第22話 高嶺の花とささやかな贈り物
「ごめんな。こんな夜遅くに」
その後ゲームセンターでしばらく遊び、蓮司と別れた祐馬が向かったのは麻里花の自宅で、扉を開けてくれた本人と対面していた。
「いえ。まだそんな時間ではありませんからお気になさらず」
「そう言ってもらえると助かる」
気を遣った発言でないことは麻里花の態度から見てもよく分かったので、祐馬も少し表情を緩めながら鞄から巾着袋を取り出して渡した。
「今日のシャケおにぎり美味かったです」
「そうですか。お口に合って良かったです」
「できれば次も食べたいんだけど……」
「続けてだと飽きるでしょう。それに用意するのもそれなりに手間なんですから」
「うっ……すまん」
「ですが希望は分かりました。近いうちにまた作ります」
祐馬は作ってもらったものをただ食べているだけだが、麻里花は一人暮らしで身の回り家事を全て自分で完璧にこなしている上に、週二、三回祐馬の朝食を用意してくれているのだ。
要望を述べすぎたと祐馬は肩を竦めて反省した素振りを見せるが、特に顔を顰めるわけでもなく麻里花は巾着袋を受け取った。
「もしかして夕飯の準備中だったか?」
そう尋ねたのは、部屋の向こうから香ばしい香りがこちらまで届いたからだ。それは祐馬の食欲を刺激して突然の空腹に襲われる。
麻里花の料理の腕が確かなのは祐馬がこの身を持って理解している。夕食が何かを聞くつもりはないが、香りだけで絶対美味いと言い切れる確信が祐馬にはあった。
「そうですけど」
「じゃあやっぱ悪かったな」
料理の手を止めさせて対応させていることへの申し訳なさから、祐馬の眉が僅かに下がった。
「まぁ確かに今日はいつもより返しに来るの遅かったですね」
「えっと、それはだな……」
祐馬は紙袋から戦利品を取り出して、麻里花に見せる。もこもこしたモヘア素材のぬいぐるみを目にした麻里花は目を丸くする。
「パンダのぬいぐるみ?」
「そっ。今日ゲーセン行ってきてこいつ手に入ったんだよ。ていうか雨宮。ゲーセンって分かるか?ゲームセンターってところなんだけど」
「行ったことありませんけどわたしだってゲームセンターくらい分かりますよ。何かと音が騒がしい場所でしょう」
「騒がしいってそういう場所だから仕方ないだろ。まぁ認識としては間違ってはいないけどさ」
世間知らずのご令嬢と思われていると感じたのか、綺麗なかんばせをムッとさせる。
ゲームセンターなどの商業施設は、家柄上あまり場の空気が相応しくないだとかでそういった情報は全て遮断しているのかと思っていたが、どうやらそこまで箱入り娘ではなかったらしい。
麻里花は呆れ半分、気持ちを整える半分で小さな吐息を漏らす。
「一条くん。ぬいぐるみがお好きなんですか?」
「いや。これは成り行きで取れたってだけで、ぬいぐるみ自体に興味はない」
「ではなぜ……」
「雨宮にやろうと思って」
興味がないのであれば取る必要はなかったのでは?と問いかけと不可解な面持ちを向けられて、祐馬はその質問への回答を述べた。
「どうしてそれをわたしに?」
麻里花はきょとんとした様子で瞳をパチパチさせていて、困惑しているのはよく伝わった。
「あー……雨宮がここに引っ越してきてからもうじき一ヶ月経つだろ?母さんとも仲良くやってもらってるみたいだし何より俺自身が色々と世話になってるからな」
麻里花の祐馬にこれまでしてくれたことに対してのお礼が、以前渡した祐馬の働いているカフェのチケットと今回のゲームセンターで取ってきたぬいぐるみだけなんて、釣り合っていないことは重々承知の上だが、施しを受けている以上は少しでも返したいと思うのだが当然だろう。
もっと違ういいお返しものだってあったのだろうが、今の祐馬にはこれが精一杯のお返しだった。
「これはその記念と日頃の感謝の意味ってことで受け取ってくれたら嬉しい」
そう言って抱いていたぬいぐるみを差し出すが、麻里花は固まったまま動く気配がない。ただ呆然とぬいぐるみを見つめているだけだった。
「……もしかしてこういうのあんまり好きじゃなかったか?」
微動だにしない麻里花を見兼ねた祐馬が首を傾げながら苦笑を浮かべた。
ぬいぐるみなどの可愛い系統なら外しはしないかと思ったのだが、こうも反応が薄いとお気に召さなかったのかと心配にもなる。
不安にかられた祐馬が尋ねると、麻里花は小さく首を横に振った。
「違います。ただこのような贈り物は久々に貰ったので、少し驚いたというかなんて反応すればいいのか分からなくなっただけで……凄く、凄い嬉しいです」
またまた大袈裟なと思っていたが、祐馬からぬいぐるみを受け取った麻里花はサファイアを思わせる水色の双眸をより輝かせて大事そうに抱きしめていて、その姿はまるでプレゼントを初めて貰った子供のようにすら見えた。
「まぁそれだけ喜んでもらえたなら俺としても取ってきた甲斐があるってもんだけど」
もしかすると祐馬の思っている以上に可愛いものに目がないのかもしれない。以外な一面を見た祐馬がそう言葉を漏らすと、麻里花が少し恥ずかしそうにぬいぐるみに顔を埋める。強く抱いたせいか可愛い顔のパンダは顔が潰されていた。
「ありがとうございます。一条くん」
顔を上げてお礼を言った麻里花はうっすらと頬を薔薇色に染めながらも薄く微笑んだ。子供らしい一面を見せたことによる恥ずかしさもあるのだろう。
その口元と目元を緩ませて微笑を浮かべる麻里花の姿に、祐馬の心臓がトクンと小さく鼓動を打ち鳴らした。
向けられた微笑みはまさに高嶺の花と呼ばれるに相応しく、祐馬の目と脳に強く焼き付いた。
「このぬいぐるみ。大事にしますね」
「おう。ぜひそうしてくれ」
(気に入ってくれたようで良かった)
いつの間にか祐馬の口元も緩んでしまっていて慌てて手で隠すが、麻里花は抱いているぬいぐるみに夢中で気づいていないようで、ホッと肩を撫で下ろしながら、一度鳴った心臓はしばらく鳴り響いて、三月と夜だというのに身体が熱くて仕方なかった。
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