第二章『開戦トリコロール』


見上げた先の曇り空と同じくらい、ミシェルの顔色は悪かった。

「……なんで?」

 ブリヤート共和国、首都ウラン・ウデ中央に位置する、バイカル国際空港の玄関口。

 朝から降っているという雪が横風に舞い、半ば吹雪と化している。現在の気温は氷点下だ。ヒートテックのタイツだろうが誤魔化せる筈もなく、カチカチと歯を鳴らし両肩を抱く。

 開いた口の中に冷気が張り付き、白い息と共に熱が逃げていく。嘆くだけ体温の無駄だと唇を締めて、ここまでのことを思い出す。

 合衆国の空港で、帰郷の便に乗ろうとした時に突然、ご連絡がありましたとトラップセラーの所属を名乗る黒い礼装の男に、ウラン・ウデ行きの便の搭乗口まで案内されてしまった。

 スタッフが誰も止めない辺り、怪しい者ではないのだろうが、その時点で変な汗が出た。

 更には搭乗口でぶつかった旅行客と、魔女狩りの国へ……と嬉々として語った舌の根も渇かぬ内に再会。怪訝な表情で首を傾げられてしまう。疑問は分かるが一番頭の中でクエスチョンマークを回してるのは自分だと、ミシェルは引き攣った笑いでやり過ごす。

 何でインターン生が本部に着く前から仕事を任されるのか?そう仕事だ。だから『可哀想に迷子かな?』とでも言いたげな一般旅行客の哀れみに満ちた誤解は解けない。なんてったって軍直轄組織のお仕事だからね!説明出来ないね!

「いや、やっぱりおかしいわ」

 ここまで起きた事を整理した上で誰にでもなく、強いて言うなら理不尽な現実に向けて真顔でツッコミを入れたところで、目の前に一台の車が止まる。黒塗りの大きなワゴン車だ。

 運転席から降りてきた迷彩服の男が訪ねてくる。

「トラップセラー第七空挺舞台の、ミシェル・ローランさんですね?」

「はい。よく自分だって分かりましたね」

 男は後部座席の扉をスライドしてくれた。

「本部から既に貴方のことは連絡を受けています」

 それはそうだと気を取り直して車の中を覗き込むと、既に先客が一人居た。

 対面で座れるよう調整された椅子の上座に座っている。

 星の細工が施された軍帽、腰まで伸びた煌めく銀のストレートヘア、勲章の付いた黒軍服、白い肌にも映える長いまつ毛が瞬き、氷のような空色の瞳がミシェルを捉える。

 覗き込んだ頭をそっと引っ込めた。

「乗る車、間違えました?」

「合ってますよ」

 声を聞くまで女性だと見間違えていた美貌が、にこりと微笑む。

 一度大きく冷たい息を吸って車に乗り込んだミシェルへ、青年は白手袋の右手を差し出す。

「<氷楔連盟>所属BKC生物学防護部隊のニカンドロフです。よろしくお願いします」

 

 

 白樺の林には、積雪から覗く枯れ草の芝生が広がっている。そこを裂くようアスファルトで舗装された道を、一台のワゴン車が走っている。

 走行中の車内は暖房が効いており、吹雪で固まったミシェルの体を解していった。

 向かいのニカンドロフは形の良い唇に指を置き、安心したように笑顔を見せている。

 車窓は紺色のカーテンで覆われていたが、白色の電光が後部座席全体を照らしている。

「想定より早い到着でしたので、急拵えですみません。本当はきちんとお出迎え出来れば良かったのですが」

 よく通るニカンドロフの声音に、ミシェルは緩んだ体の背筋を伸ばす。

「そんな、早めに来てもらえて助かりました。殺人的な寒さだったので」

「あの空港は軍民共用施設なんです。ちょうど滞在していた私が、いきなり案内に抜擢されまして」

 なんだか凄く最近聞いた覚えのある理由に、ミシェルの顔がぱぁっと明るくなる。

「えっ⁉︎一緒じゃないですかー。自分も荷造りが済んで空港に居るからって、『お前が行ってこい』って任されちゃったんですよ」

「おやおやそれは」

 正確には、共和国の被害状況を聴取し、そこから問題の原因である、極夜の帝国の目的を探れと言われた。直接戦闘を行う訳ではないが、敵の狙いを把握し、前線と連携を取り合うことで、敵の動きを牽制する。裏方でも必要な仕事の一つだ。

 極夜の帝国は、北欧から広がり複数の国が連なる、世界唯一の魔女優勢国家とされている。

 その方針には賛否両論あり、危険視する国からは今も交流規制を掛けられていた。

「それで、具体的に何が起こったんです?」

「そうですね。ここで話してしまった方が早いでしょう」

 ニカンドロフは横に置いてあったクリップボードをミシェルへ手渡す。

「帝国の諜報員と思わしき者が、我が国の研究施設から技術情報を盗み出しました」

 ボードに挟まれている紙には、研究所の内容が記載されている——バイカル生化学研究所。所有面積や人員数、見取り図、今年度の予算総額、社外秘故に黒塗りの部分の他、マーカーでチェックが付けられた箇所もある。

「当然、我々は諜報員を捕らえるべく、逃亡経路を模索。三つの手段を潰す為に各所の部隊を動かしました」

 ニカンドロフは指を三角本立て、一つを折り曲げる。

「一つは海路。というのも、北極海付近で帝国所属の潜水艦が目撃されたと情報が入っていましたので。あのステルス性を発揮されれば、追うのは困難になります。ただ——」

「この時期だと、どこも氷が分厚過ぎますね」

 ミシェルの見解にニカンドロフも頷き、

「この潜水艦自体が囮だったんでしょうね。我々もあくまで念の為の観測に留まりました」

 二本目の指が折れる。

「次は空路。我が国から帝国への直通便はありませんが、関税を欺く方法があれば、早さでいっても、ここが本命です。私が空港に滞在していたのも、これが理由でした」

 浮かない表情から察して、ミシェルは固唾を飲んだ。

「つまり、違かったと?」

 三本目の指が折れ、ニカンドロフは拳に視線を落としたまま、

「陸路。諜報員は、永久凍土の大陸を横断する道を選びました。ここばかりは、ルートの絞り込みが容易ではなかった」

 落としていた視線をミシェルへ向け、ニカンドロフは肩をすくめる。

「幾人と人員が割いては煙に撒かれましたが、保安庁の手も借りて、補足することに成功しました。しかし、そこまでは帝国も予見していた」

 声音が、一層低くなる。

「魔女が諜報員の回収に動いたと報告が入りました。それも箒星グラビティアを所持する魔女です」

 ニカンドロフは拳を強く握りしめる。

「何故空路を捨てたのか分かりました。国際条約により箒星グラビティアは航路以上の高度には入れない。我が国で狼藉を働いておきながら、条約は守るというんですよ」

 ニカンドロフの言う条約とは、一九四五年、が終結した折に結ばれた、魔法による加害行為の禁則事項、及び対処法が記載されたマレフィキウム国際条約のことだ。

 柳眉を立てる青年に、ミシェルはそっと彼の名を呼ぶ。ふと、握り拳が解かれ、眉間の皺が緩む。

「……失礼。ですから、貴方達へ緊急で支援要請を送ったのです。我が国に、兵器運用可能な魔女は、おりませんから」

 魔女狩りは軍直轄組織だが、軍を保有する全ての国に存在する訳ではない。

 一度に操れる個体の数や、増幅出来る重力の強度にも、魔女によって個人差がある。戦闘可能な程の力を持ち、戦う技術を養え、且つ戦場にて必要とあらば同じ魔女を傷付けられる胆力がある。条件を満たせるのは、魔女の全体数からしても一握りだ。

 故に、魔女狩りを保有しない国へ向けて、国外から機関が派遣される事例は珍しくない。

 魔女の総数的に他国へ派遣する余裕がある三ヵ国の内、一国は今回の元凶である帝国、もう一国は合衆国である。共和国がトラップセラーに救援を要請したのは消去法だ。

〈氷楔連盟〉も、元は三度目の大戦中魔女に蹂躙されたブリヤート含む諸国が、この討伐と諸国再興の為に結成した国家運営組織である。それでも戦える魔女は、未だ生まれていない。


「それでは盗まれた技術情報というのを、可能な範囲、詳しく教えて貰えませんか?」

 その言葉に、ニカンドロフは思案するよう顎へ指を置く。

「帝国が狙うということは、魔女の生態に関してでしょうか?それとも、」

「その研究所は魔女の技術とは関わっていません」

 ミシェルなりに考えを述べようとする前に、ピシャリと断言されてしまった。

 では何を?と首を横へ傾けるミシェルへ、ニカンドロフはカーテンを開け放ち答える。

「予報では、そろそろ晴れる頃でしたね」

 車内へルームライト以外の光が射し込む。一瞬目を眩ませてから、ミシェルは顔の前に手を添えて窓の方を向く。

「わぁ」

 太陽の光に反射してキラキラと光る、降り積もった雪の合間、青空を映す純度の高い氷が、そこかしこから顔を覗かせている。

 バイカル湖。水深、貯水量、水の透明度で世界最高の位を持つ古代湖。生態学の研究が行われる他、その雄大な景色から観光地の側面も持っている、世界遺産の一つ。

「クローン技術」

 神秘的なその光景に目を奪われていたミシェルを引き戻したのは、そんな呟きだった。

「え?」

 ニカンドロフの方へ振り返るが、青年は湖に目を向けたまま、先を続ける。

「固有種の多さ、未確認の生態系がいる可能性の高さ、バイカル湖にはかつてより、それらを研究する施設はありました。十年前、保護体制の一つとして追加される形で、件の研究所は建てられた」

 それが、バイカル生化学研究所。渡された見取り図には1号棟、2号棟と書かれたものの他に、マーカーの丸で囲われた別棟がある。

「環境の変化による絶滅からの保護、発見時点で死骸しか残っていなかった生態の復元を視野に、その技術は研究を重ねられて来ました——」

 ワゴン車が止まる。赤紫色をしたロングタイプのダウンジャケットを渡され、車外へ誘導されたミシェルは、言葉を失う。

 別棟。研究棟と書かれた施設は、壁全体が煤に覆われ、爆心地に近い奥ほど、倒壊が激しくなっていた。

「——帝国の諜報員が情報を盗み、研究室ごと破壊するまでは」

 

 

 先に言ってしまうと、魔女の複製体は魔女にならない。

 世界に約八億人が分布している魔女。

 彼女たちから同胞が産まれるとは限らず、魔法の発現に遺伝子は結び付いていないのだ。

 実際にあった実験で、培養された魔女の細胞に触れた物質を、細胞の持ち主である魔女は操作出来なかったとされている。逆に本人の細胞であれば、本体から離れていても触れた物質の重力を増幅出来たとも。献血車が魔女お断りなのも、これが理由である。

 何をもって少女達が魔法——重力操作能力を持つかは、未だに謎が多い。魔女が最終神秘と称される所以の一つだ。

 ならば何故、魔女と縁のない技術を帝国は狙ったのか?

