11:00
「いっぱしの社会人らしい表情になってきたじゃないか」
畳に布団。
全体的に深めの茶色の家具で揃えられたその部屋で、待ち合わせ時間になってもぐっすりと眠っていた安穏先輩が待ち構えていた。
窓側の部屋で薄手の半纏を羽織って逆行を浴びながら。
寝過ごして約束をすっぽかしかけた人とは思えない、神々しく尊大な態度に危うく騎士のような恭しい態度を取ってしまいそうになる。
布団の上で片膝を立て、膝に肘をつけて頬杖をつく格好も王様のようで、もしかしたら自分が待ち合わせ時間を間違えたのかもしれないという考えすら過ってしまった。
「なんでそんなに偉そうな格好してるんですか。早く準備してください」
先輩が自分勝手で尊大な態度なのは、大学時代から変わらない。
だから、集合時間に来なくて電話を二回掛けてやっと繋がって、突然住所を教えられて迎えに来てほしいと言われた時も怒りは全くなくて、どちらかというとこうじゃないと安穏先輩じゃないよなという謎の安心感があった。
すぐに失くすからという理由で合鍵をポストに入れてるのはちょっと不用心な感じがするけど。
木造アパートらしさのある扉横の誰でも開けられるポストだったし。
他の家と違って南京錠すら付けられてなかった。
「ふふっ。偉そうに見えるかい?この格好をして世那君を迎えたのには理由があるんだよ」
「どうしたんですか」
「足が痺れて動けないから助けてくれ」
「ええ、、、」
さっきまで尊大に見えていたのに、今は助けを乞う涙目の大型犬のように見える。
助けてと言われても、足が痺れてる人をどう助けたらいいのかなんて分からないんだけど、、、。
「いやあ。助かったよ。どうにも動けなくてね」
言われるがままにストレッチをすると、収まりかけていた痺れは割とすぐに取る事が出来た。
仰向けで寝てる先輩の足を90度くらいまで持ち上げたり、ふくらはぎをマッサージしたり。
6月の梅雨の時期だというのにもう暑くなってきている外の気温に合わせて先輩は半袖半ズボンで寝ていた。
そんな恰好をしているという事は、直に肌と肌が触れ合ってしまうわけで、、、。
だが、全身の力を抜いて打ち上げられた魚のように寝転ぶ先輩からは警戒心なんてものは微塵も感じられなかった。
こちらとしても、長い付き合いの中で一度も女性として見た事が無い先輩に変に意識や警戒をされても困るから、出来ればそのままで居てほしいとは思う。
(安穏先輩は何というか、、)
よく言えばふくよか。
医学的に言えばメタボだ。
昨今のグラビアや二次元の女性達に完全に趣味嗜好が寄っていてメリハリのある身体が好きな俺としては、先輩をそういった対象で見るのは中々難しい。
先輩の趣味嗜好はどうなのか知らないけど、少なくとも俺の事を男としては見てなさそうだ。
そうじゃないといくら足が痺れて動けないからといっても、ぼさぼさ頭のすっぴんで寝起きの姿を見せたりはしないだろう。
、、、変わり者の安穏先輩だったら、そうする事で篩いにかけているんだよ。とか言いそうな気もするけど。
「準備をしてくるから、もう少しここで待っていてくれ。クローゼットは今から30分覗き放題だぞ」
「いいから早く行ってください」
先輩は、相変わらず変わっている。
変わった人のまま変わらないと言うと何が何だか分からなくなる。
この部屋も初めて来るはずなのに、よくゲームをしに遊びに行っていた先輩の部屋と家具の位置やら何から何まで変わらない。
あれだけずぼらそうな風体をしてるのに三年前と同じく整頓されてるし、ゴミらしきものも落ちてない。
ざっと見た感じ、埃が積もってるような感じもなかった。
隙だらけのように見えて隙が無い。
それが安穏先輩だった。
初めて出会ったのは確か入学して数か月経った頃。
午後からの講義しか取っていない日に間違って午前から大学に行ってしまって、食堂でゲームをしながら時間を潰してた時に突然声を掛けられた。
