第3話 日野進次郎2

 衝撃だった。

 日野にとって、影山のあの授業での発言は衝撃的以外の何物でもなかった。

 日野自身もプロ野球選手という「夢らしい夢」を皆の前で発表した人間である。

 しかし、影山が語った「夢」と自分のそれは決定的に違うように思えた。

 日野がプロ野球選手を目指すことは生まれた時から決まっていたと言っていい。



『おお、デッカい赤ん坊だ!! よし、こいつをプロ野球選手にするぞ!!』



 さすがに覚えていないが自分の父親はそんなことを言っていたらしい。

 その言葉通り、日野は物心ついた時からいつの間にか父親に毎日野球をやらされていた。

 かなりのスパルタ練習だったが、ありがたいことに才能には恵まれていたのもあり、ずっと所属するチームではエースで四番を打つくらいの選手になった。

 そして、今やプロのスカウトに注目される選手だ。

(だけど……俺自身、野球が好きかと言われると……)

 正直、どうだろう。

 と思うのだ。

 自分の意思とは関係なく、それをすることが初めから決まっていた道である。

 もちろん日々の練習に手を抜いたつもりは無いし、そもそも親や監督から嫌でもやらされるので練習量も人一倍やってるつもりである。

 というか、他の人は以外とやっているようでそれほど野球漬けじゃないことを知っている。

 練習だって手を抜くし、休日はゴロゴロしているものだ。

 日野にそれはない。

 そういう選択肢はない。起きている間は誰かの目があれば野球をせざるを得ないのだ。

 だからこそ、人よりも頭一つ抜けた結果が出ていると思う。

 でも、やっぱり自分で決めた道じゃない。

 しかし影山は……彼があの授業で宣言した夢は誰がどう聞いても、自分で決めて自分で決意した夢だろう。

 自分の夢だ。誰かの夢じゃない。

 それを皆の前で堂々と宣言して見せる決意の強さ、そしてライトノベルという目指すものに対して語ったあの熱量。

 果たして、自分は野球に対してあんなことができるのだろうか?

 そんな風に思ってしまい、あの日以来、影山の席の方をチラチラと見るようになった。

 そこにはいつも机に座り、食い入るようにライトノベルを読んでいるかノートにおそらく小説を書いている影山の姿があった。

 その様子はまさに一心不乱だ。

 クラスが話題のインフルエンサーの逮捕のニュースとか、同学年の誰と誰が付き合って別れたとか、そういう話題で盛り上がっていても完全に自分の目標に向けて黙々と読んで書いていた。

 凄いな、と正直に思った。

 同じクラスという空間に、あんな一生懸命な人間がいたのだ。

 それに気づいたことで、これまで空気に近かった教室での影山の存在感は凄まじいものになった。

 それは、クラスの他の皆も同じだったようだ。

 その日からクラスの会話の中で影山が話題に上がることが多くなった。

 もちろん日野が思っているようなポジティブなモノだけではない。

 なんならネガティブで、揶揄うような話題の上がり方が多かった。

 だいぶ痛いやつ、急に演説仕出した時引いたわ、今更厨二病発症したのかな、てかあんだけ熱く語っといて夢ラノベ作家かよ、チー牛笑。

 今度は彼ら彼女らの中では熱の入ったことを語り出すことを「影山する」と言うようになったようだった。

 もちろん肯定的な意見もある。

 アイツ面白い奴だったんだな、とか、ちょっと応援したくなっちゃった……とか。

 こちらはあくまで少数だが。

 ともかく。

 それまでは影の薄い存在としてスクールカーストからは「いないもの」として扱われていた影山は、いつの間にか良くも悪くもクラスの話題の中心と言ってもいい存在になっていたのだ。

 しかし、どうやらそれがなんとも面白くない連中がいたようだった。

 森アリサという女子生徒を中心とした、このクラスの中心的なグループの人間達であった。

 と言っても森アリサ本人は、あまり自分がクラスの中心であることにこだわりはないタイプのようだが、どうもその周りに集まっている連中は自分たちがクラスの中で「一番」でないことが面白くはないらしい。

 だから、影山に対してネガティブなことをクラスのグループラインや教室内での会話で言うのは彼ら彼女らが一番多かった。

 そうすることでマウントを取り、自分たちが上だとアピールしているんだろう。

 日野からはそう見えた。

 だが影山はそれにも無関心。

 ただひたすらに黙々と自分の作品を書いている。

 その態度が、より森アリサの取り巻き達を苛立たせた。

 そんな不満が爆発したのは、影山が夢を語った授業から一週間後のことだった。



 その日は森アリサの誕生日であった。

 クラスの大半が入っているグループラインには取り巻き達が一斉に盛大な絵文字付きの誕生日おめでとうメッセージを送り、クラスの他のメンツもまあ別に祝うこと自体は嫌じゃないし、スルーしてあとで難癖つけられるのもめんどくさいので、すぐに流れに乗っておめでとうとメッセージを送った。