(それを今から見つけなきゃいけないんだよなぁ)

 黒焦げになった研究所の中、折れた柱を見上げながら、ミシェルはスーツケースに入れておいた青い布生地のリュックを背負う。なおスーツケース自体は、既に研究員共同の宿泊施設へ送ってもらっている。

 ニカンドロフ曰く、所内は既に一度調査が行われているらしいが、魔女狩り側の視点であれば新たな発見があるかもしれないと、ミシェルの立ち入りは許可された。

(まぁ、魔女狩り側って言っても自分は……)

 着信音とバイブに、リュックからスマホを取り出す。

【着信:トラップセラー人事部

 ミシェル・ローラン殿。本インターンにおける指導役が決定しました。口は少々悪いですが、面倒見の良い男です。分からないことは下記URLより、連絡を取り合うようにして下さい】

「学生なんだよなぁ」

 いつまでもいじけていても仕方がないので、取り敢えず挨拶だけでもしておこうと、URLから飛んだ先のチャットルームを開く。

【M:はじめまして。ウラン・ウデは昼間なのでこんにちは。ミシェル・ローランです。よろしくお願いします】

 無難なメッセージ(少なくともミシェルはそう思っている)を送り、返信が来るまで探索しようと、煤けた廊下へ足を運ぶ。

 響く足音は一人分。ニカンドロフは他に打ち合わせがあるようで、ミシェルに懐中電灯と自身の連絡先を渡して別行動となっている。

 まとわりつく暗闇を電灯の光で裂いていくが、生物の気配を全く感じない荒廃した施設は、それだけで不気味だ。

 そこへ、軽やかな電子音が鳴った。

【O:トラップセラーへようこそ、学生。始まる前から洗礼を受けちまったようだが、ここはまぁそういう所だから諦めてくれ】

 自身のインターン先。フランス国軍が所有する、対異教徒及び最終神秘補助機関の名前。魔女同士の戦闘下で働く彼らへ、ミシェルはここまでずっと渦巻かせてきた疑問をぶつける。

【M:人手が足りてないんですか?一個師団くらいの規模だと聞いていました】

【O:そりゃ全体の総数はな。その半分がフランス国内の防衛を任されてるエリート組。もう半分が俺たち。全七部隊が世界中を飛び回ってる】

【M:海外派遣ですね】

 魔女狩りの居ない国にて、魔女に関わる事件が起きた時に派遣される部隊を管理しているのが海外派遣統括局だ。

【O:そうだな。トラップセラーは直轄組織だが、そこまで軍部と緻密に癒着してる訳でもねぇ。といっても階級や支給品、作戦規模の基準なんかは軍からのお達しだ】

 魔女狩りの普及自体が、欧州諸国に偏る形となっており、一国の機関に所属する魔女の総数も、二桁居るのはたった三ヵ国のみである。

 そのうちの一国が、聖女を魔女と誤認し焼き殺した蔑称を、狩りの実力で畏怖の敬称へと昇華させた国。フランス——通称、魔女狩りの国である。

【O:だっつうのに、まだ五十人くらいが任務地で後処理中だから、今の戦場は大隊規模に満たねぇんだぜ?罰ゲームだろ】

【M:罰を受けるようなことでもしたんですか?】

 歩みを止めると、足の裏から煤の擦れた音がする。

【O:俺らは元々アレクサンドリアで任務に入ってたんだ。泥棒捕まえんぞーってな?そんでまぁ、盗まれた発掘品を、全部は回収出来なかったっつうか】

 実際には指示を出して派手にぶっ壊して貰ったのだが。通信相手は己のミスを書き込まずにぼかしてしまうので、ミシェルには知る由もない。その上で、

【M:なるほど。人手不足なのに仕事増やしてれば怒られて当然じゃ】

 通知が途切れる。既読マークは付いているので、読みはしたのだろう。読んだ上で黙られているのだ。

(おい、何とか言ってよ。せっかくインターン先の人と初めてのまともな会話なのに不安しかないんだけど???)

 静まり返った施設の中、うるさくなってきた耳鳴りを掻き消すように電子音が鳴る。

【O:それを言っちまったらおしまいなんだよ】

【M:おしまいなのはあんたへの信頼だよ⁉︎】

 誰も居ない廊下の扉を思い切り蹴破った。蹴破れる位に衝撃でガタついていたからだが。

【O:うるせー俺だって好きでクジラやミイラぶっ壊させた訳じゃねぇっつうの!そんな物まで大事に盗まれてるとか思わないだろー!】

【M:最悪だ。なんのフォローにもなってない。悪化してる!】

 辿り着いた先は爆心地の隣の保管庫だ。隣といっても、既に壁は大破し、水槽だった硝子と一緒に散らばっている。

 もはや元が何だったのか分からない、黒焦げのぶよぶよした物体を摘みあげると、脆くなっていたせいで千切れて、床へ水っぽい音を立ててひしゃげる。

 直後にシュコンとメッセージが届く。。

【O:あ?言ったな?俺指導役なんだが?いつの間にか敬語も外れてんじゃねえか⁉︎】

【M:その指導役があんたみたいな人だから失望してるんじゃん!】

 床が煤まみれでなければ四肢をついていただろう。

【M:ていうかさ、ていうかさ?あんた】

【O:んだよ!】

【M:前線の大隊に居るってことは、魔女と一緒に仕事してるってことでしょ⁉︎】

【O:えっ】

 焦げた匂いがまだこびり付くその部屋を見回してから、スマホを見下ろし、いつもより強い指圧でタイピングする。

【M:何でそんな奴が、どうして……いいな、羨ましい!】

【O:は?いや、そりゃ、箒星グラビティアと一緒に空挺で来たけどよぉ。ドチャクソ急いで来たから中身の俺らは吐きそうだったぜ】

 相手からすれば嫌な目に遭いましたの意味なのだろうが、ミシェルからすれば鼻息が荒くなるのを止められない。

【M:箒星グラビティア!!!いいなぁ自分も乗せて欲しかった!!!】

【O:箒星グラビティアには乗ってねぇぞ?おい、聞いてた?人の話】

 箒星グラビティア。軍属の魔女にのみ操縦が許可された、その個々人に合った兵装が積まれている戦略級兵器の名前に、ミシェルのテンションはついに振り切れる。

【M:科学の、叡智の結晶、あの出力、浪漫……流線美、魔女とのコントラスト、つらい、美し過ぎて無理】

 胸を押さえながら深呼吸をする。大丈夫、ちゃんと焦げ臭い。ここは自分が調査に来た研究棟だ。

【O:おーい】

【M:かっこいいに決まってんじゃん。あれが空を駆るんだよ?あああ待って、今さら緊張してきた】

【O:ちょっと】

【M:魔女さん、推進力も浮力も全部担った上で操縦もしてるんでしょ?凄いよなぁ本当に】

【O:落ち着け】

【M:???落ち着いてるけど?それでさ】

【O:お前は申請してない隠れ魔女かよ】

 声音など聞こえない文章なのに、顔も見たことない誰かの辟易が見て取れる。

【M:?魔法の使えない人間だけど?】

 ミシェルは普通の人間だ。この普通というのには、子供の頃から魔女が活躍した旨を放送したニュース番組にかじりついて、離れて見なさいと叱られたり、箒星グラビティアの集積回路を大学で自作して怒られたりするだけの……と注釈は入るが。

【O:バレたら悲惨だぞ。俺の叔母もそれで勘当されたからな。そのまま後ろ暗い連中と連んでそこら辺の抗争に首つっこんで死んじまった。絵に描いたような転落劇だ。まぁ俺が生まれる前の話だけどよ】

 魔女に対するスタンスは国によってそれぞれだが、フランスでは魔女であることを申請し、証明であるチョーカーの装着が義務付けられている。内部にカメラが搭載されており、録画記録はトラップセラー国内防衛管理局の証拠保全課へ送れる他、重力の変動を察知し赤いランプが点灯するようにもなっている。本人への犯罪行為の防止と、犯罪に巻き込まれる、疑われることを抑制する効果を持っているためだ。車でいうところのドライブレコーダーの例が近い。

【M:あれ?信じてもらえてない?】

【O:いやだってなんだよお前の魔女様リスペクトは】

 保管庫を後に、そのまま爆心地である、盗まれた情報の詰まっていた研究室へ足を向ける。

【M:え⁉︎しないの?重力操作の繊細さも同時進行させる箒星グラビティアの精密な操縦も、そこから発揮される躍動感溢れるあの勇姿を見て何とも思わないの?大丈夫?】

【O:そんなことより俺を敬えや】

【M:は?今そんなことって言った?】

【O:あ?喧嘩売る前にやることだろ?】

 研究室は、やはり一番酷い有様だった。そもそも屋根がない。パソコンだった残骸や、電子機器だった潰れた黒い塊、屋根だった瓦礫が床やデスクの上に散乱している。雲が晴れ、顔を出した太陽光が凄惨な室内を照らす。

【O:もういい。お前の書類を読んだ時から、なんで地元にすげぇ大学あんのにわざわざ合衆国まで飛ぶのか疑問だったが、もう知んねぇよ、お前の人となりなんざ】

【M:そんなの本場のカルフォルニアバーガーが食べたかったからに決まってるでしょ】

【O:教える気がねぇのはよく分かった】

 喧嘩の論点がようやく切り替えられたので、ミシェルもそれとなく話を振る。

【M:あんたこそ、どうして魔女に命を預ける仕事に就いてるの?】

【O:お前がインターン任期満了出来たら教えてやんよ】

【M:こっちが弱音吐いて逃げ帰るの前提で条件出さないでよ】

【O:分かってんじゃねぇか。まぁそんだけ図太けりゃ大丈夫か。仕事が出来ればだが】

【M:仕事といえばさ】

 ミシェルは預かったクリップボードのページをめくる。

【M:研究棟への破壊工作に使われた爆発物、正規の爆弾じゃなかったみたい。テルミット反応を利用した爆薬みたいだけど】

【O:そりゃ軍でも使われてるもんだぞ?】

【M:アルミニウムを調理家電にかければ粉末になるし酸化鉄は市販で手に入る。作る環境も大事だけど、テルミット爆弾くらいなら手軽に作れるよ】

 わざわざ言うほどでもないので打ち込まないが、ミシェルも大学で似たような実験をしたことがある。

【O:結局、お前は何を危惧してんの?】

【M:諜報員は今、保安庁の人達に追われてて、それを回収しに帝国の魔女が動いてて、その二者を合流させないよう間に割ってはいってるのが、トラップセラーのあんた達。で構図はいいんだよね?】

 瓦礫の上を歩きにくいローファーに顔を顰めつつ、広げた両腕でバランスを取りつつ奥へ進んでいく。

【O:そうだな】

【M:つまりあんた達は最悪、敵の魔女と爆弾作れる工作員の挟み撃ちに遭わない?】

 瓦礫から飛び降りた先は、爆発中心。半ば炭と化した床は、授業で習った通りの亀裂が入っている。

 何故、諜報員はバレるリスクを冒してまで、ここの破壊を試みたのか?

 ミシェルが思案していることなど当然知らない相手が、チャットルームを更新する。

【O:勘弁してくれ。こちとら軍直轄組織だぞ?軍から降ってきた奴だって何人も居る。おままごとで壊滅すんのは漫画だけだぜ】

【M:そういうものかぁ】

【O:そういうもんだよ】

 何かが反射しているのを見つけ、ミシェルはデスクの下を覗き込む。ニカンドロフ達が調べた時は晴れていなかったから見落とされたのか、カードトレイのミゾ部分だけが光っているタブレットだ。本体はほとんど黒炭だが、ミゾに焦げが無いならばもしやと、トレイを引き出してみる。

 ミシェルが手に入れたのは、微妙に焦げはあるが、無事な部分の割合が大きいSDカードのようだ。

【M:ねぇ】

【M:そっちにデータの復元とか得意な人いない?】

【M:おーい】

【M:あれ?】

 既読マークが、いつまで経っても付かない。

 ジャケットを羽織っていても凍える研究室の中で、汗が喉を伝う。

【M:まさか】

「本当に挟み撃ちにされてる⁉︎」

 

 ◇◆◇◆

 

 西ルーシ=ポルスカ国境線、幕のような敷き詰められた雪が舞う白き森。

 かつては不法入国をしてくる難民達を取り締まる為の監視塔が点在していたが、難民側の魔女との小競り合いが発展し、廃墟と化した。

 現在は放置されたその建物に、第七空挺舞台が基地を展開している。

 ポイントブラボーを陣取る後方支援部隊の司令部——白色の飛空艇から車両、機材、人的資材が各ポイントへ広まっていた。

 一番前方に配置されたポイントアルファは斥候等を担当する前線実働部隊の駐屯地。

 木々の開けたポイントチャーリー箒星グラビティアの整備地。

 デルタエコーが予備物資の保管補給と戦車の配備を行なっている。

 木々の合間にある獣道を、一台のスノーモービルが粉雪を巻き上げながら走っている。

 アサルトライフルを背負ったスカイグレーの迷彩服を着たオリヴィエは、今にも雪が降り出しそうな空を見上げた。鼠色の雲に向けて、黒煙がそこかしこから上っている。

 ポイントアルファの廃墟の二階にて、インターン生の指導を理由にお留守番をしていたオリヴィエは、後方から鳴り響く爆音に面食らった。スマホをポケットに突っ込んだところで、そういえば名乗っていなかったな思い返したが、急を要する事態を前に、チャットの画面を頭の隅へ振り払う。