その時はメイクもしっかりして服装も外出用のちゃんとしたものを着てたから、もしかしたら人生で初めての逆ナンかと思ってドキドキしていた記憶がある。
結局、同じゲームをしている仲間に出会って声を掛けてくれたらしいし、最終的にはサークルの勧誘をされたから、勝手に一人で騙されたような気分になった。
何となく、綺麗なお姉さんに声を掛けられて着いて行ったらマルチ商法の勧誘だった、みたいなそんな感じの気分だった気がする。
先輩は所謂、痩せたらモテそうと言われるタイプの顔つきだ。
日本美人と彫りの深いアジア系の顔を足して2で割ったような、どの国の人からもモテそうなタイプの顔。
多分、ゲーオタ且つ少し関わり辛いあの性格がなかったら別に痩せてスタイル抜群にならなくても普通に彼氏が出来そうな、それくらいの見た目をしてる。
(実際に告白されてるの見た事あるしな、、)
後から自慢気に話してきた先輩によると、同じ講義を取っていた人に一目惚れをされ、告白されたらしい。
付き合う事にしたんですか?と聞いたら、ヤキモチかい?私も隅に置けないね。と意味の分からない事を言われたので、とりあえずその時対戦していた格ゲーで完膚なきまでに倒しておいた。
告白の回答が気になってないと言えば嘘になるけど、それは先輩に対する感情がどうこう絡まってるややこしいものではなくて、友達に恋人が出来た時にいじるみたいなああいうものだ。
結局、格ゲーが白熱し過ぎてその時は聞きそびれてしまったし、時間を置いて聞いたら今度こそヤキモチを疑われそうで嫌だなと思って結局聞けず仕舞いだった。
ゲームばかりしててデートしてる様子も無かったし、多分断ったんだろうけど。
一歳上の安穏先輩とは大学では三年間。
先に卒業してOGとして遊びに来ていた期間も含めたら四年くらい。
それだけの長い時間ゲーオタ仲間として遊んでたけど、一度も男の影を見た事が無い。
(先輩、彼氏出来た事あるのかな、、、)
ふと気になったはいいけど、〝興味〟と〝狙ってると思われる面倒さ〟を天秤にかけて、即座に聞かないという選択をした。
聞いてみて知れたとしても、面倒事が近くにあるリスクを避けてまで得るメリットは無い。
今日ここに来るまで、もしかしたら先輩は今もフリーで三年の期間を経てスタイル抜群になってるかもしれない!という淡い期待を抱いていた事は心の中でだけ白状しよう。
妄想の話を現実に持ち込んでも碌な事にならない。
「世那君、、。君は本当に枯れているね。女性の家に来て物色の一つもしないなんて」
「してほしいんですか?」
「そうとは言わないよ。ただ健全な20代男子たるもの、ベッドの下を覗いて大人なグッズ達を見つけたり、箪笥を開けて下着を物色してるところを見つかったり。そういうイベントが必要だと私は思う」
「ベッド無いですし箪笥多分別の部屋ですよね」
「おっと。もうそんなところまで物色済みだったか。すまない。世那君の事を侮っていたよ」
舞台俳優のように優雅に立ち去る先輩の背中に否定するのが何となく面倒で、もうそれでもいいかと思って流してしまった。
あんなに堂々と姿勢を正して歩いてるのに、半袖半ズボンで歯磨きをしながらという分かりやす過ぎる生活感が認識を阻害する。
格好つけるのかずぼらを全開にしていくのかどっちかにしてほしい。
「、、一回くらいいいか」
待ち時間。
まだ10分程度しか経ってないにも関わらずあまりの暇さに、既に今日分を消費してしまったゲームアプリに初めての課金をしてしまった。
今まで無課金で課金勢を圧倒する事に喜びを覚えていたのに。
課金をしたら負けという気持ちでどうしたら課金勢に勝てるかと日々考えながら頭を使っていたのに、今はもう何も考えず、何の抵抗もなく初回ボーナス100連ガチャのボタンを押していた。
(装備品、、装備品、、、アイテム、、、)
