第9話 森アリサ3

「……いやいや、無いでしょ」

 森アリサは、授業中にシャーペンを持ちながらそんなことを一人呟いた。

「ん? どしたんアリサ?」

 後ろの席に座る取り巻きの一人が、小声でそう声をかけてくる。

「いや、なんでもない……それより真里、あんたちゃんと授業聞いてないといよいよ留年するよ」

「うえ〜ん、アリサがオカンみたい〜」

 そう言って、軽くやりとりをしてやり過ごした後。

 再び自分の机の上にある教科書の方に目を向けながら、自分も授業とは別のことを考える。

 当然それは……影山のことだった。

 あの時、影山に両手を力強くとって目を見つめられた時。

 なんというかこう……ものすごく甘ったるすぎて抵抗のある表現だが、「ときめき」を感じてしまったのである。

 心臓が跳ね上がって、ドキドキして、心がほんのり暖かくなる感じの。

(いやいや……でも、それは急に男子に手を握られたからビックリしただけで……私が影山のことを好きになったってわけじゃないでしょ)

 確かに、自分の夢に一生懸命な姿や、誰に何を言われてもブレない心の強さは、かっこよくて尊敬できるなと思っている。

 手を握られた時も思ったより力強かったし、ちゃんと男の子なんだなと思った。

 しかしである。

 そもそも落ち着いて考えてみれば自分は学校一の美女と言われてる人間だ。

 自分で言うのもアレだが、客観的に見てそうだろうなと思う。

 一方、影山は背の低い普段は目立たない陰キャの男子。

 もちろんよく見てみれば、そんなに悪い顔の作りをしているわけではないが、側から見てしまえば全然釣り合っていないだろう。

(だから……違う。今までもっとイケメンで爽やかな人から告白されて付き合ってきたんだから。だから気のせい、気のせい、気のせい……)

 そう心の中で念じつつ、チラリと影山の方を見る。

 影山は相変わらず、黙々と授業中に作品を書いていた。

 そして時々手を止めて、自分の書いたところを読み返し。

 上手く書けたのか、その口元を小さく緩ませて笑うのだ。

(あ、無理、やっぱり好き)

 一瞬で白旗を上げた。

 だって、なぜか影山の周りだけキラキラして少女漫画みたいなエフェクトがかかっているのである。

 さすがにトーン張りすぎじゃね? と漫画を書いたことのある人間としてツッコミを入れたくなるほどに。

(マジか、マジかー。今度影山と空き教室で会う時に、変な感じにならないようにしなきゃー)

 頭を抱えてクネクネと体をくねらせる森アリサ。

 そんな普段はギャルっぽいが知的なクールキャラとして通っている彼女の様子を、後ろの席の女子は不思議そうに見るのだった。



   □□



「やあ、最近前よりよく来るね森さん」

「お、おおおおお、お久しぶりですわね、影山くん」

「……なんで今日はお嬢様言葉なの?」

 めちゃめちゃ変な感じだった。

 ヤバい顔が見れない……。

(影山の声ってこんなにかっこよかったっけ?)

「大丈夫? ちょっと顔赤いみたいだし」

「だ、大丈びゅ」

 めちゃくちゃ噛んだ。

「……ちょっと失礼」

 影山はそう言うと右手を自分の額に……そしてなんと、もう片方の手をこちらの額に手を当ててきた。

「うーん、むしろ僕の方があったかいくらいか」

「ひやあああああ!!」

 森アリサはその場から後ろに飛び去り。

 ガッシャーン!!

 と、放置された机と椅子の山に突っ込んだ。

「も、森さん!?」

 驚いて駆け寄る影山。

「ほんとに今日はどうしたんだい?」

「だ、大丈夫。大丈夫だから」

 森アリサはそう言って起き上がる。

 というか、前もそうだったが影山はボディタッチをあまり気にしない。

 あれか、もしかして意外と女慣れしているのか?

「そ、それよりも今日も作品見せてよ」

「え、ああ。まあでもまだちょっとキリのいいとこまで進んでなくてさ、今書いちゃうからそれからでもいい?」

「うん、お弁当食べて待ってるから」

 森アリサはそう言うと、いつもと違い影山の座る席の隣の席に座る。

「あれ? 今日はそっちに座るんだ」

「ま、まあね。気分よ気分」

 本当はいつも通り正面に座ったらどうしても影山の姿が視界に入ってしまってご飯を食べるどころではないからなのだが……それは伏せておく。

「うーん、でもやっぱり心配だな。保健室とか行った方が」

「いいの。ほら、次回作では審査員に目にもの見せてやるんでしょ?」

「そうだね。それは大事だ。でもほんとに体調悪かったら言ってね」

 そう言って、影山は小説を書きだした。

 静かな教室に、ノートにペンを走らせる音と自分が箸を動かす音だけが聞こえてくる。

(あー、まずいなあ。これ考えてみたら密室で二人っきりだ)

 もの凄くドキドキする。

 考えてみれば、影山の方は自分と居て緊張しないのだろうか?