 装備一式を持ち直し、そのまま一階に駐車しておいたモービルで、奇襲を受けた拠点の方角へエンジンを噴かせた。

 舌打ちを一つ、白い吐息に変えて、オリヴィエは同時通話を選択してインカムを耳元へ押し当てる。

「こちら斥候班のオリヴィエ、現在ポイントアルファからポイントブラボーへ移動中。誰が無事で何処がやられた⁉︎」

 インカムにノイズがはしった後、無線の繋がる音がする。

『こちらポイントブラボーは問題無い。チャーリーデルタがやられた。エコーは連絡が取れない』

 司令部から男の実直な声が、努めて冷静に状況を見渡している。

『移動してんならこっち来てよポイントデルタ!火の回り早くて物資に誘爆しちゃうよ!』

 慌てた声の後ろで布を振る音と炎の弾ける音がする。おそらく消化作業中なのだろう。

「信管さしてねぇのに爆発してたまるか欠陥品か⁉︎」

『ポイントブラボーより小隊規模を編成して援護に向かう。それまで持ち堪えろ。オリヴィエお前はエコーへ行け!黒煙の位置からして被害が出たと思われる』

「了解。くっそ、いの一番に飛び出すんじゃなかった」

 オリヴィエはモービルのハンドルを乱暴に回し進路を変える。

『働け!動かなきゃ死ぬぞ』

「分かってる!だから俺たちここに飛ばされたんだしな!」

『オリヴィエと一緒にされるのも癪なんだけど』

『それなー』

『貴様ら遠足に来たんじゃないんだぞ⁉︎』

『やっべ堅物司令部に目をつけられた。散れ散れ』

『散開!』

『手を動かせー』

 火に炙られ弾けるポップコーンのように、騒がしさが散っていく。文句を言う隙もない。

 無線を切れば、辺りにはモービルのエンジンと風を切る音がするだけだ。

 最初の三発以外、爆発の追撃がある様子はない。

 モーター音すら吸い込みそうな雪の匂いに混じって、雑木林の合間から硝煙の匂いが鼻を刺す。

 横滑りにブレーキをかけ、モービルから降りて林の方へ駆け出す。

 オリヴィエの前に、ポイントエコーが姿を現した。配備された戦車の方は無事なようだ。

 廃墟の一階から煙が上がっており、外には何人か、仲間達を介抱する者が居る。

「被害は?」

 駆けつけたオリヴィエに、仲間の額に包帯を巻いていた女性隊員が顔を上げる。

「運び入れていた荷物が、突然爆発したんです。幸い死者は出てないんですけど」

 傷の具合は殆どが火傷によるもので、全身火だるまになって倒れているような重傷者はいなかった。

「そういや、死人が出たって報告はされてねぇな」

 口元に指を当てて俯くオリヴィエに、小柄な女性隊員が眉を下げる。

「荷物は、この国からの支援物資なんです。まさか、帝国に加担しているのでしょうか?」

 寒さで震えている女性隊員の心配を、オリヴィエは眉間に皺を寄せて否定する。

「そりゃおかしい。西ルーシとポルスカ、どっちから見ても他所の国の問題だ。さっさと解決してさっさと撤収して欲しいだろ」

「ならどうして?」

 負傷した車両科の隊員たちを見回しながら、オリヴィエは思考の海に沈む。

 これだけ被害が出ていて、死者が出る程の火力が無かった、というのがまず疑問だ。

 諜報員は何故こんな中途半端な事をしたのか?そもそも、何故自分はこうも自然に犯人を諜報員だと思っているのか?

 理由は簡単だった。直前までミシェルと話していた内容が、オリヴィエ達が諜報員と魔女の挟み撃ちに……——

「狼煙だ」

 ハッと黒煙を見上げる。

「回収に来ている魔女に向けて、自分が来たことを合図してるんだ!」

 女性隊員が跳ねるように通信機を掴み、そして悔しそうにくしゃりと顔を歪める。

「すみません。先程の爆発で機器が壊れてしまっていて……」

「それでか。こちらポイントエコーのオリヴィエ。ポイントチャーリー、スノーラビットは⁉︎」

 返答より先に、空を轟音が走る。

『こちらポイントチャーリー、整備科。勿論整備は終わってる。とっくに発進してもらってるよ』

 灰色の空を一閃する白亜の巨躯が、オリヴィエ達の上空を通過する。

『こちらスノーラビット。西三十キロメートル前方から高出力の重力を感知。敵機確認。接敵に入るよ』

 徐々に遠ざかっていく箒星グラビティアを見送ってから、オリヴィエは携帯端末から地図を開く。

「諜報員は近くに潜んでる可能性が高い。俺たちの使ってない廃墟はどれだけあった?」

「国境線上に跨ってるんですから軽く二十はありますよ⁉︎」

 女性隊員の悲鳴にオリヴィエは地図の上に指で丸を描く。

「だったら敵機はこっち来ねぇよ。向こう三十キロ範囲だ」

「それなら、私たちが使ってる六つの他に、残り四地点あります」

 オリヴィエは地図に印を書いてから、司令部へ送信する。

「こちらオリヴィエ。ポイントブラボー、今送った座標に部隊を向かわせられないか?」

 インカムからは苦渋に満ちた声がした。

『現在ポイントフォクストロットより医療科の班をポイントエコーへ向かわしている。こちらは状況の芳しくないポイントデルタへ小隊を派遣した。ポイントチャーリーの整備科はスノーラビット非常時の為にも持ち場を離れさせる訳にはいかない。もう少し範囲を絞り込めないか?』

「くっそ、斥候班が偵察に行ってなけりゃな」

 頭を掻くオリヴィエに、おずおずと挙手するのは隊員たちを介抱していた女性隊員だ。

「一部の監視塔は魔女との抗争も視野に入れて、防空壕が作られてました。後になって例の問題が発覚して、立ち入り禁止になってるんですけど」

 例の問題というのは、国境線上に地盤沈下の恐れがある地帯が広がっていることだ。

 かつて監視塔の人員に宛てて給水用の井戸が掘られたのだが、水脈が枯れて陥没の被害が出やすくなってしまった。

 結果、誰も近寄りたがらなくなった。難民との抗争後、塔が放置された理由である。

 女性隊員はオリヴィエの端末を覗き込み、一箇所を指差す。

「ポイントホテル。ここからなら入ることが出来ます」

「はっ。俺たちを魔女サマに全滅させてもらってから、悠々とご帰宅する腹か」

 にぃっと口角を上げたオリヴィエは、揚々と司令部への通信機を口元に当てる。

「聞いたかポイントホテルだ。魔女は魔女に、人間は人間おれたちで対処するとしようぜ」

 

 

 コンクリート製の地下壕は埃を被っていた。

 もう何年も補修がされておらず、所々壁が剥がれ、ひび割れも起きている。

 無理やり配線を繋げて確保した電灯が、時折瞬いては、安定器の異音と共に寿命の近さを訴えている。

 広間に人影が八人。その内七人はグレーの迷彩服に防弾装備を整え、ライフル銃を所持している。

 決してブリヤート共和国からこの集団を率いていた訳ではない。そんな事をすれば目立ち過ぎる。

 元より大陸を横断すると予定していた為、昼間落とした石を夜の帰り道に拾うように、予め潜入待機させておいた護衛チームと合流したのだ。

 諜報員は本来なら、この武装した者たちの護衛で帝国へ帰還する手筈だったが、連邦保安庁の追手がすぐそこまで追いついているので、魔女に回収して貰うのを待っていた。

 焦茶色のロングコートを羽織り、銀のアタッシュケースを持っている男こそ、件の諜報員である。

 手首の内側に付けた腕時計で時間を気にしている。

 魔女狩りの国で名高いトラップセラーが基地を展開していたと分かった時には、後ろから迫る保安庁局員の追跡へのプレッシャーも手伝い、かなり焦りを持った。他国からの救援物資という隙を見つけ爆弾を細工した後も、緊張感を拭わない程には。

 だがそれもここで終わる。地上の障害が魔女によって排されれば、先の護送の安全性が格段に上がる。後はここで息を潜めていれば——

 パンッと乾いた発砲音は、地下空間によく響く。

 目の前の護衛がブレたと思ったら、その勢いのまま倒れていく。背中から噴き出した血飛沫が、諜報員の頬で弾けた。

「なっ⁉︎」

 もう気付かれたと、諜報員の目が見開かれた時には、武装した護衛チームの二人は弾の飛来した方向へ銃を向けている。

 残る四人で各方向を補い、迎撃の準備を整えた。何処から誰が来ても、これ以上の遅れは取らないと——

 オリヴィエ=フーベルト・リシュリューの戦闘スタイルは、狩猟のそれに近い。

 猟師の守護聖人と同じ名前を授かった彼は、幼少期より叩き込まれた護身術を、戦場の中で独自に発展させてきた。

 通常であれば尉官相当の地位が相応しく、実力見れば国内の防衛に当たる魔女狩り達と比べても遜色ない。

 彼の父親は、長男のことをシロハヤブサと称した。狩人になるか狩人に使われるモノになるかは、本人次第だとも。

 故に、オリヴィエは護衛の上へ落下してくる。

 地下壕専用の入り口を発見し、階段を降り切る前に奇襲を成功させ、敵がこちらの姿を目視する前に軍用ナイフを引き抜き飛び降りたのだ。

 盗賊たちに発した勧告は行わない。既に彼らは、抵抗の意志を示しているのだから。

「おら次」

 オリヴィエにのし掛かったことで体勢を崩した護衛の頸動脈を、的確に掻っ切る。

 残りの照準が完全にこちらへ向き切る前に、倒れた護衛の体から跳び退く。

 そのまま後方の護衛を後ろ向きのまま襟首を掴み、地面を蹴って自身の体を持ち上げ反転、背中に組み付き首を絞める。

 味方を撃ちかねない状況に相手が躊躇を見せたのを確認し、ピンを引き抜いた攻撃手榴弾を組み付いた敵のポケットに滑り込ませ、解放と同時にその背中を四人目へと蹴り飛ばす。

 仲良く抱き合って爆裂したのと、オリヴィエの真横で銃弾が火花を散らしたのほほぼ同時。

 撃ってきた五人目の首にナイフを投げ、空いた両手でアサルトライフルを構え直すと、残った二人に流れるように鉛玉を連射する。

 合計七名が地に伏せた。

 護衛の鎖骨からナイフを抜き取ろうとしたオリヴィエは、手首を捻り、ナイフを刺したまま護衛の体を自分の前へ持ち上げた。

 鈍い音が、護衛の防弾チョッキに着弾する。諜報員が、こちらにリボルバーを向けていた。

「安心しろよ。一人は話せる状態で残すようこっちも考えてるからな」

 今度こそナイフを引き抜いたオリヴィエの足元に、動かなくなった護衛が、膝から崩れ落ちる。

「長旅ご苦労さん。クソ寒かっただろ。あったけぇスープ飲んで出頭しようぜ?」

 台詞が完全に悪役である。

 諜報員は、自分の持ったアタッシュケースとオリヴィエを交互に見る。

「君たちの目的はこれだろう?分かってる」

 そのまま瞳を伏せ、そっとリボルバーを下ろす。

 捕縛するためにオリヴィエが一歩を踏み出した瞬間だった。

「そんなに欲しいならくれてやる!」

 諜報員がアタッシュケースをオリヴィエ目掛けて放り投げる。

 咄嗟に左腕で庇ったオリヴィエが見たのは、ケースを投げると同時にこちらへ走ってくる諜報員の姿。

 ロングコートを翻し、オリヴィエにぶつかったケースの取手を掴み直す。

 すれ違いざまに下肢動脈を狙ったオリヴィエのナイフは、しかしヒラリと空を切る。

「……は?」

 オリヴィエが見たのは、広間から続く坑道へ走る、諜報員の背中だった。

「てっめ!ここまで来てまた逃げんじゃねぇ!」

 追いかけてトンネル状の坑道を走るオリヴィエの耳に、上階から断続的な銃声が二つ分響いてくる。他の護衛と、即席の探索班が衝突したようだ。

「まだ居たのかよ。マジ一人で来なくてよかったな」

 トンネルを抜けた直後、オリヴィエの真上から爆発音が降ってきた。

 例のテルミット爆弾を、諜報員が設置したようだ。

 拠点を襲った物よりかなり小規模だったが、崩れた天井がオリヴィエに降り注ぐ。

 オリヴィエは一段と姿勢を低くする。ふっと息を吸い、走る速度を上げる。

 進路を邪魔するよう落ちてくる瓦礫の合間を、縫うように駆け抜けた。

 そうして諜報員に追いつくが、その装備が白のワイシャツとホルスターの付いた黒のサスペンダーへ変わっているのに気付く。諜報員が放ったロングコートが、オリヴィエの視界を埋める。諜報員は躊躇いなく、コートへ向けて銃弾を撃つ。

 穴を空けてハラリと床に落ちたコートの先に、オリヴィエは居ない。

 一瞬虚をつかれた諜報員だったが、オリヴィエがどうやって現れたか思い出し、銃口を上に向け、そのまま押し倒される。

「どうなってるんだ。君の跳躍力は」

「足腰は基本だぜ。敵の砲撃から逃げる時とか味方の流れ弾から逃げる時にも鍛えられる」

「言ってることは情けないのに」

 諜報員の声は小さく消え入り、首を横へ背けた。そんな奴に倒された自分の方が情けないとでも思っているのだろう。

「知ってる」

 オリヴィエは諜報員のリボルバーを持った手首に、ナイフを突き立てようとし……もう片方の手が手榴弾のレバーを抜いているのに気付き、後方へ跳び退く。

 瞬間、坑道は暴力的なまでの眩い白光に飲み込まれる。

(閃光弾か!)

