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目が覚める。
片付けが面倒で出しっぱなしにしている冬用の分厚い毛布が熱を持って、目覚め特有の爽快感は微塵も感じられなかった。
まだ冬と言っていいのかもう春と言っていいのか。
もしくは一足飛びに夏なのか。
最近の気温はよく分からない。
20度を平気で超えてくる日もあれば、この前は朝の気温が5度を切っていた。
異常気象という言葉も随分聞き慣れてしまった。
寒かろうが暑かろうが、天気予報なんてものに全く興味が無かった子供の頃とは比べる事が出来ない。
あの時はもう少し、日本らしい四季折々の風情が気温にもあったんだろうか。
一日の大半を冷暖房完備の室内で過ごす今の自分にとっては、子供の頃とは違った意味で関係のない話だけど。
〖最近気温の変化凄いね~。体調には気を付けて!今年一回くらいは帰って来てくれたら嬉しいな〗
今年は社会人になって初めて、年始に帰省しなかった。
母親には仕事が忙しくてと伝えたけど、正月休みを貰えない程ブラック企業では無くて、本当の事を言うとただただ帰りたい気持ちを面倒くささが上回っただけだ。
一人暮らしを始めたての頃の部屋での寂寥感も、今では全く無くなった。
毎週日曜日に安穏先輩に会う以外は誰とも会ってないし部屋に人を呼んだ事は無いから、ただ単にこの狭い空間の静けさに慣れただけだけど。
それに、今は半年間ほぼ毎週行っていた先輩の家にも行っていない。
〖scrap rat〗の発売日だった日曜日に日中寝てて行けなくなってから、何となく足が遠のいてしまった。
特に行かない選択肢を取る理由も無かったけど、同じように行く選択肢を取る理由も無かった。
だらだらと毎週行って、だらだらと予定が流れた。それだけの事。
そこに寂しさを感じる事はなくて、むしろ半年ぶりのゆっくり出来る土日は依然よりも格別に良い物に感じた。
この怠惰な生活に飽きたら、また先輩に連絡を取ってみよう。
きっと、多分、いつか。
「起きるか~、、、」
目の前に表示されるメッセージウィンドウの選択肢が〖二度寝〗と〖二度寝〗の実質一択になる前に、生きてるだけのゾンビになって朝のルーティンをこなした。
歯磨き、洗顔、着替え、年々雑になるヘアセット。
ヘアセットというよりは、寝癖直しという表現のほうが正しいかもしれない。
洗顔の流れのまま髪を濡らして、タオルで軽く水気を取ってからワックスをつけてドライヤーで乾かす。
美容室に行くのが面倒でたまに目にかかってしまう前髪のセットは、もう随分前にやめてしまった。
今はただ雑に髪を上げるだけ。
遺伝で少しずつ後退していってる生え際が物悲しい。
「こんなもんでいっか」
東京の街を歩けばいくらでもいるオシャレなヘアーセットの人達は、毎朝どうやってセットしてるんだろうか。
東京で働くなら身だしなみに気を付けないとと思って何度か動画を見て練習したのに、一度もオシャレな髪型になる事は出来なかった。
極端な直毛でも極端なくせっ毛でも無い。
誰もが羨むセットしやすい髪質のはずなのに。
もっと持ち腐れずに済む宝が欲しかった。
(リクルートスーツ、、、?)
