第5話 高嶺の花の慈悲

「――んぁ」


 目覚めを知らせるのは小鳥の囀りのような静かだが心地いい音ではなく、自動車やトラックが近くを通り過ぎる騒がしい生活音だった。

 

「今何時だよ……げっ」


 寝ぼけた様子で祐馬は仰向けになり置き時計に目をやると11:00と表示されていて、思わず言葉が漏れる。

 流石に寝すぎたと反省して、酷い寝癖になっているであろう頭部を撫でながら立ち上がる。

 カーテンの開けば、太陽の日差しが祐馬の目を細めさせた。


 自室を出てリビングへ向かうが、菜穂の姿は見当たらない。テーブルに一枚の置き紙が置いてあって手にとった。


「……確か昼から友達と飯食いに行くって言ってたな」


 手紙の内容は菜穂が学生時代の友人と久々に集まり昼食を食べにいくというものだった。起きたら家にあるものは好きに食べてもいいとも書かれてあるので、食品の収納棚へと向かいお目当てのインスタントラーメンを探し始めたのだが。


「ない……」


 数分探したが、目当てのものが見当たらずに祐馬は分かりやすく肩を落とした。

 食パンや果物の缶詰は十分なストックがあるが、お昼時なのでやはりそれなりに腹が膨れるものが食べたいのだが、祐馬の料理の腕前は本当に目も当てられないレベルでまともなことを作ることができないのだ。


 冷蔵庫を開けると肉や魚や野菜などズラリと並んでいるが、祐馬が扱える代物ではない。

 そうなるとコンビニでおにぎりや弁当を買ってくるのが一番なのだろうが、そこまで行く道中が面倒臭い。

 特に予定のない休日は家でだらだらと過ごしたいので、極力外には出たくない。

  

「……よしっ」


 しばらくして意を決したように祐馬は軽く腕まくりをして冷蔵庫から卵とベーコンを取り出した。

 いくら料理が不得意なでもベーコンエッグくらいは作れるだろうというのが祐馬の考えだ。難しい作業は何もない。ただフライパンで程よい焦げ目がつくまで焼けばいいのだから。


 ありがたいことに米は炊いてあるようだったので、あとはご飯のお供さえあれば問題ない。


 祐馬は早速フライパンを用意して、調理を始めた。

 

☆ ★ ☆


 数十分前を自分をぶん殴ってやりたいと、キッチンで呆然と立ち尽くしていた祐馬はそう思った。


 フライパンの上にあるのは焦げ目がついた卵とベーコン。色は真っ黒でもちろん形も酷いもので食欲をそそるような匂いはなくむしろ焦げ臭い。

 焦げ目がつくまでとは言ったものの、どこまで焼けばいいのか分からずもたもたしているうちに、ベーコンエッグとは呼べない得体の知れない料理が出来上がってしまった。


 とりあえず用意した別皿に移し替えるが、それを見ても全く食欲なんて湧いてくることはない。


「さて。どうしたものか」


 目の前にある料理を見つめながら祐馬は呟いた。作ったからには食べないといけないのは分かってはいるが、これを昼食にするのは流石に躊躇ってしまう。この見た目からして味もさぞ酷いことだろう。せめて別の美味しい料理と一緒に食べてからでないと、最悪の昼食になるのは目に見えていた。


 面倒だがコンビニで何か白米のお供になるものを買ってくるしかないと結論付け、仕方ないと祐馬は息を吐きながら、洗面台に向かおうとしたとき、インターホンが鳴った。


 重い足を引きずるように歩いて扉を開けば、麻里花がいた。黒のデニムパンツにゆったりとしたグレーニットとラフだが可愛らしい服装だった。


「こんにちは」

「お、おう」


 麻里花と言葉を交わしたのは引っ越しの挨拶に来たとき以来なので、実に一週間ぶりのことだった。


「またその格好……それに凄い寝癖ですよ」

「知ってる。飯食ったら後で直す」


 さっき起きたと言わんばかりの服装にあちこち跳ねた寝癖を見かねた麻里花の目は徐々に呆れたものに変わっていく。祐馬は軽く頭を撫でて寝癖を抑えるが、手を離しせばすぐ重力に逆らうように跳ねてしまう。


