第10話 森アリサ4

「ふふふ〜ん」

 昼休み開始のチャイムが鳴ると同時に、弁当を二つ入れた大きな袋を持って森アリサは立ち上がった。

「あれ? 今日も昼休みどっか行くの?」

「ここ最近、特に多くない?」

「まあ、ちょっとね……」

 森アリサは取り巻きたちにそんな奇異の目を向けられながらも、今日も影山のいる空き教室に向かう。



「……きっとあれだよ、秘密にしなきゃいけない彼氏とかできたんだよ。有名芸能人とか」

「うわ……それめっちゃありそう!!」

「まじかー、アリサくらいになるとそういう相手と付き合えんのかー」

「ハリウッドスターと並んででも見劣りしなそうだもんねー、ウチらのアリサは」



 そんなやりとりが背後から聞こえてきた。

(まあ……ぱっと見だと、ハリウッドスターには劣る相手かもしれないけどさ)

 途中でトイレに寄って、髪とメイクを少し整える。

 そして階段を登って空き教室に行くと。

 やっぱりいつも通り、影山はそこにいた。

 椅子に座り、顔をノートに向けて。

 森アリサがガラガラとドアの音を立てて入ってきても、全く気づかずに一心に、真っ直ぐに、集中して作品を書いている。

(……だけど、好き)

 そんな姿がかっこよくて仕方ない。

 自分にない夢にかける熱い熱い一途な情熱が眩しい。尊敬できるし、応援したくなる。

 もう、何度も見ているが森アリサはしばらくそんな影山の姿に見入ってしまうのだ。

「……ああ、でも、いいかげん食べ始めないと」

 森アリサはそう思って影山の方に歩み寄ると、その肩をツンツンとつつく。

「かーげやま」

「ん? ああ。こんにちは森さん」

 そうすることでようやく顔を上げる影山。

「ほら、お弁当」

「ありがとう。最近、これを食べるのが楽しみなんだ。なんか食べた日とその次の日は体調いいしね」

 そう言って、嬉しそうにすぐに包を開けて「いただきます」と言って食べ始める。

「普段食べるものが偏りすぎなんだよ。夢を叶えたいんでしょ? 前も言ったけど体が資本だからねそういうの」

「そうだね……自分でも少しは気をつけてみるよ」

 もう、週に二回恒例となったこうして二人で過ごす昼休み。

 他の誰もいない教室で、二人だけの会話をする日々。

(……いや、もうこれカップルじゃない? むしろカップル以上の何かじゃない?)

 そんなことを思って森アリサは幸せな気分になるのだ。

「それにしても……ほんと森さんには感謝だよ」

 影山はご飯を箸で摘みながら、改めて噛み締めるような感じでそう言った。

「おかげで、次の作品ももう書き上がりそうだ。一作目はあんなに時間がかかったのになあ」

「そうね。もう終盤だもんね」

 次に影山が出そうと思っている新人賞の締切までまだ二ヶ月もある。

 十分に余裕を持って終わるだろう。

 ……そうとなれば。

(デート、行きたいなあ。影山と)

 二人でどこかに遊びに行って一日過ごすのだ。

(よし、提案してみよう……あでも、ちょっと怖いなこれ)

 もし断られたらどうしようという思いが頭をよぎってしまう。今まで散々誘いは受けてきたが、自分から誘うのは初めてである。こんなに勇気のいることだったとは……今まで誘ってきてくれた相手にもうちょっと丁寧に返事してあげたほうが良かったかなと、今更思う。

 だが森アリサとて、恋愛経験ゼロの女ではない。なんなら大学生の男とだって付き合ったことがある、同年代から見れば経験豊富な部類には入るだろう。

「ねえ、影山……今度の休み、最近オープンした隣の県の遊園地に行ってみない?」

 よし、言えた。

 言えたぞ。

 そして言われた側の影山は……。

「あー、遊園地かあ」

 あまり乗り気でないようだった。

「遊園地好きじゃない?」

「いや、そういうわけじゃないけど、もうすぐ今書いてる作品書き終わりそうだからさ。仕上げちゃいたくて」

 そう言われて、少しムッとした。

「そんなこと言わないでさ、いいじゃん付き合ってくれても」

「……うーん」

 影山は少し悩んだが……。

「まあでも、森さんにはお弁当作ってきてもらったりしてるしね。そうだね行こう」

(……よし!! よしよし。デートだ!! 影山とデート!! さすが私やるじゃない)

 心の中でガッツポーズを取る森アリサ。

「遊園地とか行くの幼稚園の時以来かなあ」

「そうなの? まあ、この年になって行くとまた楽しかったりするよ」

「そうなんだ。それは楽しみだね。何より森さんと行くのはすごく楽しそうだ」

(……キャー!! 私と行くのが楽しみだってー!!)