システムで決められた動きのように何も考えずただだらだらと歩いて駅に着くと、晴れやかな雰囲気のリクルートスーツの集団がいくつも見受けられた。
雰囲気が晴れやかである事に変わりは無いけど、緊張とか楽しみだとか人によって浮かべてるものものが違って、表情に一貫性は無いように感じる。
(もうそんな時期か、、)
携帯で日付を確認して、今日が四月一日である事を知った。
入社したての頃のように会社案内や個人面談を担当する事も無くなったし、特にこの日に対して特別な感情を抱く事も無くなっている。
学生時代から社会人の最初の頃にかけてまでずっと何かしらの感情を抱いてきたはずなのに。
今は、流れていくいつも通りの日々の中の一つにしか過ぎない。
慣れない靴で既に靴擦れを起こしてる人。
ネクタイが苦しくて少しだけ緩めて談笑してる人。
緊張からか手持ちの鞄を抱いて俯いてる人。
自分にとってはただのリクルートスーツの新社会人の集団でも、そこには確かに個性が存在した。
自分が新入社員の頃は、、、。
どんな感じだったんだろうか。
緊張はしてたと思う。
靴擦れも多分してた。
ネクタイは、、どうだったかな。
そこまで抵抗は無かったような気もする。
たった数年前の事なのに、上手く思い出せない。
どちらかというと、もっと前の学生時代に起こった出来事のほうが鮮明に思い出せる。
(それなりに濃い時間を過ごしたと思うんだけどな、、)
無い記憶に感情だけが残る。
今は仕事が落ち着いてきたけど、〖scrap rat〗の発売までは出世やら制作やらで駆け足で来たと思う。
ゆっくり歩んだほうが記憶に残りやすいのかもしれないとも考えたけど、今のこのなんの起伏も無いなだらかな時間が後に残ってくれるとは考え難い。
まだまだ日本の平均年齢よりも圧倒的に下で若者の枠から微塵もはみ出てないと思うけど、それでも年々何かが劣化していってるような感覚は拭えない。
身体もそうだけど心の、、、。
どこなんだろう。
どこかが劣化はしていそうだけど、考えてみてもどこなのかは分からない。
それでも月日が自分に及ぼしてるものは何となく感じて、新社会人相手に対して年齢も変わらないのに若いと思ってしまっている。
逆の立場の時は数歳しか変わらないのに何を言ってるんだこの人達はって思ってたはずなのに。
子どもの頃憧れた大人にはなれてないのに、大人になってから知った数年先の未来は順調に辿っていってしまってる。
出来る事は増えたのに成長は感じない。
前を見て目標を持つより、過去と今を比べるばかりになってきた。
《間もなく電車が参ります。黄色い線の内側でお待ちください》
今日もここから、いつも通りの時間を過ごして寝て、また明日を迎える。
満員電車はいつまでも慣れないし相変わらずマナーが歪な人が多いけど、満員電車に自分は馴染んだんじゃないかと思う。
ただ流れるように日々を過ごす、一群の中の一つに。
「お疲れ~~~!!!」
営業後新山に捕まり、特に予定も無かったので会社近くの焼き鳥屋に来た。
ここは田口も入れた三人で来てからハマって月に一回くらいのペースで来ているから、感覚としては常連だ。
流石に初めて来た時の感動はもう無いけど、安定した味と店の雰囲気が心地良くて定期的に来たくなる。
「うっま~~!!やっぱり格別だねここのビールは!」
「美味しそうに飲むね。来るの久しぶりだった?」
「先々週くらいに来たよ!いつ飲んでもここのビールが一番美味い」
そんな新山を目の前にすると、大きな感動もなくだらだらと飲むだけになってしまってたここのビールがいつもより美味しく感じる。
人と飲む酒は美味しいとかではなく、つられてるだけだと思う。
某漫画の地下労働をしてる主人公みたいだ。
そう思うと、久しぶりに会って綺麗になってた新山への緊張がほぐれた。