 日野もほとんど手癖のような感覚で「誕生日おめでとう」のメッセージを送った。

 しかし、ここでも影山は彼らの神経を逆撫でした。

 昼休み前にはグループのほぼ全員が反応を返したのだが、たった一人、影山だけはメッセージを返していない。それどころか一人だけ既読すら付いていないのである。

 もちろん、何かあってスマホを見れないといわけでは決してなく、影山は今日も自分の席に座って黙々とラノベを読み、ノートに小説を書いている。

 いたって健康。

 だが君らのリア充アピールごっこにはさっぱり興味がない。

(まあ、そんなふうに見下されているって感じるだろうな)

 日野はそんなことを思った。

 そして、その推測はあっていたのだろう。

 昼休みになると、森アリサグループの一人がとうとう影山の席に歩いて行った。

「ねえ、ちょっと影山ーぁ」

 そう影山に声をかけたのは、川村鮫子(かわむらこうこ)。

 校則違反の脱色した髪に派手な化粧、同じく校則違反の丈を短くした改造制服に、耳にはやはり校則違反のピアスに少し焼いた肌。

 言ってしまえば、いかにもギャルっぽい女子だった。

「……」

 影山は返事なし。

 黙々とノートにペンを走らせる。

「……おい、無視すんなってチー牛」

 そう言って影山の肩をドンと押した。

 何かに気が付いたかのようにバッと顔を上げる影山。

「……あれ? どうしたの川村さん」

 どうやら、無視したのではなく集中しすぎてほんとに気が付いていなかったらしい。

(すごい集中力だな……)

 毎日競技スポーツをやっている日野だが、仮に試合中でもあそこまで至近距離で声をかけられて気づかないほどの集中を発揮できるかどうか……。

 影山のそんな態度に、細く剃った眉をピクつかせながらも川村は言う。

「今日さー、アリサの誕生日なんだわ。おめでとうとかないわけ?」

 その言葉に続くように。



「そうだぞー冷たいぞー、影山くーん」

「気の利かない男は女子から嫌われるわよー」



 と、森アリサグループの他の連中が囃し立てる。

 まだマイルドだが空気としては吊し上げに近いだろう。

 しかし。

「……ああ、そうだったんだ知らなかった。誕生日おめでとう森さん」

 そう言ってそう言って森アリサの方を向いて一度頭を下げ。

 そして用事は済んだなとばかりに、再びノートに目線を戻して小説を描き始めた。

 さらに先ほどの倍以上の勢いで眉をピクつかせる川村。

(まあ、望んだ反応じゃないよな)

 川村をはじめとした森アリサグループの連中は、影山に申し訳なさや恐怖を感じてもらってマウントがとりたかったわけだ。

 オドオドしながら「ごめん」の一言でも引き出したかったに違いない。

 そんなわけで、この全く思い通りに行かない生意気なスクールカーストの下位者に対して、川村はなんとしても自分たちが上だと証明しなければと思ったに違いない。

「ああ、そうそう。影山。今日、アリサの誕生日会近くのカラオケでやるんだけどさあ。アンタも来なさいよ」

 そんなことを提案してきた。

 誕生日会と言っているが、意味合いとしては自分たちのリーダーを讃える会である。

 それに参加しろと言っているのだ。

 それによって自分たちが上であることを証明するということだろう。



「お、いいねいいね」

「アタシもー。影山と話してみたーい」



 すぐさま援護射撃する取り巻きたち。

 非常に断りにくい空気が形成された。なにせ表面上は森アリサのグループ側が、影山に興味を持って誘っているわけである。そこを無碍にするというのはどうしても冷たい感じがしてしまうだろう。