 瞼を開けた時には、諜報員は坑道右手側の階段を登っていた。

 オリヴィエは身近い左手側の階段を駆け上がり、ライフルを諜報員へ連射していく。

 頭の中は半分以上、護衛の残党がいるならコイツはいっかな?に傾いていた。

 背後からコンクリートの壁が抉れて来るのを後目に、諜報員もリボルバーを絶え間なく撃ち続ける。

 吹き抜けを間に挟み、隣り合って走る乱撃の応酬は、階段を登り切っても続く。

 監視塔は三列の建物を渡り廊下で行き来出来る王の字の形状だ。諜報員の居る中央列の建物は渡り廊下によって十字路になっているが、オリヴィエ側への廊下は崩れている。

 渡り廊下の行き当たりの壁がどちらも壊れており、建物の外が顔を覗かせていた。

 かつて難民側の魔女の攻撃が、渡り廊下を通すよう一直線に貫通したのだろう。

 その穴から木々の頭が見えるため、ここが廃墟の二階だと伺えた。

 先に護衛へ叩き込んで残弾を減らしていた自動小銃と、装填数で劣る回転式拳銃が弾切れを起こすのは、殆ど同時だった。

「そらお返しだ!」

 オリヴィエが吹き抜け越しに、発煙筒を諜報員側に投げ入れる。

 黒煙を廊下一杯に吐き散らかすスモークグレネードに、諜報員は逃亡の足を怯ませ、来た道を引き返そうと体をひねる。

 その隙に吹き抜けを超えるよう跳躍したオリヴィエは、対岸の手すりに着地し、諜報員の後頭部に蹴りを入れた。

 短い悲鳴をあげてよろめきながらも、諜報員は二手に分かれていた道の曲がり角へ走る。。

 手すりから降りたオリヴィエは、投擲でナイフを、ケースを持つ手に当てる。

 諜報員の手から落ちたケースが、回転しながら床を滑っていく。

 しかし諜報員は、最早それを意に介さない。

 振り向いたその目は明確にオリヴィエを睨みつけている。

 このまま逃げ続けて、魔女の到着を待つことは不可能だと。ここでオリヴィエを倒さなければ、どちらにしろケースは取り戻せないと悟る。

 諜報員はホルスターに残った自動拳銃を素早く取り出す。

(スパイの癖に残弾気にせず撃ってきたのはこのせいか…!)

 潜入先の国のモデルなのか、マニュアルセーフティーを持たないピストルが、オリヴィエを狙い——……その手から、一発の銃弾により、弾かれた。

「っ⁉︎」

 諜報員の瞳が、今度こそぽかりと開いた。眉を歪め、つい咄嗟に弾の飛んで来た方へ気を取られてしまう。

 よってオリヴィエの拳が、鳩尾にめり込む。諜報員は息を詰まらせ、声にならない苦悶を吐き出す。

 相手が膝を付き前屈みに倒れたのを前に、オリヴィエは捕縛するのではなく、落ちたケースを拾い上げる。

 咳き込む諜報員が、もう下手な真似が出来ないと、分かっているからだ。

「最後の一発、あれはお前か?」

 壊れた壁——三列目の建物へ視線を向ければ、曲がり角からゆっくりと革靴の足音がした。

 現在オリヴィエ達がいるのはH路の中心。そこへ一人の女性が姿を現す。

 まるで溶かしたビターチョコレートを流したような、うねりのある長髪が、風に乗って足元で揺れている。

 黒いスーツとネクタイはよれていて、緋色の裏地がよく目立つ。

 表情全体に覇気がなく、眠そうな瞼ながらも、フォレストグリーンの瞳はこちらをしっかりと見据えていた。

「あぁ、ようやく追いついたと思ったら、もう始まってたようだからね」

 野暮ったい衣装とは裏腹に、ぶら下がった手にはゴツい拳銃が握られていた。

 近付いてきたことで、女性が自分より大きいことに気付き、オリヴィエは内心だけで身動いだ。

 のっそりとした動作で見下ろして来る様は、逆光と重なり熊のような印象を受ける。

「氷楔連盟保安庁ブリヤート支局、防諜作戦部隊所属。名前は……じゃあ、スカーレット、でいいかな?」

 すっと二本の指を口元に当ててから、あぁ煙草が吸えない、などとぼやいている。

って」

「お気に入りの偽名なんだ。遅れたお詫びに教えてあげる」

 今まで何人にそう言ってきたのか分からない文句で受け流される。

「まぁいい。人の対処終わってないくさいんだよなぁ。他の奴らは何処に居るんだ?」

「本命の方かなぁ」

 まるで他人事のように、明後日の方角を眺められてしまった。頭上でクエスチョンマークを乱舞させるオリヴィエに、スカーレットは気怠げに溜め息を吐く。

「このスパイが方々にばら撒いたブラフのせいでね、こちらも手こずらされてしまったよ。二手に分かれるを繰り返して少なくなっていく隊員、着いた街で巻き込まれた大捕物、宙を舞うピザ屋、出品されたアタッシュケースの謎、大追跡スペクタクル……聞く?」

「いや???」

 スカーレットも面倒そうに淡々と説明するし、オリヴィエとしても興味はなかった。

「そう?じゃあ簡潔に。部隊は皆んな本命ブラフに引っかかって来ていない。私はこっちだと進言したんだが、採用されなくて」

 アリスちゃんは信じてくれたんだけどなぁとぼやくスカーレットが肩をすくめたあたりで、一階から聞こえていた銃撃戦の音が止んでいるのに気付く。

 決着がついたのだろう。オリヴィエが屠った護衛の腕からしても、探索班の味方がこんなに早くやられるとも思えない。

 そう判断して、オリヴィエはスカーレットに続きを促す。

「何でこっちだって分かったんだよ。ちゃんと仲間に説明したのか?」

「勘だったからなぁ。部隊の上官は誰も信じてくれなかった。結局このタイミングに間に合えたのは私だけになってしまったよ」

 適当にはぐらかされる。本当に直感的なものだったのか、筋道を立てた推理だったのか、オリヴィエには看破出来ない。

「それだけスパイの欺瞞能力が高かったってことだよ。流石はだ」

 スカーレットは、倒れたままこちらを見上げるしか出来ない諜報員を見下ろして、片側の口角を上げて皮肉げに笑う。

「LTF?」

 話を聞きながらも諜報員を監視していたオリヴィエが、スカーレットの方へ向き直る。

「そう。帝国軍所属の魔女狩りLTF。名はサウィンで、全十二の団隊に分かれている。彼は諜報だから、白蛇?いや〈白蛇〉は研究職が集まる士団の名前だったか。諜報系は〈大鴉〉だ」

 こめかみを指でトントン叩きながら、スカーレットは思い出すように教えてくれた。

「そして戦闘を担う士団は〈黒猫〉」

「くろねこ」

「そ。ネコチャン」

「ねこちゃん」

 スーパーモデル並みの長身がほのぼのと小首を傾けるので、オリヴィエも毒気を抜きかけられてしまう。

 かぶりを振って現状を見つめ直す。

 護衛チームは片づけた、諜報員も捕縛同然、技術情報も確保した、保安庁の局員も来てくれた、ならば後は……後は?

 周囲の冷気とは関係なく、体の芯を悪寒が走り……その瞬間、インカムがけたたましいアラームを鳴らした。

『ポイントホテル!人が居るなら緊急退避!こいつ私を無視してでもやる気‼︎』

 スノーラビットからの、通信だ。迫り上がってきた悪寒が、オリヴィエの顎を穴が空いている壁の方へ向かせる。

「あ……」

 その場の誰とも分からず、声が漏れる。

 雪化粧を纏った森の上、鼠色の雲が散らされた景色の中…

 異彩があった——黄金の額縁と深紅の引割幕、木製の柄を持つ舞台が浮いていた。

 異物があった——舞台の枠に設置された百に届く砲身が、こちらに狙いを定めている。

 異端があった——中央に立つのは、豪奢な純白のドレスを模したパイロットスーツの魔女。

「やっべ!クソが!」

 オリヴィエは弾かれたように身を翻し、向かいの壁に開いた穴を目指す。

 それに触発されスカーレットも後に続く。オリヴィエ達が壊れた床の縁を蹴って、外へと飛び出した直後。

「うっ……待て、識別、信号、ぼっ——」

 僕は味方だ。取り残された諜報員が、そう訴える前に、廃墟は爆音と共に破壊される。

 オリヴィエ達は爆風に煽られながらも、二階から五点接地で転がり出た。

 立ち上がったところで、マイク越しの甲高い罵声がぶつけられる。

『アッハハ!よぉ雑兵ザコ共、今日も無様に地べたを這いずってんなぁ!』

 欧州諸国に点在する魔女狩り。その中でわざわざフランスのトラップセラーに救援要請が出た、最大にして唯一の理由。それが、上空からこちらを見下している。

 廃墟を更地にした張本人を睨みつけ、オリヴィエはその箒星グラビティアの名——血に濡れた劇場を意味する名を叫ぶ。

「グランギニョール!……この裏切り者が‼︎」

 

  ◇◆◇◆

 

 箒星グラビティア——正式名称〈重力解析装置グラビティアナライザー

 その起源は、産まれた赤ん坊が魔女か人間か判別する計測器だ。

 それをとある中立国が、紛争地帯において破壊活動を行う魔女の反応を察知し、戦闘を回避する為の装置へと改良させた。

 その後は貧困に人手不足、物資搬入の遅れや医療設備のままならない危険区域に踏み込み、民間軍人問わず治療を行う病院機能を持った車両に組み込まれた。

 主に戦地で活動するボランティアに所属する者が搭乗しており、負傷者を癒し敵の脅威から遠ざける存在だった……だったのだ。

 人の業と言うべきか、遅かれ早かれと言うべきか、とある提言が呟かれた。

「兵装にその機器を積んで、戦争の原因である魔女を殺した方が、早く解決するのでは」

 かくして、救護車両はレーダー搭載式移動型武装要塞へと姿を変える。

 二十年前、たった一機の箒星グラビティアが第四次世界大戦を鎮めた功績から、需要に拍車がかかった。

 箒星グラビティアの原型、即ち試作機プロトタイプ。名を、スノーホワイトという。魔女の害意で死んだ後、蘇生して魔女を焼き殺した姫の名前だ。

 スノーラビットは、この試作機の特徴を色濃く継承した機体の一つである。

 基地から発進した後、透明感すらある白色の巨躯は、高度百六十メートルを音速で飛行していた。普段は規定速度を厳守する箒星グラビティアも、許可が降りている今はその限りではない。

 追従する棺を本体の後方に配置し、槍のように風の幕を貫く。彼女が通り過ぎてから、遅れて木々が左右へざわめいていく。

 機影は、直ぐに発見出来た。

 絢爛な意匠が施された額縁、脇へ纏められた引割幕に囲まれ、横幅四十メートルはある舞台に設置されたマイクの元に、その魔女は立っている。

 ワインレッドが広がる巻き髪、アイシャドウが縁取る金緑石の吊り目、白い肌はスノーラビットを駆る魔女に負けず劣らず滑らかだ。

 胸元や袖にフリルとレースがあしらわれたパイロットスーツのトレーンと、カチューシャに付いたベールが靡いている。

 スノーラビットは走行したまま機影にチェックを付けた。

「敵影解析。登録艦ナンバー、管制システムとの照合、一致。敵性機体をトラップセラー元専属箒星グラビティア、グランギニョールと認定」

 一定の間隔を空けて停止したスノーラビットは、グランギニョールへ勧告を飛ばす。

『スノーラビットからグランギニョールへ。これ以上の領空侵入を続けるなら、マレフィキウム国際条約第一条に基づき貴方を異教徒とし——』

 舞台の下に吊り下げられた大砲から発射された砲弾が、スノーラビットに直撃する。

 爆音のこだまが消え入り、硝煙が薄く霧散していくと、そこには盾にした棺を操る白色の機体が無傷で浮いていた。表層に展開された重力結界ドレスコードが砲弾の威力を相殺したのだ。

