は作品への剥き出しの酷評に対しても、表情一つ変えずにそう答えた。
その姿勢は悪くない。
他の部員たちは、何度かストレートな批判をしたら萎縮してしまったので、今はかなり気を遣った表現で回りくどく作品の評価とアドバイスをしている状態だ。
それに比べれば十倍マシである。
「主人公が何がしたかったのか分かるのが後の方すぎるし、バトルが重要じゃねえところで長すぎるし、設定も破綻してるし、ヒロインはまあ多少は書けてるみてえだけどよ……つかこれ、ジャンルなんだよ。学園バトルものなのか、レベリングものなのか、ラブコメなのか、エモ系の恋愛ものなのか分かんねえぞ」
「へえ、ジャンルを意識して書くんだね」
感心したようにそんなことを言ってくる影山。
さすがに呆れてしまう鬼束。
「当たり前すぎて分かってねえ奴がいるとは思わなかったぞ、ジャンルは決めてから書けよ……てかよくこんなメチャクチャな状態で何作品も書けたなおい」
というか、普通はこれだけまとまりがなさすぎると途中で筆が止まる。
続きが書けなくなるのだ。
それでも長編を書き切っているわけだから、逆にどうやってるのか気になった。
「むしろお前、普段何を意識して書いてんだよ」
「意識してること? そうだね……確実に言えるのは一つ」
なんだそれは? と思って次の言葉を待つと。
「『自分の魂が震えるものだけを書く』。それだけは絶対に曲げないようにしてるよ」
真っ直ぐに、どこか遠くを見つめて。
確信を持った声でそんなことを言ってきた。
それを聞いて鬼束は……。
(……何酔ったこと言ってやがんだコイツ?)
と心底思った。
よくある勘違いだ。
創作という世界を勘違いしてしまっている、夢見がちなお子様だこの男は。
「おい、いいかよく聞け影山。物語を作るってのは、そんな自由気ままで楽しい楽しいお遊びじゃねえ。いや、好き勝手に作って好き勝手に身の回りの人間に読んでもらうというならそれでもいいだろうが」
その勘違いは直してやらなければ気が済まない。
「だが、プロになるなら、そしてその先の自分の作品が売れるということを考えるなら、必須になってくるのは「ウケるものの分析と模倣」だ。売れてる作品を徹底的にパクるんだよ。俺もまだデビューしたわけじゃねえが、三次選考まで行けたのもWEB連載でランキング上位に行けたのも、それをやったからだ」
「なるほど」
納得したように頷く影山。
(しかしイチイチ傷ついた反応しねえやつは、アドバイスがしやすくて仕方ねえな)
飲み込みも早いようで大いに結構だ。
「まあだから、とりあえずはその『魂が震える』ってのは忘れろ。『自分を捨てろ』んで徹底的に売れてる作品を分析して真似てみろ。ここではそういう分析をずっとやってる」
まあ、モチベーションもあるみたいだし、これで時間をかければそれなりの実力はつくだろう。
そんなことを考えていたら。
「ごめん、鬼束くんそれはできない。僕は僕の魂を震わせるものを書くのはやめる気はないよ」
そんなことを言ってきた。
「はあ?」
なんだコイツ、せっかく人がアドバイスしてやってるってのに。
「いやお前、現実見ろよ。確かに自分の感じたまま書いて結果出す天才的なやつはいる。だけどお前はもう選考何回も落ちてんだろうが。その甘っちょろい考えのせいでそうなってるんだよ自覚しろ」
鬼束はかなり強い口調で言った。直接言われているわけではない他の部員たちが若干怯えるくらいである。
「そうかもしれないね……でもやめない」
しかし影山は一切引かない。
「それをやめたら意味がないんだ。僕が物語を通して伝えたいのは、あの日の『感動』だ。病室でライトノベルを読んだあの時の心底から来る魂の歓喜だ。それをやめてしまって仮に結果が出たとしても、仮に全世界にそんな僕の作品が読まれたとしても、それは『僕の期待する僕じゃない』」
……なんだ。
なんだコイツは?