 だがやはり。

「川村さん誘ってくれてありがとう。でも、今日は執筆がいい感じなんだ。気にせず皆で楽しんできてよ」

 影山は誘いに乗らない。

 全然関心を持たない。

 またすぐにノートに顔を戻し、黙々と執筆を再開する。

 自分にはそんなことよりもやるべきことがあるのだと。その姿が言外に語っていた。

「……うぜえ」

 とうとうその態度に川村がキレた。

 川村は影山が書いていたノートを取り上げて言う。

「おいノリ悪いぞ、空気読めキモオタ」

 そして、川村は。

「えーと、ごほん。『僕が彼女と出会ったのは、通学路の曲がり角だった。遅刻しそうになって急いでいる時に、横の道から出てきた女子生徒とぶつかったんだ』」

 なんとクラス全員の前で、影山の今書いていた小説を読み上げ出したのである。

「『「あれれえ〜?、今日は明るいのにお星様が出ていますねえ〜」。黒髪のその子はのほほんとした口調でそう言った。「いや、それ絶対やばいことになってるから!!」。そんなことを言いつつも、僕は少しどぎまぎしてしまった。その少女がものすごく可愛らしかったからだ』」

 しかも内容は、こてこてのラブコメ。

 漫画でラブコメ慣れしている日野ですら普通に読む分には気にならないが、こうして大勢の人の前で読み上げられると少々痛々しく感じられてしまう内容であった。

「……ぷっ、あはははははは!! ウケる!!」

 川村は机をバンバン叩いて笑った。

「『あれれえ〜?』って、ぷくくくくっ……いったー、痛いわー。影山アンタ頭やばすぎでしょw w w 」

 それにつられて他の取り巻きたちも笑い出す。

 他の人間も何人か笑っていた。

(……これはさすがに、やりすぎだよな)

 酷い公開処刑だなと思った。

 実は事情あって作品を作る人間の気持ちが分からなくもない日野だが、こんなことをされたら一生物のトラウマにもなりかねないと思う。

 というかここまでやってしまうと、川村たちのクラスでも評価も落ちかねないのだが、自分たちを見上げる気がさっぱり無い影山に対する苛立ちで、それを見失っているのかもしれない。

(……助け舟出そうかな)

 全員から一目置かれている自分が、影山の作品に少しフォローを入れれば少しはマシになるかもしれない。それはそれで川村たちの立場がなくなるので、別のフォローが必要になってくるが……。

 だが、この時。

 日野はその男のことを理解していなかった。

 影山進という「怪物」のことを理解していなかったのである。

 自分の精魂込めて書いた作品への嘲笑が響き渡る中。

 ガラっと席を立ち。



「そのヒロイン、可愛く書けてると思わないかい!!」



 嬉しそうに川村の方を向いてそう言ったのだ。

「は、はあ?」

 全く思いもよらなかった反応に、困惑する川村。

「僕としては会心の出会いのシーンなんだ。特に今川村さんが読み上げてくれた『あれれえ〜?』のところだよ!! まさにそこ!! このヒロインのキャラクター性と可愛さを一言で表現することができたと思っているんだ!!」

 声は大きくはないが興奮気味に次々と言葉を発しながら、川村の方に詰め寄って行く影山。

 影山は背が低い方なので並んで立つと、女子の川村の方が背が高い。

 のだが気圧されて一歩後ろに下がる川村。

「い、いや。可愛くねーし、面白くもねーよ!!」

 川村は気圧されまいと、大きな声を出して強い口調でそう言った。

「ライトノベル……だっけ? 純粋にキモいんだよこんな小説。くだらねえ!! こんなもん書くやつも読むやつもダセエしキメエ底辺しかいねーつーの!!」

 日野からすると、よく自分の知りもしない業界のことをそこまで断言して貶せるなと思ったが、声の大きさや断定口調の強さ、そして声に宿った見下しの感情だけは強烈なものがあった。

 だが。

「違う」

 影山は怯まない。

「このヒロインは可愛いんだ。君がなんと言って貶そうとこのヒロインが可愛いことは絶対だ」

 前髪の隙間から見える右の瞳で、燃えるような熱い視線を真っ直ぐに川村に向けて滔々と語る。

「なぜなら『僕が可愛いと思っているから』だ。だからもし、この可愛さが理解されないのだとしたら、それは僕の伝える技術が拙いだけのことだ。それとこのヒロインが可愛いかどうかという根本的な問いは一切関係がない」

 影山は自分の右手をグッと握りしめて言う。

「『このヒロインは可愛い』、『このヒロインは可愛い』、『このヒロインは可愛い』……僕の書いた『このヒロインは絶対に可愛い』!! 間違いなく!! 確実に!!」

 川村のような大きな声ではなかったが、凄まじい熱量でそう繰り返す影山。

 いつの間にか川村は……いや、影山の小説をバカにして笑っていた連中は、全員その熱量に気圧されていた。

「そして、それはライトノベルそのものに関しても同じだ。キモいと思う人たちがいるのも事実だろう。だが、それによってライトノベルという文化そのものが素晴らしいということは決して揺らがない。僕はそれを知っている。心で魂で、僕を構成する幾兆個もの全細胞で知っている!!」