 重力操作は物質の質量を増減させることも可能であり、〈重力結界ドレスコード〉と呼ばれていた。

 被弾位置を解析しながら威力を算出し、どの角度へ過不足無く魔法を出力させるかを伝えるシステムが、箒星グラビティアには備わっている。

『随分なご挨拶だね。帝国の民度も程度が知れるよ』

『はぁ?挨拶は知性のある同族の間で交わされるんだぜ?知らないの?あ!知らないんだぁ』

 両機の間に暫しの沈黙が漂う。スノーラビットは、二基の棺の底をグランギニョールへ向ける。二重の蓋が開き四門の砲口が突出した。

『確かに。ごめんね。お猿さんに私達の会話水準を期待したのが間違いだった』

 グランギニョールは舞台裏から、オルガンのパイプのような砲身を放射状に伸ばす。ジョイントが順番に曲がり、全ての砲口がスノーラビットに狙いを定める。

『気にすんなよ。相手の力量も計れねぇドブに分からせてやるのも役目だかんなぁ』

 棺からロケット弾が火薬の弾ける音と共に射出され、パイプの形をした航空機関砲の掃射がそれを迎え撃つ。

 銀の森上空に、爆炎の球が列をなす。魔女同士の戦争が、幕を開けた。

 戦闘機同士の戦いが背後の取り合いになるように、箒星グラビティア同士の戦いは上の取り合いになる。

 故に、スノーラビットは、接近しながら高度を上げていく。

 それを許さないグランギニョールの砲門は、数多の種類の内、機関砲の弾幕をばら撒く。

 グランギニョールが横幅を活かした多彩な絨毯爆撃を得意とするなら、スノーラビットは縦に洗練されたフォルムと厳選された六つの砲を駆使した一点突破を得意とする。

 スノーラビットは画面に表示される弾道予測に従い、迫り来るオレンジ色に光る弾丸へ身を翻し、回転し、時に高熱のバーナー噴出で軌道を逸らし、着実に距離を詰めていく。

 周囲にバラけさせた棺の一基へ信号を送り、敵の弾幕とこちらの機関砲の弾道が交差するよう砲撃させる。

 スノーラビットを蜂の巣にせんと飛んできた弾幕が、一斉に弾かれる。

 猛攻を抜けたスノーラビットは、グランギニョールへ標準を付け直す。

 

 二十キロ離れた司令部では、PCの画面を睨んでいた女性オペレーターが声を張り上げた。

「グランギニョールからの流れ弾がこちらに来ます!」

 振り返られた大尉の通信長は、しかし慌てるそぶりもなく、

「落ち着け。既に軌道はずらされている」

 飛来する砲弾が、トラップセラーの基地外へと着弾する。

 それを見届けてから、大尉はスノーラビットへ通信を繋いだ。

「司令部よりスノーラビットへ。接敵を確認。徹甲弾による補助を開始する。表示座標へ六十秒後、敵機の誘導は可能だな?」

 

 戦闘域にて通信を受け取ったスノーラビットは、青白く浮かぶ座標の画面に一分後のタイマーを設定し、司令部へ返答する。

「問題ないよ。でも今回はこっちにも複合弾を積んでなかった?」

『その高度で撃って森林火災を消してくれるなら構わないが』

「……六十秒後、了解」

 グランギニョールとの間隔は百メートルまで近づいた。至近距離で棺の底側に設置された機関砲が火を噴く。

 何故遠距離攻撃に徹しないかと問われれば、軌道変生ナビゲートによって箒星グラビティアを制御できる魔女の機動性能なら回避が可能だからだ。

 グランギニョールの巨体が、こちらへ向けて斜め横へ半回転する。そのまま顔を見せた銀のガドリングがスノーラビットへ撃ち込まれる。

 スノーラビットの本体は背を逸らすように連射を紙一重でかわす。その体勢のまま二基の棺の底、下半分に搭載されたロケットをグランギニョールへ叩き込む。

 グランギニョールが滑腔砲をロケットの弾頭にぶつけたことで、回りながら明後日の方角へ落ちていくロケットの内数弾が、衝撃の条件を満たし爆破する。

 劇場の勢いは止まらず、流れるよう高度を上げる。牽制のレーザー光線もばら撒いてくる。

 雪兎は重力結界ドレスコードの出力を六十%に引き上げた棺でそれを八方へ受け流してから、後を追う。

 二機の箒星グラビティアが螺旋を描くように上昇しながら、衝突を繰り返す。

『まだ死ぬなよ。磔にしててめーらの依頼主に見せつけてやるから!』

 グランギニョールの大ぶりな砲身が、直接スノーラビットの棺を抉るように接触をはたし火花が散る。ぐるんと一回転して距離を取ったスノーラビットは、予め待機させておいた二基をグランギニョールの上下方向に配置する。

『そんなに上へ行きたいなら逝かせてあげる』

 劇場を挟むように、高出力の冷却ガスが噴射された。

 スノーラビットの棺は二基が機関砲、二基がレーザー狙撃の反射砲、そしてもう二基が燃焼バーナーと冷却ガス噴射を内包する冷熱砲だ。

 箒星グラビティアの機動性能は全て軌道変生ナビゲートが担っている。ならば動力炉のリソースは、どこに割かれているのか?答えは二割がシステムにより魔女を補助する電子系統。残る全てが、火力に回される。

 例え戦う場が太陽の照りつける砂漠であっても、彼女には関係ない。雪降る場所に雪兎が出来るのではなく、スノーラビットの舞い降りた地が雪原に変わるのだから。

 冷却ガスが、グランギニョールを結界ごと凍結させていく。スノーラビットは容赦なく炉心の稼働値を上げて、ガスの威力を高める。

 人工的な吹雪が晴れると、巨大な氷山が出来上がっていた。

 しかしそれも、長くは続かない。氷塊の中心に亀裂が走る。内側から盛り上がるように氷の破片が突き出て、氷山は木端に吹き飛ばされた。

 細氷を振り払ったグランギニョールの魔女が、大きな瞳を歪ませてこちらを睨みつけてきたところで、

『ジャスト六十秒』

『‼︎』

 トラップセラーの基地より発射さらた徹甲弾が、グランギニョールの重力結界ドレスコードに直撃する。二本の長身が突き刺さった結界に、罅が入っていく。

 装甲の貫通に特化した徹甲弾も、当たればそれで終わりという訳ではない。破れるのはあくまで結界であり、箒星グラビティアの動力炉を破壊するか、魔女本人を気絶ないしは殺す必要がある。

 それ故、高度を見積もったスノーラビットが、複合弾による追撃を間髪入れずにぶち込む。——刹那。

 つんざくような大音響が、スノーラビットの集音装置から吐き出され、耳の中で暴れ回る。

 脳へ刺激が走り視界へ弾けた絶叫に、ユスティーニはコクピットで一瞬仰反る。

 彼女を囲う周辺映像にも、箒星グラビティアのステータス画面にも異常は無い。

 予備動作の確認出来ない、不可視の一撃に揺さぶられる鼓膜は、女性オペレーターからの通信を弱々しくも拾い上げた。

『グランギニョール主砲、超大型パラメトリックスピーカーの周波数確認!やはり脱退前と変わりありません。補助システムに組み込んだ音波相殺プログラムの使用は可能です!』

 ユスティーニは仰け反った背筋を勢いよく戻し、グランギニョールに神経を注ぎ直す。

「了解。重力結界ドレスコード補助システム、防音プログラムを実行」

 音は空気の振動だ。本機に展開される結界が、接する気体を歪ませて音波の方向を乱す。

 細く長く呼吸を整え、内耳に残る反響を落ち着かせていく。

 グランギニョールも無傷ではなかった。軽く見てもパイプ型の砲身三割強が、焦げ色に捻じ曲がり、折れている。

 己に結界を張ったのか、魔女自身に外傷は見当たらない。ただ肩の動きから、呼吸に焦りがあったのは間違いなかった。

 遠くで弾かれたロケットが着弾して爆煙をあげる。

 徹甲弾の第二陣を準備中との連絡が入り、ユスティーニは時間を稼ぐためにマイクの先を切り替える。

『ちやほやされて腕が鈍っちゃった?』

『あァ?』

 グランギニョールの魔女の整った眉がピクリと動く。

『そうでしょ?トラップセラーを抜けてまで、亡命した先が極夜の帝国なんだから。それとも帝政ドイツと言った方が良かった?』

 機体の首も傾げてあげると、相手の真顔が、数拍の間の後、綻んだ。

『ふふっ……アハハハハッ!』

『何がおかしいの?』

 腹まで抱えて笑われれば流石に無視できない。

『てめーマジで帝国が魔女優勢国家だとでも思ってんのか?』

 目尻に浮かんだ涙を拭った魔女は、朗らかな笑顔を凶悪な笑みへと変える。

『あの国は魔女だから優遇されるんじゃない。実力があるから優遇される、完全な実力至上主義だ。だからどれだけ優秀でも魔女だからって生きたい道も選ばせて貰えねぇ奴等が集まる。その結果、魔女の帝国なんて俗称が出来るんだ』

 グランギニョールの魔女は興が乗ったのか、舞台の上を足に任せてヒールを鳴らす。

『邪魔にしくるのはやっぱり第七空挺舞台だった。てことは、てめーがアタシの後任とかいう〈月下の氷華Fille volante〉って奴?』

 フィーユ・ヴォラン。少女のような美貌が物珍しいユスティーニに、付けられた通り名だ。

『てめーはそのチョーカーに何も思わねぇのか?首輪を付けられた負け犬は感覚まで麻痺しちゃった?差別されて管理されて忌避されて、選べる職を増やしましただぁ?どんだけ上から目線なんだよ。群れなきゃアタシ達に何も出来ないひ弱な人間風情が』

 ステップを踏むようにくるりとスノーラビットの方へ向き直る。三日月型に笑んでいた表情が、突然真顔になる。

『アタシはゴメンだ。人間共の都合の良い駒にはならない。アタシたちを舐めたらどうなるか骨の髄まで、逆らったらどうなるか腐り切った性根まで、分からせてあげる』

『そう。自分語りどうもありがとう』

 第二陣が火薬を炸裂させて飛来する。

『どういたしましてだクソアマぁ‼︎』

 グランギニョールは己の結界に突き刺さった第一陣の徹甲弾を、重力操作で背後から取り出し二陣へぶつける。

『小煩ぇ雑兵ザコ共を先に潰した方が良さそうだな』

 劇場の下から大砲が伸ばされ、トラップセラーの基地へ照準を定める。スノーラビットは咄嗟に機関砲で攻撃するが、グランギニョールは捻じ切れた側の砲身を弾除けの盾に使う。

 画面に出した弾道予測を見て、ユスティーニは味方の無線機全てに通信を図る。

『ポイントホテル!人が居るなら緊急退避!こいつ私を無視してでもやる気‼︎』

 砲撃が、廃墟を破壊する。瓦礫が黒煙を立ち昇らせて崩れ落ちていく。箒星グラビティアのレーダーが複数の味方識別信号を感知した。

『冗談だろ、そこは諜報員が潜伏してる筈のポイントだぞ⁉︎』

 司令部からの喫驚する声に、ユスティーニは信じられない物を見る目で、グランギニョールの即席の盾を弾く。

『てめぇ!味方に砲口を向けんなってあれ程言っただろうが!俺様じゃなきゃ死んでたぞ!』

 グランギニョールの砲撃にいち早く抗議したのはオリヴィエだ。同時音声通話からスノーラビットの拡声器に繋ぎ、敵機へ怒声を届けて貰っている状態である。

『その声、あらオリヴィエ様お久しぶりですねご機嫌麗しゅう……なぁんて言うと思ったぁ?何で生きてんだよ』

 三秒と保たない猫被りを破った魔女とオリヴィエ——正確にいうと第七空挺舞台は、半年前まで協力関係にあった。

 グランギニョールは元々、第七空挺舞台に所属していた目前の魔女に当てがわれた箒星グラビティアだ。

 半年前、サウスサンドウィッチ諸島周辺沖にて、海洋調査船の警護任務が行われた。

 近海に出没するという海賊船を相手に、グランギニョールは出動、迎撃にあたったそうだ。

 その戦闘中、前線実働部隊の援護が到着する前に、箒星グラビティアの信号がロストしたという。

 オリヴィエ達が小型船を出して調べた所、絨毯爆撃で微塵と化した海賊船と、パラメトリックスピーカーによる音響攻撃で失神した魔女のみが見つかり、グランギニョールの機体は何処にもなかった。

 その場所がメテオ海淵の直下であり、それ以上の調査は困難だった事が加味され、敵との相討ちにより沈没したものと処理された。

 何かと命令無視による敵性体への攻撃が多く、隊員達との軋轢も目立っていたという前任者の末路。

 スノーラビットも、赴任した三ヶ月前に聞き及んでいる。

 第七の面々から後任である彼女への態度が、どこかよそよそしかったことにも、納得出来てしまう理由として。

 此度の戦場で戦う敵はかつての仲間……なのだが、そこに葛藤があるかと問われれば、

『何で生きてんだよはこっちの台詞だ!報連相しろ協調性すっからかんが!』『ツケを踏み倒したの忘れてないからな!』『他人ひとのこと椅子としか思ってない悪女!』『ご両親に謝れ!』

 罵詈雑言の嵐になる。中継してるユスティーニは「わぁ」と嘆くしかない。

 自分本位ではあるが自分のコトより他人の(苦しむ顔を見る)コト、可憐な薔薇に見えて実は花弁まで棘で出来ている。そんな我が儘と残忍さを煮詰めた彼女は、笑顔で中指を立てた。

『よし決めた、決定事項。生まれて来たことが間違いだったって泣いて後悔しても許さない。全員アタシの魔法でぐちゃぐちゃに轢き潰してあげる』

 グランギニョールからの殺意に、野太い悲鳴たちが蜘蛛の子を散らしていく。

(ばかなのかな?)

