第16話 高嶺の花とピアノ

 翌朝。

 教室の扉を開いて席に向かうと、先に登校していた蓮司の隣には女子生徒の姿があって、楽しそうに会話を弾ませているようだった。

 その蓮司はというと、それなりに整った顔立ちをこれでもかというほど情けなく緩ませていた。


 祐馬が近づいてきていたことに気づいた蓮司は「ういーっす」と軽く手を挙げる。


「おはよう。一条くん」

「おはよ。蓮司。倉浜」


 肩ほどまで伸ばしたウェーブがかった髪とくりくりした大きな瞳が特徴の少女――倉浜聖奈も祐馬に軽い笑みを浮かべる。


「悪いな。せっかくの二人の楽しい空間を邪魔しちゃって」

「大丈夫だよ。今の今まで話してたし朝も一緒に登校してたから。ねっ。蓮くん」

「おう」


 同意を求める聖奈に対して蓮司も首肯するように頷く。視線が重なれば、聖奈は柔らかく微笑をして蓮司も鼻の下を伸ばして気の抜けた顔をする。


 また始まったよと、目の前に無意識に見せつけられているような光景に胸焼けする感覚を覚えながら、祐馬は鞄を机のフックにかけて腰を下ろした。

 

 校内では割とつるんでいる三人であるわけだが、外部生である祐馬と蓮司に対して、聖奈は初等部からこの学園に通う内部生徒だ。


 元々小中高一貫校だった学園が外部生を受け入れるようになったのはそう遠い昔の話ではない。

 学園側としての思惑があったそうだが、当初はどうしても内部生の反発や差別もあったようだ。

 

 それも時代の変化に伴ってそれを段々と風化していき、今はそれはもうほとんどなくなったといっていい。外部生も比較的に過ごしやすい環境だろう。


 でもそれと内部生と外部生の仲が良いことは違う。正確には接することが極端に少ないため、仲良くなる機会がないのだ。

 初等部から付き合いのある内部生の輪に、外部生が入り込む余地は全くなく、せいぜい事務連絡程度で一、二言交わすくらい。結局外部生同士でグループを構成して、普段の学校生活や行事を送っている。

 麻里花みたいな外部性ながら才女で令嬢で一瞬にしてクラスの人気者になれる生徒は例外だ。

 

 だからこそ内部生と外部生が行動を共にしているのはかなり珍しく、さらにその二人が付き合っている噂が広まったときは、誰しもが驚き耳を疑っただろう。


 祐馬も付き合うまでの詳しい経緯は聞いていない。知っているのは声をかけたのは聖奈からでそこからお互いに徐々に距離を縮めていきお付き合いを始めたくらいだ。

 祐馬もその件に関して掘り下げようとは思わなかったし、お似合いだなとも思っていたため早かれ遅かれ付き合うだろうなとは思っていた。


 真っ直ぐ純粋ですぐ調子に乗る蓮司の手綱をしっかり者の聖奈が握りしめている。喧嘩をしているところも見たことないので、本人たちの相性も良いのだろう。


「今日は一緒に来たのか?」

「うん。待ち合わせしてたんだ」

「だってたまには一緒に登校したいじゃんか。朝に彼女を迎えに行くなんて男のロマンよ」

「カッコいいこと言ってるけど蓮くんは集合時刻に少し遅れてたよね?」

「……ソンナコトナイヨ」


 聖奈の穏やかな声音の指摘に、蓮司は瞬きを繰り返したので、「分かりやすいなお前」と肘を突き手に顎を乗せた祐馬が言うと、聖奈の表情に笑みが消えて嘆息をこぼした。


「言ってなかったけどわたし。十五分待ってたんだからね」

「ごめんなさいでした。寝坊しました。次回からこんなことないようにするので許してください」


 許しを乞うように蓮司は頭を深々と下げた。反省の色が見えたことを確認すると「はい。許します」と聖奈に笑顔が戻る。


「今日部活休みでしょ?帰りにどこか寄ってこうよ」

「おう。いつものゲーセンでも行くか」

「うん。そうしよ」

 

 グッと距離を詰めて、二人は今日の予定を立て始める。まるで自分がこの場にいないような疎外感を祐馬は感じていた。

 

 居た堪れなくなった祐馬はそっと席から立ち上がって、朝の予冷が鳴るまでの時間を適当に廊下をぶらつくことにした。


☆ ★ ☆


 その日の午後は選択科目の授業だった。

 音楽、美術、書道の三つから選択しなければならず、祐馬は書道を選んだ。

 字を綺麗に書けるようになりたい理由もあったが、選択肢の中で一番楽できそうだからなのが決め手になったのはここだけの話だ。

 

 各々が真剣な面持ちで字を書いていき、物腰が柔らかそうな女性の先生がその様子を見守っている。

 祐馬も手にとった筆に墨汁を染み込ませて、提出する一枚を書き始めようと、筆先が半紙に触れる直前、ピアノの音が聞こえた。

 

 祐馬たちがいる書道室から少し離れたところにある音楽室からで、音楽を選択した生徒たちがそこ授業を行っている。この音色は授業の一環として、生徒の誰かが弾いているものだろう。


 澄み切った心地良い音色で、生徒たちは進める筆を一旦止めて、響く旋律に耳を傾ける。中には瞼を閉じて、全神経を聴覚に注ぐ生徒もいた。


「ねぇ。これって雨宮さんの音色よね?」

「絶対そうだよ!」

「え?そんなの分かっちゃうの?」

「うん。数年前にピアノの発表会で雨宮さんが弾いてるのを見てもう感動しちゃって。もうダントツで上手なの。わたしも習ってたから上手い人のピアノってなんとなく分かっちゃうんだ」


 と、近くに座っている生徒たちが響く音色を噛み締めるように聞きながら会話を始める。

 

「はいはい皆さん。聴き入るのもいいですけど、授業にもちゃんと集中してくださいね」


 二回ほど手を打ち鳴らした女性が和やかな声で軽く注意をすると「はーい」と生徒たちは筆を走らせる。

 だがやはりどうしてもピアノの音色に聴き入ってしまうようで、女性は少し困ったように苦笑いを浮かべた。


 上手ということは素人の祐馬でもよく分かる。だが如何せんピアノの経験が皆無の為、響く音色の良さも分からない祐馬は聴き入るまでとはいかず、気分転換の感覚で流すように聴きながら『初志貫徹』の四文字を縦長の半紙に書き起こした。



 

 その日の放課後――

 祐馬は音楽室で、茜色に輝く夕陽を背にした麗しき高嶺の花が奏でるピアノを聞いていた。

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