 影山は自分の前髪を手で上げた。

「これを見てよ」

 そこにあったのは影山の瞳。

 クラス中が息を呑む。

 熱い炎を宿した右目とは対照的に、その左目には大きな傷があり光を失っていた。

「僕は夏休みに事故に遭ってこの左目が見えなくなった。その時に絶望したんだ。『ああ、人間は簡単に失ってしまうんだ』って。今回は運よく左目だけだったから両目よりはちょっと不便でも生活はできる。でも、もし次に残った一つの目を失うことがあったら? それが両手だったら? 両足だったら? 脊椎が損傷するようなことがあったら? もう僕はこれまでように人生を過ごすことができない。怖い、怖かった。失っていくだけが人生なんで嫌だ」

 でも。

 と力強く前置きして影山は言う。

「病室で仲良くなった人からライトノベルを借りて読んだ時……僕は救われたんだ。そこでは色々なキャラが色々な人生を謳歌していた。嬉しいこと、喜ばしいこと、辛いこと、取り返しのつかないような悲劇。何もかもが面白くて、僕は入院中ずっと貪るようにライトノベルを読んだ。確信したよ。物語は素晴らしい、物語は人の人生を豊かにする。だってもし僕の手足が吹っ飛んでも、両目を失っても、耳が聞こえなくなっても、最後の最後まで物語を読むことはできるのだから。だからライトノベルは素晴らしいんだ」

 そして、自らもそのことを改めて噛み締めるように影山は言う。

「誰がなんと言おうと、この先それを言う人が世界中で僕だけになったとしても……僕は言い続けるよ……『ライトノベルは素晴らしい』と」

「……」

 日野は何もかも忘れて、影山の言葉を聞き入っていた。

 いや、もう教室中のほとんどがそうだった。

「う、うるせーな!! さっきからわけわかんねえこと言いやがって!!」

 川村はもうだいぶヒステリックの入った様子で叫ぶ。

「キメめえもんはキメエし、つまんねえもんはつまんねえんだよ!! 特にてめえの書いたものはつまんねえ。だからライトノベル作家とかなれねえよ、一生無理だわ!! 現実見ろ!!」

 それに対し影山は。

「……」

 ツー、と涙を流した。

「お……おいおい、何今更泣いてやがんだよ」

 川村はついに自分の罵倒に相手が耐えきれなくなったのかと思い、ザマアミロという感じで勢いを取り戻して言う。

「男が泣くとかダッサ、夢とか言ってないでそのダサさどうにか……」



「……君は、なんて可哀想な人なんだ」



 影山は溢れる涙を拭いながらそう言った。

「は、はあ?」

「君はそうやって……自分のイメージだけで拒絶してしまって、この面白さと感動を一生味わずに生きていくんだね。なんて……なんて可哀想な人なんだ……心から同情するよ」

 揶揄うとか煽るとか、そう言う意図は全く無いのは誰が見ても分かる。

 影山は本当に泣いてるのだ。

 マジ泣きしているのである。川村のこの先の人生に同情して。

 そして影山は困惑する川村の手を取り。

「でも安心して川村さん。僕がきっとそんな君でも楽しめる作品を書いて、君の人生を豊かなものにしてみせるから!!」

 その瞳を真っ直ぐに見てそう言った。

 力強く、優しさと、決意を込めて。

「……っ!!」

 川村はその力強い眼差しに何を思ったのか、少し固まってしまう。

 だが、ハッとしたようにその手を振り払い。

「ほ、ほんとに意味わかんねーやつだな。影山てめえ!!」

 また何か言い返そうとした時。



「もういいよ」



 荒々しくはないが、よく通る凛とした声が教室に響いた。

 スループの中心、森アリサの声である。

 アイルランド人とのハーフで金髪碧眼の目を見張るような美貌を持つ森アリサは、机に座ってスマホをいじりながら、その長く色が白くシミひとつない綺麗な足を組んで言う。

「行きたくないみたいだしさ。無理に連れてきた人いても下がるし」

「で、でも……」

「鮫子、ちょっとダサいよ」

「……っ!!」

 川村が目を見開いた。

 女王の一言で、事態は完全に収まってしまった。

 森アリサは影山の方を一瞥して言う。

「執筆の邪魔して悪かったわね」

「いや、誘ってくれてありがとう」

 影山はそう言うと、川村が落としたノートを拾ってまた黙々と執筆を再開したのだった。

(……あんなことがあって同じ場所で作業再開するとか、どういうメンタルしてるんだよ)

 日野はその姿をやはり呆然と見ることしかできなかった。

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