 ユスティーニは素朴な疑問に首を傾げつつ、相手の注意を自分へ戻す為に琴線に触れる言葉を選ぶ。

『今ので技術情報も壊れていたらどうするつもりだったの?計画を破綻させる魔女を抱えて、帝国も可哀想だね』

『アッハハ!関係ねぇよそんなコト。は今ウラン・ウデに居るんだろ?』

 しかし、グランギニョールの愉しげな声音は揺らがない。

 重力結界ドレスコードを張りなおし、喝采を受け止めるように両手を広げた。

『なら情報を盗めようがなかろうが、サウィンが共和国へ攻め入るのは変わらないんだよ!』

  

  ◇◆◇◆

 

『ドチャクソ面倒くせぇことになりやがった!』

 宿泊施設の一部屋に案内された後のことだった。

 白色の壁にグレーのタイルカーペット。木製の簡易デスクには何も置かれていない、空き部屋だ。

 ミシェルは赤紫のダウンジャケットをハンガーにかけ、普段の白衣姿に戻っている。

 スーツケースとリュックを足元に、ベージュの羽毛布団を捲り、白い清潔なシーツのベットに腰をかけていた。

 あれっきり連絡は来ないなぁとチャットルームの画面を開いていれば、受話器のアイコンとCallingの文字が現れた。

 デフォルトの着信音を聞きながら、これ通話機能もあるんだぁなんて呑気に思いながらも、ようやくの返信に早る指でアイコンをタップしたら、これである。

 開口一番とび出した大声に驚き、スマホを宙へぶん投げる。

 慌ててキャッチしようとばたつかせる両手の中をバウンドする端末からは、こちらのことなど知ったこっちゃないと話が続く。

『諜報員の正体は帝国のLTFだった』

 なんとか掴み直した端末へ向けて、ミシェルは困惑で眉を顰める。

「それは……それは、おかしくない?」

 LTFとは、法を破った魔女、ないしは魔女を悪用する人間を取り締まる機関だ。

 つまりLTFの出動は、先に魔女による被害が発生するかその疑惑が無いと成立しない。

「氷楔連盟にも、同盟国のブリヤート共和国にも、兵器運用出来る魔女は、居ないって」

 当然、兵器と呼べる出力を持たない魔女も取り締まりの対象になる。それでも極夜の帝国がわざわざ箒星グラビティアを送り出してまで屠りたい存在には、皆目検討がつかない。

『あぁそうだ。その国に、侵攻の原因になる魔女が居る可能性が高くなっちまった』

 早口で捲し立ててくる声音の裏で、スノーモービルのエンジン音が聞こえる。

 文字を打つ余裕も、読む余裕もない青年が、矢継ぎ早にぶっ込んできた。

『だからお前が探ってくれ』

「えっ」

『うちの指揮官が統括局に情報の齟齬を確認したんだがな。調査隊の派遣を待ってたら間に合わねぇ、今そこにはお前しか居ないなら、無理をしない範囲で探りを入れろとのお達しだ』

 聞き間違いではなかった。この共和国内に居るかもしれない、サウィン侵攻の原因となった魔女を探せと言われている。

 ミシェルはSDカードの入ったリュックの取手を掴む。

「っ……だったらやっぱり、データの復元が出来る人が必要になるよ。自分も試すけど、時間が掛かり過ぎる」

 電話口の向こうけら、暫しの沈黙が流れる。その静けさで逆に、エンジン音に混ざった砲撃の発射音までこちらに届く。

『分かった。心当たりを誘導してくる。気張れよ』

 戦場に戻らんとする青年の返事に、ミシェルは思わず袖口を引くような言葉を返す。

「あんたはこれからどうするの⁉︎魔女さんと一緒に戦うの?」

『あんな戦闘に割って入ったら1秒で消し炭になっちまうっつうの!俺達には俺達のやり方があるんだよ。あ、それから——』

 青年の声が、一段と低くなる。

『絶対その国の人間、最低でも施設の関係者には気取られるな。いいな』

 通話が切られた。部屋の気温も低くなったのかと、リモコンを確認するが、エアコンの設定温度は二五度を映している。何なら石油ストーブも設置してある。

 状況を見直さなくてはいけない。

 研究所の被害を確認し、あわよくば帝国の狙いを突き止める。そういう仕事だった筈だ。

 しかし研究所側が完全な被害者でなく、問題を抱えた魔女が隠れ潜んでいるかもしれないと報告が入った。

 そうなると、帝国の魔女狩りサウィンを退けてから、共和国の魔女が加害者でしたと判明しては元も子もない。

 確実に、共和国からミシェルへ伝えられてないことがある。事件の概要をミシェルに教えたのは誰だった?——ニカンドロフは白か、黒か?

 彼が諜報員の正体を知らなかった可能性もある。そもそも通話先の指導役が、どうやって正体を知ったかも、ミシェルには分からない。

 もう一度連絡を取り合うかとも思ったが、戦場に居る彼にその余地が残っているか、懸念が邪魔をする。

 共和国側に違法行為があったとして、それにニカンドロフが関わっているかは謎のままだ。

 偶々空港にいたから案内役に抜擢された彼は、利用されているだけかもしれない。

 ただ、この考え方自体、都合の良い方へ解釈を傾けていると、ミシェルにも自覚はある。

 ニカンドロフが黒だった場合、意図的に情報を話していない場合、現段階でミシェルにとって最も脅威になるのは、この男なのだから。

「どうかされました?」

 顔を上げた。脅威が居た。

 思考の海に潜っていて気付くのが遅れた。目の前に、黒軍服の男が立っている。

「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁあ‼︎」

 ミシェルは、今度はスマホを投げるのではなく、胸元でぎゅっと抱きしめて叫ぶ。

 その反応を目の当たりにして一歩仰け反ったニカンドロフは、左胸に手を当てる。

「驚かさないで下さい」

「いやだって部屋!鍵!あれぇ⁉︎」

「ノックをしても返事がなかったので、何かあったのかと思いまして」

 ニカンドロフが首を曲げた先、扉の向こうに職員が鍵の束を持っている。

「すみません、少し考え事をしてて」

「体調が悪くなった訳でないのなら、良いのです。データ復元の準備が出来ましたので2号棟へ行きましょう」

 今までの端正な笑顔に戻るニカンドロフに対して、ミシェルはびしりと表情筋を硬らせる。

「そういえば、ソウデシタネ」

 チャットによる通信が途切れてしまっていたので、代わりに研究施設の設備や技術者に協力して貰えないか、ニカンドロフに打診したのを思い出す。

 気取られるなの忠告と相まって、何か情報を得た時点で知り過ぎたと消されるのでは?との疑惑が、ミシェルの身体を硬直させる。

 息が詰まって重くなる体に、ミシェルは無理やり深呼吸で酸素を送る。

 そもそも救援要請を出してきたのは共和国側で、研究所は調査を受け入れたのだ。

 ならばここでミシェルを殺すような跡が残る真似はしない。寧ろミシェルに期待されているのは、「ここは平凡な研究施設であり、被害者であることは疑いようがありません」と太鼓判を押すことだろう。

 ならば精々、知られたくない秘密からミシェルを遠ざける、くらいの動きしか出来ない。

 つまり、ミシェルの持つSDカードの回収だ。

「では研究棟から持って来ましょう」

「おや、もう手元にあるのだと思っていましたが」

 ミシェルは出まかせと同時進行で頭の中のやるべき事を更新していく。

「やだなぁ、いくら壊れた施設の物だからって、勝手に持ち出したりしませんよ」

 チャットルームに招待されるトラップセラー側の技術者に、データを復元、もしくは回収された時の為に複製してもらう。

「トラップセラーといえば、こちらの常識が通じない方ばかりと聞いていたので」

 宿泊施設から2号棟までは往路で五分と掛からない。それ故、研究棟へ行く道で時間を稼ぐ必要がある。

「えー風の噂も怖いですね。直ぐ準備するので、少し待ってもらえますか?」

 ついでに研究棟の探索をもう一度しておきたい。

 技術情報の窃盗と施設の爆破。諜報員——帝国の魔女狩りが起こした行動なら、必ず魔女への打撃に繋がっている筈だ。

「ではラウンジに居ますので、声をかけて下さい」

 扉が控えめに閉まると同時に、あらかじめカードを入れておいたパソコンの電源を入れる。

 再びニカンドロフが訪ねて来ることも危惧して、ダウンジャケットを羽織ったところで、端末がバイブレーションを鳴らす。

 チャットルームに見知らぬアカウントが増えていた。

【S:電子解析班です。オリヴィエに呼ばれて来たんだけど、どういうコト?】

【M:待っっっってました‼︎‼︎】

 

 

 研究中の不測の事態を想定して、他の施設から研究棟は片道十分の所に位置している。

 被害が余所に広がらない為の配置だったが、破壊工作が行われた際はそれが仇となり、消火活動に遅れた生じてしまった。

 雪の積もった針葉樹の林に、簡易的に舗装された道を歩く人影が二人。

「私の所感、ですか?」

 一人は軍帽とコートタイプの軍服を着こなすニカンドロフ。

「はい。盗んだ情報の独占が目的なら、データを消すだけで良かったのに、わざわざ悪目立ちする爆破を選んだのか?やはり現地の人の意見も聞きたいなぁと」

 もう一人は赤紫のダウンジャケットに着せられたミシェルである。

「現地人という意味でしたら、職員の方達に聞いた方がよろしいのでは?」

「それも勿論そうなんですけど!まずは!貴方の考えから、と思いまして」

 Sを名乗るホワイトハッカーの助っ人が、現在ミシェルのパソコンを遠隔操作して、情報の解析と複製を行っている。

 無言で歩を進めるより、少しだけ腹を探られた方が、相手の足も遅くなる。なって欲しい、ミシェルの苦肉の策だ。

「そうですね。焼却とはあらゆる痕跡を消し去ります。血痕、指紋、隠滅に手間取る手掛かりを、諜報員は残してしまったのかもしれない……——」

 あくまで諜報員側の過失を強調する、無難な解答だ。そう言えと命じられていても、疑問に思わない程度には。

 半歩先を歩むニカンドロフは、白い吐息を零してから。

「——そしてここからが私の推測ですが、焼却はあらゆる痕跡を消し去る。そうでなくとも、純粋な暴力装置でもある」

「!」

 過失のリカバリーではなく、魔女への妨害。諜報員の行動として納得のいく選択肢が、ニカンドロフの口から出たことに、ミシェルは一瞬目を見開く。

「研究棟には、その時誰が居たんです?」

「職員は誰も居なかった……人的被害はゼロだと報告を受けています。そもそも人を消すなら鉛玉があれば充分ですし、余程対人戦が下手だったのか、相手が一筋縄でいかなかったのか」

 ニカンドロフがくるりとこちらへ体を向ければ、絹糸のような銀髪が広がる。青年は人差し指を口元に当て。

「あぁでも、今のは私が言ったこと、内緒にして下さい?あまりここの人達を疑うのも、よくありませんし」

 口角は緩やかに上がっているのに、目は、笑っていなかった。

「……そうですね。内緒にしましょう」

 二度目の来訪となる、焼け焦げた研究棟を前に、ミシェルは突き刺す冷気を吸い込んだ。

 研究棟の中は昼間よりも薄暗く、人を寄せ付けない空気が漂っている。

「貴方の所感も聞かせて欲しいですね」

 無機質な廊下で、凛とした人の声を聞くのは、これが初めてだった。

 二人分の足音が波紋となって混じるのも、後ろに人の気配を感じるのも。

 最初に来た時にはあった、不気味な雰囲気を崩すポップな着信音と口の悪いメッセージは今は無い。

 他人に探りを入れたなら、自分も同じことをされると分かっている。

「証拠を消す、研究員を消す、他に考えられるとすれば……被検体を消す、だと思います」

 先程ニカンドロフにされたように、体ごと向き直り、青年の反応を確認する。

 入口から僅かに差し込む光によって、逆光となったその表情は上手く読み取れない。

 透き通る眼光だけが、真っ直ぐこちらを見ている。

「確かに焼却処分はあらゆる情報を抹消、解析困難にさせます。それはつまり、その情報は燃やされたのだから無くなったのだと、我々に誤認させることも出来ます。盗まれたたのは、技術情報だけだと」