 影山も一度OKしてしまえば、意外にも乗り気だった。

 テンションが上がって今にも小躍りしたくなるのを堪えるのが大変である。

 その時。

「……」

 一瞬。

 一瞬だが、影山は自分のノートの方を見た。



「……あっ」



 その時の影山の……なんとも言えない表情。

 何か惜しいと思うようなその表情を見た時。

「……」

 自分の中で目が覚めた気がした。

(……私、何やってるんだろ)

「……森さん?」

 影山は顔を覗き込んでくる。

 森アリサは顔を背けて言う。

「ああ、そういえば今週の土日は用事あったんだった」

 少し震える声でそんな嘘を言う。

「ごめん影山、遊園地はまた今度ね」

「え? う、うん。まあそれなら仕方ないけど」

 急にどうしたんだろう? という感じで影山は不思議そうな顔をしたのだった。



 そして……森アリサは、その日から四階の空き教室に行くことはなくなった。



   □□



「なあ、この前のKPSの新作PV見た?」

「見た見た、やっぱりカリンちょー顔小せえんだよな」

 森アリサは、その日も取り巻きたちと昼食を取っていた。

「……」

 目の前で繰り広げられるのは他愛もない話。

 別に嫌いというわけでもない。深い話ができない人間にしか興味がないと、意識の高いことを言うつもりも全くない。

 今までずっとこうだったのだ。

 正直、刺激的ではないが自分にとっては居心地がいいのは間違いない。

 この二週間、取り巻きたちと過ごしていて改めてそのことを再認識させられた。

「そういや、アリサ最近昼休みどっかいかねえじゃん」

 取り巻きの一人の女子がそんなことを言ってくる、

「え? ああまあ……そうね」

「ははーん、やっぱり別れたんだなあ」

「え? 別れた?」

「皆んなで言ってたんよ〜。きっと人には言えないような芸能人とかヤクザとかと付き合ってたんじゃないかってさ〜。どう? あってる?」

「あー」

 そう言えば、そんなことを言われていたような気がする。

「……うんまあ、そんなんとこ。ちょっと詳しいことは話せないけどね」

 めんどくさいことにならないようにそう答えた。

 自分がそう答えればこの人たちは。

「あー、やっぱりかあ」

「なんかスゲーな、アリサって」

「アタシも怖いけど、そんな経験してみてー」

 と、まあ、勝手に自分を持ち上げて自分たちなりの想像を膨らませてくれるのだ。

 彼らには申し訳ないが、ちょろい。まあそこが彼らの可愛げというか魅力でもあるのだが。

 なんともまあ、思い通りになる世界だ。

 そんなことを考えていると。

「ねえ」

 突然、ここ二週間聞いていなかった声が聞こえてきて、心臓が跳ね上がった。

 影山がそこにいた。

 いつも昼休みはクラスの教室にはいないはずの影山が、森たちのグループに話しかけてきたのである。

 すぐに反応したのは、影山に思うところのある川村だった。

「なんだてめえ、話しかけて来んじゃねえよクソインキャが!!」

 急に響いた大声に、教室中がこちらの方を見る。

 相変わらず影山に対して過剰に反応しすぎて悪目立ちしていた。

 しかし、影山はそんな川村の反応を全く気にすることなく言う。

「森さんに用事があるんだけど」

 そんな態度が川村の怒りに油を注ぎ、今にも掴みかかりそうになる。

 ……うんまあ、この状態の川村を放っておくわけにはいかないだろう。

 それに……自分の中にも決着をつけておかなくてはならないものがある。

「用事があるなら、放課後にしてもらっていい?」

 そう言いつつ、影山に目線で語りかける。

『いつもの場所で』。

 と。

 それは伝わったようで。

「うん。分ったよ。お話中にお邪魔して悪かったね」

 そう言って、影山は踵を返して教室を出ていったのである。



   □□



 そして放課後。

 森アリサは興味津々で後からつけて来そうな取り巻きたちに、「あとつけてきたら、マジで縁切るからね」と強めの脅しをしておいてから空き教室に向かう。

 すっかり日が落ちるのも早くなった。

(……なんだかんだ言って、もう何ヶ月も経ってるのよね)