同期の変化に短い時間でも緊張させられたのは悔しさがある。
「いやー。凄かったよね〖scrap rat〗の売れ行き。私のMCのおかげかな?」
「0.2%くらいはそうなんじゃない?」
「お世辞を言え!!!」
「50%くらいかな」
「魔王か!!!!」
誰も世界の半分なんて言ってない。
自惚れるわけではないけど、原作者だし制作にも携わったし俺自身は50%分の活躍をしてるんじゃないかと思ってる。
実際の工数の半分を担当したわけではないけど、0から生み出した功績は大きいはずだ。
〖scrap rat〗は完全新作ゲームではここ10年で類を見ないダウンロード数を叩き出し、今や自社の看板商品の一つと言えるようになった。
販売から約3か月経った今でもダウンロード数は伸び続けているし、コンテンツのアップデートもされ続けている。
秋頃には大型アップデートの予定もあり、このままいけばシリーズ化するんじゃないかと社内でまことしやかに噂されている。
今のところ明確に次回作の話は出てないし、あくまで予測の段階の噂だろうけど。
そのおかげというかそのせいというか。
今でも仕事の多くが〖scrap rat〗に関するものだ。
勿論他のゲームの製作も同時進行していってるけど、アップデートの内容を詰めたりプログラミングを進めていったりと、〖scrap rat〗関連だけでもやる事は山積みで、流れるような日々の中でも思いの外忙しさはある。
人員の確保が出来ないブラック企業だったら残業続きで泊まり込みもあり得るなと思う量だ。
会社に全てを捧げるような社畜根性の無い自分にとっては、どれだけお金を積まれても避けたい内容ではある。
「そういえば世那。一部のオタクにひらまさと付き合ってるって噂されててめっちゃ叩かれてるよ」
「、、え?}
青天の霹靂。
寝耳に水。
今の心情を表す言葉が頭に溢れた。
「なんで?」
「あれからひらまさよく〖scrap rat〗プレイしてるじゃん?」
「うん」
「あんまりVTuberがFPS系以外で同じゲームやり続けるって無いからさ。それに、よくコメントも拾われてるし」
「付き合ってたらわざわざ配信行ってコメントしないと思うけど、、」
「単なる妬みだろうね。世那の事知ってる私でもコメント読まれる度にふざけんなって思うもん」
「味方で居てくれよそこは」
「それはそれ。これはこれ」
新山の策略だったのか何なのか。
初めて配信を見てから、見やすい時間帯にしてくれるひらまさの配信をよく見に行くようになった。
簡単に言えばハマったって事なんだろうけど、、、。
新山に揶揄われる度にアップデートの参考にする為だと表現を濁している。
でもそうか。
そんな噂が。
やぶさかでもないと感じている自分が、ただ配信を楽しむ目的で見に行けてないように感じて少し嫌な気持ちになった。
自分が作ったゲームをプレイしてくれて、楽しんでくれて、コメントを読んで反応をくれる。
そんな目に映るひらまさは、声を当ててる人とは違うのに。
「ホントのところはどうなの?」
「ひらまさどころか誰とも付き合ってないよ」
「え。世那社会人なってから彼女居た事あったっけ?」
「全然。微塵も。全く」
分かってて言ってるだろという気持ちを込めてねめつけた。
そういえば恋バナを新山とした事なんて無かったし、よく考えれば知ってなくて当然だったけど。
「以外だね~。。モテそうではないけど彼女はいそうなのに」
「ぎりぎり悪口じゃない?」
「卑屈はモテないぞ」
こればっかりは昔からの癖だから仕方ない。
何事にも明るく、まずポジティブに捉えるなんて事、チャレンジをしようとも思えない。
「そういう新山は田口とどうなったの?もう付き合って二年とか?」
「言ってなかったっけ?別れたよ?」
「全然初耳なんだけど」
「色々とあったんだよ色々。転職もするらしいし」
「それも初耳、、」