 研究員が拉致されていれば、行方不明者として疑いをかけられていてもおかしくない。

 その点、研究棟にあるのが当たり前の被検体であれば、焼け落ちて当然と敢えて探す者は居ない。

 ただ……

「帝国がそこまでして盗みたかった生物に、何か見当がついているのですか?」

 結局、ここに戻ってくる。ニカンドロフが黒だった時に備えて作った、当たり障りの無い解答だとしても、帝国の真意を掴まなければ意味をなさない推測だ。

「そこは、もう少し調査をしたいところですね」

 ミシェルが視線を落とした先で、ポケットの端末が反応する。

 了解を得てから画面を開くと、Sからのカードを抜いて大丈夫の文字が目に入る。

【M:ありがと。ちゃんと返信するから】

 端末をポケットに入れ直し、ニカンドロフに笑顔を向けた。上手く笑えてるかは不安だが。

「それじゃあ、カードはすぐ先の部屋です。行きましょう!」

「あっ、ちょっと、その先は瓦礫が酷くて危な……早いな⁉︎」

 何がどこに落ちてるかは、全部覚えている。躓いて転んでいる暇はない。

 最奥へ駆け込んだミシェルは、リュックに仕込んだパソコンからカードを引き抜き、もう片方のポケットに入れておいたハンカチに包む。

「分かりやすいようには置いといたんです」

 追いついて来たニカンドロフへ、まるで今手に取りましたというようにカードを差し出す。

 確かに受け取りましたとカードを回収したニカンドロフへ、ミシェルは早まる鼓動を抑えながら切り出す。

「もう少し、ここを調べていてもいいですか?帰りの道は分かってますし」

「構いませんよ」

 以外な程、あっさり許可が出た。共和国側からしてみれば、ミシェルは「どれだけ叩いても埃は出ませんでした」と証明する役なのだろうから当然か。と、胸を撫で下ろすのに後ろを向いた。瞬間。

「あぁ、しかし……」

 背後から、全身の毛が逆立つ気配がする。息が止まる。女性のような顔立ちをしていても、体格は男のものであり、その影が、ミシェルを完全に覆っている。

「ここの狼は夜行性なので。帰り道には、お気をつけて」

 真横から流れてきた警告に、耳が凍り砕ける錯覚を覚える。

 ようやく呼吸を思い出して振り返れば、青年は軍靴の音を立てて帰路に着いていた。

 こちらの心拍数など知ってか知らずか、ひらりと手を振り。

「具体的には、目線を合わせず背中を見せないことです。最初から両手を挙げるのはおすすめしません」

「わっ、分かりました熊の場合は目を見た方がいいんですよね!」

「今は寝てますよ」

 

 

 こっそり後ろからニカンドロフが研究棟を出て行くのを見送った後、ミシェルは端末を開き改めてチャットを再開させる。

【M:さっきはありがとうございました。こちらに内容は貼れますか?】

【S:少し重めだからパソコンに送るね】

 何から何までありがたい。あの指導役の斡旋なので口も悪いのかと身構えたが、そんなこともなかった。

【S:ただ、解析した情報は完全に門外。何これ?】

【M:クローン技術に関係してる筈です。多分。受け取れたのでこれから調査に入りますね】

 見えてきた前進に急かされるように、ミシェルはパソコンのメールを開く。

 画面いっぱいに広がる資料を目にし、そして……——

 

 【ルサーリナヤ製造実験結果記録】

 

 ⚫︎二〇三〇年十二月四日。培養三日目にて個体の全細胞の壊死を確認——失敗

 ⚫︎二〇三一年一月十三日。頭部の欠損及び右上腕二頭筋、左膝の歪曲形成——失敗

 ⚫︎二〇三一年三月六日。被検体と異なる成長、四十六時間後に細胞分裂の停止——失敗

 ⚫︎二〇三一年八月二十五日。心臓部を中心に融解——失敗

 ⚫︎二〇三二年四月三十日。水槽から引き上げた一分四十八秒後、腹部及び眼球破裂——失敗

                 〜以下節略〜

 【引き継ぎ報告】

 

 研究期間十六年。実験試行回数合計二百八十六回。

 前述の実験結果は近年横ばいを維持しており、著しい発見は最早見込めない。

ナノマシンの医療技術が極東に取り残された以上、生体高分子の置換は現行通り。最悪神経伝達の受容体のみとする。活性化の起爆剤となる心臓部については[page6]を参照。

 別口のアプローチを導入することを決定。それに伴う予算案の再構築[page4]

 これにより新企画主任の提案を採用し、室長及び研究主任の変更はしないものとする。

 また、条件を満たした死体の補充方法について再検討を所望。

 輸送経路の更新がある場合、随時報告を求める。

 最後に、後述する論法[page3]が成功した場合の警告文を挿入する。

 死因記録の再生による計画の推進が証明された場合、それを実行しなくとも機密保持レベルを最大まで引き上げること。

 諜報員の潜入、他国からの侵略行為、またはそれに類する国家間の介入、民間軍事問わずの暴動までは、最低限事前の策を用意すること。

 事実が露呈してしまえば、研究の成否に関わらず、世界は五度目の大戦に突入するだろう。

 それでもなお新兵器の開発を続けるならば、我々は新体制の元協力する。

  第二八秘匿計画機関トロイツァ・セミーク 新企画主任:アリスターシャ#######

 

 page3と書かれた画面には、大きな黒い渦が描かれていた。

 本来はアナログだった物を取り込んだのだろう。

 整然と、円滑に描かれたものではない。

 子供が描き殴ったような渦巻きだ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も執拗に。

 元からあった文字を塗り潰すして。

 けれども、それが正解だと言うように……

 否、誰にも言われてなどいない。ミシェルが勝手に聞いただけの、音のしない圧だ。

 パソコンを埋め尽くす、歪んだ線の集合体へ、ミシェルは視線を彷徨わせる。

「何だ、これ……」

 呟かれた問いに、答える者は居ない。

 

  ◇◆◇◆

 

 解析科として司令部に篭っている、眼鏡のハッカーをチャットルームへ案内したオリヴィエは、再びスノーモービルのハンドルを握る。

 二機の箒星グラビティアが競り合いながら上空を通り過ぎていき、瞬く間に遠くなっていく飛行音を追う形でアクセルを踏む。

 インカムから吐き出されていたノイズが一瞬途切れたかと思えば、司令部に居る通信長の声が繋がる。

『無事だったか』

「どうにかな。諜報員は味方に木端にされたが技術情報は回収出来た。それより共有しときてぇ事がある」

 耳のインカムを押し込み、自分の座った前に設置したアタッシュケースのズレを直す。

『グランギニョールが帝国のLTFに属していることなら、スノーラビットより報告を受けている。お前伝てでインターン生に指示も入っているだろう』

「話が早ぇや。じゃあ、それを俺に教えたのが連盟保安局の奴だってことも知ってるか?」

『⁉︎到着していたのか』

「引き離してやったけどな。こんな大事な情報、失言じゃなきゃ流されてたまるかよ」

 舌打ちを一つ、誤魔化すようにモービルのスピードを上げていく。

 スカーレットが善意で敵の正体を告発してくれていたなら、まずサウィンの目的である自国の魔女について語る筈だ。

 それが無い。あの女はまるで世間話でもするかのように、ただ敵の名を教えたに過ぎない。

 ブリヤートに蔓延る謎の魔女を、謎のままにしている以上、完全に信用は出来なかった。

『本部に連絡中だが、我々の作戦自体に変更は無い。ここで魔女を、サウィンの侵攻を食い止める』

 魔女同士の高速戦闘に、人間が入り込む余地は無い。

 箒星グラビティアに積まれていない兵装による援護砲撃、敵機撃破に集中してもらう為のバックアップが精々だ。

 そして歩兵の役割は、敵性箒星グラビティアの補給線を破壊することにある。

 グランギニョールの本命は、スノーラビットとの戦いではない。その先ブリヤートの魔女との連戦を想定しているなら、必ず整備基地による点検を挟むだろう。

「俺は今から斥候班と合流するぞ」

『了解、斥候班へはお前から通信を行ってくれ。ここからでは電波が乱れて繋がらない。そのまま敵基地の無力化を図れ』

 故にそこを断つ、関節アプローチに出る。

 スノーラビットがグランギニョールを破壊、又は消耗させ、歩兵がその回復を妨害する。

 魔女と人間の連携で敵の戦闘継続能力を無くす。対箒星グラビティア戦のセオリーだ。

 オリヴィエは無線の通信先を、司令部から自分の所属する斥候班へ切り替える。

「こちらオリヴィエ。現在スノーラビットと交戦してるグランギニョールの所属は魔女狩り、帝国の機関だ。敵性コードサウィン。補給基地の無力化を指示された。合流可能な座標を送ってくれ」

 無線は答えず、砂嵐のような雑音を鳴らすばかりだ。

 敵による盗聴を警戒しているのか、チャフ等による通信を阻害された空間に居るのか、判断材料が少ないので、呼びかけ続けるしかない。

「斥候班応答せよ!……応答しろ!何だよ何があった?」

 こうしている間にも、スノーラビット側も摩耗していく。早く補給線を絶って相手にプレッシャーを与えるだけでも、魔女の戦闘も有利に働く。

 迅速な行動が求められている分、自分の行き先がグランギニョールが進行してきた方向としか分かってないオリヴィエは、通信機へ向けて急かし続ける。

「おい!聞こえてんなら返事しろ!」

 何か問題が起きたのか、そうでないなら、ただオリヴィエが無視されてることになる。

 そういえば斥候班が偵察に出る前、今回の作戦に巻き込まれたインターン生との連絡係に、オリヴィエは挙手で名乗り上げた。

 本来は通信科の役割だが、エジプトの事後処理に回ったので、人手が不足していた。結果、実働部隊側が兼任することとなったのだ。

 珍しい。まぁ元はといえばお前のGOサインの所為だし。生意気な若手だとしても頑張れ。そう口々にかけられた応援は「鉛玉が行き交う戦場よかマシだろ?」というオリヴィエのネタバラしにより、流石オリヴィエ、狡いぞオリヴィエ。楽することしか頭にねぇ屑。何で今からコイツを肉壁に出来ないの?と冷めた視線と罵倒に変わった。

 ……やっぱり本当に無視されているだけかもしれない。

「いやだとしても今そういう場合じゃねぇぇえーんですがぁ⁉︎」

 インカムへ唾吐く勢いで怒鳴るオリヴィエへ、無線はようやく人の言葉を発する。

『あぁ悪い。聞こえてるよ』

 屈強さが滲み出ている重厚な男の声に、オリヴィエは一息吐いてから本題を切り出す。

「ったく、心配させんじゃねぇよ…今何処に居るんだ?」

『すまないな。さっきまでこっちも戦闘中で手が離せなかったんだ』

 戦闘があったということは、既に拠点を発見したか、相手の斥候とかち合ったかのどちらかとなる。

「マジか……で、お前は誰なんだ?」

 インカムが、無音になる。

 静寂を許さないとでもいうように、無限軌道が唸りを上げる。

「座標を教えろよ。今すぐ駆け付けてやるから。端末開くパスワードでも忘れたか?」

 ポイントアルファを飛び出してから、諜報員との戦闘で消費した分を差し引き、改めて己の装備を頭の中で確認する。

 アサルトライフルの残弾はフル装填し直してある。サイドアームに軍用拳銃一丁とナイフ二本。マガジンポーチは未だ重いまま。手榴弾は一通りの種類がまだ残っている。

 その他、電子ジャケットと一体化したボディアーマーは赤外線カメラ付きの視察装置が襟元に付随している。

『ははっ、すまんすまん。騙すつもりはなかったんだ』

「あと別れ際にあんな応酬しといて、そんなフランクに話しかけてくる奴も居ねぇ」

 恐らく戦闘が発生し、敵に無線機が奪われたのだろう。

 そうと知らずに騒ぎまくったオリヴィエの怒声も丸聞こえだった筈だ。

 辺りを見回す。オリヴィエがこの通信を入れてから一分経つかどうかだ。散開して囲まれる前に各個撃破しないと面倒なことになる。

『かなり切羽詰まった様子だったからな。これは教えといた方がいいと思ったんだ』

「そりゃどうもご親切に」

 積雪の道の先、針葉樹の狭間に、人影を見つけた。

 装備はトラップセラーの物ではない。スカーレットでもない。

 モービルのスピードにはまだ余裕があるのを鑑みて、このまま轢くか?と相手との距離を測る為にその姿を凝視する。

『それに俺はまぁ、そういう騙し討ちは苦手なんだ』

 白髪混じりのオールバック、同じ色の顎髭、日に焼けた顔には大きな古傷、ゼニスブルーの瞳もオリヴィエの方を見据えている。

 黒の防弾ベストとコンバットズボン、白のプロテクター付きコンバットシャツを着用し、黒をベースとし金の縁取りがなされたコートを肩がけにした、頑健な筋肉を持つ男だった。