言っていることは自己陶酔した現実逃避野郎そのものなのに、なんでこんなに気圧されてるんだ俺は……。
コイツはまだ大した結果も出てない雑魚だろ。
「でも、現にそれじゃ結果が出ねえだろ」
「その通りだ」
「だから、くらだらねえエゴは捨てて成功例をパクるんだよ」
「だから……僕は『自分の魂を震わせながら、ちゃんと多くの人にも届くもの』を作るよ」
影山はそう言って笑った。
無邪気に楽しそうに、自分の未来を疑っていない笑顔。
「……まあ、お前がそう思うなら勝手にしろ」
こういうやつには何を言っても無駄だ。
勝手に空回って自爆してりゃいい。
□□
その日の夜。
鬼束は家の近所にある書店のライトノベルコーナーにいた。
目的は二つ。
「……これと、これと、これか」
一つは、今日発売の新人賞受賞作品を買うこと。
鬼束は主なレーベルの新人賞受賞作品には全て目を通している。
そしてもう一つは。
「ふむ、やっぱり金色の帯って目立つよな」
書店に並んだ時にどんな本が目を引くのかを分析するためである。
いずれデビューして自分の本が出たら、買われるのは本屋だ。もちろん今は電子の方が売れているパターンも多いが、とはいえ本屋は大きな売り場であることには変わりない。
そこでいかにして客の目を引くのか……。
これを分析しておかないのは論外だろう。
何せ小説というのは「中身を見て買ってもらえない」のである。
漫画やアニメなんかと比べて、読むための労力が大きい。集中し始めれば独特の深い物語体験があるのだが、少なくとも読むハードルは高いのだ。
よってパッケージが読者の関心を引くかどうかが、最も大事な戦いとなる。
鬼束は必ず週に二、三回、行ける範囲の色々な書店に来て、ライトノベルコーナーを確認していた。
「……ここ最近で言うと『びけじょ』の売り出し方がよかったな……YouTubeのサムネイル風の分割イラスト、あれは自分の本を出すなら是非とも使いたい」
書店を出て背負ったバッグの中に買った本を入れ、自転車を飛ばして夜道を行く。
時刻は夜の二十一時。
よく耳に入ってくるドラフト候補に入っている野球部の日野とかは家に帰っても練習しているかもしれないが、おそらく自分と同じ高校二年生のほとんどは家に帰ってゆっくりしている時間だろう。
少なくとも文芸部の他の三人は塾に行ったりもしていないし、そうしているはずだ。
そんな時間に、自分は一人デビューするためにこうして動いている。
そこに孤独を感じないわけではないが、それはそれでそんな自分が嫌いではない。
他人が怠けている時に行動してるからこそ、人よりも秀でた結果が出るのだ。
「……ん? あれ」
ふと、あるものが目について、鬼束は自転車を止める。
そこは鬼束のよく行く本屋と家の途中にあるファミレスだった。
その窓際の席に、見覚えるのある男がいたのだ。
(……なんだ。あの陰キャか)
影山だった。
テーブルの上には、ティードリンクバーのカップが一つとノートパソコンのみ。
「この時間までファミレスで執筆か、モチベーションは本物だなアイツ」
しばらくその姿を眺めているが、影山はよそ見をせずパソコンに向い続ける。
(……へえ、集中力も大したもんだな。ファミレス執筆なんで、ちょっと行き詰まると無駄にドリンクバー往復したくなるもんだが)
「ちっ……俺もボケっとしてらんねえな。早く帰って買った作品読もう」
そう言って自転車のペダルに足を掛け直して家路を急ぐ。
と、そこで気がついた。
「……なんだよ。アイツにやる気上げられちまったじゃねえか」
正直久しぶりの気分である。
プロデビューを目指して初めて小説を書た頃を思い出す。
あの時は今以上にモチベーションに満ち溢れていた。
こんな受賞作より俺の方が絶対上手く書ける。見ていやがれと。
ここ最近はそこそこの結果も出て、周りも自分よりは遥かにレベルもモチベーションも低い人間ばかりだから、あのヒリつくような感覚はなくなっていた。
しかし、さっきこの時間まで執筆している影山の姿を見て思い出したのだ。
……負けてらんねえ。絶対あの生意気な野郎よりは俺の方が努力してやる。
「……まあその意味では感謝してやるぞ影山」
そう呟いて鬼束はさらにペダルに力を込め、帰り道を走っていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます