第7話 森アリサ1
人生はちょろい。
普通にヌルゲーだと森アリサは思っている。
生まれもったクオーターの美麗な容姿は多少手入れと着飾り方を覚えれば、飛び抜けた美貌になった。
器用で要領がよく勉強も運動神経も普通にやってれば上位になれた。
人間関係も別に難しいことはない。
自分の容姿と能力の高さに惹かれて勝手に人は集まってくるのだ。そういう人たちと必要以上に波風立てずに、上手くやっていればいいのである。
(このまま、私の人生は普通に上手くやって人並み以上に暮らすんだろうな)
そんな冷めた確信を持って、森アリサは高校生活を過ごしていた。
ちなみに高校生活も楽勝だった。普通にやってれば問題なく過ごせる。
だからこそ逆に面白味のないゲームだなと思うこともある。
そんな風に思っていた森アリサの前に。
「誰がなんと言おうと、この先それを言う人が世界中で僕だけになったとしても……僕は言い続けるよ……『ライトノベルは素晴らしい』と」
とんでもなく普通じゃない男が現れた。
(へえ……いたんだ。あんなやつ)
自分の取り巻き……まあ、意図して集めたのではなく勝手に集まってきたのだが、その取り巻きの一人に情熱的な言葉を投げかける一人の男子。
そんな彼に、どうしても興味を惹かれてしまったのである。
□□
例の影山大演説騒動その二から一週間後。
「……ねえ、影山ってさ」
森アリサは昼休みに、自分の取り巻きたちに向けて言った。
「……」
それだけで嫌そうな表情をする、脱色した髪と改造制服の川村。
二回目の大演説騒動の時は、自分の取り巻きたち全員が言い負かされる形になったため、終わってすぐの時は皆川村のような反応だった。
しかし、まあそこは自分が誕生日会の時にフォローを入れている。
「あー、影様ねえ。そういえばこの時間て自分の席にいないよね」
「あれだろ? 影様ともなれば、きっと学校の地下とかにVIPルームがあってステーキとか食ってんだろ」
「なにそれ、ちょっとイメージできてウケる笑」
とまあ、こんな感じで、影山という急にクラスの中で大きくなった存在を緩やかに受け入れていた。
ちなみに、この『影様』という様がついているけど半分からかったような呼称は、森アリサが取り巻きたちへのフォローとして考え出したモノである。
基本的に自分たちがクラスの中心で一番上のカテゴリーにいたいと思う彼ら彼女らにとって、影山のような分かりやすいスペックは何もないのに自分たちのことを気にも留めない存在は、そのまま受け入れることはできない。
だから逆に、行き過ぎた敬称で少し見下して考えられるようにこの呼び方を考えたのである。
その試みは上手くいった。
川村だけはかなり思うところがあるようだが、他の取り巻きはこのノリを楽しんでいる。おかげで影山に対して特に悪い印象を残していない。
そもそも同じクラス内で目の敵にしている相手がいること自体が危うい状態なのだ。上手く距離をとりつつ、自分たちがベストな生き方だと思えることが一番居心地がいい。
こういうところで自分は器用だなと思う。
(……逆に川村はもう少し器用にならないと、居辛くなっちゃうかも)
いちいち影山の話題を出すために露骨に不機嫌になられては空気が悪くなるだけだ。
森アリサの取り巻きたちが作るようなコミュニティは、「空気を悪くするやつ」を最も嫌う。
だからって言って、それを言って聞かせることをする気はなかった。
そんなことをして妙な反発をかって、敵になられてもめんどくさい。というか川村のようなタイプはそうなることが分かるのだ。
「姑息だなあ……私……」
「ん? アリサー、なんか言ったー?」
「いや、なんでもないわ。てか皆影山が昼休みどこいるかは知らないのね」
「……なあ、アイツの話やめようぜ」
川村が露骨に不機嫌な声でそう言ってきた。
「そう? それじゃあ話変わるけど、昨日配信されたドラマがさ……」
森アリサは川村の不機嫌さはスルーしつつ、昨日これは話題にできそうだなと思った海外の人気俳優が主演を務めるドラマの話を始めるのだった。
□□
翌日の昼休み。
森アリサは普段昼食を共にしている取り巻きたちから離れて、校舎中の空き教室を見て回っていた。
「……いた」
割とすぐに見つけることができた。
四階の空き教室。そこで菓子パンを食べながら、黙々とノートに作品を書いている影山を見つけたのである。
ガラガラと扉を開けて中に入る。
しかし影山はそんなことでは書くのをやめない。
集中し、黙々と考え、ペンを走らせている。
「ねえ」
声をかけてみたが全く反応がない。
完全にこちらに気づいていないのだ。
「凄い集中力……」
改めて、とんでもないやつだなと思った。
だが森アリサとしても、わざわざ昼休みの時間を割いてここまで来たのだ。
少しは付き合ってもらおう。
森アリサはツンツンと影山の肩をその細くうっすらとネイルの施された指で突いた。
「ん? あれ? ああ、ええと……」
「森アリサ」
「ああ、そうそうこの前誕生日だった」
(こいつ、私の名前忘れたな……)
この前、あんなことがあったというのに大したタマである。というか自分の名前は『学校一のスーパー美人』ということでクラスどころか学校中で知らない人がいないくらい有名なのだが……。
余計に興味が湧いた。
「この空き教室、いつも昼休み使ってるの?」
「うん。前に一回使ってみたら静かでさ。集中しやすいよ」
「そうなんだ……ねえちょっと、お話ししていい? 影山に興味あってさ」
「うーん。まあ、今ちょっと行き詰まってたし大丈夫だよ」
つまり行き詰まっていなかったら後にしてくれ、と言うつもりだったのだろうか?
容姿のおかげで他人から興味を持たれなかったことのない森アリサからすれば、この態度も初めてのことだった。
森アリサは、影山の前の席に椅子を反対向きにして座り言う。
「ライトノベル作家、目指すんだってね。本気なの?」
「本気だよ」
即答である。
一切の躊躇いもない。
こうして改めて正面から見ると、むしろ気弱で内気そうな見た目をしているというのに、その声は力強かった。
「難しい業界なのは分かってるのよね?」
「そうだね」
「デビューするだけで一握りだし、デビューしても大半の人は一巻で打ち切り、連載が続いても食べていけるほど売れるか分からない、大半の人は普段別の仕事をやりながら書いてる。それだけで食べていける本当に成功した人間なんて一握り中の一握り……そんな世界よ」
「……出版業界に詳しいんだね森さん」
影山は少し意外そうにそう言った。
あ、しまったな、少し自分を反省しつつ。
「まあ、ちょっとね……」
森アリサは少し遠い目をして、窓の外を見た。
■■
森アリサは実は中学まで漫画を書いていた。
元々少女向けのアニメが小さい頃好きだったのもあり、よくお絵描きはしていた。
中学の頃に、授業さえ聞いていれば成績上位になれてたこともあり、時間が空いていたので思い立って漫画を書いてみることにしたのだ。
初の漫画は多少苦労はしたが、それほど止まることなく書き上げることができた。
十五ページほどの短編マンガ。
いい出来だと思った。
自分が器用なのは分かっていたが、ここでもその器用さが発揮されるんだなと思った。
人生は楽勝だなと、当時から思っていたがその考えがより強くなった。
そして、多少の不安と大きな期待をもって出版社にその原稿を持ち込んだ。
持ち込みは漫画家たちの登竜門である。
初めて書いてこの出来だ。
きっと賞賛されるだろうと思っていたのだ。
「……端的に言うと、私は面白いと思わなかったわ」
原稿を読んだ女性編集者は、そんな小娘の甘い妄想を木っ端微塵に砕いた。
「……え」
「話があまりにも小器用で平凡。これ自分で凄く面白いと思って書いてるかしら? 絵も崩れてないのはいいけど特別上手いというわけでもないし、読んでいて退屈な画面ばかりだったわ」
それから色々と技術的なことを長々と言われたが、全く頭に入ってこなかった。
ガツンと頭を鈍器で殴られたような、衝撃と目の前の世界がぼやけて遠くなる感覚。
嫌だ。
聞きたくない。
一言一言ごとに、本当は根拠が無かった自信を削り取っていく言葉たちをなんとか自分の中に入れたくない。その考えだけが頭を支配した。
それでもなんとか返事をして聞いている風を演じる。
だが相手はプロの編集者。それも日本で一番有名な漫画雑誌の編集者だ。
そんな演技は簡単に見透かされたようだった。
「……」
一度、漫画に対するアドバイスを中断しこちらの方をじっと見た後に言う。
「……ねえアナタ。もしかしてだけどこういう厳しいこと言われるの初めて?」
「それは……」
「失礼なことを言うけど、たぶんアナタ凄く可愛いから厳しいことは言われてこなかったと思うの」
見当違いだったら怒るところだが、凄まじく図星ではあった。
両親も友人も、少なくとも男はほぼ全員自分には優しかった。自分が器用なのもあったが、何をやっても最初から褒められたことしかない。
正直に言えば、多少漫画の内容が悪かったとしても誰も自分に嫌われたくないから「かなり言葉を選んで優しく言ってくれるだろう」と考えていたところはある。
「でもね聞いて。漫画はそんなことを配慮してはくれない世界なのよ」
女性編集者は真剣な声でそんなことを言ってくる。
「もちろん、今は作者の容姿やキャラで売るやり方もゼロじゃないけど、基本的には『実力が全て』『作ったものの面白さが全て』なの。誰もアナタが可愛くてコミュニケーションが上手だからってだけで、アナタの漫画を心から面白いと思って買ってくれないわ」
「……」
「それでも、アナタが今までその恵まれた容姿と器用さで守られていた世界ではない、剥き出しの世界で戦いたいというなら……今日言われたことを参考にしてまた作品を持ってきてくれると嬉しいわ。『初めて書いた短編にしては』って冠がついちゃうけど、ちゃんと短編としては成立してて悪くはなかったと思うから」
そう言って女性編集者は原稿を返してきた。
「……あ、ありがとうございます」
森アリサはそう答えることしかできなかった。
人生はちょろい。
そう思っていたが、全然ちょろくない世界もあった。
ちょろいと思えていたのは、自分にとってちょろい世界にしか生きていなかったからだ。
そのことを思い知った中学二年の夏であった。
■■
「……森さん?」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと意識どっか行ってた」
森アリサは影山に声をかけられて苦い思い出から戻ってきた。
「……」
あの日以来、自分は絵を描くことそのものを止めてしまった。
でも目の前の男子は。
「さっきの話だけど、僕も森さんが今言ったようなことは分かってるつもりだよ。そんな簡単な夢じゃないことは分かってる。だけど……目指す」
影山の髪の間から瞳が覗く。
「僕はなる……ライトノベル作家に……絶対になる。絶対にだ」
情熱的な瞳、真っ直ぐで熱い瞳。
「ふふ」
森アリサにはその子供のような、純粋な瞳がどうしようもなく輝いて見えて。
「……ねえ、影山の書いた小説。見せてよ」
気がつけばそんなことを言っていたのだった。
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