第8話 森アリサ2

 ある日の昼休み。

 森アリサの取り巻きたちは、いつも通り昼食を一緒に食べていた。

 しかし、大きく違うところが一つ。

「あれ……アリサいないんだな」

 取り巻きの一人の、バスケットボール部の男子が言う。

「あー、なんかまた用事だってー」

「最近、時々昼休みいなくなるよな」

「アリサのことだからまた誰かに呼び出されて告白されてるんじゃないの?」

「あー、ありうるなソレ。前はほんと休み時間の度にいろんな男子から呼び出されてたもんな」

「……」

 川村はそんな皆んなの会話を、同じく教室にいない影山の席を見ながら黙って聞いていたのだった。



   □□



「やっほー、影山」

「また来たんだね、森さん」

 その頃、森アリサは影山のいる四階の空き教室に来ていた。

 この前空き教室でやりとりして以来、時々昼休みに影山に会いに来ているのだ。

「ねえ、今日も見せてよ。書いた分」

「うん、もちろん!! ぜひ読んでよ!!」

 そう言って嬉しそうにノートを渡してくる影山。

 その様子に少し自分の表情が綻ぶのを感じながら、今日もノートを受け取って影山の前の席に椅子を反転させて座る。

 これがこの空き教室に来た時の恒例となっていた。

 少しの間、森アリサのページをめくる音だけが空き教室に響き渡る。

「……どう?」

 少しウキウキした様子で影山は自分の目を覗き込んでそう聞いてくる。

「うん……今回書いた分も私は好き。影山らしくていいと思う」

 読んだ感想を正直にそう言った。

 森アリサは影山の小説が好きだった。初めて読ませてもらった時に「ああ、これは凄く好きだな」と思ったのである。

 特に好きなのは……自分と違って情熱的なところ。

 自分が昔作った小器用にそれっぽくまとめた短編漫画なんかとは違って「どうだ!! これが俺の面白さだ!!」と全力で叫んでいるような。そんな文章が好きだった。

「そうかい!? それはよかった!! 実は僕も結構よく書けたと思うんだ。特にここのバトル描写なんだけど、駆け引きと最後の決め手が書いてるうちに最初に考えていたものよりいいものが思いついてさ……」

 そう言って自分の書いた小説のことを楽しそうに話し始める影山。

 その無邪気な子供のような様子が、森アリサには眩しくて……同時にちょっと可愛いなと思う。

 森アリサ自身は末っ子で弟とかはいないのだが、いたらこんな感じなのだろうか?

 などと思ったりもする。

「もう、あとちょっとで完成ね」

「うん、そうだね。新人賞までに間に合いそうでよかったよ」

 影山は昼食の菓子パンを食べながらそう言った。

「ああ……そうね。新人賞に出すのよね」

「うん。審査員の人たちに読んでもらうが楽しみだなあ」

「そう……そうよね」

「どうしたの森さん?」

 なんでもないわ。

 と、誤魔化す。

 そう、当然のことだ。

 影山はライトノベル作家を目指している。

 そしてもうすぐ一作品書き終える。

 ならばそれを新人賞に出すのは当たり前の流れだ。

「……影山」

「なんだい森さん?」

「小説書くのは楽しい?」

「もちろんだよ」

 やはり影山は本当に楽しそうにそう言った。

「……そう」

 森アリサは少し俯いて。

「影山にはさ……ずっとそう言う風に思っていて欲しいって……私は思うよ」

 そう言ったのだった。



   □□



 そして、それから数ヶ月経ち……。

 すっかり寒くなり制服も冬服に切り替わった頃。

「……」

 その日の昼休み、今日も森アリサは影山のところに行くつもりだったがその前に女子トイレの個室に入って自分のスマホを見てた。

 そしてあることを確認し……。

「……ああ、やっぱりか」

 一人そう呟く。

 見ていたのは数が月前に投稿した新人賞、その選考結果を発表している出版社のページ。

 今日は一次選考の発表日。

 そして影山の小説は……一次選考で落ちていた。

(正直……このことは予想できた)

 森アリサは影山の小説を実際に読んだ人間としてそんなことを思う。

 もちろん、影山の小説を読んで面白いと思ったことは間違いない。自分が影山の小説を好きなのも嘘はない。

(でも……影山の小説は選考を抜けるには拙すぎる……)

 長編一本、一冊のライトノベルというものの基本が全くなっていない。

 森アリサは個人的な感覚として影山の文章が好きだったがそうでない人もいる。

 そして、そういう人たちからすると読み進めるのも一苦労だろう。

 影山と話すようになってからライトノベルについては調べたが、新人賞は特に最初の方の選考では面白さ以前にそういうところを前提として見られるところはある。

 もっと言えば沢山の作品を読まなくてはいけない選考員は、読みにくい作品はザッと読んでしまうということも多少あるだろう。

 影山の作品はそういう風に読まれたらもうダメだ。

 最後まで『ただのメチャクチャな作品』として読み終えられてしまう。

「ショックだろうな……いくら影山でも……いやあれだけ情熱のある影山だからこそ」

 自分の作品について嬉しそうに語る影山の姿が思い浮かぶ。

 作品が選考に落ちるというのは……その作品に「無価値」のラベルを貼り付け、その作者の全てが否定されることに等しい。

 少なくとも落ちた側はそう感じるものだと思う。

 だから情熱があるほど、夢があるほど、自信があるほど、ショックは大きい。

(……影山に、なんて声をかけたらいいんだろう)

 そんなことを考えながら重い足取りでトイレを出て、いつもの四階の空き教室に向かう。

 そこにはやはりいつも通り影山。

 しかし、今回はいつもと違い影山はノートに小説を書いているわけでも、ラノベを読んでいるわけでもなく携帯で何かを確認していた。

 たぶん選考結果を見ているのだろう。

 森アリサは教室の中に入ると、後ろから影山のスマホの画面を覗き込む。

(あ……評価シート)

 新人賞によっては評価シートと言って、落選した場合でも作品の評価やアドバイスを送ってきてくれるところがある。

 そして、そこに書かれていたのは……厳しい言葉の数々だった。



 テーマが途中でブレています。

 ヒロインに好感が持てません。

 読み進めるのが正直大変なほどでした。

 主人公が死んで退場するのが早すぎます。二人目に主人公? になったキャラは好感が持てました。

 これはライトノベルになっていないと思います。

 もっと過去の受賞作品や、発売している作品を読んで勉強しましょう。



 正直、自分が言われているわけでもないのに目を背けたくなった。

(……影山)

 影山はその評価シートの画面をじっと見ていた。

 その姿が中学の頃の自分。初めて書いた漫画を酷評されたショックで、その場に固まってしまった自分に重なった気がした。

 もしかしたら、これで執筆を嫌いになってしまうかもしれない。

 自分のように。

(何か……何か影山に言わなきゃ、影山の心を楽にする言葉を……)

 自分はそういうそれっぽい言葉を言うのは得意じゃないか。

「ねえ……影山」

 しかし。

 森アリサがそんな風に何か言おうとした時。

 影山が酷評の書かれた評価シートを見つめたままこう呟いたのだ。



「……燃えてきたな」



「え?」

 思わず間の抜けた声を上げてしまう。

 その声でようやくこちらの存在に気付いたのか振り返ってくる影山。

「あ、森さん。今日も来たんだね」

 その表情はこちらの想像していたものとは全く違っていた。

 悲壮感は一切無く、むしろそのいつものように……いやむしろいつも以上に決意と情熱が宿っている。

「えっと……影山、新人賞だけど……」

「うん。落ちてた、一次選考落ちだった」

 キッパリと、本来なら認めたくなんかないであろうその事実を口にする影山。

「それに、その評価シート……」

「ああ、これね」

 影山は森アリサの指差したスマホを改めて見ながら言う。

「燃えてくるよね。こんなにダメ出しされるとさ、まるで物語の主人公みたいだ」

「……物語の主人公?」

「そうだよ。大きな感動、壮大な物語を作るには主人公を一度落として、ピンチや辛い状況を作る必要がある。この評価シートは僕という人間の人生を彩る大事な要素になった。感謝だ」

 そう言って、影山はその評価シートをスマホに保存した。

「いつかこうして酷評されたことが、変え難いほどの大きな歓喜に繋がる日が来る。僕は今からそれが楽しみで仕方ない」

 そう言って瞳の奥に情熱を燃やす影山。

「……悔しくないの? 辛くないの? もう書きたくないって思わないの? こんなに言われて」

「もちろん悔しいし辛い、今すぐ喉を掻きむしりたくなるほどに……でも考えてみてよ」

 影山はスマホを画面を見ると。

「『テーマが途中でブレています』『ヒロインに好感が持てません』『読み進めるのが正直大変なほどでした』『主人公が死んで退場するのが早すぎます、二人目に主人公? になったキャラは好感が持てました』『これはライトノベルになっていないと思います』『もっと過去の受賞作品や、発売している作品を読んで勉強しましょう!!』」

 なんと自分の作品の酷評を大声で読み出したのだ。

 一つ一つですら目を背けて逃げだしたくなるような言葉たちを、むしろ噛み締めるように。

 そして。

「こんなに伸び代を指摘してもらったんだ。早く次の作品が書きたくて仕方ないよ……」

 喜びと期待を心から噛み締めるように、そう言ったのである。

「……」

 森アリサは言葉を失った。

 影山のことを弟みたいだ……と可愛らしく感じていたが、とんだ見当違いだった。

(……強い)

 精神が。

 自分なんかとは比べ物にならないほどに……。

「凄いんだね。影山は……」

 自分はあの日、今日の影山のように自分の作品を酷評された時に、絵を書くことをやめてしまった。

 だって怖いから。

 上手くいかないことが。失敗することが。

 失敗は恐ろしい。

 自信を失い、他人から下に見られ、痛くて惨めな思いをする。

 失敗するかもしれないことに手を出さなければ安全に、いい思いをして生きられるのにそんな世界に再び挑戦する気に、自分はなれなかった。

 だからこそ……影山に聞いてみたいことができた。

「ねえ影山……」

 森はいつものように影山の前の席に座った。

 向かい合う。

 影山がこちらの方を見る。

「私思うんだけどさ……夢を追うのってとんでもないリスクがあると思わない?」

「とんでもないリスク?」

「うん……負け犬になるリスク」

 森アリサはあの日、漫画を持ち込んだ日に強く感じたことを言う。

「普通の人生ってさ。給料とか生活レベルの差はあっても、まあこの国でそれなりに暮らせれば『負け』って本質的にはいないと思うの。一流大学に入れなかったとか、就職失敗したとか途中であるかもしれないけど、とりあえず生活できて最低限生きられればそれは少なくとも負けじゃない」

「……」

「でも、夢を追う人は……自分の実力で夢を叶えようとする人には、明確に勝った人間と負けた人間が存在する。夢を追って、叶えられなかった人間は単純に負け。そういう傷を人生で負い続けることになる」

「なるほど。なんというか凄く実感のある考えだね」

 そう言って深く頷く影山。

 例えばプロのスポーツ選手を目指してなれなかった人、例えば芸人として成功しようとして売れない芸人のまま終わってしまう人、例えばアイドルや俳優を目指して食べていけずに歳をとってしまう人。

 そういう人々は実際に星の数ほど存在するのだ。

「ねえ……影山はさ、それが怖くないの? もしかしたら夢破れた人になってしまうことが、自分の人生にいつも『負けた』っていう意識を持って生きなくちゃならなくなることが……」

 森アリサはそう言って、影山の目を覗き込んだ。

「そうだね……」

 こうすると自分の容姿が整っているからか相手が気恥ずかしくなって目をそらすことがほとんどなのだが、影山はこちらの目を正面から見据えたままだった。

 そして。

「……分からない、かな」

 影山はそう言った。

「それは、夢が叶わなかった時のことは考えたくもないってこと?」

 もしそうなら。ただの現実逃避だと思う。

 それなら影山も根本的には自分と同じではないだろうか?

