第2話 高嶺の花と初めての顔合わせ

 一週間前――

 

「祐馬。今日このマンションに新しい住居人さんが引っ越して来るから」


 午前十時過ぎ。

 祐馬はボーッとテレビを眺めていると、キッチンで家事を行う母親――一条菜穂の言葉が耳に聞こえた。


「そっか。確か今日だっけか」


 一週間前くらいだったか。菜穂からマンションに新しい住居人が来ると聞いた。

 祐馬たちが暮らしているのは賃貸マンションの2LDK。場所は十六階。祐馬たちが暮らしている部屋の一つ隣が空き部屋になっていて、そこが新しい住居人の住む部屋になる。


 どんな人なんだろうな。と顔も知らない住居人を考えながら、二人がけソファーに横たわる。


「聞こうと思ってたんだけどその紙袋何?」


 仰向けのまま祐馬はカウンターにポツンと置いてある紙袋に視線を向けて菜穂に訊ねる。その袋の真ん中には店の名前らしきものが載っている。


「これ?引っ越しの挨拶回りに来られたときに頂いたものなの。高級洋菓子店のものなんだって。頂くのがなんだか申し訳なかったわ」

「あっ。もう挨拶回り来たんだ。随分早いな」

「祐馬が起きるのが遅いのよ」


 菜穂の一言に祐馬はぐうの音も出ない。

 今日は休みなので夜更かししてしまったのだ。

 仮に目を覚ましたとしても頭は冴えず瞼も重いまま。もうすぐ二月と厳しい冷え込みが続く季節なのでどうしても布団にくるまってしまう。その温かさと襲ってくる睡魔に抵抗することができず二度寝、三度寝とやっていくうちにこの時間まで眠ってしまったというわけだ。


「まぁそれで、引っ越してきた人はどんな人?」


 気を取り直して祐馬はその住居人がどんな人物だったのか問いかけた。ちょうど洗い物を終えた菜穂は手拭いで手の水分を拭き取りながら微笑をこぼす。


「可愛らしい美人さんだったわよ。一人で引っ越しされてきたんだって」

「へぇ。女の人なんだ」

「それに礼儀正しくて笑顔も素敵な人だったわ」

「ほうほう……」

「良かったわね祐馬。美人さんとご近所になれて」

「はいはい。嬉しい嬉しい」


 母親の面倒な絡みを祐馬は澄ました顔で適当に聞き流すと、菜穂は祐馬が相手をしてくれないことに「もうちょっと付き合いなさいよ」と不服を示す。


 ご近所になったからと言って必ずしも仲良くならないといけない決まりはない。マンション内の軽い事務連絡を取り合える程度の仲になっておけばそれで十分だ。そもそもそのようなやり取りは菜穂が行うはずなので、祐馬自身が考える必要はないだろう。


 悪い人でないことは菜穂の話し具合からしてなんとなく感じた。

 菜穂はこれから買い物に向かうため買い物カゴの準備やら身だしなみの確認やら行いながら、休日を満喫している祐馬に一言。


「とりあえず会ったらちゃんと挨拶すること」

「分かってる」


 人付き合いが得意ではない祐馬だが、だからといって適当な振る舞いをして変に目をつけられる訳にもいかない。今後のこともあるので必要最低限として挨拶はしっかりやらなければいけないとは祐馬も思っている。


「ところでその人はなんて名前?」

「雨宮さんだって。顔は見たらすぐ分かると思う。それくらい別嬪さんでいい子なんだから」

「なんで母さんが得意げに言うんだよ」


 祐馬よりも先に喋ったことに優越感を得ているのか、フフンッと笑う菜穂に祐馬は呆れたように一言。


「それじゃあ母さん買い物に行ってくるから。お昼前には帰ってくるけどお腹空いたら適当に何か食べていいから」

「ん。了解」


 買い物カゴを手にした菜穂はそのまま玄関へと向かいやがて鍵が閉まった音がした。


 (雨宮さんか。うちの学校のあの人と同じ苗字なんだな)


 祐馬が思い浮かべたのは同じ桜ノ宮学園に通う同級生、雨宮麻里花だ。

 男女問わず目を奪われてしまうほどに可愛らしく美しい容姿。マドンナやお姫様などと彼女を評する言葉は様々ある。


 そんな彼女に惹かれて告白する生徒は当然いるわけなのだが、誰も彼女の首を縦に振らせた者はいない。


 お近づきになりたい生徒が大勢いる中、祐馬はその類ではない。もちろん可愛らしい少女だとは思うのだが、立っているステージが違うのだ。

 

 麻里花は誰もが羨み尊敬する高嶺の花。祐馬は平凡で目立たない一般生徒。既に天と地ほどまでに差が開いている。きっと祐馬のことは知らないし、話したところでどうせすぐ忘れられてしまう。

 麻里花のような美少女は近くからではなく遠くから眺めているのが一番ちょうどいいのだ。


 そう思っていたそのとき、インターホンがこの部屋に鳴り響いて祐馬は玄関に視線を向ける。  


 菜穂がネットで頼んだ宅配物かご近所さんか。あまり待たせないべく祐馬は身体を起こして少し駆け足で玄関まで向かい、ドアを開けた。

 

「一条さんすみません。先ほどお渡しした手土産の他に別の手土産も用意しているので是非そちらも……」


 祐馬の目に入ったのは美しい黒髪と透き通っていてきめ細やかな純白の肌。煌めく水色の瞳は祐馬の姿を捉えると少々驚いたように丸くして、発していた言葉が途切れた。


 玄関の扉の先には、同じ桜ノ宮学園に通う同級生で高嶺の花と言われている雨宮麻里花が立っていた。

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