「ところで菜穂さんはいらっしゃいますか?」

「いや出かけてる。何か用?」

「いえ。菜穂さんに用がありましたので。また時間を改めて……」


 言葉の続きを言いかけていた麻里花の口が止まる。そしてスンスンと鼻を鳴らした。


「……なんか焦げ臭くないですか?」

「あーそれは……」


 臭いが気になった麻里花が尋ねると、祐馬は歯切れ悪く答えて目を逸らした。


「……少し気になります。お邪魔してもよろしいですか?万が一のことがあればすぐに連絡するご準備を」

「えっ。いやちょっと……」


 祐馬は引き止めようとするが、焦げ臭さに違和感を感じた麻里花は「失礼します」とお構いなしに家へと上がる。

 女子を家に入れたのは実はこれが初めてで、こういうのはもっとドキドキするのもなのだと思っていたのだが、状況が状況なだけあってそれどころではなかった。


 リビングへ入った麻里花は辺りをキョロキョロと見渡すと、キッチンに置いてある真っ黒に焦げた得体の知れないものに気がつく。


「なんですかこれは?」

「……ベーコンエッグ」

「ではないですよね」

「……本当」


 最初はまさかといった感じで話していた麻里花だったが、祐馬の表情が沈んだものへと変わっていき本当のことなのだと感じとる。

 そしてもう一度ベーコンエッグとは呼べない代物に目を見やる。焦げ臭いと感じた原因がそれとフライパンにあることを理解するとやや困惑気味なの目で祐馬を見た。


「どうしてこうなったのですか?」

「作ろうとして……焦がした」

「だとしてもこうはならないですよね」

「俺にも分からん」


 どうしてこんなことになってしまったのか祐馬自身にも分からない。ただ焼いていただけなのに気がつけばこんな有様になっていたのだ。

 料理下手なことが最悪な形で露呈してしまったのと、自覚していたがまさかここまで何もできないことが発覚して、二重の意味で祐馬は崩れ落ちそうになる。


「まさかと思うのですが、これがお昼ご飯だったのですか?」

「正確には朝と昼兼用な。ベーコンエッグくらいなら作れると思ってやったんだがこの有様だったから今からコンビニで何か買ってこようと」

「兼用って……」

「ついさっき起きたから」

「またご友人とゲームでもされていたのですか?」

「ちげぇよ。昨日は普通に学校の課題。少し手間取ってしまったんだよ」


 麻里花は呆れ果てたような目を向けて言ったので、祐馬は首を横に振って否定する。


「キッチン貸してください」

「えっ?」

「お昼ご飯作ります。コンビニでは栄養が偏るでしょう」

「いや。そんなことしなくていいって」

「これだけ酷い状態を見れば言いたくなるものです。正直に言えば目も当てられないです」

「平気で心を抉ってきやがる」


 確かにごもっともな意見なのだが直球すぎるのでもう少しオブラートに包んで欲しかったのが本音だ。


「迷惑をかけると思っているのならお気になさらず。料理を作るのは好きですから。それに一条くんも下手に外出しなくて楽でしょう」

「でもなぁ――」


 すると、ぐぅーっと祐馬の腹の虫が大きく鳴った。


「なんだよ」

「いえ。そんなに大きくお腹を鳴らせていたのでそんなにお腹を空かせていらっしゃるのだなと思いまして」

「まぁそれなりには……」

「それでどうしますか?さっきも言いましたがわたしのことはお気になさらず」

「……お願い……します」

「分かりました」


 祐馬としては外出せず昼ご飯を食べられることはありがたい。が、まさか高嶺の花の手料理を御馳走になるとは思ってもいなかった。

 それに気にしないでいいと言っていたが、やはり申し訳なさだって感じていた。

 

 麻里花はエプロンだけ取りに戻るということで、一度自宅に戻るため玄関へと向かった。

 靴を履き玄関を出ようとした麻里花がそうだ、と呟いたあと、目を細めながら祐馬を見つめる。


「わたしがエプロン取りに戻るまでさっさと顔を洗って着替えておいてください」

「あ、はい」


 このときだけ何故か麻里花から目に見えない迫力を感じて、祐馬は無意識で敬語で答えてしまった。

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