 影山がクラスでラノベ作家になると宣言してから。

 そんな影山に興味を持って、これから向かう場所で話すようになってから。

 四階……正確には二つある校舎の古いほうの四階は、美術の授業で使われる以外はクラスの教室などもなく、休み時間となればほとんど人がいない場所である。

 だから、自分の廊下を歩く音がカツン、カツンとやたらと反響する。

 その音が今までで一番大きく聞こえる気がするのは気のせいだろうか?

 そして……空き教室の扉の前に立つ。

「ふう……」

 呼吸を一つ。

 そして、ゆっくりと扉を開けた。

「待ってたよ森さん」

 そこには影山の姿があった。

 いつもと違うのは、自分が来た時は影山はノートに小説を書くなり本を読んだりしていた。

 だが今は、すぐにこちらの方を向いて歩いてくる。

 ちょっと助かったな……と思う。

 真剣に何かをしている影山の姿を見ると、これから話そうとすることに対する決意が揺らぎそうだったから。

「それで……用事って?」

 できるだけそっけない感じでそう言った。

 すると影山は手に持ったノートを差し出してくる。

「書き終わったんだ。次の作品、森さんには最後まで読んでほしくてさ」

「……ああ、そう。そうだったわね」

 確かに、この作品は書き出したところから読ませてもらっていた作品だ。

 特にアドバイスをしたわけではないが、影山の「続きはこう書こうと思ってるんだ」という話を聞いたりして、ずっと見守ってきた作品でもある。

 森アリサにも言わなければならないことがあるのだが、なんとなく最後まで読むのは義務のような気がした。

「うん……じゃあ、読ませてもらうね」

 森アリサはノートを受け取ると、空いている席に座った。

 影山も隣の席に座る。

 左隣に影山が座っている。

 自分が影山のことを意識してしまってからの位置取りだった。

(……さてと)

 ページを開いて小説を読み出す。

 二週間前にすでに終盤の入りまでは読んでいる。その続きから。

(……相変わらず、メチャクチャ)

 一作品目よりはかなりマシになっているとはいえ、まだ勢いと熱量任せで拙い小説。

 でもやっぱり、そこにある熱い熱量に押されて……気がつけば物語に入り込まされていた。

 前回もそうだが、影山の書く終盤の熱い展開は凄い。

 いつの間にか夢中になって登場人物たちを応援してしまう。

 今はまだ技術が足りず、その終盤までまともに読み込める人がほとんどないだろうという状態だが……技術が追いつき、多くの人に最後まで物語を読ませられるようになったその時。影山の凄さを皆が理解することになるだろう。