 これでもかなり容姿には自信があるわけだし、自分と話した男子はほとんど自分に少なからず好意を持ったのだろうなと感じてきた。

 そう思って影山を横目でチラリと見ると。

「……」

 影山はもう完全に執筆に集中していた。

 たぶん、もう自分が軽く声をかけても気づかないだろう。

(……そうだよね。それが影山だよね)

 森アリサはそんな姿を見て、改めてそう思った。

 ゆっくりとご飯を食べながら、没頭する影山の様子を眺める。

(かっこいいなあ……何かに夢中な男の子って……)

 影山にはこのまま真っ直ぐに夢中に突き進んで、夢を叶えて欲しいと心から思う。

 そうしてしばらく影山は黙々と手を動かす。

 そして、森アリサが自分の弁当を食べ終えた時。

「……よし!! できた!!」

 椅子から立ち上がって影山がそう言った。

 そしてこちらの方を向くと。

「お待たせ。森さん」

 そう言ってノートを手渡してくる。

 森アリサはそれを受けとって前回の続きから読み始める。

「……うん、やっぱり前よりもよくなってると思う」

 確実に前回よりは話もテーマもキャラもブレが少なくなっている。

 しっかりと反省点に向き合っている証拠だと思う。

 まあ、もちろん良くなったと言うだけで、まだまだメチャクチャなのは変わりないので、この作品を完成させて新人賞に出せば結果が出るかと言われると、なんとも言えないところなのだが。

(そして……何より凄いのは一切『熱』が削がれていないこと)

 物語の基本、ライトノベルの基本、そういうものに合わせようとすればするほど、その作品に込める自分の熱量みたいなものは削られてしまいがちである。

 森アリサ自身が形としてそれっぽく整えるのを優先してしまい、退屈な話を書いてしまった経験があるから良くわかる。

 しかし、影山にそれはなかった。

 常に『情熱的』。いやむしろ今回の方がエネルギーに満ち溢れているかもしれないとすら思わされた。

「前と同じ、森さんにとって『好き』な作品になってるかい?」

「え、あ、そうね。私にとってす……す……」

 あ、マズイ。意識してしまって『好き』って言葉を言えない。

「?」

 首を傾げる影山。

 その仕草もかっこいいな……って、そんなこと思ってる場合じゃない。

「す……素晴らしい作品になると思う」

「そう、ありがとう、励みになるよ」

 そう言って前髪の向こうで目を細めて嬉しそうにする影山。

「でも、そこで安心してはいられないよね。いつかきっと、森さんだけじゃなくて世界中の皆んなに『素晴らしい作品』って思ってもらえるようにならなくちゃいけない」

 強い決意と共にそんなことを言う影山。

 いつも通りの、ここではない遥か先の遠くを熱く真っ直ぐに見つめるような視線。

「……」

 そんな影山を見ていると。

「ねえ、影山。いつも昼ご飯菓子パンだよね? 私、今度お弁当作ってこよっか?」

 いつの間にかそんなことを口走っていた。

「え? いや別に菓子パンで困ってないからいいけど。両親忙しくてずっとこれだし」

 しかも、お断りされた。

 だがなんとなく猛烈に引き下がりたくなかった。

「いやいや、夢を目指すなら体調管理も大事でしょ? 体調管理も第一歩は食事じゃない。それに毎回私が読ませてもらってばっかりじゃ一方的じゃん? 私体調管理のために自分で作ってるから一人分増えるくらい大丈夫よ」

「うーん。別に読んで感想もらえるのは僕としてもありがたいからいいんだけど」

「よし、決まりね。明日作ってくるから!!」

「あれ、おかしいな? まだ貰うって言ってないんだけど、決まってしまったぞ?」



   □□



「乙女か私は……いや年齢性別的には乙女ど真ん中だけど……」

 その日の夜。森アリサは自宅のキッチンでエプロンを付け、翌日の弁当の仕込みをしながらブツブツとそう呟いていた。

(意中の人の気を引くためにお弁当作るとか、どこのラブコメヒロインよ……)