(失敗して惨めな思いをする現実を直視してしまい逃げた私と、そういう現実を見ない事にして逃避している影山……本質的には何も変わらない。どっちもただの臆病者だ)

 などと思っていたら。

 影山は首を捻って。



「いや、なんで人生の勝ち負けとか失敗するとか、そんな『些細なこと』を気にしているのか分からない」



 ほんとに不思議そうにそんなことを言ってきたのである。

「……え?」

「僕は人生が失敗したか成功したかの尺度は、たった一つだと思う」

「……その尺度って?」

「自分の『信念』を貫けたかどうか」

 影山は曇りの無い澄んだ瞳でそう言った。

「それさえ成せたのなら、いいじゃないかと思う。夢が叶わなくても、誰にも自分の書いたものが評価されなくても、負け犬と罵られて一生底辺を這い回るような生活をしても……自分の『信念』に嘘をつかず、挑戦し続け、真っ直ぐに生きられたならそれでいい。それで爽やかだ、そんな人生を僕は心の底から『かっこいい』と思う」

「……」

「もちろん、夢は絶対に叶えるつもりだしライトノベル作家として世界中の皆んなに僕の作品を読んで楽しんでもらえるようになる、その未来を疑っているわけじゃない。でも一番大事なのはきっとそういう『どう生きたか』ってことなんだと、僕の中の何か……絶対的な答えを魂の奥底で叫び続けている何かがそう言ってるんだ」

「……ああ」

 そうか、影山は全てを賭けてるんだ。

 森アリサはようやく理解した。

 影山は初めから「人生の全て」をその夢に賭けている。

 人が歩みを止める時は、きっと自分のように中途半端に自分が今持っている何かを守ろうとしている時だ。

 プライドだったり、自尊心だったり、周りからの評価だったり、社会的な立場だったり。

 影山はそれらを全て初めから夢に突き進むための燃料だと言わんばかりに、夢に向かう情熱の中に放り込んでる。

 だから影山は恐れない、歩みを止めない。

 人生全てを賭けてしまえば初めから失うものなど何もないのだから。

「……凄いよ……本当に凄いよ」

 森アリサがそう呟いていると。

「まあそれはそれとして、とりあえず……」

 影山が椅子から少し身を乗り出してきた。

 そして。



「ありがとう、森さん」



 ガシッ!! と。

 こちらが机の上に出していた右手を、自分の両手で包んで来たのである。

「え? え!?」

 急に自分の手を包んだ思ったよりも大きくて硬い、ちゃんと男の子の手の温度に心臓が早まる。

「君が読んでくれたおかげで、僕はこの最初の作品を書き上げて挑戦することができた。本当にありがとう」

 そう言って深々と頭を下げる影山。

「い、いや。影山なら私がいなくても……」

「仮にそうだとしても。森さんに読んで感想を言ってもらって、僕の「次はこうしたいんだ」って話を聞いてもらったからスムーズに書き進められたのは紛れもない事実だよ」

 そう言って、本気の感謝を込めた力強い目でこちらを見てくる。

「……っ!!」

 なぜか分からないが、顔が熱くなって目を逸らしてしまった。

 人と目線が合って自分から目を逸らしたのは初めてな気がする。

「よければこれからも、僕の書いた作品を読んでよ」

「う、うん……」

「ありがとう。きっと結果を出してみせるよ」

 そう宣言した影山の顔を、森アリサは見ることができなかった。

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