いつもはスキップするガチャの演出をだらだらと流し見る。
100連ガチャと言ってもURが一つとSSRがいくつか当たるだけで、それ以外のほとんどは売るしか使い道の無いノーマルのアイテムばかり。
売ったとしてもゲーム内の通貨ではした金程度にしかならない。
そんなガチャに2,000円を注ぎ込んだ。
2,000円あったら何が出来るだろう。
贅沢にステーキを食べたり、そこにお酒をつけたりも出来る。
でも、いつかSNSで見た廃課金勢の〝課金をする時にそのお金で出来る他の使い道を考えるのはタブー〟という格言を思い出して、より有用な2,000円の使い道を考える事はやめた。
容量の余り切った頭で、レアなキャラが出だしたガチャの演出を流し見する。
時間は、100連もあるのに演出も込みでたったの2分程度。
(形にも残らないそんな時間に2,000円も、、、)
俺はまだ、SNSでたまたま見かけた〝ニート@廃課金勢〟のようにはなれないみたいだ。
たった数分の時間も、課金をしてしまった事に対する負い目のようなものに襲われてしまう。
結局、負い目を感じながら引いたガチャでも欲しいキャラは手に入らず、この時間と2,000円はなんだったんだという虚無感に襲われた。
「24時間ガチャ割引セール、、、」
虚無感で動けなくなりじっと見つめていたゲーム画面には、そんな文字が表示されていた。
初めてガチャを回した人のみ24時間30%OFFで30連ガチャを引けるというもので、狙っているURのキャラが出る確率はさっき引いた100連ガチャと同じだった。
これを引いてしまったら後戻りが出来なくなりそうな、そんな確信にも似た予測が浮かぶ。
〝ニート@廃課金勢〟もきっと、初めはこうして抵抗力があったはず。
それが、運営側の上手い策略に乗せられて見る見る内に課金の沼に引きずり込まれて、、。
SNSでよく見る重度の課金者のクレジットの請求額を思い出して、背筋を冷たいものが伝った。
貯金はあるし今後役職が上がっていけば給料が上がる。
休みの日にどこかに出かけたりもしないし、同世代より少しは多く貰っているはずの給料を有効活用出来ていないといえば出来ていない。
だからといってこのガチャの課金が有効活用だとは、、、、。
「うーん。。」
考えが堂々巡りになってしまっているのを感じる。
今まで遊びで競馬やパチンコをした事はあってもハマる事はなかったし、歯止めが利かなくなるなんて事はないと思うけど、、。
30連ガチャのボタンに指を近付けては離してを繰り返す。
一回で見ればたかだか800円。
大して大きい額じゃないのに、その奥に見え隠れする破滅が決断を鈍らせる。
「おっ。そのゲーム、まだやっていたんだね」
「うわっ!、、、あ」
突然耳元で掛けられた声に驚いて、画面周辺を彷徨っていた親指は30連ガチャのボタンを捉えてしまった。
ついでにスキップも押してしまったせいで、お目当てのキャラを引けなかった事まで瞬時に把握する。
「あー、、。その、なんだ。申し訳ないとは思っているよ」
珍しく先輩が謝罪をしてきた。
寝坊をしても謝らなかった先輩が。
どちらかというとガチャは回すか迷ってたところだったし、こっちよりも寝坊の事を謝ってほしかったけど、、、。
「先輩もまだやってるんですか?これ」
「毎日は出来ていないけどね」
「じゃあ後でフレンド送っときます」
「そうだね。何かいいプレゼントでも送っておくよ」
本当に珍しい。
どうやら先輩は本当に申し訳ないと思っているらしい。
こんなに申し訳なさそうな表情と声色の先輩は見た事がない。
驚かせてしまった事に対してなのか、課金の沼に突き落としてしまった事に対してなのか。
どちらかは分からないけど、悪い気分ではない。
それに、限定割引が無くなったおかげで気持ち的にはすっきりしてガチャへの未練も途絶えてるし、モヤモヤを抱えたままでいるよりも良かったかもしれない。