 まあ言ってしまった以上は、作って持っていくわけだが。

 これでも料理は自信がある。

 森アリサの家は自分以外はガッツリ食べる人たちばかりで、体調管理とスタイル維持のために昼ご飯は自分で低カロリーの弁当を自分で作ってバランスをとっているのである。

 その中で栄養バランスがよく、低カロリーでちゃんと美味しい料理のレパートリーを身につけていったのだ。

 まあ、器用な方なのでネットを調べればいくらでもレシピが載っているこのご時世それほど難しいことでもない。

 そんなことを考えていると。

「ういー、コーラ、コーラー。寝る前の罪深いダイエットコーラ〜」

 と謎の歌を歌いながら、兄がキッチンに入ってきた。

 三つ年上の大学生の兄である。

 長身の父親の遺伝子を引き継ぎ190cm以上あるこの男は森アリサと同じ血を放ってるだけあってルックスもいい。

 大学でも相当モテているらしく、毎週違う女を自分の部屋に連れ込んでいた。

「お? なんだアリサ今日はいつもより作る量多いんだな」

 兄は冷蔵庫から冷やしたコーラを取り出すと、こちらの方を見てそんなことを言った。

「……うん、ちょっとね」

「ふむ……」

 兄はこちらの方をジロジロと見て言う。

「あー、好きな男できたわけね」

「な……何を根拠に」

「メスの顔をしてる」

「うざ……」

「はっはっはっ、まあ妹にもようやく初めて恋の季節が来たようでお兄ちゃんは嬉しいぞ」

 そう言ってバンバンと背中を叩いてくる兄。

「いや、初めてって。別に今までも告られて付き合ったこと何度もあるし」

「別にそいつらのこと、好きにはなれなかったんだろ?」

「……」

 言われてみればそうだったかもしれない。

 これまで付き合った相手は向こうから告白してきたから、とりあえず付き合ってみるという感じだった。

 自分から相手に興味を持って、関わっていったのは多分影山が初めてだ。

「初恋ね……」

「なんだ? 不満そうだな」

「なんかさ、おバカで周りが見えてない感じがして……あんまり好きじゃないんだよね。恋って響さ」

「何言ってんだ。恋はいいぞ。人生が楽しくなる。毎日ウキウキだぜ!!」

 兄は両腕を広げて、ボディビルダーのようなポーズをとりながらそう言った。

「そんなものなのかなあ」

 森アリサはそんな風に呟いたのだった。



 そして、翌日の昼休み。

「……うん。森さん。このお弁当美味しいよ!!」

 影山が森アリサの作った弁当を食べて嬉しそうにそう言った。

(あ、いい、初恋いいわこれ……)

 それだけで頭からファンファーレが聞こえるくらい嬉しい気分になってしまう。

「うん……僕が今まで食べたお弁当の中で一番美味しいと思う」

 影山が真剣な表情でそんなことを言った。

「ほ、褒めすぎよ。これくらい今はネット見れば作れるんだから」

 ダメだ。顔の筋肉が緩みすぎて、今アホみたいな表情になってると思う。

 あんまり気の抜けた顔を影山に見せたくなかったので、影山のノートを手にとって今影山が書いている作品を読み直すことにした。

(うん。やっぱりめちゃくちゃだけど好き)

 特に今回はヒロインの一人として書かれているキャラが、森アリサは気にいっていた。

 どことなく親近感が湧くのだ、このヒロインは。

(……ん? いや待って)

 そこであることに気づく。

 なんとなくだが見た目とかプロフィールとか、あとちょっとした発言の内容とか、なんかだいぶ身に覚えのある感じがするのだ。

「このヒロインてもしかして……」

 そんな風に一人呟いたのを影山はしっかり聞いていたようだった。

 ちょうど弁当を食べ終わったところだった。

「美味しかった、ご馳走様。ありがとう森さん……ああ、気付いたかい? そのヒロイン、実は森さんをモデルにして書いてるんだ」

「やっぱりそうなんだ……てか、なんで私?」

 疑問に思ってそう聞いた森アリサだったが。

 影山は「むしろ君こそ何を言っているんだい?」と言った感じで。



「なんでって、森さんが魅力的な女性だからに決まってるじゃないか」



 そんなことを言ってきたのである。

「え、ちょっと、何。急に何言い出すのよ影山」

 頭がパニックになりそうになる森アリサ。

 そんな自分のことなど気にぜずに影山は話を続ける。

「当たり前のことじゃないかな? 自分の身の回りにいる人をモデルにするのって」

 いやまあ、それはそうだけども……。

「それに僕は、僕が心から「いい」と思ったものしか書かないと決めてる。いいと思わないものを入れた瞬間に、その作品に込めた魂が急激にぼやけると思うから」

 そしてこちらの顔を真っ直ぐに見ながら。

「だから、僕の身の回りで一番魅力的で「いい」と思った君を、作品の中に出すのは当然だよ」

 恥ずかしげもなく堂々とそんなことを言ってのける影山。

(……え、なにこれ、私告られてんの?)

 そう思って影山の顔を見ると。

 至って真剣。

 たぶん自分を落とすために大袈裟なことを言って褒めるとか、そんなことは微塵も考えていないだろう。ただ真摯に、自分はこういうことを考えて創作をしているんだと伝えにきている表情だった。

(……まあ、そうよね。影山はそういうやつよね)

 そんなことを思いつつ、もう一度小説を読み直す。

(うわ、めちゃくちゃ『綺麗』とか『優しい』とか『カワイイ』とか描写されてるじゃん、気恥ずかしい……照れる……嬉しい……)

 なんかもう、この前までと同じ気持ちで影山の小説を読めない気がした。

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