「あー、、。別れたのもあって言いにくかったのかもね。連絡取ってるの?」
「〖scrap rat〗の発売おめでとうの連絡くれた以来取ってない」
「丁度別れたくらいの時だわ」
何かを思い出すみたいに言い捨てて、新山はほんの少し残ったビールを一気に飲み干した。
心配するような悲しい表情ではないけど、計り知れない程多くの感情が籠ってそうな気がする。
「もしかして今日ってそれで飲み?」
「いや全然。たまたま会社で世那見かけたから確保しといた」
「珍獣みたいに言うな」
誰かと二人で飲みに来るなんていつぶりだろう。
安穏先輩とは飲むって言っても家飲みだし、会社の人だとたまに上司と行ったり細木と行ったり。
基本的には自分から誘う事はなくて、誘われたら特に何も考えずに二つ返事で了承してきた。
だから珍獣と言う程ではないと思うけど、、、。
(でもまあ広報課と会う事あんまり無いし仕方ないか)
制作サイドと、広報課やイベント部署を繋ぐ架け橋になってくれる人員は限られてる。
食堂やトイレで会う事はあっても、仕事上の関わりは取引先のほうが多いかもしれないと思うくらいだ。今日もたまたま食堂でばったり会っただけだし。
ただ、その理論でいくと珍獣扱いが自分にも当てはまる事を新山は理解していない。
「田口ってもう辞めたの?」
「もうちょっとだったと思う。辞めて有給消化してから転職活動だって。まだ次のとこも決まってないのによくやるよ」
「またゲーム業界?」
「ううん。アパレルだって」
アパレル!?!?
驚き過ぎて声にもならなかった。
新山曰く、付き合ってる期間で田口はオシャレに目覚めていったらしく、ついには自分でブランドを立ち上げたいと思うまでになったらしい。
同棲の約束をしたのに値札を見ずに服を爆買いして貯金をしようともしなかったと、別れた理由の一つも付随して教えてもらった。
ゲームとアパレル。
陰キャと陽キャくらい違う世界な気がするんだけどな、、、。
まあ田口は明るい側の人間だと思うし、アパレルで働いてるところが想像出来ないわけではないけど。
それでも、ゲームの事を熱く語る田口の姿が記憶に新しい俺にとっては、ゲームより服を優先した事があまり信じられなかった。
「私も転職しようかな~、、」
「なんかあったの?」
「う~ん。別にそういうわけじゃないけど、、。なんも無さ過ぎて逆に。辞めないでほしい?」
「同期が居なくなるのは寂しいよ勿論」
「そういう意味で聞いたんじゃないんだけどなあ~」
なんて答えるのが正解だったんだろう。
新山の言葉の真意が分からなくて、少しだけ気まずい時間が流れた。
「新山もアパレル?」
「嫌いじゃないけど嫌。田口と一緒っていうのが何か腹立つし。近い業界だったら化粧品関連とかいいなとは思うけどね」
「ゲーム業界は?」
「せっかくの20代の間だし色々やりたいじゃん。もうゲームしか知らなかった芋っぽい私じゃないんだよ」
そういってジョッキ片手に微笑む新山は、確かに芋っぽさの欠片も無い都会の女性に見えた。
元々芋っぽいと思ってたわけではないけど、出会った頃より確実にあか抜けてると思う。
手に持つ中ジョッキがさっきとは違っていい意味でギャップを生み出していて、あか抜けた中にも親しみやすさが感じられる。
「世那は変わんないよね~。そのままで居てほしい」
慣れない褒め言葉を投げかけたら、褒められているのかどうか判断の難しい言葉が返ってきた。
変わってない自覚はあるけど、改めて言われると心に来るものがある。
「俺が転職するとしたら何がいいと思う?」
「転職するの?」
「しないけど。どう見えてるのかなって」
「世那がゲーム以外かあ~、、。ゲーム実況者とか?」
「ゲームじゃん」
いくら同期とは言っても会社でたまに会うだけの新山にとって、俺はゲーム以外の印象が無い人物らしい。