 右手に身の丈はありそうな得物を持っているが、正確な種類までは判別出来ない。

 サウィンの戦闘を担う部隊は黒猫と呼ばれていたが、迷彩柄が見えないのは遠目のせいか。

 戦場においては異彩を放つ出立ちに、指揮官クラスが前線に出て来たのかと瞬きの間、疑問符を浮かべる。

 しかし疑問符は、脳の中心に生まれたもやで打ち消される。正解が出たからではない。

 もやの正体が、警鐘だと自覚した瞬間、その直感が全身に命令を下す。

 ——逃げろ。死ぬぞ——

 弾かれるようにハンドルを切りUターンを試みるのと、男が手にした得物——を振り上げるのは、ほぼ同時だった。

『俺には正面きったこっちの方が性に合ってるしな』

 大地が、割れる。

「……あ?」

 男は無線機を持ったまま、大剣を振り上げただけだ。

 結果、地面を裂く見えない何かが土と雪を巻き上げながらこちらに迫ってくる。

 もう一度言う。男だ。二メートル近い筋骨隆々の大男であって、魔女じゃない。

 それなのに、大剣を振った風圧が、衝撃が——斬撃が飛んできた。

「あああああああああああぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎」

 ふざけている。そう思った時には既に、オリヴィエはモービルごと宙に浮いていた。

 鋭い刃は確認出来ないが、あの兵装にギミックが存在するのか?あの男は何者なのか?斥候班は奴に負けたのか?情報の処理が追いつかない。近づく地面が、そんな暇を与えない。

「何なんだよあいつは⁉︎」

 落下に伴う震動がモービルと心臓を軋ませる。ハンドル操作が重くなるのは余勢の影響か、それとも己の手が震えるからか。

『お?足を封じたかっただけなんだ。そう怖がるなって』

 馬鹿を言うんじゃない。男が今度は横振りに大剣を薙ぎ払う。両脇に広がる木々が折れ、エンジン音に負けない風音と共に吹き飛ばされる。

 進路を断とうと、針葉樹の幹と巻き上げられた積雪が、津波のように飛来してくる。

「ふざっけんなクソったれ‼︎あれのどこがネコチャンだ!キングコングの間違いだろ⁉︎」

 真横や目前、数センチ先に落下してくる木々を回避しながら、オリヴィエは理不尽の権化に向けて吐き捨てる。

「どう見ても猿から進化してねぇよゴリラだよ!」

「そりゃガリレオもびっくりだ」

 女の声?と疑問に思う間もなく、スカーレットが後部座席に振って来た。

「いやぁぁぁぁぁぁあぁぁあ⁉︎」

 何故かオリヴィエの方が、絹を裂いた悲鳴をあげることになる。

「あの斬撃の有効射程はエグいね。心臓に悪い」

 ビターチョコレートの長髪を靡かせながら、着痩せするタイプのスレンダー美女は座席の上に立っている。

 そのまま、回避のせいでスピードの緩まるモービルを追ってくる男に銃口を向けた。

「人間業じゃねぇよ何が起きた?つうかどうしてお前は上から落ちてくるんだ⁉︎」

 スカーレットは後半の質問を華麗にスルーして、前半の疑問にのみ対応する。

「彼の力の正体そのものは、我々の情報収集能力を持ってしても判明はしていない。考えられるとしたら三つ」

 拳銃の引き金を躊躇いなく引き男を牽制しながら、スカーレットは眠たげな瞳を瞬かせる。

「一つ、薬物投与や施術といった肉体改造を受けている。二つ、エクソスケルトン等パワーアシスト装置を着用してる。三つ……」

 オリヴィエは続きを逃さないために聞き耳を立てる。が、暫し走行音しか聞こえてこない。

 スカーレットは、無言で空になったマガジンを吐き出させてから呟く。

「三つ、めちゃくちゃ鍛えた」

「なんでテストステロンの方がマシに聞こえる選択肢を用意すんだよ⁉︎」

『お前さん達だって、国内を防衛する時はこの位やるだろ?』

「へぇ。フランスのLTFって彫刻の見本市なんだ」

「誰があそこまでムキムキだ‼︎」

 全方位にキレ散らかすオリヴィエを笑っていなしながら、スカーレットはモービルの前方に手を伸ばす。

 そこでオリヴィエはハンドルを乱暴に切った。急カーブを決めるモービルの上で、咄嗟にバランスを取るために手を引っ込めたスカーレットへ、低い声で忠告する。

「ちゃっかりアタッシュケース持ち逃げしようとするんじゃねぇ」

「私からすれば、それを持ったまま敵地に突っ込む君の方が奇怪に見えるけど」

「おっ——」(——お前が居たからだよ!)

 オリヴィエもこんな狙われやすい物を持ったままでいたくはなかった。直ぐにでも拠点へ預けに行くべきだと考えてはいた。

 だが敵か味方か、限りなく黒に近いグレーのスカーレットがこの戦場に居る以上、悠長な行動には入れない。

 危うく気付いていることに気付かれそうになり、顔を引き攣らせる。

「連盟側のお前がこれ持って逃げれば、全員に狙われる事になるぞ」

「守ってくれてるんだ。優しい」

 どこまで本気でそう思っているのか分からないスカーレットが「ちょっと失礼」と今度は懐を弄ってくる。

「ちょっ、はっ⁉︎待て待て待て!な、ん⁉︎」

 平時であればご褒美だが、どんなに美人でも相手が相手なので生きた心地がしない。

 自分の荷物から、スカーレットが長い指で手榴弾を抜き取ったのを確認し、オリヴィエは話題を元に戻す。

「それで、逆にお前らはあいつの何を知ってるんだよ」

 スカーレットは手榴弾のピンを口で抜き、スナップを効かせて後方へ投げる。

「肩書きだけでも沢山。バヴァリアの英傑、獅子王、悪魔達が魂を売った男、極東生還者」

 後半が厄ネタの塊なのだが、オリヴィエは余計な口を挟むまいと我慢する。

 男は目の前に飛んで来た手榴弾を大剣の腹で弾く。

 しかし回転を効かせた手榴弾は、振り払われた方向へは飛ばず、スカーレットの計算した軌道通りに左斜め上の幹へぶつかり爆破する。

「皇帝ヴァルプルギスが独自の機動性を認めた粛清機関——サウィンの黒猫を指揮する少佐」

 即ち倒木が男を、進路を潰さんと落ちていく。樹の影に覆われた男はそれを見上げ——

「第四次世界大戦を生き残り、今日に至るまで二十年間、前線に立ち続けている

 ——一閃。男は大剣型の兵装で、落下して来た大木をへし折った。

 真っ二つに折れた巨木の合間、飛び散る木片と粉雪も厭わず、再びこちらに定めた視線に動揺の揺らぎは見えない。

「レオンハルト・フリューリング。魔女狩りきみたちの業界では、最強と呼ばれているんだろう?」

 

  ◇◆◇◆

 

 その遥か上空では、箒星グラビティア同士の戦いが拮抗していた。

 お互いが決め手に欠ける状態で、睨み合う形になっている。

『私たちがここに来た原因は、グランギニョールの出撃が確認されたから』

『あ?』

 今回の事件にて、帝国の動向を監視していた氷楔連盟の諜報部によりグランギニョールの生存が観測された。

 魔女が箒星グラビティア操縦中に裏切った場合、本来であれば人間側が、動力炉や兵装の起動と停止を遠隔操作で切り替えられる。

 しかしそれも、電波の届かない海底では効果が無い。

 グランギニョールは沈没したのではなく、自らの意思で海溝に潜り、水深八千メートルの地形を利用して追跡の目を眩ませ、帝国に亡命していたと判明した。

 重力操作を行い、機体を潜水艇並みの対水圧強度に補強したのだろう。箒星グラビティアで戦えるだけの魔女なら造作もない。

 それこそ、共和国が消去法で依頼した救援要請を、トラップセラーが受理した理由である。

 要約すれば「あれ、お宅の箒星グラビティアでは?」「だったら尻拭いは自分でしないとね!」との事である。

『その箒星グラビティアを提供したのも私たちの国。スペックシートはここに来る前に把握してる』

 パラメトリックスピーカーは超音波に指向性を持たせ、相手の耳や遮蔽物に当たって初めて音として認識、脳を揺さぶる非殺傷兵器だ。

 いつ発せられるかも分からない不可視にして無音の超音波に対し、こちらは空気の震動を中和する効率的な重力操作方法を重力結界ドレスコードの補助システムにプログラムし展開する。

『その音はもう効かない。砲弾じゃ埒が開かない。撃ち切ってもいいけど、ブリヤートへの侵攻は諦める事になる』

 詰み。ただその一言を淡々と形を変えて述べていく。

 それをつまらなそうに聞いていたグランギニョールの魔女は、そっと視線を伏せる。

『整備基地になんて行かせない。戻っても私の仲間が制圧——』

『そんな化石のまま戦地に来る訳ねぇだろうが』

 ゆっくり、前に降りた巻き髪を流すように、再びスノーラビットへ視線を戻した魔女の口がにたりと三日月を描く。

 ユスティーニは、腹の奥に何かがのし掛かる感覚を覚える。

『……何の話?』

『何の話?の話だよ——砲身駆動体勢オールグリーンyour turn is over here.

 

 独自の音声認識詠唱で、危険度の高い兵装のロックが解除される。

 グランギニョールの舞台下、プロセニアムが開き、漆黒の砲身が現れた。

 

 咄嗟に棺の砲弾で牽制に入るが、砲口の数が圧倒的に多い相手の弾幕で相殺されてしまう。

 やむを得ず回避行動に移ろうとして、気付く。

 重力結界ドレスコードは対象——箒星グラビティアの周囲を覆う重力を高める防御形態だ。重力が強くなるということは、接する空間との歪みが大きくなるということ。鋼の体故にある程度の重圧を掛けても問題ないと、箒星グラビティア本体の重量も増える、補助システムに負担を減衰させる操作を取り入れてないということ。

 つまり防御力が増した分、機動性が失われる。

『で、何だっけ……初速が安定しないんだって』

 通常の飛行時は四十%程の出力で囲うが、高速戦闘時には十〜二十%にまで落としている。

『だから弾道の計算がクソとか、そんな理由で今まで実装されなかったとか』

 敢えて攻撃を受け止める際は七十〜八十%にまで高めるが、解除してから元の速度を取り戻すまでにラグが出来てしまう。百%なんて身動きが取れない。

『だったら!手足を削いで犬小屋にぶち込んで壊れるまで遊んであげる』

 グランギニョールの魔女が両手を広げれば、その目の前、舞台上に巨大な照準スコープが展開される。

 いつどこで弾けるかわからない不可視の音響攻撃に包まれ、重力結界ドレスコードの出力を下げられず、格好の的にされているスノーラビットへ、照準が定められる。

「っーーー⁉︎」

 本体の速度が死んでいるため、五基の棺を敵機との間に挟み、間に合う限りありったけの出力を込めた、刹那。

『ほぉら、ぶっ飛んじゃえ。軌道疑似演算並列展開I decide the ending of the play.——』

 黒き砲身……——超速空気砲ライトガスガンが、発煙も発光もなく、砲弾を射出した。

 隕石衝突の再現を図った弾が、五つの棺を貫通し、本体に食い破らんと被弾する。

 遅れてやって来たソニックブームもろとも、スノーラビットの全てが吹き飛ばされた。

 七基の棺が森の至る所を裂くように不時着し、本体の撃墜に伴う衝撃波が積雪も木々も空間すら激震させ広がっていく。

 棺の一つに基地の半分を喰われながらも、司令部の機材は敵機砲弾の速度を叩きだす。

 ——秒速九千メートル。計器が壊れたのかと空目した。

 突風で椅子から転がり落ち、無意識に頭を抱えていた女性オペレーターは、そう思った。

 涙を浮かべ悲鳴すら忘れた喉を震わせ、スノーラビットへ、拠点へ砲弾が当たらないように前方で踏みとどまってくれた本体に、生きているか分からない自分たちの魔女に、かけるべき言葉を探す途中で。

『じゃ、後は雑兵ザコ共の一掃な』

 音響兵器が、パラボラアンテナのような砲口を下へ広げる。

 その瞬間を、スノーラビット墜落による大気の震えに呆然としていたオリヴィエは、モービルを運転しながら、見上げていた。

「は……——」

 音の暴力が、森を波状に蹂躙する。

 オリヴィエとスカーレット、二人が敵の注意を引きつけている間に進行しようとしていた他の隊員達が、次々と昏倒していく。

 脳の破壊すら錯覚する大音響が耳内で暴れ回る。

 オリヴィエは殴られたような聴覚への打撃の中、必死にハンドルを操作し、ブレーキを踏もうとした瞬間——

 待っていたのは、コンセントを無理やり引き抜いたような、強制的な意識の途絶。


 午後十五時五十八分。西ルーシ=ポルスカ間国境線にて、前線実働部隊の三割以上の損耗が確認された。

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