第11話 高嶺の花と巾着袋

 寝癖を直し終えて、今から着替えようとしたところでインターホンの音が響く。

 誰かと思いドアを開けば、制服姿の麻里花が立っていた。


「おはようございます」

「おはよう」

「昨日はありがとうございました。お借りしていたタオルです」

「あぁ」


 視線を下に向ければ麻里花の右手には紙袋が持たれていて、それを祐馬に差し出す。受け取った袋の中身を覗けばタオルが綺麗に畳まれていた。


 祐馬は再び視線を麻里花に戻す。

 見た感じ、昨日の雨で身体が冷えた影響を受けている様子はなく、普段通りの麻里花だった。祐馬も昨日は長めのお風呂に浸かったあと、いつもより早めに眠りについたので、至って健康そのものである。


「もう学校行くのか?早いな」

「はい。いつもこの時間には家を出ているので。一条くんは随分とゆっくりされているのですね」

「まだ七時半だからな」


 桜ノ宮学園は八時半までに教室にいないと遅刻扱いになってしまう。このマンションから学校までは歩いて十五分ほどで到着するので、祐馬はいつも八時過ぎくらいに家を出ている。

 今は七時半なので、既に身支度を整えこれから学校に向かおうとする麻里花は、祐馬の中ではかなり早い部類に入っていた。


「とりあえずタオルはありがとう。じゃあまたあとでな」


 学校で会ってもどうせ話はしないけど、と思いながら部屋へと戻ろうとすると「待ってください」と呼び止められ、麻里花は鞄から巾着袋のようなものを取り出した。


「これ受け取ってください」

「何入ってんの?」

「おにぎりが入ってます」

「誰に?」

「この状況で一条くん以外渡す相手はいないでしょう」


 これ受け取ってくださいなんて言葉は、意中の相手にラブレターだのバレンタインデーのチョコを渡す時に聞ける言葉だと思っていたのだが、祐馬の場合はそれがおにぎりだったようだ。

 

 そもそもそんな甘い展開を繰り広げてくれるヒロインなんていないし、祐馬自身もラブコメの主人公ではない。

 高嶺の花が引っ越してくるなんてイベントはそれなりの主人公感も味わえるのだろうが、互いに隣人としての距離感を保っているので、その続きを見れることなんてないのだろう。

 

「なんでおにぎり?」


 巾着袋からはほんのりと生温かさが手に伝わってくる。おにぎりを作ってからまだそんなに時間は経っていないということだ。


「以前腹減ったと言っていたでしょう。この調子だと今日もまだ朝食べていないでしょうし、あれを毎日食べ続けると身体を壊すことは目に見えているので」

「人間の身体なんてそう簡単に壊れやしねぇよ」

「そんなことを言う人に限って身体を壊すのですよ。少しは自分の身体を労ってください」


 ジトッとした視線と叱責ともとれる言葉が投げかけられる。朝食こそカロリーバーや時々抜くこともあって変則的ではあるが、昼と夕食はしっかりと食べているのでそんなことはないだろうと思っている。

 

「なんでここまでしてくれるんだよ。ありがたいけどさ」


 以前の昼食の件といい今日のおにぎりといい、麻里花がここまでする理由が見当たらない。

 麗しい美貌の少女に世話を焼いてもらうほどではないが気にかけてもらえると、この時期多感な学生なら『あれ?もしかして俺のこと……』と勘違いする生徒で溢れかえってしまうかもしれない。もっとも、そんな淡い期待を祐馬は抱いていないのだが。


「いつも眠そうな顔してお腹空かせているあなたが見てて心配になるからですよ」

「腹空かせてのはいつものこととして眠そうな顔とはなんだ」

「わたしが見るときはほとんど寝癖がついて寝起きの顔の一条くんなのですけど」


 返ってきたのは可愛さのかけらも感じない涼しげな声だった。


 思い出してみると、麻里花が知っている一条祐馬はほとんど寝起きの状態だ。学校では話すどころか、すれ違うことだって数える程度しかない。まともに顔を合わせて話したのはマンション内か昨日のバス停ぐらいだ。


「菜穂さんはすごくしっかりしていらっしゃるのに」

「まるで俺がしっかりしていないみたいな口ぶりだな」

 

 祐馬に対する印象は休みの日はだらしのない同級生くらいのものだろうか。

 麻里花の言う通り、菜穂はしっかりしている。過保護すぎて思春期真っ盛りの息子にちょっかいをかけてくることはあるが、口にこそ出さないが感謝はしているし、良い母親の元に産まれたと思っている。


 だらしなくなってしまったのは紛れもなく、自分自身の怠慢だと自覚している。その生活を直そうなんて気は微塵もない。だってもう、わざわざ朝早くに起きる必要も、明日に備えて早く眠りにつく必要も、祐馬にはないのだから。


「とりあえずおにぎりはありがとう。あとでいただきます」

「いえ。それでは学校で」


 そう言って、麻里花はエレベーターの方へと向かい歩いていく。祐馬も自宅の扉を閉めて、そそくさと制服に着替えて、家を出る準備を始めた。


☆ ★ ☆


「おー。あの祐馬が朝におにぎり食ってる」

「なんだその言い方は」


 登校してきた蓮司が朝食を食べている祐馬を目撃して物珍しそうに話しかけてきた。少し引っかかるような言い方をしてきたので、祐馬は眉間に皺を寄せる。

 

「だって毎朝取り憑かれたようにカロリーバーばっか食べてた祐馬がおにぎり食ってんだよ。それ菜穂さんの手作り?」

「……まぁそんなところ」

「へぇー」


 本当は麻里花の手作りなのだが、頭が回っていない朝早くから面倒なことになるのだけは避けたかったので、適当な嘘を吐く。

 もちろん蓮司がそのことを知る由はないので、何も疑うことなく頷くだけだった。


 そして一口大きく頬張ると、途端に口の中に酸味が広がり「酸っぱ……」と思わず呟く。

 具を確認すると、三角に握られた白米の真ん中には赤い果実が隠されていた。


 白米と梅のコンビがよく合うのは周知の事実なのだが、大きな一口で食べてしまったばかりに半分以上の梅が口の中に咀嚼されている。


「いいじゃん梅おにぎり。俺は好きよ。特に朝に食べるのがいいんだよな」

「蓮司の好みは聞いてない。あと笑うな」


 今だに口を窄めている祐馬を見て呑気に笑う蓮司に、ごくりと飲み込んだあと、祐馬は顔を見られないようにそっぽを向いて、口直しとして自販機で買った水を口にする。

 

 いつもならまだ頭が回っていない時間帯なのだが、梅干しのおかげでしっかりと目と脳が冴えてしまった。

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