まるで興味が無いんだなと思ったけど、食堂で見かけてもいつもゲームしてるからゲームしてない姿を想像出来ないという至極真っ当な理由でぐうの音も出なかった。
その理由なら、新山を攻めるのはお門違いだ。
ヘビースモーカーが無意識でたばこを吸ってしまうように、俺も無意識でゲームをしてしまっていたんだなと、言われて初めて気付く事が出来た。
「世那は優しいなあ~。田口と違ってさ~。この前飲んだ時なんかさ~、、、」
飲み始めて二時間。
いつもと違う駅へ向かってるのは、完全に酒が回ってしまった新山を改札まで送り届ける為。
自分の足で歩けてるしお会計も出来てたから、多分駅まで送ったら後は何とかなると思う。
いや、何とかしてほしい。
普通に今日は月曜日だし明日からも仕事がある。
むしろなんで月曜日にこんなに飲んだんだと意識がはっきりしてたら問い詰めてた。
飲んでいなかったら飲み過ぎについて追及するってなんか禅問答みたいだなと、田口に対して溜まった愚痴を流し聞きしながら思った。
「ありがとう世那。また飲み行くぞ!」
「月曜以外にな」
新山を酔い過ぎだと評したけど、送り届けて気が抜けて、自分もかなり酔いが回ってたんだなと理解した。
足元がおぼつかないとかそういうわけではないけど、4月の夜風が気持ちよく感じるくらいには火照ってる。
駅へ向かう人の中にはまだ薄手のコートを羽織ってる人がいるくらいなのに。
(明日大丈夫かな、、)
酔い加減を意識してみると、途端に明日の事が不安になった。
月曜日の夜に飲みに行くのは、祝日を除いたら社会人になって初めてかもしれない。
火曜日も水曜日も、なんだったら木曜にだって飲みに行った事がほとんど無いと思う。
土日祝休みのサラリーマンが飲みに行くのは金晩だと相場が決まってるんだ。
駅に向かう道中の飲み屋にも、スーツを着た人はそう多く見かけないし。
というか、普段から月曜日の晩に飲んでるサラリーマンの人達は何者なんだ。
スーツを着てて平日休みってあんまり聞いた事ないけど。
《世界10か国!!!ワールドツアー開催決定!!!》
「ん、、?」
いつも通らない道。
ビルの大型電光掲示板から、大音量で音楽と共にそんな謳い文句が聞こえてきた。
《令和の歌姫シテ!!!!》
「─────!?!?」
言葉にならない声が漏れた。
最近曲を出す度に周囲が騒いで、どこの店に入ってもシテの声を聴くようになったなとは思っていた。
それでも、ライブに行った時は2000くらいのキャパの会場で近い距離で歌っているのを見たし、まさかもう既にそんなところまで行ってると思わなかった。
(9月、、、で合ってる、、)
もしかしたら自分の記憶違いだったのかもしれないとチケットアプリで履歴を見ても、そこには間違いなく去年の9月の表示がされてあった。
千秋楽の時に武道館を含んだツアーをする告知はしてたけど、それがもう終わったって事、、か?
それともまだ途中だけど発表だけ、、、?
情報を全然追ってなかったから、何がどうなってこうなったのか理解が追い付かない。
あまりの衝撃に心地の良い酔いも醒めて、一気に肌寒さが襲ってきた。
それでも、電光掲示板が見える位置から離れる事が出来ない。
告知映像は一回流れたっきりもう流れてないのに、何の変哲も関係もない商品広告をちらちらと見ながら、遅れた情報を忙しなく取得しようと携帯を駆使する。
「あった、、、」
SNSを漁っていた手を止めて公式サイトを見たら、開いてすぐのページにライブの情報が書かれていた。
先程発表されたばかりのワールドツアーのものではなく、昨日が千秋楽だったらしいホールアリーナツアーの情報が。
1月から行われたこのツアーは昨日までの約三か月で無事に終わり、昨日は昨日で国立競技場でライブをすると発表があったらしい。
(ワールドツアーと国立競技場同時発表!?)