 この作品がそうなっているとは言えないが……いずれそうなる日が来る。

 そんな未来を森アリサは感じた。

「……」

 そして森アリサは、物語を読み終えノートを閉じる。

「……ああ、好きだなあ。やっぱり、私は好き」

 気がつけばそんな言葉が口から漏れていた。

「ありがとう、森さん!! 君にそう言ってもらえると自信を持って公募に出せるよ」

 嬉しそうにそう言ってくる影山。

 相変わらず、無邪気で夢に向かって真っ直ぐで……。

 だからこそ、自分は言わなければならないことがある。

「……ねえ、影山。なんで私が急に来なくなったのか、理由知りたい?」

「え? うんまあ……結構知りたい。気になってはいたから」

「そう、じゃあ……教える」

 そして、少し間をおき、心拍と気持ちを整えて森アリサは言う。

「私はあなたのことが好きだから」

 そう言った。

 本来なら、もっとロマンがあって期待があるはずの自分の好意を伝える言葉。

 さすがの影山も驚いたようで、少しポカンとしていた。

「ええと……その、嬉しいよ。森さんみたいな人が僕のことをそう思ってくれるなんて……というか本当なの?」

 影山は頭を描きながらそう言った。

「ホントのホント。自分から人を好きになったのは初めて。私は影山のことが好き……だから、もうこの教室には来ないしアナタとは話さないことにしたの」

「えーっと……」

 どういうことだろうと困惑している様子の影山。

 そうさせてしまっていることに少し心が傷む。

「ちなみにさ……聞きたんだけど、影山って私のこと好き? 友達とかじゃなくてさ……女の子として」

「うん。好きだよ。森さんは素敵な人だ。異性として好意を持たないわけがない」

 即答だった。

「そう……ちゃんと両思いだったのね……」

「そうみたいだね……」

「でもさ、影山の一番って私じゃないよね?」

「……」

 今度は即答しなかった。

 森アリサは話を続ける。

「影山は凄いよ。自分の夢や目標を第一に考えてそこに脇目も振らずに真っ直ぐに生きられる。普通はそんなことできない。夢を追ってる人は沢山いるけど皆んないろんな他のことに目移りしてるし、なんならたぶんほとんどの人は『夢を追ってる風』なだけだと思う……なのに私と同じ年で、本当に本気なんだもん。私はそんな影山が好き。尊敬できるし。かっこいいと思う」

 素直な思い。間違いなく人生でこれまで感じたことの無かった純粋な好意と尊敬。

「でも私は普通の女の子だから、自分の好きなった人には自分を一番に思って欲しいの」

 そう。

 そうなのだ。

 自分はまだ我儘な子供で、自分が好きでいられればそれでいい……なんて悟ったようなことは言えない。

「……森さん」

「この作品さ」

 森アリサは影山のノートを見つめる。

「私は凄く好き……でも、一個どうしても気になっちゃうところがあるの」

「そうなの? どこ?」

「主人公と結ばれたメインヒロインが、他のヒロインを主人公が構っているときに嫉妬しないこと。するよ嫉妬、自分のことほっとかれて他の女の子のことあんなに構ってたら……少なくともこのヒロイン私をモデルにしてるんだから、しないと不自然だよ。またキャラに一貫性がないって評価シートに書かれちゃうよ?」

「そうか……そうなんだね……」

 納得したようにそう呟く影山。

「ねえ、影山。アナタは私を……っ」

 森アリサは次に続く言葉を言おうとして、自分の涙腺から滲んできた涙で言葉を詰まらせる。

 だが、ダメだ。言わなきゃ。

 答えはわかっているが、これを聞いてみなければ自分は前に進めない。

「アナタは私を……一番にしてくれる? 小説を書くことよりも私と一緒にいる時間や、私と一緒にデートしたりお話したりする時間を大事にしてくれる?」

 そして……。



「ごめん。それはできない」



 分かっていた答えが返ってきた。

 影山は申し訳なさそうに、しかしはっきりとした言葉で言う。

「森さんのことは好きだよ。僕が今まで会った中で君は一番素敵な人だ。感謝もしてる」

「……うん」

 頷く森アリサ。

「だからこそ……嘘は言えない。僕にできることならしてあげたいと思う……でも、夢よりも君を大切にすることだけは僕にはできない」

「……うん」

 もう一度頷く。

「ごめん」

 そう言って深々と頭を下げる影山。

「……うん」

 再度頷いた。

 自分自身に確認するように。

「分かってた……そんな影山を私は好きになったんだもん」

 自分が初めて好きになった人が、ここで適当なことを言って誤魔化すような人じゃなかった。

 そのことは……よかったなと思う。

「だから、影山とはもう話さない。大好きなのに絶対に自分を一番に思ってくれない人といるなんて辛すぎるから……」

 そう言って、森アリサは振り返ると教室の出口へ向かって歩いて行く。

 思いを振り切るように早足で。

 教室を出る直前に、後ろから声が聞こえてくる。

「森さん!! お弁当、美味しかったよ……ありがとう」

「……」

 森アリサの足が止まる。

 それはお弁当を作って行くようになってから何度も聞いた言葉だった。

 特になんの捻りもない、シンプルな感謝の言葉。

 でも、その言葉が何より嬉しかった。

 それだけでその日一日中、嬉しい気持ちで過ごせた。

(……ああ、うん)

 苦い初恋だった。

 兄の言うように手放しでいいものじゃなかった。

 でも、確かに幸せな時間だったのかもしれない。

 だから、最後に一言だけ。

「影山……」

 森アリサは振りかえる。

「なんだい、森さん?」



「頑張ってね。きっとアナタは夢を叶えられるよ」



 そんな祝福の言葉を残して、森アリサは教室を出て行った。

 その日以来、森アリサは卒業するまでただの一度もその四階空き教室に入ることはなかったのだった。

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