今はこの悪くない気分を謳歌するけど、心の中でだけ先輩の無意識の後押しにひっそり感謝しておこうと思う。
「準備は終わりました?」
「ああ。待たせたね。行こうか」
「行く場所決めてるんですか?」
「任せて着いて来るといいよ。なに、安心するといい。いつも通り私の奢りだ」
「奢った記憶だけはあるんですけどね」
「あまり小さい事は気にするものじゃないよ」
満足気な笑顔で振り向きながらそう言う先輩に呆れを込めた軽い溜息が漏れる。
やっぱり、この先輩は変わらない。
いつも尊大で特徴的な言い回しをしていて、まるで物語の主人公のような雰囲気を持ってる。
もし自分が日常に近い小説や漫画を描くなら、安穏先輩をそのまま使うくらいの勢いで主人公に抜擢してしまうだろうなと思った。
少なくとも、自分のような凡人を主人公にしたりはしない。
どこにでもいるありふれた性格と容姿しか持ち合わせていない自分の物語なんて、生まれてから死ぬまでの何十年という時間があっても一冊を充実させるに足りないと思うから。
安穏先輩の人生を記した長編のモブ役くらいなら、もしかしたら務まるかもしれないけど。
「じゃあ、、アブラカラメヤサイ増しのにんにく少なめで」
「私は全部増しでお願いするよ」
「そんなに食べられるんですか?」
「食べられない可能性も考慮してマシマシを選ばずにいてくれたんじゃないのかい?」
鼻の奥に、がつんと強い脂とにんにくの匂いが駆け込んでくる。
厨房にも客席にも、見えるラーメンは山盛りのものばかり。
(確かに腹を空かせて来いとは言われてたけど、、、)
曲がりなりにも久しぶりに会う異性との食事の場に二郎系ラーメンが選ばれるとは思ってなかった。
この後もしかしたら何かがあるかもしれないと思って何となく気を使ってにんにくを少なめにしたのに、先輩はそんな気遣いなんてどこ吹く風で、一人では食べきれなそうなくらい山盛りのラーメンを注文していた。
俺のオーダーとの違いはにんにくの量だけでそれ以外は一緒だけど、それでも男女の差はやっぱりあって、学生時代から先輩に食べる量で負けた記憶は無い。
「うっま、、」
「相変わらず美味しそうに食べるね世那君は」
学生時代あれだけ毎日のように通っていたのに、最近は家の近くにも会社の近くにも絶妙に好みのラーメン屋がなくて、中々行けていなかった。
休みの日は家でだらだら過ごしてしまうし、ここまで自分の好みに合うラーメンを食べられるのはもしかしたら学生時代ぶりかもしれない。
残すのが嫌でマシマシじゃなくて増しにしたし麺の量も超大盛りじゃなくて大盛りにしたけど、もしかしたら先輩の言う通り残飯処理を望んでする事になるかもしれない。
鼻をつく匂い、中々持ち上がらない太麺、べたつく口周りと手。
その全てが食欲を刺激する。
久しぶりに食べられたという嬉しさも相まって、4~5本ずつくらいしか持ち上げる事の出来ない麺を持ち上げる手が止まらない。
盛られ過ぎて溢れる汁も、啜る時に飛んでしまった汁も、今は気にする余裕が無い。
食べた側から血液になっていくような感覚に溺れながら、久しぶりのラーメンに没頭した。
「そういえば先輩。前に紹介した
山盛りにされたもやしを食べ、麺も食べ進め、残すところはあと数口の麺とサイコロステーキくらいのサイズのチャーシューが一つ。
夢中になって無言で食べ進めていたらいつの間にか胃袋に移動していた。
残数を実感すると、話す余裕も少し出てきた。
「一度デートに誘われたよ」
「どこ行ったんですか?」
「興味の無い事に時間を割くのは嫌な性分でね」
「あー。ゲームと食べる事くらいですもんね。好きなの。遊園地でも誘われました?」
「いいや?よくあるベタベタのデートコースだったよ。オシャレなカフェに映画館。あわよくば夜はホテルにでも行こうとしていたんだろう。映画の後の予定は特に聞かされなかったよ」
「映画ならよく一緒に行ったじゃないですか」
