第7話 高嶺の花の忠告

 翌朝。

 祐馬が家を出ると、横を通り過ぎる麻里花の姿があった。彼女も驚いたように目を丸くして、「あっ」と声を漏らした。


「おっす」

「お、おはようございます」

「悪い。別に驚かせようとしたわけじゃないんだ」

「分かってます。わたしがただびっくりしただけですから」


 滲ませていた驚きの色を吐き出すように小さな吐息を漏らしながら、肩に担いでいた鞄を持ち直すと、無機質な表情を浮かべた。


 学校以外での麻里花と接する機会が複数回あったことで思ったことがある。

 学校での麻里花は礼儀正しくどんな時もみんなを惹きつけるような笑顔を浮かべている。誰にでも好かれていて悪い噂なんて一切聞いたことがない。雨宮家としての振る舞いを求められているのもあるだろうが、桜ノ宮学園の模範的な生徒と言えるだろう。

 

 だが、それ以外の麻里花は掴みどころがないというか。麻里花から覇気を全く感じず、美しさだけが残っているのだからお人形なのではないかと錯覚してしまうほどだ。


 感情を全く見せないわけではない。だが少なくとも祐馬と一緒にいるときは笑った顔は見せていない。

 それに関しては祐馬に全面的に非があることが彼自身よく理解している。 祐馬のあまりにもだらしない生活を二度も間近で目撃しているばかりに、しっかり者の麻里花が呆れた目を向けるのは最早必然とも言えることなのだが。

 

 学校での麻里花とそれ以外の麻里花。その両面を少なからず見た祐馬は本当に同一人物なのかと疑いの目を向けてしまうほどに、変化に差を感じた。


「昨日は昼飯ありがとうな」

「はい。美味しくいただいてくれたなら良かったです」


 感謝の言葉を改めて麻里花に伝える。最もその後のベーコンエッグのせいで舌に残っていた味わいはすぐさま失われてしまったのだが、炒飯の味は記憶の中に残っている。

 また食べたくなるような味だったのだが、今回はたまたま神様の気まぐれみたいなもので、こんな出来事は二度と起きないだろう。


「あー。腹減った」


 その味を思い出しただけで空腹感を感じた祐馬は両腕を天に上げて身体を伸ばしながらポツリと大きい独り言を呟いた。


「いくらなんでも早すぎません?朝ご飯はちゃんと食べられたのですか?」

「いや。食ってない」

「はい?」


 途端に祐馬を見つめる瞳がジト目へと変わる。

 怒っているというより呆れて言葉も出ないと言いたげで今にも頭を抱えそうな様子だった。


「なんで食べられないのですか?朝食は一日の始まりとしてとても大事なものなのですよ」

「待て待て。まだ食ってないだけで抜いてるとは言っていないぞ」


 弁解を計ろうとする祐馬は鞄からとあるものを取り出して、麻里花に見せる。


「それは?」

「カロリーバー」


 祐馬が取り出したものは小さな箱に入った四本入りのカロリーバー。パッケージにはキャラメル味と記載されていて、ここ最近祐馬が好んでいる味だ。


 大体の人は朝食の準備ができないからという理由でカロリーバーやゼリー飲料などを食べているだろうが、祐馬の場合は朝食を食べる時間を睡眠に当てたいからというなんとも怠惰な理由だ。


「それが朝食ですか?」

「そうだぞ。こいつは安く購入できる上に栄養バランスが良く、しかも時短で済ませられる優れ物だぞ。あと普通に美味い」

「知っていますよ。まぁたまにはいいのではないですか」

「たまに?いや。朝は毎日これだぞ。手間かからないし」


 その一言にいよいよ信じられないと言った顰めっ面を浮かび上がらせた麻里花は深いため息を漏らす。


「あのですね。このような栄養機能食品からとれる栄養には限界があります。バランスがいいと言っても毎日これを食べられていては話が変わってきます。これからはちゃんとしたご飯を食べてください」

「母さんみたいなこと言うなよな」


 麻里花の言うことはごもっともなのだから、祐馬もそこまで強い反論ができなかった。


 祐馬が朝食を栄養機能食品で済ませるようになったのは高校に入学して間もなくのことだった。

 食べることは好きだが、寝起きが悪いがために朝食はあまり食べられない。それ以上に睡眠に時間を割きたいと考えていたこともあり、高校からはそんな生活を送るようになっていた。


 当初は菜穂からも「ちゃんと食べないと力出ないわよ」と口酸っぱく言われたのだが、それでも頑なに時間ギリギリまでベットに潜って睡眠を貪りつくす祐馬を見て、次第に言わなくなったのだ。


 菜穂は祐馬よりも早く家を出ている。

 祐馬も多少の家のことは手伝っているがそれでも大半の家事は菜穂に任せっきりの状況。朝食の用意は菜穂がしてくれていたので、その分の準備の時間を省略できるのは菜穂にとっても余裕が生まれていると思う。


「一条くんの身体を思っての忠告ですからね」

「そりゃどうも」


 エレベーターに乗り込んで一階まで降りると、祐馬と麻里花はエントランスを出て空気に触れる。外には既に制服やスーツに身を包んだ学生や社会人の姿がある。


「そんな生活をされていてはそのうち体調を崩しますよ」


 最後にそう言うと、麻里花は一足先に高校の方角へと足を向けて、祐馬を待つ素振りを見せることもなく歩き出した。

 飯は作ってくれるが、一緒に歩いているところは見られたくないらしい。


 ご令嬢が一人暮らしをしている事実だけでも騒がしくなるというのに、その隣に全く目立たない男子が隣にいたら、大騒ぎどころの話では済まなくなる。


 ましてや祐馬のようなだらしのない男の登校していたなどと噂は立てられたくないだろうし、賢明な判断と言える。


 何事も目立たず頑張りすぎずほどほどに。

 これを信条としている祐馬にとっても面倒事になるのはごめんだったので、そちらの方がありがたい。


 麻里花からそれなりに距離をとって、いつもより小さな歩幅で学校へと向かった。


☆ ★ ☆


 学校に着いて一息ついていた祐馬は朝食であるカロリーバーを口にしていた。


「祐馬よ。思ったことを言ってもいいか?」

「ん?」


 祐馬の前の席に座り、身体をこちらへと向けていた蓮司が肘を突きながら言葉を投げかける。


「それ美味い?」

「美味いな」


 そう答えると四分の一ほど残ったカロリーバーを口に放り込んだ。


「たまにはご飯とかパンとかにしろよ。ちなみに俺はパン派」

「聞いてねぇし。てか何食うかは俺の自由だし」

「俺はただ祐馬の体調を心配して言ってやってんだぜ」

「蓮司まで同じこと言うなよ」

「まで?」

「いや。なんでもない」


 失言だったと、祐馬は口を閉じて窓の景色に目を向けた。

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