慌てて調べた国立競技場のキャパは約8万人で、どうやら8か月後にそこで2日間ライブをするらしい。
そのライブの前月と前々月にはワールドツアーがある。
発表順から見るとややこしくなるけど、シテの今後の予定をまとめるとそんな感じだった。
学校の体育館くらいのサイズの会場でライブをしていたシテが一年後にはワールドツアー開催。
「凄過ぎ、、、、」
あまりの驚きに、心に留めておこうと思った言葉が無意識に漏れ出た。
あの日。
人生で初めてライブに行った日。
シテのパフォーマンスに圧倒されたのを今でも覚えてる。
どこまでも伸びやかで力強い声で、訴えかけるように叫んだ時は会場の壁を破壊してしまうんじゃないかというくらい迫力があったけど、不思議と耳が痛くなるような聞きにくさは無かった。
かと思えば、心が震えて自然と涙が溢れてくるようなバラードも歌い上げる。
力強さと優しさの緩急があまりにも凄くて、音楽に詳しくなくても自然と涙が流れるくらい感動した。
あの時は確かに、シテはこんな狭い会場で収まるような人じゃないと思ったし、ホールアリーナツアーの発表があった時は、それはそうなるだろうと思った。
ツアー全てを合わせると10万人を超える動員数も、シテなら難なく埋められるんだろうなと感じる。
脳裏に焼き付いてるのはそんな圧巻のパフォーマンスだ。
ワールドツアーだって国立競技場だってすぐに埋められる。
そう理解してるのに、突然だった事と自分にとって現実離れし過ぎている事で飲み込む事が出来なかった。
ひらまさと付き合ってる説が出ていると聞いた時と比べ物にならない程、青天の霹靂という言葉がしっくりくる。
(自分より年下のシテがこんなにも頑張ってるのに、、、)
シテとの差を、視線の先にある電光掲示板と自分で表現されているような気がした。
大きさも高さも、光と影も。
決して頑張ってこなかったわけではない。
社会という歯車の中ではむしろ順調なくらいに進んできてると思う。
それでも、到底比べようもないくらいの差を感じる。
頑張ってきたはずの数年がまるで無かった事のようにさえ思えてきた。
かといって、音楽を今から初めてワールドツアーが出来るまでになりたい!という思いは全く無い。
何というか。
比べるものではないのに比べて、曖昧な比較基準を持って圧倒されている。
今までのどんな出来事よりも深く、曖昧なはずの距離が時間の流れを理解させた。
一体あとどれだけの成功体験を重ねれば、この絶望や虚しさを埋める事が出来るんだろうか。
どれだけの社会的評価を得れば自分を認めてあげられるんだろうか。
シテの途方もない功績を目の当たりにして、同世代より優位に立っていると安心しきっていた心が一気に暗転した。
推しである彼女を応援したいはずなのに。
純粋に楽曲を好いて聞きたいだけなのに。
今はそのどちらも出来そうにない。
ただただ、置いていかないでくれという身勝手な願望ばかり浮かんでくる。
「、、、帰るか」
春の夜風よりも冷たく、心を冷やし切ってしまった。
心地よい酩酊感なんてものはなく、本当にさっきまで楽しい酒の席に居たのかさえ自分の中であやふやな記憶になってしまっている。
さっきまで内心見下していた月曜日の夜から飲んでいるサラリーマン達の中に自分も分類されているんだ。
もしかしたらあの人達はいつも月曜日から飲むくらい余裕があって、そんな人達を卑下している自分こそ何も持っていない群衆の中の一人なのかもしれない。
駅へ行く道すがら、誰に何を言われるでもなくどんどんと重くなっていく劣等感に背中を丸められる。
未来が見えず過去も不明瞭で、今の自分が正しい位置に立てているのかも分からない。
かといって、自棄になって進みたい先も無い。
内容が詰まっていたはずの経験だった今までが、ただの過去に成り下がった。
そんな感覚に苛まれた。
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