「初めてのデートで特撮モノの映画に誘うような変わり者ではなかったよ千葉君は」
「そういうものなんですかね」
「世那君も気になってる女性が居たらいきなり特撮モノの映画に誘ったりはしないだろう?」
「あー、確かに」
何か機嫌を損ねてしまったのか、先輩は無言でチャーシューを2塊押し付けてきた。
食べ終えてしまうのが名残惜しかったし嫌な気持ちはしないけど。
「相変わらずのデリカシーの無さだね。れっきとしたレディを前にして」
「先輩だけですよこんな扱いするの」
今度は残っていた野菜と一緒にチャーシューを2塊押し付けられた。
〝もう少しで食べ終えそう〟と〝まだ少し掛かりそう〟を繰り返している。
食べられないわけじゃないけど。
「女性扱いしたらそれはそれでやりにくいでしょう?」
「いいや?面白いからそれはそれでありだと思うけどね」
揶揄う表情をそのままにするのがどうにも嫌で、若干の抵抗としてテーブルコショウを先輩のラーメンに一振りした。
俺はチャーシューを押し付けたりしない。
自分で食べたいから。
「私の事を気にする程、世那君に豊富な経験があるようには見えないのだけど」
追いコショウをしておいた。
味変して美味しく食べられるようになるだけで、嫌がらせにはなってない。
許可を取る前にから揚げにレモンを振りかけるような、そんな小さな抵抗だ。
コショウが好きだと言われてしまえばもうこの行動には何の意味も無い。
「ゲームサークルのあの子とはどうなったんだい」
「
「確かそんな名前だったね」
「三か月で別れましたよ。ゲームばっかりって」
「なんだ。私と似たようなものじゃないか」
ゲームやラーメン。
自分のしたい事ばかり優先して恋愛の優先順位は全く高くないところが似ていると、短い言葉にはそんな意味が込められていた。
回りくどさや主語が抜けたような先輩の話し方も、大学で随分慣れた。
一時期は何も気を使わない同じ趣味の関係性が心地よくて、付き合ってもないのに結婚の妄想をしてしまった事がある。
結婚は想像出来るのに恋人関係は想像出来ないし、恋愛感情も湧かない。
散々先輩の事を変わり者呼ばわりする俺も、案外変わり者かもしれない。
「ただまあ。お互いかなり落ち着いてしまったね。まだまだ20代の前半だというのに」
「あれ?先輩25じゃなかったでしたっけ?」
「よし決めた。帰りに本屋によって女性の扱いについて書かれた本を買ってあげよう。君の財布から支払うから安心してほしい」
何も安心出来ない。
そんな本を買うくらいなら、まだ課金をしたほうが有益だと思える。
彼女は欲しいけど、出来るならそんな努力も無しにありのままの自分を好いてくれる人と付き合いたい。
「コンビニのコーヒーで手を打ってください」
「よく分かってるじゃないか」
先輩の機嫌はブラックコーヒーで取る。
学生時代に散々学んだ事だ。
学んだというか学ばされたというか。
そのせいで何度コーヒーを奢る羽目になったか分からない。
一つ100円でも、積み重なった分それなりの金額になってると思う。
「どうぞ」
「有難く頂戴するよ」
ラーメン屋の近くの公園。
満腹になるまで食べた後の6月の外気温は少し嫌になるくらい暑く感じて、いつも飲むコンビニのホットコーヒーではなく自販機でアイスコーヒーを購入した。
前日の雨が幸いしたのか木陰に入るとまだマシな暑さで、冷えすぎてないアイスコーヒーが丁度良く身体を冷ましてくれた。
張り過ぎたお腹のせいで、一気に飲み進める事は出来ないけど。
景気よく缶を傾ける事なく、仕方なくちびちび、木陰のベンチで休みながらアイスコーヒーを呷った。
「やっぱりラーメンは至高だね」
性格も考え方も全く違う先輩とここまで気兼ねなく話せる関係になれたのは、ゲームもあるけど間違いなくラーメンのおかげだと思う。
ただでさえラーメン好きの女性をあまり見かけないのに、二郎系好きの女性なんて先輩と出会うまでは一人も見た事が無かった。
ゲームという共通の趣味がある上で、ラーメン好きまで被ってる徹底ぶり。
どんな性格の違いがあっても、仲良くなれないわけがなかった。
「そういえば先輩って何の仕事してるんでしたっけ」
「心理カウンセラーだね。今はスクールカウンセラーが主だよ」
「先輩って人の心分かるんですか?」
「少なくとも今の世那君が失礼な感情を抱いている事くらいは分かるよ」
それは多分、誰でも分かる。
平凡の枠に収まらない安穏先輩が、人の大多数を占める平凡を理解しないといけない心理カウンセラーをしてるのは意外だった。
心理学を専攻してるのは知ってたけど、就職が決まった頃は〖生存戦争〗の制作に必死過ぎてそれどころじゃなかったんだ。
「スクールカウンセラーってどんな事するんですか」
「うら若き乙女や拗らせ青春男子達の誘導灯だよ」
「?もう少し分かりやすく端的に教えてください」
「会話かな」
端的過ぎる。
回りくどい言い方か端的過ぎる言い方しか出来ない。
安穏先輩は学生時代からこんな人だった事をついつい忘れていた。
「ふふっ」
「なんですか」
「いやね。懐かしいと思って。私の言い回しに懲りずに話し掛けてくるのは世那君だけだったね、あの頃から」
「分かってるのにやってるんですか、、」
「もう慣れたろう?」
「おかげさまで」
核心を得てるようで核心を得てないような。
核心を得てないようで得てるような。
そんな安穏先輩の言い回しには不本意ながら三年の時間の中で慣れてしまった。
毎日のように会ってたし、最初の頃はかなり理解に苦労したし、理解した後は達成感があったし。
安穏語の理解で一つ単位が欲しかったくらい、ただ会話をしてただけなのに何かをやり遂げた感じがあった。
自分で分かってるのに回りくどくて分かりにくい話し方を続けるから、周囲を惹きつける主人公みたいな雰囲気を持ってて人が寄ってくるのに、特定の誰かと一緒にいるのを見た事が無い。
本人に改善の意思がないのが一番の問題だと思うけど、先輩が特に問題としても捉えてないからこっちから言及する事はしない。
連絡を取ってない間、人間関係どうしてたんだろ。
「久しぶりに相手に合わせずに会話をした気がするよ」
「普段は気を遣ってるんですか?」
「流石に職を失うと生活が出来ないからね。変わり者である事を理解していれば、正常を装うくらいの事は出来るよ」
変な言い回しをせずに周りに溶け込んで、生徒に親身になって話を聞く先輩。
あまりにも想像がつかない。
俺にとっての安穏先輩は、ラーメンとゲームと二次元の話ばかりで、若干の関わりにくさを持った話し方をするあの頃の印象のままだ。
「私ももういい大人だからね。あの頃のようにゲームやアニメばかりに没頭して自分のやりたいように振る舞うだけではいられないんだよ」
「ゲームやめたんですか?」
「やめたとは言っていない」
先輩の家にあったゲームは、埃一つ被ってなかった。
やめてないどころかあの頃と同じくらいやってる気さえする。
「また今度はゲームやりましょう久しぶりに」
「随分と積極的だね。いきなり来週の日曜日も予定を抑えてくるなんて」
「来週?え??」
詳細を何も話さずに立ち上がって主人公のような立ち去り方をしようとする先輩を引き留める。
突然の出来事過ぎて流石に消化し切れてない。
「君には人生の彩りが無いだろうから、私が貴重な休みを使ってその役目を担ってあげようと思ってね。仕方がない後輩の為に」
結局押し切られる形で、来週の日曜日の予定が決まってしまった。
細かい時間とかはまあLINEで連絡を取ればいいし問題無い。
無い、、、けど。
あまりにも唐突に予定が決まって、足元をうろつく鳩と同じような表情になってしまった。
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